其ノ三






「………………………………は、」


 明るい陽光が降り注ぐ中庭に、トウヤが立っていた。

 死んでいるどころか、包帯も巻かれていない。普通のシャツとズボン姿で、鍛錬でもしていたんだろう、その手には木剣を持っている。


「? 主人? ごしゅじ~ん、どうした、オレを運んでいる最中に頭でも打ったのか?

 なんか叫びながら屋敷中を走ってたみたいだが」

「……な、なんであんた生きてんの!?」

「酷い言いぐさだ、そりゃあアンタが救ってくれたおかげさ。ありがとう」

「どういたしまして……じゃなくて!

 し、ししし死んだんじゃ、」

「おい、どこの誰がそんな失礼な事を言ったんだ? 普通に生きているぞ」


 何だったら触ってみるか、と袖を捲くって腕を見せてくる。

 血色も良い。よく見れば薄く傷跡のようなものは残っているが、瘡蓋を剝がした痕のよう。光に充てているから


そう見えるだけで、普通にしていれば目立たない程度。

 あの怪我がどうやってここまで治るのかと疑問に思ってしまう程だ。


「……騙したわね! トウヤ・ツクヨミ!!」

「……オレも色々言われてきたが、ここまで酷い八つ当たりは初めてだ」


 木剣を適当な場所に置いて苦笑するトウヤに、サシャは詰め寄る。


「いいえ! 貴方ならこれくらいの悪ふざけをやりそうです!」

「想像で物を言うのは、《勇者》として如何なもんかねぇ。オレ以外にもやりそうな人間、ここにはいるだろうが」

「ハァ!? 誰の――」


 そこでサシャの言葉が止まる。

 悪ふざけ大好き。

 言葉が軽い。

 そういう人が一人いた。

 しかも、その人がサシャのベッドの横に座り、この厄介な勘違いの発端になった人物、


「おや、なんだい、もう会ったのかい。

 もうちょっと探し回ってくれると、面白かったんだけどねぇ」


 振り返ると、先ほどサシャが突進した扉から(蝶番が壊れているようにも見えるが、気の所為だという事にした)先ほどすれ違ったリヴァイやリラ、そしてグリムガルとファオを引き連れて、件の人物が登場した。

 悪ふざけ大好きで、言葉が軽くて、さも自分は優しい師匠だと言わんばかりに付き添っていた女性。


「――師匠!! 流石に悪ふざけが過ぎます!!」


 サシャの怒声に、アンクロは少し意地の悪い笑顔を浮かべる。


「クククッ、何を言ってんだい。

 あたしはトウヤが死んだなんて一言も言っちゃいないさ」

「でも言ったじゃないですか!!「残念だよ、本当に」って悲壮感たっぷりに!!」


「そりゃあ残念にも思うさ。あれだけの戦いだったからねぇ、似たような試練を経て《勇者》になったあたしをもっと尊敬すると思ったんだけどねぇ。

 相変わらず婆さん呼び……どころか、起き抜けに『性格悪いなクソババァ』っていう酷い言葉をもらったんだ。

 非常に残念だよ本当に」


「今の非道を見る限り、実際性格悪いと思うぞ婆さんは」


 アンクロのわざとらしい噓泣きに、トウヤどころか、リラやリヴァイ、ファオまで苦笑を浮かべている。グリムガルは兜で良く見えないが、呆れている雰囲気があるので、皆と同意見なのだろう。

 サシャは盛大に溜息を吐きながら、その場に座り込んだ。

 早とちりした自分の情けなさと、本当に生きてよかったという気持ちで。


「なんだ、オレにそんなに死んでほしくなかったのか?

 光栄だね、これだったらクビはナシかな?」


 満面の笑みで目の前に座ったトウヤを、サシャは有らん限りの力で睨みつける。


「さぁ、どうでしょうねぇ。

 正直貴方みたいな元傭兵よりもずっといい《眷属》なんて他にもゴロゴロいるだろうし、そっちに乗り換えてしまうのも悪くないかも」


「ほう、そいつは重畳。

 だけど良いのか? 素のアンタの口の悪さは古伝に登場する二枚舌の蛇にだって負けていない一級品。そんなのに付き合える奇特な人間がいるかどうか」


「あら、主人の悪口を平気で言う人間よりずっとマシでしょう」

「こんな科白すら聞き流せないようじゃ、今回の主人は器量が狭いとみた」

「言ってくれるじゃない、もし攻撃用の魔導を覚えていたら消しかすにするところよ」

「《勇者》様に戦う術がなくて良かったよ」

「そもそも、自分の事を奇特と言ってしまうのはどうかと、」

「いやいや、オレは比較的奇特な部類だと思うけどな、」


 言葉の応酬は尽きない。

 だがアンクロも、リヴァイも、リラも、グリムガルも、ファオも、誰も止めず、むしろ温かく見守っていた。

 笑顔がそこにあったから。

 皮肉と悪口の応酬に見えるが、実際見てみればそうではない。

 じゃれ合いのような言葉を、喜んでいた。




「――まぁ、何はともあれお疲れさん」

「――ええ、お疲れ様」




 それだけを言い合い、お互いに笑顔を浮かべた。

 それだけで充分だったから。









「さぁて、そんじゃ、とっとと引き継ごうかね」

「……はい?」

「え、今から?」


 オレとサシャが動揺していると、婆さんは呆れ顔で溜息を吐く。


「こんなもんはとっとと終わらせたいのさ。あたしも、ゆっくり余生ってやつを迎えたいのさ」


 ……そういうもんなのか?

 そう思って振り返ると、サシャの顔が赤らんでいる。

 恥ずかしがっているのでも暑いのでも、風邪をひいている訳でもない。

 これは怒っている顔だ。


「ほ、本気なんですか!?

 いいえ、本気だったとしてもダメです! 歴代勇者は継承の儀をちゃんとした式典にしていました!

 そもそも、立会人の世権会議執行委員がいませんし、各国への通知や世権会議への報告書もまだですし、それにこんな格好です!

 ダメです、足りない尽くしですっ!」


 ……ああ、ですよね。

 世権会議の旗頭的存在である《勇者》の代替わり。そりゃあしなきゃいけない手続きは山ほどあるはずだ。

ついでに忘れそうになるが、サシャの今の姿はネグリジェ……っていうと色っぽいイメ―ジだが、実際は白いダボダボのワンピースみたいなもんだ。

 こんな格好で《勇者》になろうとは思うまい。

 まぁだけど、こんなサシャの抗議をこの用意周到な婆さんが予想していないはずもなく、


「世権会議にはすでに連絡済み。継承の儀ってのは半分お披露目、半分先代勇者の最後の花道みたいなもんだ。

 前者はもう書面と精巧な似顔絵で済ませた、書類も提出し終わって後はお前さん一人でも出来る。

 立会人はリヴァイが代行を務めるという事で許可を貰っているし、あたしらしか見ていないんだから格好は気にする必要性がない。

 で、他に問題は?」


 我が主人は婆さんの阿漕なやり方に文句を言おうと、まるで陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクとさせるが、残念なことに必要な言葉は出てこないし、鰓呼吸も出来ない。

 こういう所じゃ、まだまだ婆さんの方が上手だ。


「……恨みますよ、師匠」

「はいはい、好きにしな。

 んじゃ、とっとと位置について、用意は済ませてあるんだからね」


 試練に見送った時と同じように、アンクロに付き従うように立つ四人の《眷属》と、その正面に立つサシャ。

 オレはこの場合傍観者だ。

 これを引き継ぐのは、サシャだから。

 アンクロはゆっくりと錫杖を掲げる。

 四つの奇妙な形の輪を付けている錫杖。

 契約と同じく、《勇者》と立証する証。


「――〝良い〟かい?」


 言葉は少ないが、少ないからこそ重い。

 アンクロのその言葉には、きっと色んな意味が込められているんだろう。

 迷わないか?

 覚悟は出来ているか?

 信念は持ったか?

 ――ちゃんと全てを理解出来ているか。

 オレは残念ながら、サシャが精霊王とどんな対話をしたのか、どんな答えを得たのか知らない。サシャ本人はついさっきまで寝ていたし、知っているのは本人だけ。

 でも、もし何も得られなかったら。

 何も出来ていなかったとしたら。

 サシャはここにはいないし、オレを背負って一昼夜以上歩き続けるなんて事は出来なかっただろう。


「――はい、〝良い〟です」


 だからサシャの言葉も少なかった。

 少ないからこそ、重みがしっかりと伝わってきた。


「――《勇者》アンクロより、《勇者》サシャに継ぐ。

 我が希望、我が信念、我が歓喜、我が慚愧、我が悲嘆、我が憎悪。

 その全てを御身に託す。

 これを、汝如何とする?」


 最後の謎かけ。

 これをどう答えるかで、サシャがどんな《勇者》になっていくかを誓うと、リラは教えてくれた。

 サシャは、真っ直ぐにアンクロの目を見つめ、


「――全てを背負い、それでも我は我が信じる事を為そう」


 ……ざっくり言えば、「留意してはあげるけど、私は私のやりたい事をやる」って話だ。

 オレも含めたこの場の全員が笑顔を浮かべる。

 全く、最初に出会った良い子ぶりっこのお嬢様はいったいどこへ行ったんだか。オレを馬鹿に出来なくなったぞ。


「コホンッ……良かろう。ならば全てを汝に託す。己が信念に従い進め。

 ――まぁ、好きにおやり」


 最後にアンクロがいつも通り話すと、錫杖を手渡した。




 シャランッ、独りでになった錫杖はほんの一瞬、しかし眩い光を発する。





 看破眼を起動させてみる。

 大我がまるで渦巻く嵐のように、錫杖を中心に練り上げられていく。

 それとサシャが繋がるのが見える。

 どういう風に繋がっているか、どう言えば良いのか分からない。強いて言えば細い蔓のようなものが、サシャの腕に絡まったようにも見えた。

 でも、きっと本質は違うんだろう。

 シンプルだが、きっと蔓なんて簡単なものではない繋がりが出来たんだろう。


「……儀式は終了だよ」


 アンクロはそう言うが、その顔を見てサシャは声を上げられない様子だった。





 その姿は――八十歳程の老婆に見えたから、だろう。





 だが、オレからすればこちらの方が真実だ。アンクロだけではない、隣に立つリヴァイも、まるで魔法が解けてしまったかのように、白髪が増え、皺が生まれている。

 精謐族や小人族のファオとリラの姿は変わらないが、きっと半巨人族のグリムガルは兜の中は変化しているだろう。

 ――大我は生命の源だ。

 大量の大我を握り、分け与える力を持つ《勇者》の体に影響を与えないはずもない。肉体の老化を留め、寿命を引き延ばす事だって可能だろう。そしてその影響は、《眷属》にもある。

 オレは看破眼でその痕跡が見えていたから、婆さんは婆さんでしかなかった。

 サシャは話は聞いていなかったものの、予想は出来ていたはずだ。何十年も鉄火場を渡り歩いている《勇者》がこんなに若い姿であるはずもない、と。


「これが、お前さんの行き着く先だ……もう、後戻りは出来ないよ」


 サシャも、成長はするが老化は止まるだろう。美しい姿のままというのは、祝福であると同時に呪詛のようなものだ。いつまでも自分だけ同じ姿であり続けるというのは、人間の営みから外れる行為だから。

 後だしジャンケンみたいな言い方をするしわがれた声に、サシャは少し考える素振りを見せてから、優しくその手を取った。


「師匠はお婆ちゃんになっても、師匠です。それに、これくらいは覚悟の上です」


 淀みない言葉。それに、老婆になってしまったアンクロは、目を細めて頷いた。






「……さて、それでどうするんだ《勇者》サンシャイン・ロマネス」


 区切りの良さそうな所で、オレはそう声をかけた。


「オレはアンタの《眷属》として合格か? それとも不合格?」


 オレの言葉に、少しだけサシャはキョトンとするが、すぐに笑みを浮かべる。


「そうねぇ。まぁ腕は立つし、私の知らない事を知っているし、まぁ話していて悪い気はしないわね……相変わらず口は悪いけど」

「人の事言えんのかよ」


 その言葉に、一瞬だけ目を合わせると、




「プッ、アハハハハ」

「ハハハハッ」




 精一杯笑い声をあげる。

 これほど見事な茶番劇も中々ないだろう。

 こういう掛け合いがちゃんと出来るから、こいつと話していると楽しいんだ。


「ハ~ァ、ばっかみたい、本当に……では、元傭兵のトウヤ・ツクヨミ」


 しばらく笑い合うと、サシャは改めて姿勢を正す。


「三つの条件を守れるならば、貴方を《眷属》として雇い入れるわ」


 その言葉に、オレは小さく頷いて先を促す。


「一つ。私の《眷属》ならば、誇りある態度を。普段の貴方は気に入ったけど、どこでもそんな感じなら、私怒るわよ」

「信用ないなぁ、――心得た。主の意向に沿えるように努力しよう」


「二つ。――私はこれより善行を為す。全てを救う。





 でももし私が間違った道に走ったら――私を斬りなさい」





「………………………」

「もしかしたら、その所為で貴方は不利な状況に追い込まれる可能性だってある。どころか、雇い主を殺した傭兵は、犬畜生以下に成り下がるのかもしれない。

 それでも、出来る?」


「――約束しよう。アンタが歪めば、オレが斬る。どんな手を使っても」


「……うん、貴方なら、そう言ってくれると思った。まぁ変わるつもりなんてないけど、それくらいは言っておかないと、私もおかしくなるかもしれないしね。

 三つ目の条件よ、

 ――サンシャイン・ロマネスなんて呼ばないで。私はサシャよ」


 ……ハハッ。

 間違ったらぶっ殺せって命令からそこに飛びますか。

 あぁ、何て馬鹿な主人に仕えようとしてんだオレ。

 でも、




 悪い気分はしないんだよなぁ、どうしても。




 ゆっくりと膝を折る。木剣で締まりがないが、まぁ代用としては都合が良い。

 目の前に突き立て、真っ直ぐサシャの目を見る。




「改めて誓おう、《勇者》サシャよ。

 三つの条件を規範に、これよりこの身は汝の剣、汝の盾になろう。

 この忠義を受けていただけますか?」




 サシャの手が剣の柄に置かれたオレの手に触れる。




「ええ、お受け致します。我が一ノ《眷属》、トウヤ・ツクヨミ」




 右手の紋様が光り輝く。

 オレがこの世界に来た時、アンクロからこの紋様を貰った時のように綺麗に、あの時以上の強さで。

そいつはまるで、オレ達の道行きを照らすように。




 太陽程ではないが、月よりも強く。





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