5/太陽と月 其ノ一
血が、オレの目の前を川のように流れている。
柔らかい地面を伝って、ゆっくりと泉の水に流れ込み、溶けていく。
「――二時間。
上から、リヴァイの声が聞こえる。
血が足りないからか、それとも痛みを感じ過ぎてもう感じないからなのか、アイツの声がワンワン頭の中に響く。
確か、少し前から力はなくなっていた。
剣は重くなっていくし、体の傷はどんどん治らなくなっていくし、おまけに刃を形成する小我まで無くなっていったんだ。
ハハッ、死なねぇようにって啖呵切ったけど……これ、ちょっとヤバいよな?
体の感覚はない。
右腕は動くけど、もう《竜尾》を振るう程の筋力が、物理的にない。
左腕は何とか無事だけど、これ、骨に罅入っているな。
体なんて、傷がない場所を探す方が難しい。
――詰んでいる。終わってるよこの状況。
「不思議なんだ、僕は」
オレの状況何てお構いなしで、リヴァイは話を続ける。
「なんで、そこまでサシャに肩入れするんだ?
僕の見立てでは、君はかなりの現実主義者だ。サシャは逆に理想主義者。とてもじゃないけど相容れるとは思えない。ところが、君は初めて会った時からどうやらサシャの事が気に入っているらしい……何故だ?」
「……そりゃあ、ごしゅじんさまに、こびうんのは、ようへいの、とくぎだぁ」
血と傷で上手く回らない口を動かして答えると、リヴァイは苛立ったように鼻を鳴らす。
「ここにきて傭兵の話を持ち出すかい? 今までそうじゃなかっただろう。
なぁ、真面目に答えてくれ。何故、そこまでサシャを気に入っているんだ?
同情や憐みの類?
アンクロへの恩義?
女に乞われての義侠心?
まさか、一目惚れなんて見え透いた嘘、言わないよな」
……言うか、阿呆。
声にはなからなかったけど、口の中でそう言った。
あんな女のどこに惚れろってんだ。
確かに見た目は悪くないが、中身と口が最悪に近い。頑固で気が強くて、走り始めたらぶつかるまで歩みを止めなさそうな猪頭……
でも、そうだな。
なんだか、
「……うずくんだよ、」
「――なに?」
反応したリヴァイには申し訳ないが、オレはお前に向けて言っている訳じゃない。
視線のその先で、水に浮かんでぐうたら寝込んでいる、大事なご主人様に言ってんだよ。
「オレの、ないはずの、きおくが、うずくんだよ」
どこかの誰かに、サシャは似ているように思えた。
思い出してもいないダレか。
そもそも顔も体格も、性別すらまともに合っているのかどうか分からない。
でも何となく分かんだよ。
『こいつ、放っておくと勝手にホイホイどっか行って、勝手に誰か救けて、勝手に死ぬぞ』ってのがさぁ。
分かっちまうんだよ。
……ああ、嫌だなぁ。
こんな形で見つけたいわけじゃなかった。
もうちょい良い形で知りたかった。
切れ端すら今まで見つからなかったのに、何でこんなタイミング、こんな形でヒント貰っちゃうかなぁ。
この世界に神様なんてバカがいるなら、本当にバカだろ、ったく。
おちおち眠ってもいられないじゃん。
「――ッ!!」
「おっと」
緩く振るわれた《顎》をリヴァイに避けられる。
右腕で《竜尾》支えにして立ち上がる。
多少傷を負わせた所ですぐに回復している連中は、最初と同じように四人、ご丁寧に並んでオレを見ている。
「ハァ、ハァ、――なんだよ、ジロジロ見てないで、とっととかかって来いよ」
「……もう、無理でしょう? 戦える体ではない事は、トウヤ様が一番分かっているはずです」
布で口元を隠されていても、リラが悲しそうな顔をしているのが分かる。
「貴殿ハ立派、シカシ諦メヨ」
慈愛の言葉に似たグリムガルの言葉は、戦意をがりがり削っていく。
「傷治すから、このままもう帰りましょう――貴方は良く戦った」
ファオの言葉には、記憶にはないが、あぁお袋ってこんな感じなんじゃないかなと思わせる響きがある。
「――降参しろ、トウヤ・ツクヨミ」
ただリヴァイだけは、ちゃんとオレを敵としてみていた。だが、慈悲もかけていた。
――なんだよ、揃いも揃って良い子ちゃんかよ。
「――わりぃな、オレ、決めた事は最後まで、やる性分なんだ」
それを全部無視して、オレは《顎》の切っ先を四人に向ける。
もうまともに握ってらんない、切っ先がぶるぶる震える。
それでも目を逸らさない。
それでも剣は絶対に離さない。
「アンタらに認められても、一個も嬉しくないんだよ。
アンタらのお世辞なんざ、反吐が出る。
オレはそんなもんが欲しくて戦ってるんじゃないんだよ!」
ただ一つ。
サシャを守れた。
〝俺〟が決めた事を全うした。
〝俺〟の目の前から何一つ取りこぼしはしなかった。
その結果だけだ。
オレが求めるのは、それだけだ。
「――終わらせたきゃ、オレを殺せよ。
殺せるもんならなぁ」
最後の力を振り絞って、無理矢理剣に体力を吸わせて、霞のような刃を生み出す。
ここでオレの物語は終了。
悪くない幕引きだよなぁ。
次代の英雄様を背中に守って死ねるなんて。
心残りはまぁ、山のようにあるけどさぁ。
でも、うん。
悪くない幕引きだよ。
「――トウヤ!!!!」
……ハハッ、
タイミング良過ぎだろう、我が主。
◇
『手を出しなさい、サンシャイン・ロマネス』
エレインの言葉通り、サシャは恭しく手を差し伸べる。
優しく、慈しみの籠った手付きで優しく撫ぜると、その甲にキスを落とす。
『精霊王がここに認めます。
貴女はこれより、
変化はすぐにやってきた。
小さな針で刺されたような痛みのあと、やってきたのは温かい水の奔流。
それは体の隅々を駆け抜け、満たしていく。今は体のない精神体なはずなのに、それが不思議と実感できる。
『体がないからこそ、ですよ』
エレインが、まるでサシャの心の中を読み取ったかのように言う。
『精神体は、言わば自我を持つ大我、私達に近づいている状態。
故に、大我の実感は肉の器を持っている時のそれより強いはずです』
なるほど、と納得する。
満たしている力を感じる。
手に入れられたという喜びと、手に入れてしまったという恐怖。
こんな膨大な力を持ちながら、生きていかなければいけない。
『それで良いんですよ、サシャ。
どこまで行っても、人間は人間です。強大なまでの力を持ってしまえば、人はそれに流される。
故に恐れ続けなさい。恐れを持ち続けるからこそ、人は力を制御し、人として生きていけるのです。
そして、恐れは同時に勇気に繋がる。恐れ、しかし恐れに流されないからこそ勇を持つ者に、……《勇者》になれるのです』
言葉を噛みしめる。
意味を自覚する。
《勇者》が人であり続ける為に。
『――さて、終わりの時です。合格おめでとう。
次に会う時は、貴女がその生を終え、大我に戻る時。
その時に、貴女が宣言した夢が、現実になっているのを楽しみにしているわ。
お元気で、《勇者》』
ええ、お元気で精霊王――お元気で、エレイン。
最初に感じたのは、水の温度。
ひんやりしていて、でも体の熱を奪ってしまう程冷たくはない、不思議な感触。
手足の存在を自覚する。
水の感触、泉の底に感じる柔らかい砂に触れる。
体が酸素を求め呼吸し、心臓が動いている事を認識する。
光が時間をかけて戻ってきて、瞼の裏をくすぐっているのが分かる。
まるで粗悪な耳栓をしているかのようにぼやけていた音は、ようやく感じられるようになる。
「――わりぃな、オレ、決めた事は最後まで、やる性分なんだ」
誰かの声が聞こえる。
この声は――ああ、つい最近までサシャが嫌っていた存在だ。
――傭兵だから、というだけではなかったのかもしれない。
彼はあまりにも真逆で、同時に同じだったから。
反抗心があったし、親近感があった。
意識が違うからこその理解があり、同じ部分があるからこそ同族嫌悪した。
「アンタらに認められても、一個も嬉しくないんだよ。
アンタらのお世辞なんざ、反吐が出る。
オレはそんなもんが欲しくて戦ってるんじゃないんだよ!」
――そもそも、サシャはトウヤ・ツクヨミが好きではない。
ガサツで言葉が軽すぎる、その割に大事な所でこちらが潰れてしまいそうになるほど重苦しい言葉を投げかけてくる。まるでサシャを口が悪い子供扱いしている節もあるし、痛い所を的確についてくる。自分だって無知なくせにサシャを馬鹿にする。本当に、好きではない。
好きではないけれど、嫌いでもない。
彼が本当は肉体も、心も強い人だと何となく察していたから。
自分には兄弟はいなかったし、これからもいないけれど、
「――終わらせたきゃ、オレを殺せよ。
殺せるもんならなぁ」
もしいるとしたら、こういうものなのかもしれない。
「――トウヤ!!!!」
声を張り上げて、ようやくサシャは全ての感覚を取り戻した。
水が跳ねるのも気にせず、勢いよく起き上がった。
目の前にいるのは、自分が家族だと思っていた四人の《眷属》と、血みどろになって立っている自分の《眷属》だった。
酷い姿だった。
革鎧は剥がれ、服は破かれ、どこもかしかも、彼の黒い髪も血で染まっていた。
無数の傷跡。右腕などもはや動かすどころか、原型を留めていられているだけでも奇跡のように思える程ズタボロで、左腕など切り傷だけではなく、途中から見にくくはれ上がっている。
足は無事なようだが、それでも立っているのがやっとなのが遠目でも分かる。
――守ってくれていたんだ。
それだけでサシャの胸は一杯になり、濡れている自分の身なりも、敵として立っている家族達の存在も気にせず、水の抵抗でつんのめりながら、必死でトウヤの下に駆け寄った。
「トウヤ、トウヤ!! ああ、ダメ、目ぇ閉じないの! 閉じたら死ぬわよ馬鹿!!」
血で染まる事も気にせず抱きかかえる。
話している段階で既に限界だったんだ。
本当に最後の力を振り絞って立っていたんだと分かる。
目は半開きで、起きているのか寝ているのか分からない。だが呼吸をしているのだ、まだ手はある。
「――合格おめでとう、サシャ」
リヴァイの言葉に、サシャは言葉を返さず、ただ鋭く睨みつける。
試練だというのは分かっている。
きっとトウヤの精神力と覚悟、そして実力を試す為のものだったのだろうと、頭では理解できている。
でも許せない。
自分の大事な《眷属》を傷つけた相手を許す事が出来ない。
「――これ以上するというのであれば、私が相手になります」
「いや、その必要はない」
サシャの覚悟の籠った言葉に、リヴァイは首を振る。
リラも、グリムガルも、そしてファオも。自分の得物である剣や杖を仕舞っていた。
「第一、第二の試練はここに終了した。君達は両名とも合格。
第三の試練は、僕達も、魔獣も、疑似精霊も、精霊王すら手を出せない」
リヴァイは最後にサーベルを鞘に収めながら微笑む。
「彼はボロボロ、っていうか今にも死にそうなほど。しかし《眷属》としての力は失っている。試練で使える君とトウヤ君との繋がりは使い捨ての物。
しかも、治癒系の魔導には限界があり、そのレベルの傷を完治させる事は出来ない。せいぜい、応急処置くらいだろう。
彼の傷をその大我で癒すには本契約しかないが、《勇者》のもう一つの証である錫杖がなければ本契約は出来ず、しかもまだ代替わりそのものを終えていない君には杖があっても無理な話。
さて、ここから導き出される答えは?」
「……………………」
リヴァイの言葉に、サシャは返事をしない。
返事をしないが、答えは分かっている。
簡単な話だ。応急処置を施し、彼を背負って村まで戻る。その場での代替わりが無理でも、アンクロならば治癒可能だ。
歩いて片道二日と半日だった道程を、怪我でボロボロの《眷属》一人を背負って勧めというのが、第三の試練。
(――ううん、そうじゃない)
それではない。
確かに試練だが、本質はそこではない。
「気付いたようだね。
君なら――その荷物を捨てて、一人で帰れるはずだ」
リヴァイが囁く。
「大局を見なさい、サシャ。
このまま試練を達成できず、《勇者》となれなかったら? 君が救えたかもしれない多くの人を救えなくなるだろう。
ここで一人見捨てるだけで、何千という人々を救う道を歩めるんだ。
これから、似たような事に出くわすだろう。
その時君はどうする?
一人を救って、数万を殺すか?
数万を救う為に、一人を見殺すか?
――選びなさい。最後の問いだ」
……彼の言っている事は、間違ってはいないのだろうな。
そうサシャは思った。
ここで彼を背負って歩いて、生き残る可能性はいくつあるだろうか。十に一つか? いや、百に一つかもしれない。それよりも、これから先救える者の、救わなければいけない人々の為にトウヤを見捨てる。
合理的判断というものだろう。
民が《勇者》に無意識でありながら求めているのは、そういうモノなのだろう。
サシャはその言葉に、
「――ふっざけんのも大概にしなさいよあんたら!!」
怒声を放った。
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