其ノ三






「ッ!!」


 反射的に《顎》を振るうと、金属がぶつかり合う音が辺り一面に響く。

 リラのナイフは、オレの刃を真っ向から防いでいた。先ほどの疑似精霊と同じように、刃そのものに魔力物質での強化がされているのだろう。


「トウヤ様、お手並み拝見」

「ハハッ、やっぱ只者じゃないじゃん!!」


 リラは衝撃と豪風を纏い振るった《竜尾》を、まるで煽られた木の葉の如く回避する。小さい体を活かした、武器の衝撃を利用する回避法。

 その背後には、槍衾のように埋め尽くされる炎の槍。


炎槍cremato生成curis 一斉掃射primum


 魔導の時とは違う詠唱の言葉。

 意味そのものは理解出来ても、どう発言しているのか、なんと言っているのか分からない不思議な言葉。

 その言葉と共に、炎の槍が雨の如くオレの元に降り注ぐ。

 防げない。

 回避も無理。

 そう判断したオレの脳内に、サシャと話していた時に聞いた言葉を思い出す。



『魔力物質は、――』



「魔力物質でしか干渉できない――なら!!」


 《竜尾》で槍を振り払う。

 無形であるはずの炎を、槍という有形のものにする魔術。

 しかしその炎も、固定している未知の力もまた魔力物質である。

 その炎の槍は粘土を力任せに潰した時のように、ぐにゃりと形を変化させて消失していく。


「――ナルホド。魔術スラモ両断出来ル剣カ、厄介ナ」


 魔術を斬り払ったオレの前に――山が現れた。

 本来の巨人族の半分もない体躯だが、しかし普通の人間であるオレからすれば見上げる程だ。それが全身鎧を着て、盾と剣を装備していれば、まさに二つ名の通り〝城塞〟のようだ。

 全身が黒く仕立てられている鎧だが、歴戦の傷か、はたまたそういう意匠なのか。まるで血管のように黄金が見える。

 黄金は非常に脆い金属だ。当然鎧に使うなんて愚行を犯すはずがない。


神鉄オリハルコンの鎧……」


 錬金術師が生み出した、この地上の上で最強の硬度を持つ金属。物質的魔術すら容易にはじいてしまう程の防御力を誇る。

 頑丈さに反比例しその製作と取扱いは非常に繊細で、レベルの高い錬金術師と腕の良い錬鉄族ドワーフの鍛冶師にしか取り扱えない高級品だ。


「こんなところでお目にかかれるとはな、」

「ソシテ、コレガ最後ダ」


 上段に構えられた剣が振り下ろされる。

 嵐そのもの。

 山から吹き下ろされる突風を、オレは《竜尾》で受け止める。


「グッ!!」


 ズンッという、剣戟というにはあまりにも強大な衝撃が、体の中を突き抜けていく。

 今のオレならと思って防いだその攻撃は、想像以上に自分の中に激痛を齎し、それでもなお余る衝撃は地面を陥没させる。もし《顎》の刃を収め、その状態で《竜尾》を押さえていなければ、腕すらも折れていただろう。


 〝城塞〟。

 全てを防ぎ、全てを守る鉄壁の山城は、通常攻撃も大砲クラスだ。


「――ほら、衝撃に苦悶している場合じゃないぞ」


 ふわりと、前髪が揺れる。

 いつの間にいたのだろう。

 先ほどのリラの気付かない程の隠密術からではない。

 リヴァイは物理的な速さでいつの間にかオレとグリムガルの間に滑り込み、既に構えていた。


「――〝瞬殺一閃〟」


 一瞬で殺す一つの閃き。

 それは文字通り、閃光のようにオレの腹を突き立てる。


「――カハッ」


 貫かれる感覚と、突き飛ばされる感覚。

 その両方を腹に感じながら、オレは足で体を後ろに押す。

 周囲の景色は流れ、バランスを崩して何度か後ろ周りに回転して、這いつくばる姿でようやく静止した。

 苦しみを置く場で噛み殺しながら傷を見る。

 風穴が空いている。

 こっちは皮鎧着てそれなりに鍛えているっていうのに、そんなものを無視して穴を空けられた。

 回復は今もしているが、蓄積されたダメージと疲労でその速度も遅い。

 四人に対して一合ずつ。

 たったそれだけの相対で、オレと四人の実力差が分かる。


「……辛いだろう?」


 リヴァイが静かに言う。

 この傷の原因の癖に、何優し気な声を上げているんだ。

 そう思ったが、呼吸する度に未だ痛む傷の所為で言い返す事は出来ない。


「……トウヤ。僕達は全てを守る。世権会議に所属する国、その国民、無辜の民だけではない、様々な存在と生命、そして何より《勇者》本人。

 知っているかい? 全てを守るという事は、同時に全ての敵であり続けるという事なんだ」


 言葉には悲哀が混じっている。

 リラも、グリムガルも、ファオも、全員が何も喋らない。しかし、そのリヴァイの言葉こそ、彼らの総意なのだろう。


「僕達はその覚悟をして《眷属》になったけど、それでも辛く、悲しい事が多かった。

 大小さまざまな傷を持ち、時には弱者に手をかける事もしたさ。《勇者》の決定であれば、善行と同じ数だけの悪逆を積む。

 それでも裏切れない。

 裏切ってはいけない存在。

 それが《勇者》と《眷属》の関係さ。

 ――でも、トウヤ、君はまだ《眷属》ではない」


 剣をかざしながら、ゆっくりと道を空ける。

 まるでオレの通り道だと言わんばかりに、道が開ける





「チャンスを上げよう……逃げても良いよ」





 …………ああ、そういう事かチクショウ。

 言葉の真意を知って歯噛みする。


「《眷属》に一度なってしまえば逃げる事は許されない。逃げれば永遠の侮蔑対象。誇りあるものであればそれに罪悪感を覚えるだろう。しかし《眷属》の役割は岩よりも重く、海よりも深い。

 君は傭兵だ。善悪を天秤にかける我々とは違い、自分の命に見合った金が向かいの皿に乗っていれば、十分釣り合うと判断する。傭兵の君に務まる仕事とは思えない。

 ……それに、僕は君を気に入っている。気に入っているからこそ、この業の深い仕事を負わせたいと思えない。

 ここで逃げなければ、僕らは本気で君を殺しにかかる。だが逃げれば、君には今まで通りの生活が待っている。いや、確かそれなりのお金があったんだったね。ならばどこかで平穏に暮らす生活に変える事だって出来るはずだ。

 辛いばかりで、重苦しいこの責務を負う必要性は、君にはないだろう? サシャと違って」


 ……まぁ、全くもってその通りだよな。

 口の中に広がる血を唾と一緒に吐き出しながら立ち上がる。

 全くもってその通り、オレはリヴァイの言葉に同意する。

 なんでオレがそんな事しなきゃいけないんだ?

 別にオレが関わる話でもないだろうが。

 《眷属》候補になったのだってあの婆さんが勝手に選んだ事だし、傭兵になったのだってあの婆さんの紹介だ。傭兵稼業だって必要に迫られての事だったし、オレの中での衝動に従っただけ。

 この世界に来てからの事は一個も後悔していない。

 何せオレは好き放題やってきたんだからな。

 一点、好きに出来ない事と言えばこれくらいだ。

 なぁにが悲しくてオレをコケにする女を守らなきゃいけない?

 最後の最後にちょっとデレ入ったくらいでオレがあんな女のお守りを一生引き受けなきゃいけないって? ハッ、何の冗談だよ。

 とっとと帰ってエールでもひっかけて、稼いだ金で少しばかりのんびりして、それからまた稼ぐために、商隊の護衛か、そうじゃなけりゃ適当な魔獣を狩って稼ぐ。そんでまた旨い飯を食う。

 なんだよ、そうだよ、今までの生活だって悪くなかった。

 そりゃあ、オレの衝動についちゃまた難しくなるが、傭兵として名を挙げてどこかに仕官でもすればまた状況も変わる。何もこの世界を守るだなんて大役をオレがやらなくても良い。

 それがサシャの望みでもあるんだから、まぁあいつも納得するだろう。

 あぁ~あ、ただ働きしちまったよ。

 いやだいやだ、本当に、






 ――冗談じゃねぇぞ。






 逃げる?

 守れる人間を放置して?


 命を繋ぐ?

 後ろに人がいるってのに、オレが命を繋いでどうするんだ。


 ダメだろ、それ。

 それじゃあ、〝俺〟が死ぬじゃねぇか。

 それじゃあ意味がない。

 ここで生きている、意味がない。

 何バカ言ってんだ、こいつら。


「……ッ!!」


 《竜尾》を横なぎに振るい、地面に真っ直ぐ線を引く。

 こちらとあちらを、線引きするように。


「……『不退の戦線』、か」


 リヴァイの言葉に、オレは笑みを浮かべて答える。

 傭兵の伝統の一つ。

 剣で線を引く。ただそれだけの行為は、簡単さに反比例して重い。

 この線を超える者は敵とみなす。

 この線から自分が離れる事を認めない。

 不退転の覚悟と同時に、相手への警告であり、守り抜くという意思そのもの。

 脅威が去るまで戦う事を止めない。


「アンタら、やっぱ分かってねぇな。オレは、傭兵としてここにいるわけじゃない。《眷属》になるのに理由も目的もあるが、今この場ではどうでも良い」


 《竜尾》の切っ先を四人に向ける。

 自分が守ろうとするものを害そうとする敵がいる。

 どんなに相手が強かろうが何をしようが、関係ない。





「後ろに守らなきゃならないモンがあって、守れるのがオレだけなら、オレが守る。

これは〝俺〟の矜持の問題だ」





「――期待通りだよ」


 オレの言葉に、リヴァイは嬉しそうに笑顔を浮かべる。


「だけど、言葉では何とでも言える。このまま戦い続ければ君は死ぬけど、どうする?」

「どうする? どうするって言ったか? んなの決まってんだろうが」


 剣を構え、

 足に力を入れ、

 目の前の敵を睨みつける。





「死なねぇように、頑張るしかないだろうがよ!!」











「――一つ、お聞きしたい事があります」


 サシャの口から、絶望に染まった声を聞く。


『……ええ、なんでしょう』


 答えを出してくれる。

 そう思って答えた精霊王に、サシャは顔を上げてみる。

この世界は精神世界。

 精霊王の座所、自由自在な彼女だけの世界。

 故に、精霊王の事をサシャは見えていないはずだった。

 だが、その目はあまりにも真っ直ぐに、確信をもって見開かれている。

 そこに、精霊王が望んだ絶望など、




「――全ての《勇者》は、それを本当に正しいと思っていたのですか?」




 まるで見えはしなかった。




『――――――――』


 精霊王は黙った。

 精霊は嘘が吐けない。

 利己的な判断ではなく、利他的な事しか出来ない。だから自分の都合の良い嘘など吐けず、ただただ黙るという選択肢しか選べない。

 しかし、サシャにはそれだけで十分だった。


「そうじゃないですよね? もし、私のような人達が《勇者》になったのならば、きっと同じことを思うはずです。

 『もっと良い答えはなかったのか』『もっと多くを救えたんじゃないか』『誰の犠牲もなく救えたのではないか』と」


 ――《勇者》であっても、人は人だ。

 犠牲を嘆かない人間はいない。

 殺しを厭わない人間はいない。

 絶望を否定しない人間はいない。

 悲しみを許容する人間はいない。

 苦悩を感じない人間はいない。

 それを行える者は、もはや人間ではなく、そういう存在になってしまっている。

 そしてそういう存在になってしまう事を、《勇者》は許されない。

 直接的に人を傷つける事を許されず、ただただ自分の決定が実行されるのを傍観する。

 自分の手が血で汚れる事も、それによって自分が壊れる事も許されない。

 だって《勇者》だから。

 《勇者》は壊れてはいけないから。


『――――――――――』


 精霊王は答える事が出来ない。

 その通りだったから。

 サシャは、滲んだ涙をぬぐい、顔を上げる。


「きっと、皆苦渋の決断だったとのでしょう。

 救えたかもしれない。

 もう少し考えれば、

 もう少し自分に力があれば、

 もう少し何かが違えば、結末が変わっていた。

 しかも、その何かを自分が引き出せたと考えてしまう。

 皆、皆辛かったのだと思います」


 だって、今そう考えただけで、サシャも辛いから。

 自分も同じ経験をするかもしれないと考えると、足が竦むから。

 誰かを救いたくて、誰かの下に不幸が降り立つのを回避したいから《勇者》になろうと決めたはずなのに、自分がもしその不幸を振り撒く存在と同列になるのだとしたら。

 恐い、怖い、こわい……。

 自分が全てを救うという善を為して初めて報いる事が出来るはずなのに、それが出来なかったらと思ったら、ただただ怖い。

 ……でも、


「――私は、そうはなりません」


 前を向く。

 絶対に目を逸らさない。

 〝かも〟なんていう可能性だけで、何もしない。

 それは一番やってはいけない事だ。



「精霊王、私はここに誓います、」



 胸を張ろう。

 例え罪悪感から来た信念でも、この輝きだけは真のものだと。

 例え自分が偽物の英雄になったとしても、善を為そうと。




「私は――先代たちとは違う道を歩みます。

全てを救い上げます。どんな苦難が待とうと、誰も犠牲にはしません」




『……サシャ、それは無理なのです。

 どんなに救いたいと願っても、全てを救う事など出来ません。悪や悲嘆が十人十色であるように、また善や幸福も十人十色。全てを救う事など、夢物語です』


「いいえ、やります」


 先代たちも、そんな夢を抱いて死んでいったのかもしれない。

 そうじゃなければ、《勇者》なんて仕事やっていられなかっただろう。

 全てを救える、この世界の誰もが笑顔になれる方法がどこかにあると探し続ける、求道者にして愚者。

 だったら、それを汲み取っていくのは自分の役割だ。

 今を生きる、サンシャイン・ロマネスに出来る事はそれくらいだ。


「私は、全部を救うために《勇者》になり、その為だけに生きていくと誓います。

 ――精霊王、貴女はきっと私を救おうとしてくれていたんですよね。私が本当の意味で傷つく前に、私をこの道から遠ざけようとしていた」


 サシャの目の前には、一人の女性が立っていた。

 髪も、目も、着ている衣も全て流れる水のように澄んでいて、それでいて海のように青い。

 精霊王――エレイン。

 泉の主にして、全てを流転する大我の頂点に立つ、たった一人の精霊の女性。

 全ては大我より生まれ、そして大我に還る。

 つまりそれは、全ての生の幸福と悲嘆を、数千年の時の中傍観し続ける。

 ある意味勇者に最も近くて、《勇者》よりも辛い役割。


「お初にお目にかかります、精霊王――やっぱり、想像通り優しいお顔立ちです」

『サシャ……ごめんなさい。

 私が、勇者という存在を生み出した、その所為で貴女にまで、』

「違います」


 ハッキリとエレインの言葉を否定する。


「私が全部、決めた事なんです」


 《勇者》なんて役割がなかったとしても、大我の元たる美しの泉の力を継承出来なくても。

 結果的に、サシャは同じような事をしていたと思う。やり方は全然違ったかもしれないが、結果同じ方向に向かっていたはずだ。

 今にも涙を流しそうなエレインに、サシャは微笑む。


「精霊王様、私、常々思っていたんです。

 やっぱり、物語はハッピーエンドが好きだなぁって」


 アンクロから聞いた歴代勇者の物語、その他数多存在する伝承や逸話、はたまた物語。勉強に必要な本以外にも、そういった様々な物語を見て育った。

 それを見て思っていた。

 誰かを殺さなければ得られない平穏なんて嘘だ。

 どうせなら、全部が全部救わなきゃ、と。


「精霊王様、私は《勇者》に、誰もを救える英雄になりたい。

 いいえ、なります! だって、」


 どんなに難癖をつけられ、綺麗事だと笑われようと、






「やっぱり、皆笑顔の方がずっと気分が良いもの!!」





 その言葉に、精霊王は目を見開く。

 それは古く、千年も前に誰かから聞いた言葉。

 懐かしさと喜び、そして少しの悲しみを胸に仕舞いながら、その時と同じ返しをする。


『……貴女は勇敢だけど、同時にとても愚かですね』


 その言葉に何と返すのか期待しながら。

 精霊王の胸の内を知ってか知らずか、


「当然です! 私は《勇者》になるんです!

 これほどのお馬鹿も中々いないです――フフッ、トウヤを笑えないわ」


 満面の笑みで、サシャは答えた。





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