其ノ二






「……終わった、の?」

「そういう事言うな、そういう事を言うと目を覚ましたりするんだよ」

「? 傭兵のジンクスかなにか?」

「ああ、いや、何でもない……取り敢えず、ちょっとそのままで」


トウヤは呆れ顔でそう言ってから、《竜尾》の刃を起動し、上段斬りで動かなくなった擬似精霊 四肢を斬り飛ばす。

いきなりの事だったので、思わずサシャは目を瞑ってしまったが。


「ちょっ、斬るなら斬るって初めから言いなさいよ! ビックリしちゃったじゃない」

「いや、こう言う作り物系のヤツはどこまで壊せば安心なのか分からないからな。四肢を斬っておけば動かないかなって」

「それは擬似精霊にも寄るわね、自動修復機能とか付いていたら無駄だし……ううん、それならそれで、さっきの攻撃も通用しなかったし、そういうのは無いのか」


 ファオにしては随分単純な機能だ。そう思いながら、魔導を解除し枝を元に戻していく。


「まぁあくまで「試練」だからな。突破出来なきゃ意味が無いわけだし。

 にしても、話に聞いた以上の効果だった。流石魔導師」

「私は魔導を使えるだけで、別に魔導師じゃ無いわ。ちょっとファオに教わって知識があるってだけ」


 魔術師は出身学院から卒業証明を貰えば名乗れるが、魔導師は難しい。

 師が一人前と認めなければどれだけ腕が良くても魔導師としては認められないし、逆に腕がそこそこでも師が認めれば魔導師と名乗れる。

 大魔導師ともなれば話は別だが、非常に師匠に依存するのだ。

 そういう意味で、サシャは魔導師ではない。

 『《勇者》なんだし魔導師の称号なんていらないんじゃない?』というファオのちゃらんぽらんな言葉で結局資格は貰えていないのだ。


「そういうもんなのか……だが、戦えないだけで、他の部分で協力出来る事は嬉しい。こっちはそういう小技が使えないから」

「小技言うなっ。あんただって意外と細かい芸が出来るじゃない」


 小さな穴に的確に投げナイフを放ち、しかも効果的な手段を見つけ、どのくらいで行えばそれが可能なのか計算する。

 考えるだけで手一杯なサシャにとって、戦いながらそれを行う事が出来るトウヤは優秀に思えた。

 ……傭兵だという事を除けば、だが。


「これくらいは当然だ。オレは単純に剣が強い訳でも、身体的にも恵まれている訳じゃない ちょっとギフトが戦うのに好都合なだけで、他の才能はない。

 色々出来てちょっと細かいくらいじゃないと、傭兵稼業なんてやっていけないのさ」

「そういうものなんだ」


 トウヤと話してから、傭兵という存在が自分の考えていたものと離れている事を実感させられる。剣を振っているだけの獣としか思えなかった存在が、もっと理知的で人間らしい存在だと認識できるようになる。

 知らない、という事は罪だ。

 少なくとも、世界の調和を守り、全てに平等でなければいけない《勇者》にとっては。


(私もまだまだ未熟なんだってのを思い知らされた……ちょっと、ちょっと屈辱的だけど、もういい加減傭兵と呼ばない方が良いかしら。

 でも、なんて呼ぼう。トウヤ、じゃ親しみがありすぎるし、ツクヨミは他人行儀過ぎるし呼びづらい……)


 そもそもトウヤ本人が憎くて冷たくしていた訳ではないのだ。

 段々と、この青年は口が悪くて軽くて礼儀知らずではあるものの、悪い人間ではないと認識し始めたサシャがそう考えていると、


「なぁ、それにしても、アンタの素はそっちだったんだな。敬語使う堅物なアンタより、そっちの方が気楽だから、出来ればこれからもそっちの話し方をして欲しいんだが」





「…………………………え、」




 トウヤの思いがけない言葉に、サシャは驚く。

 そんなサシャの様子に、相手も同じ顔をする。


「気付いてなかったのか? アンタさっきから敬語じゃなくなってる。むしろオレに近い話し方になっているぜ?」


 二人の間に、いっときの静寂が訪れる。


「…………しまった!!!!」


 サシャの絶叫でその静寂はすぐに切り裂かれた

 サシャにとって、敬語は礼儀作法の一つであると同時に、自分を守る鎧であると同時に皮肉だ。師匠に対しては礼儀を重んじるからだが、トウヤに対しては素の自分を見せる事を良しとしなかった。

 そして何より、同じ穴の狢だと思われたくなかったのだ。


「は、謀ったわねトウヤ・ツクヨミ!!

 こうやって私の警戒心を解いて、」


「またそーゆう事を言う。

 オレは何もしちゃいない。墓穴を掘ってんのはアンタだ。アンタ、自分で考えているよりもずっとお利口さんじゃないよな。いや、利口じゃないって言うより、素直じゃなくて良い子過ぎるんだ」


「なっ……ええ、そうでしょうよ! あんたに気を許した私が馬鹿だったって話よね!?」


「だから穿った見方をすんなって。別に良いじゃねぇか言葉遣いくらい。

 オレはそっちの方が気楽で良い。もし良ければそのままの口調でいてくれ。アンタだって、一々敬語を使うのは疲れるだろう?」


 人の気持ちも考えずに、ヘラヘラと笑顔を浮かべているトウヤになんと返したら良いか分からず、サシャは口を何度も開いたり閉じたりしている。

 会った時からずっとそうだ。

 人の心に擦り寄ろうとする。最初は傭兵としての処世術の類だと思っていたが、どうやら彼個人の資質なのだろうとここに来て思い至った。

 もっとも、であるから怒ったりしない 何て事にならない所が、サシャの性格なのだが。


「――ええ、じゃあそうしてもらおうじゃないの!

 まったく、こっちが歩み寄ろうとしたのが馬鹿みたいじゃない!!」

「なんだ、もうその気持ちは失せちまったのか?」

「失せるわよ! アンタなんて傭兵で十分! とっとと試練を終わらせて、解雇して、元いた戦場にリボンつけて送り返してあげるんだから!!」

「いや、だからオレは戦場をメインにしている訳じゃないんだが、」

「うるさいうるさいうるさい!」


 気恥ずかしさと、見透かされた事による羞恥心で顔を真っ赤にしながら、サシャは苦笑するトウヤを置いてとっとと歩き始めていた。









 二日目の夜。

 一度目出会ったならさておき、二度目であれば勝手知ったるなんとやら。

 オレもサシャももうお互い何をすれば良いか分かっているので準備の時間は半分で済んだし、昨日夕食を取っていた頃合だろう今は、もうすでに毛布に包まって目を瞑っているサシャが目の前にいた。

 ……準備の時間は短縮されたが、サシャのお小言と単語量は二倍になっていた。

 もう猫をかぶるのを止めたのか(そういう言い方をすると怒られるので言わないが)、口調は砕けたものだ。

 しかし砕けているからこそなのか、それとも元来そういう性格なのか、皮肉のバリエーションが凄い凄い。

 おまけに負けず嫌いと来ているから、こちらが一つ言い返せば十にして返してくる。

 プライドの高いお姫様が、いきなり負けん気の強い町娘に変身するような。

 これじゃあ、シンデレラとは逆のパターンだがオレはわりかし気に入っている。変に気を使わなくて良いというのは、精神的負担がぐっと減るもんだ。

 少しの火花を散らしている焚火越しに、夜の森を眺める。

 森というのは人間にとって身近な異界だ。文明という自分達の領分と違い、ここに文明の匂いは届かない。

 森に親しむ静謐族や樹人族エントや獣人族や妖精族フェアル、狩りで慣れている矮躯族ゴブリンだったら話は別だ。

 オレのような普通の人間からすれば、森の夜は慣れないし、小さいものだが不安や恐怖心を感じる。

 特に、闇の中に何か蠢く気配を感じる今は。


「……様子見、かな」


 昼間も思ったが、試練と言いながら今回の旅は簡単過ぎる。だがそこだけが違和感の正体ではない。

 魔獣の姿は見えなくても、夜になれば気配や動きを感じる事が出来る。だから魔獣がいないから襲われていないのではなく、敢えて襲われていないのだ。

 何かしらの制限を受けているのかはオレにはさっぱりだが、まさか最初から最後までこの調子でいてくれる筈もない。

 ここまでの道程と渡された地図を照らし合わせて考えれば、美しの泉に到着するのは明日の昼頃になるだろう。

 明日が肝心、か。

 気配から察するに、魔獣は十や二十で収まる数ではないだろう。

 他に仕掛けないとも言い切れない。最悪、美しの泉に着いて、自分の主人であるサシャが試練を終え戻ってくるまで、オレ一人で足止めしなきゃならない。

 オレは傭兵。そこそこ鍛えている。

 それでも、多勢に無勢というやつだ。


「……どうしようかなぁ」


 普段であれば勝てない勝負はしない。契約違反だろうが、多少今後の信用に影響しようが、命あっての物種と雇い主を置いてさっさと逃げ出すか、そうじゃなくても逃げるように雇い主を説得する所だが、今回はそういう訳にもいかない。

 目の前で寝息を立てている主人は誇り高く、目標がある。そんな人間はどんな困難の前にも逃げ出さない、仮に自分が死ぬ可能性があったとしても躊躇しない。そして、今回はオレもまた逃げるという選択肢を選べない。

 オレにも、プライドがあり、目的があるんだから。


「……なに、眠れないの?」


 どうやら、寝ているというのはオレの勘違いだったようだ。

 サシャは眠気を感じているのか、トロンとし目でオレを見ている。美人っていうのは卑怯で、そういうちょっと間抜けた姿すら絵になるもんだ。


「いいや、少し考え事さ」

「あら、逃げたくなったの? それは良い、私が貴方を解雇する良い口実になるわ」

「ここまで来てまだオレを信用していないとは、本当に《勇者》候補か」


 オレ言った事が思いの外面白いものだったのか、クスクス笑いながら、包まっている毛布を器用に崩さず、座る体勢になった。


「そうね……信用していないかもしれないし、しているかもしれない。

 傭兵という存在は信用してないけど、貴方の腕と言葉は信用している。

 貴方の腕と言葉は信用しているけど、貴方の根幹は信用してない。

 腹の内を明かしていない人間同士、信用も信頼も出来ない。昨日の夜、貴方も明かしていない事があると白状したじゃない」


「お互い様、で片付かないか?」

「片付かないわ。だって、私と貴方じゃ全然違うもの。私はそれを話す事が辛い。正直思い出したくもない。

 貴方はそれを話したくない。思い出すのが嫌とかじゃなくて、諦めているだけだから」

「……へぇ、どうしてそう思う?」


 興味を持って先を促したオレに、彼女は焚火に目を向けながら話し続ける。


「貴方が《眷属》になる理由、目的。それってもしかしたら、常人じゃ考えないちょっと荒唐無稽な事なんじゃないの?

 貴方の言葉に嘘はないけど、基本的に空っぽだし、諦観している所があるから。そういう人って、大概は自分の考えを一度完全否定された経験があるか、叶わないと納得している部分があるのか、あるいは、知っちゃいけないのかもしれないっていう気持ちがあるからなのかなぁって」


 ……オレは頭を掻いて、自然とサシャから目線を逸らす。

 全く、こんな所ばっかり鋭い。


「……ああ、正解だよ」

「どれが正解?」



「……全部、かな」



 もっとも、少しずつ違いはある。

 完全否定された事はない。だが、やめとけと言われた。

 オレに傭兵としての生き方を教えてくれた爺さんが言ったんだ。

 『過去ってのは追っても追っても終わりがない。終いには、過去の奴隷になっちまう。そんな生き方は、悲しい』と。実感が籠っているように感じたが、そういうのを追い掛けるのは精神的によろしくない、というのは分かっている。

 叶えなくても良いと心の奥底にはある。今のオレはちゃんと傭兵として生きていけているし、友達だっていない訳じゃない。金を稼ぎ、困るような事だって殆どない。そんな生活に、オレはどこか納得している節がある。

 知らない方が良い、とも少し思っている。知ったら、この世界で今まで積み重ねたものを不意にしてしまうかもしれない可能性があるから。それは流石に嫌だなと思う。目的はオレにとって大事だが、今までの生活や、会ってきた人々だって大事だ。


「だけど、多分空っぽってのは、それとは関係ないんだと思う……話しただろう。オレは渡世者だと」

「ええ、聞いたわ……なに、貴方の目的って、元の世界に帰る事?」


 サシャはその事に驚いてはいないものの、やはりあまり良い反応ではなかった。

 自分はこの世界の人間ではない。

 この世界は作り物で偽物だ。

 渡世者の中には、そんな気持ちが芽生える人もいて、そういう人間は大概自分が元いた世界を熱望する。記憶があれば尚更だ。

 誰だって故郷には帰りたいもの。その気持ちを抱いてしまうのも、頷ける。


「いいや、オレはそういうんじゃない。懐かしむ程記憶も残っていない……そこが、オレの目的だ。

 人間って奴は厄介な生き物でな。自分のルーツってのがどうしても気になるもんなんだよ」


 オレは知識はあっても記憶がない。

 元の世界でガソリンで動く車が走り、電気を使って暖を取り、誰もが一人一台スマフォを持っていて、魔術やら魔獣やら人間以外の他の種族もいない。

 その代わり科学と普通の動物と、肌の色の違う人間達がいるだけの、地球と呼ばれる星に住んでいた。


 そこまで分かっても、名前以外の記憶はない。


 家族がいた事は憶えているが、どんな家族だったか憶えていない。

 通っていた小学校、中学も高校も大学も憶えているが、オレがそこでどのように過ごしていたのか憶えていない。

 ここに来る直前のオレは何歳だったのかも分からない。

 友人は、恋人はいたのかも分からない。

 どういう性格をしていて、どういうものが好きだったのか。

 まるで真っ二つに割れてしまった皿のようだ。


「オレが元々どんな人間で、どんな生活を送っていて、何を思って生きていたのか。何でここに来る事になってしまったのか、オレは何の為に此処にいるのか。





 ――オレは、〝俺〟を見つける為に《眷属》になろうとしているのさ」





 オレには〝俺〟がないから。

 本当は一人で探せれば良かったんだろうが、生憎そういう謎を探求出来る学問を学べた訳でもない、結局辿り着いたのは傭兵という道だった。

 別に運が悪かったとか、紹介してくれたアンクロが悪いって話でもない。単純にそういう縁があったのだろう。

 転生者ではなくトリッパーだったから、貴族でも王族でもない。

 この世界でそういう知識や重要資料漁るには研究者になるか権力を持つ以外に方法はないが、残念ながら持つ機会に巡り会えなかった。

 だが、《勇者》の《眷属》になれば多少違うだろう。


「《勇者》の《眷属》になれば、渡世者の歴史記録や、世界の法則を研究する資料や重要書類を見る事も可能。

 そうすればなんで貴方が此処にいるのか分かるかもしれないし、記憶を取り戻す方法もどこかにあるかも、って事か。

 ……ハァ、そっか。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、やっぱり馬鹿だったのね」


 随分酷い言葉に、オレは笑顔を浮かべる。


「まぁ、馬鹿だと言われるのは承知の上だし、本当にそんなもんがあるのか分からない。でも探せるうちは探したいのさ。絶対に無理、って確信が持てるまで」


「その代わり可能性が一より小さかったとしても、ある内はやるんでしょ……そりゃあ、他人に話すのも避けるわけよ。そんな事、誰も信じない。

 だって本当の意味で人が思いを馳せられるのは、未来の可能性と今の現実だもの。

 過去がなかったとしても、結局そのうち気にしなくなる。だって未来はすぐに迫ってきて、現在はどんどん過去になって行くんだもん。無い物だって埋まって行くはずよ」


 人間は、過去のことを永久に引き摺っていられる生き物ではない、と彼女は言いたいのだろう。

その通りだった。

 心の底に痼りのように残っていたとしても、痛みもしない痼りは痣とそう大して変わりはない。実際これまでオレは今を生きる事、生き残る事に必死で、四六時中それを考えている訳にはいかなかった。

 そうして、もしかしたらオレの中で痼りは消え、気にならなくなって行くのかもしれない。

 でも、





「ダメなんだよ……憶えていなかったとしても、それがあるから今があるんだ。気づいてないだけで、消えてはいない。分かるんだよ、確かに今のオレを動かすナニカがあるって。湧き上がって来る感情がそうだって、何故か分かるんだよ」





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