其ノ三






 一日歩き通しだったが、そのお陰か大分距離を稼げた。

 今日はここで野営しようとトウヤが指差した場所は、この森の中では珍しく木の根がない拓けて平らな場所だった。

 そこにまず焚き木を用意し、周囲に毛皮で出来た毛布を何枚か敷いて個々人の寝床を作る。

 幸い春と夏の間のような季節だったので、多少寝心地の良いように毛布を一枚敷いただけで、量はそれほど必要ない。

 辺りはもう日も暮れて暗く、焚火の炎が小気味好くパチパチと音を鳴らしながら、周囲を明るく照らしている。


「……意外でした。貴方、料理が上手いんですね」


 程良い満腹感を感じている腹部をさすりながら、サシャの顔は釈然としないと行った様子だ。

 適当な薫製肉といくつかのハーブ、鞄の中に幾つか入っていた干したジャガイモを混ぜたスープ。そしてサシャがあまり好きではない、石のような雑穀パン。

 所詮傭兵の食べ物、口に入れられれば良い程度の料理なのだろうと思っていたのだが、スープを口に入れた瞬間、その固定概念はいともあっさり覆された。

 薫製肉の塩気はスープ全体に広がり、ハーブで整えられ想像以上に上品な味をしていた。雑穀パンはそれそのものは普通だったが、スープに付けて食べれば柔らかく、さらにスープの偉大さを実感した。


「傭兵ってのは総じて料理が上手い。野営する事が多いし、街に入る時しかまともな食事が取れないんじゃ戦う気力も起きない。

 傭兵にこんな諺がある。『戦支度をするならば、先ず胃袋を満たせ』ってな」


 鍋と器を湿らせた汚れ布で拭ってから(旅では水は貴重だ)自分の寝床に座ったトウヤは、どうだ見直したかと言わんばかりに得意げだ。

 それを素直に肯定する気にもならず、サシャは小さく鼻を鳴らしただけで済ませた。


「それより、オレはアンタの方が意外だったなぁ。

 野宿慣れ……とはちょっと違うが、あんまり汚れる事をしたがら無いかと思ってた。焚き木の集め方も上手い。誰かに教わったのか?」


 乾いた枝を集める手際の良さ、土の上に毛皮の毛布を敷いただけで寝れる豪胆さ。

 きっとトウヤの頭の中では、自分は深窓の令嬢のような位置にあるのだろう。サシャはそれに気分を害する様子もなく、毛布の上に綺麗に座りながら答える。


「一応教わりはしましたが、それ以前から知っていました……そうしないと、生きていけませんでしたから」


 最後の言葉に、トウヤの顔から笑顔が消える。

 同情されているのかとも思ったが、どちらかと言えば「笑うような場面ではないから」笑顔を消したようにも見えた。


「……孤児か? それとも、寒村か?」

「孤児です。まぁ元々住んでいた村も、裕福ではありませんでしたけど……五歳から十歳まで、私は路上暮らしをしていました」


 サシャはここから数日分離れた王国ファングスタ首都リネンの路上で暮らしていた。

 家もない、布団はそこら辺に捨てられていた小汚いボロ布、路地裏の片隅で小さな焚火にあたって何とか暖を取っていた。

 生きる為ならゴミの中から腐りかけの物も漁ったし、物乞いや他の市民の使いっ走りをした。

 唯一その時の事を誇れる事があるとするならば、犯罪行為や春を売らずに生きていけた事。それは孤児として非常に幸運な事だった。

 栄え、富んでいる都だったからこそなのだろうが。


「夏の茹だるような暑さも、冬の寒さも私には慣れ親しんでいます。こんな綺麗な毛布と温かい食事を取れるだけ、あの頃よりもずっと幸せです」

「……で? それでアンクロに拾われたのか?」

「……ええ、そうです。なんの依頼で来ていたのかは知りませんが、師匠がちょうど私が物乞いをしている前を通りかかったんです」



『なんだ、お前さん、物乞いにしちゃ随分強い目をしているじゃないか』



 アンクロは今と変わらない軽薄な笑顔を浮かべ、キセルを吹かしながらサシャの前に立っていた。最初は物好きで好奇心旺盛な金持ちか、それとも同性の子供が好きな変態なのかと警戒していたが、そんなサシャを見てもアンクロはどこ吹く風といった態度だった。



『お前さんに選ばせてやろう。このまま道端で野垂れ死ぬか、それともあたしと一緒に来るか』



 賭けだった。

 もしかしたら何か酷い事をされるんじゃないかと思っていたし、奴隷として売られる(勇定律法で禁止されている事を当時は知らなかった)のではないかとも思ったが。

 だが不思議と目の前の美女は、あんまり酷い事はしないんじゃないか。

 そういう確信の元、サシャはアンクロの手を取った。

 得られたのは、温かい寝床に食事、綺麗な服、優しく家族のように接してくれる人々、そして知識だった。


「――あの婆さんへの恩返しか?」


 トウヤの少ない言葉は、付け足すならば「《勇者》になるという夢は、アンタを救った」となるのだろう。

サシャはその言葉に、


「冗談じゃありません」


 強い気持ちで否定した。


「私は、《勇者》になります。師匠や皆に感謝しない日はないけれど、それでも《勇者》になるのは私の意思です」


 断言する。

 宣言する。

 自分はどうあっても《勇者》になりたいと明言する。


「……ああ、そうかい。別に、それならそれで良いけどな、オレは」


 トウヤは一瞬何を思ったのか、逡巡する様子を見せて、すぐに笑顔を浮かべる。


「オレはどんな気持ちを持ってようが気にしない。問題は器と格だ。

 主人としてソレをしっかり備えていてくれればオレは何でも良い。例えアンタが言いたく﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ない事を敢えて伏せて﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅いたとしても﹅﹅﹅﹅﹅﹅、だ」


「――――――」


 少し意外だった。

 傭兵という職業に就いている人間が、此処まで人の機微に敏感だったなんて。

 それを表情に出さず、サシャは挑戦的な笑みを浮かべる。


「それは貴方もでしょう? 何故眷属になりたいのか、目的や深い所は語っていません」

「傭兵ってのは自分の話は避けるもんだ。仮初めの仲間や主人に情が移って、死期が迫るのを避ける。

 オレがアンタにそういう話をするのは、アンタが《勇者》になり、オレが《眷属》になった時だけ。今のところ、クビにするって気持ちは変わっていないんだろう?」

「当然です」


 様々な事を話してはいるものの、サシャは彼を信用し切れていなかった。

 お金のみで縁を結び、それが切れれば生きていようが死のうが気にしない。ある意味人間の常識から外れてしまっている人間に、人を救い世界の調和を保つのは、きっと無理だ。

 そして何より、




 サシャはやはり、傭兵という生き物を心の底から信用出来なかった。




「まぁ、今はそれで良い。こっちはゆっくり話をしていくだけさ」

「ええ、無駄だとしてもそうしていてください」

「……本当に、愛想が良い女だよ、アンタ」

「あら、ありがとうございます」


 皮肉と分かっているので普通に返事をした。

 ……確かにサシャはトウヤ・ツクヨミという存在を信用していない。

 だがこのような拍子の良い会話は経験がなかったからか、少しトウヤと話すのを楽しんでいる自分がいるのに、サシャは薄々気付いていた。


「では、私が話したので、今度はそちらのお話を。報酬です」

「一々言うなよ、みみっちいぞ《勇者》候補。

 そうだな、じゃあ、傭兵の慣習について話していこう」

「慣習、ですか?」


 昼間話して貰った傭兵の種類にも驚かされたが、慣習なんていうものが存在するのも意外だ。そんなサシャの言葉に、トウヤは苦笑いを浮かべる。


「アンタの中じゃ、傭兵ってのは獣かなにからしいな。傭兵だって人間だし、それに歴史がある職業だ。伝統、しきたり、慣習なんかと切っては切れない。

 一番有名なのは、傭兵同士が戦場で戦う時だ。まぁどっちにしろ戦うんだが、戦った後が重要だ。負けた方は勝った方に、自分が1番大事にしているものを差し出す。で、こう言うんだ、『我が命に代えしものを、己が命の引き換えに差し出そう』と」


「『古伝』からの引用ですか、凝っていますね」


 『古伝』とは、古い時代から続く神話のようなものだ。様々な国、地域で培われた民間伝承を、世権会議が纏め、現在の唯一信仰をモットーとしる《神殿》がアレンジを加えたもの。

現代の世界の神話といえば、これが当たるだろう。

 その中の故事にこのようなものがある。


『ある戦士同士が戦場で戦った。

 一方は、有名な義に篤き戦士。

 一方は、故郷に愛する者を待たせている一介の兵士。

 戦士の方は様々な故事にも登場する極めて有名な戦士で、その剣の一刀は川を割るほど強靭で、炎の巨人フレイムタンや真性のドラゴンを退治している強い戦士だった。

 そんな強き勇士に勝てるわけも無く、善戦したものの、結局兵士は負けてしまう。

 あわや殺される、と言うところで、戦士は兵士が恋人に持たされたお守りを奪って言ったのだ。『御身の命と等価の物を頂戴する。再び合間見える時あれば、もはや代償はないものと思え』と。』


 それは、戦士の温情だったのだ。剣の打ち合いの中で、兵士が自分のような人間ではなく、平穏と幸せが待っているに人間だと。

 そうして難を逃れた兵士は故郷に帰り、愛する女性と結ばれた。


「それそれ。そこからの引用でな。

 勝った方はそれを受け取る代わりに、一度だけそいつを見逃さなきゃならない。もっとも、もう一度剣を持って挑んできたら、命を奪うぞって脅しなんだがね」

「戦場であっても、お互い殺しあったりしない、と」


「そりゃあそうだ。何せ、傭兵同士で戦っても金にはならないし、命を無駄にするのもお互い嫌だ でも雇い主の手前、戦わないわけにもいかない。

 それに、自分の器のデカさや度量の深さの証明にもなる。それをしない奴は山賊と変わらない、匹夫だと揶揄され、仕事も減る」


 傭兵であれ、礼儀を大事にする、と彼は言いたいのだろう。

 しかし、であるならば、




(私が出会ったアレ﹅﹅は――)




「……どうした? 流石に疲れたか?」


 サシャの顔色の変化を敏感に察したのか、トウヤが気遣いの言葉を口にする。


「辛いなら、とっとと寝ろ。半分寝たら交代……は、しなくても良いかもしれないけど」

「? こういう時、交代で寝ずの番は基本では? 昼間に魔獣が襲ってきましたし」


 サシャの言葉に、トウヤは首を振る。


「いや、ないな。これだけ暗くなって、堂々と火を焚いて食事して、おまけに呑気に談笑しているオレらを襲わない」


 魔獣はただの獣ではない。大我に影響され、知恵と力を身につけている異形だ。

 火に恐れる事はなく、寧ろ人がいると判断して積極的に襲ってくる魔獣が多い。それなのに、襲ってこない所を見ると、


「統制が取れているのか、…少なくとも夜中襲ってくる事はありませんよっていう、婆さんの気遣いなのか……」

「……すいません」


 自分の師匠の妙な行動に、思わず弟子として謝罪の言葉を述べる。


「いいや、気にすんな。寧ろ夜寝れるってのは良い事だ。明日も一日中歩く事になるんだ。今のうちに寝ておけ。オレも、適当に寝るから」

「……では、そうします」


 少し躊躇してから、サシャは毛布に包まる。

 地面に寝るのは、何年ぶりだろうか。

 あまり知らない人が近くにいるのに眠るというのも、初めての経験だ。浮浪者をしていた時は、寧ろ警戒心で、夜はあまり眠れなかった。

 だが、今はどうだろう。

 心の中に不思議と安堵感が湧き上がるのを感じながら、サシャは目を閉じた。








 次の日からも、


「つまり《勇者》っつうのは、世権会議の何でも屋みたいなものって事だな」

「言葉が汚いです!」

「でも、内実は変わらないだろう」

「規模が違います!」


 オレとサシャは合いも変わらず喋りながら歩き続ける。

 結局、夜に襲われる事は無かった。歩き始めてもう半日は経とうというのに、その間の襲撃も、二匹か三匹の魔獣の群れが襲い掛かってくるだけ。しかも非常に弱い個体ばかり。

 傭兵としての経験則と、勘が「これは妙だ」と疑問を投げかけてくる。

 魔獣があの婆さんか、もしくは第三者の統率下にあったとしても、これが「試練」だというのであればもっと襲って来ても良いくらいだ。

 なのに道行きは非常にスムーズ。下手をすれば、村に着くまでにオレが歩いていた時の方がデンジャラスだった。

 ……怪しい。

 こんな簡単であって良いはずがない。最後の最後にこっちが文句を言えないほど驚くような事が待ち構えている気がする。いくつか油断するポイントで予想していない形の襲撃が、


「ちょっと! 話せという貴方が聞いていないとかどういう事ですか!?」

「――いや、聞いてるって、」


 サーシャの話を統合すると、《勇者》は世権会議から依頼を受けるという形で動く。

 仕事は様々だ。原因不明な未知の事件の調査・捜査を行なったり、内紛や戦争の調停役、和平交渉の場での立会人、各国王位継承の立会い、世権会議直轄の施設や業務を委託されている国や組織の監査、果ては戦争や災害被害に遭った国や地域への慰労や奉仕。

その内容は様々。勇者の中立的、中庸的立場を必要とする場という事。

 まぁざっくり言えば、


「やっぱり、何でも屋みたいなもんだよなぁ」

「だから違います! そんな俗な仕事とは違うんです。非常にデリケートで、間違えば大勢の人が死ぬようなものなんですから!」


 オレの結論に、ヒステリックに怒るサシャの顔ももう見慣れてきたので、あまり動揺する事もなくなってしまった。


「《勇者》は国を持つ事、常駐軍隊を持つ事を禁止された代わりに、税金が免除され、独自の裁量権と捜査権、そして各国王族と同等の擬似的な地位を約束された。

 常駐軍隊の代わりに《眷属》を四人選ぶ事が認められ、それが勇者が唯一保有出来る戦力、と。

 何で四人なんだ? 美しの泉の大我は膨大だと聞いたけど」


「確かに、一時的に軍隊を保有した場合、仮契約で大我を分け与える事も可能ですし、そこに上限は存在しません。

 でも、初代勇者様から綿々と続く伝統であり、肖るという気持ちがあるのでしょう」


 歩きながら胸を張るなんていう高等テクニック(もっともそう張れてはいないが、物理的に)をしているサシャを横目で考えながら、


(いやぁ絶対それじゃないだろう真意は)


 とオレは思っていた。

 そいつは体の良い「規制」だ。

 《勇者》から大量の大我を供給され、一時的にでも百人の兵士に匹敵する強さを持てると言われている《眷属》。

 そんなもんが十人も二十人もいて貰っては、世権会議にとって大変都合が悪い。

 歴史があり権威もあり、おまけに無尽蔵に近い大我とそれを使い強化出来る戦士を何十人も保有していたら、いざという時仕留めるのが大変になる。

 何より、それ位の戦力を保有していたら小国の一つくらい簡単に奪える。

 そしたら、第二の《魔王》誕生……笑えない冗談だよな、世権会議のお偉方にとっては。

 《勇者》個々人の人格はこの際関係がない。やれるという事実だけで、連中が恐怖するのは当然だろう。誰だって友好的な笑顔で接せられても、腰に剣を下げている人間に安心は出来ないもんだ。


「まぁ、別に良いんだけどな。

 それにしても、だとすると一番最初の《眷属》ってのは大事なんだな」

「ほう、ようやくご自分が《眷属》に相応しくないと分かりましたか」


「そのドヤ顔……あぁ、いや、これじゃあ通じないか、自慢げな顔するなよ。

 誰でも良いとは言わないが、《眷属》がいないと戦えないなら、コネも知り合いも少ない今の状況で頼れるのはオレだけって話になるだろう? オレを解雇するのは自由だが、その後どうやって《勇者》の仕事をするっていうんだ?」


 戦闘に携わる仕事ばかりではないというより、戦闘そのものは正直そこまで多くはないだろう。

 ところが、《勇者》本人は戦えないという前提を持っているなら、話は別だ。実際道中確認したが、本当にサシャは戦えない。自分の身を守る防御や探索の魔導は使えても、直接人を倒す方法がない。

 人を殺したり直接攻撃したりする必要性はないとはいえ、攻撃は最大の防御、倒される前に倒すというのも事実。一人で渡り歩くのは無謀だ。

 ――いや、でも待てよ。

 戦えないという大前提を持っていても、《勇者》という仕事は千年もの間引き継がれ続けている。そんな中で、《眷属》を失って一人でいる時期だってあるだろう。

 であれば、次の《眷属》が見つかるまでの中期的代替案が存在したって、おかしくはない。

 彼女はそれを使う気なのか。

 そう思い、オレはサシャの顔を見た。


「…………………………」


 目を見開き、口を半開きにして、擬音表現するなら「ポカン」としている。

 これは、あれだな、うん。


「ようは何も考えずに辞めさせるって言ってた訳だな、アンタ……」


 どうやらこの主人、頭は良いようだが、肝心な所で頭が働いていないようだと改めて認識してしまい、オレの顔には、鏡で確認しないでも分かる。

 苦笑いを浮かべていた。







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