其ノ二
少し前まで拠点にしていた街からここまでの道のり、実に十日。
行商人や
何度も乗り継ぎをしてるから、この不運はオレに纏わり付いているんだろう。あんまそう思いたくはないけど。
その所為で装備も武器も、ついでに荷物もボロボロ。何度か街を通った時に綺麗にしたものの、結局ここに着く直前に
十年越しの約束を、あの婆さんに果たして貰おうとここに来ているっていうのに、手厚い歓迎を受けるものだ。
そりゃあ、傭兵として鍛えてきたこの腕に自信がないと言えば嘘になるが、出来るだけ争いになるような事は避けたい。特に利益もない戦場や喧嘩――ざっくり言うと金にならない争いは、傭兵的に論外だ。
でも向こうからやって来た場合はどうしようもない。飛んで来たのは火の粉ではなく、物理的な拳やらぶん投げられた物だったが。
なんとか森に入ったのは良いが、ここはどうやら大我が濃いらしい。婆さんの気配を頼りに歩こうとしても難しい。侵入者用の惑わせの術をオレの目と通行証で突破しても、結果迷うのだから世話はない。
喧嘩の疲れもあって、オレは結局丁度よく昼寝出来そうな場所に着いたところでダウン。
荷物をほっぽっといて、得物だけ近くに置いて爆睡してしまった。
傭兵としては失格だと祖父ちゃんに怒られそうだが、しょうがない、だって疲れていたんだから。
それにいくら爆睡しようとも、敵意や殺意を感じたら飛び起て相手の首を掻っ切るくらいの事はそう難しい事ではない。オレが気付かなかったら……それは向こうの方がオレより上。起きてたって敵うはずも無い。
そう思って眠っていた。
疲労も眠気も良い感じに解消されて目をゆっくりと開けると、
……犬がいた。
でかい、白銀の毛皮と金色の眼を持つ犬。でかいと言っても普通の意味じゃ無い、異常な意味だ。
どうやらオレの事を見ていたらしい。その鋭い犬歯を見せて威嚇する事も、即座に首根っこに齧り付く事もせずオレを見ている。
オレが気付かなかったという事は、敵じゃない
そう思ってゆっくりと手を挙げて撫でてやると、そいつは目を細めて気持ち良さそうに手に擦り寄ってくる。
「なんだ、随分人懐っこいなぁ、お前」
撫でながら思わずそう言って起き上がる。
気怠さはあるものの心地良いものだ。軽く体を動かしながら確認していると……誰かに見られている気がして、つい視線の主に目をは走らせる。
女だ。いや、女というより女の子だろう。
オレはこの髪の毛と目のせいで良く夜に例えられたが、目の前の女はどちらかと言えば昼だろう。
太陽の光のような金髪と、朝焼けのような紅い目。
少しオレより身長は低いが、女にしては高い方だ。顔立ちは美人。ちょっと険はあるが、それでも良い女だ。
その険のある顔立ちを間抜けにしている女に、オレは笑顔を向ける。
友好的な対応はまず笑顔からだ。
「えっと……わるい、邪魔している。
ちょっと疲れてここで寝ていたんだ。こいつはアンタの犬か?」
オレがそう聞くと、女は一瞬何か言いかけるように口を開いたが、すぐに閉じてオレを睨みつける。
「貴方は、誰ですか。ここが中立地と知って入っているなら、ここにいる事自体違法です!」
凛とした言葉ではっきりとオレに言い切った。
最初っから敵意……というより警戒心剥き出しだ。
先が思いやられる。
「ああ、許可がないと入れないのは知っているよ。ちゃんと許可証は貰ってあるんだ」
「貰っている?……正直に申し上げて、信じられません。
ここは貴方のような傭兵が来るところではありませんし、傭兵がこの森に用があるなどと言う事もあり得ません」
毅然とした女の言葉は、まぁその通りだった。
「確かに。オレは傭兵だし、傭兵としてここに用があるわけでもない。
でもほら、実際用事があるから来たんだよ。ほら、許可証」
ポケットの中から出した木板を、女にも良く見えるように翳す。
世権会議の紋章が入った許可証。魔術的に作り込まれているこれを偽造するのは、在野の
それを見て、女は「え、嘘……」と信じられないものを見たというような顔をする。
失敬な女だ。
「これで証明出来ただろう?」
「……分かりました。億歩譲ってそれが本物としましょう」
そこまで譲らないとダメなのか。
そこまで胡散臭いか、オレは。
そんなオレの内心を知らず、女は未だにオレに疑いの目を向ける。
「では、この森に一体何の用です? どんな理由があっても、この森で動植物を取る事は世権会議の法で禁止されています。人がいるのはここから少し行った小さな村が一つだけ。
しかも世権会議に中立存在として擁立されている《勇者》の休まる地。貴方のような方が用事というのは、信じられませんね」
傭兵でない人間が傭兵に取る反応は三つある。
盗人に毛が生えた程度だと嫌うか、
殺人鬼と同列に扱って恐怖するか、
害獣と変わらないとして見下すか。
偶に憧れるバカはいるが、そういう奴は何れこっち側に来るか死ぬので勘定に入れない。
今のところ、目の前の女はその全部だ。
毛嫌いし、見下していると同時に、怖がっているのが分かる。
感情の隠し方が下手くそなのか、軽く手が震え、こっちが何をしても良いように逃げる準備だけは万端だ。
「おいおい、世権会議のお偉いさんが、そう簡単に物を騙し取られるようなバカだって言いたいのか?」
「そういう意味じゃありません! ですが人は間違うもの。貴方という胡散臭さの塊のような傭兵が入って来てもしょうがない」
「言ってくれるねぇ。傭兵だって悪い奴ばかりじゃないんだがな……オレは、ちょっと約束を果たしに来ただけだよ。
ここの婆さ……《勇者》にな」
その言葉で、女は目の色を変える。
「ゆ、《勇者》!? そんなはずはありません! お師匠様が貴方のような傭兵と知り合うはずありませんっ」
「……おししょうさま?」
《勇者》の婆さんを『お師匠様』なんて呼ぶ人間は限られる。
慌てて目に小我を通し、もう一度女を見る。
その周囲には、山吹色の大我がワラワラと、まるで濃い霧のように取り囲んでいる。
大我はどこにでもある。それこそ空気中にもある。だけど一人の人間が纏うにしては、それは多すぎだ。
「……なるほど、
参った。
こりゃあ参った。
まさかこれから仕える相手の不興を買ってしまうとは。
おまけに相手はこちらを全く信用してすらいない。これから信頼してもらわなきゃいけないのに。
「こりゃあ、前途多難だなぁ……」
「ちょっと! 私を無視しないで!
しかもあからさまな嘘を吐いて……〝番人〟まで手なづけて……、」
「〝番人〟なんて、けったいな名前だな。番犬って事か?」
横に律儀におすわりして待っている犬を撫でながら言うと、女は怒りで赤くなっている顔を更に赤くする。
「〝番人〟は犬じゃなく狼です! れっきとしたこの森の〝主〟ですよ!?」
「……ハァ!? 主!?」
何度か森の中で見た事がある〝主〟。
普通の獣より強く、魔獣よりも平静な心を持っている獣。
賢獣とも呼ばれ、獣人族たちの信仰対象である存在も多い。
この、今「ほらもっと撫でろ」と言わんばかりにオレの腕にすり寄ってきているのが……。
「いや、完全に犬だろう?」
尻尾振ってるぞ。
確かに犬にしたって狼にしたって規格外な大きさだが、これだけ素直に懐いてくる人馴れした賢獣がいるというのも信じがたい。
「だからそれがおかしいんです! 〝番人〟はとても気難しいはずなのに……何か〝番人〟を誑し込む為のナニカを仕込んでいるんじゃないですか!? その右腕とか!」
丁度〝番人〟が擦り付けている右手には、薄汚れているもののしっかいりと巻き付いた包帯がある。
婆さんからの契約書代わりに貰った紋様。見せびらかしていると目立つと言われ、あの頃からずっと包帯を巻き、一人の時にしか解かなかったもの。
もしかしたら、ここから婆さんの残り香でも感じ取ったのだろうか。
「オレにじゃなくて、コレに反応していたのか、お前は」
ゆっくりと顎の下を掻いてやると、〝番人〟はじっとこちらを見て、次の瞬間には石舞台から降りていた。
いきなり何なんだと思ったが、何て事はない。「早くこちらに来い、案内してやろう」と言わんばかりにこちらを振り返る。
「……どうやら、村に案内してくれるみたいだ。アンタ、何か用事があったんじゃないのか? だったら、オレみたいな胡散臭い野郎に関わらず、とっとと行った方が良い」
剣を腰に付け直し荷物を持ち上げてから言うと、女はどこか不機嫌そうな顔でブツブツ何か言っている。
「そもそも私が撫でさせて貰ったのだって一ヶ月くらいかかったのに何であんな傭兵に懐くの……あれ? ずっと確認した事なかったけど、雄だと思っていた彼は彼ではなく彼女、つまり雌だったという事も、だとしたら私に懐き辛かったのも……」
「おい、用がないならもう行くぞ?」
「――い、一緒に行きます! 貴方のような不審者を放っておくわけにもいきません!」
不審者……傭兵になる為の鍛錬を受け始めて、人から色んな事を言われて来たが、ここまで堂々と不審者認定される事はなかったなぁそういえば。
少し落ち込みながらもオレは「ああそうかい」と返すだけ返して、〝番人〟と呼ばれた犬、いや狼に付いていく。
その後ろを、どこか警戒するような足取りで歩いてくる音が聞こえる。
ビビっているのに、逃げる事はしない。
……主人にするのには及第点と言った所だろう。やや堅物……いや、かなり融通が利かない所は、ちょっとマイナスポイントだが。
「そ、そもそも貴方誰なんです? 目的だって詳細を聞いていません。師匠との約束って何ですか? 借金返済に来たとか?」
「オレはそんなに素寒貧に見えるかね。生憎、金はそれなりにある」
この見た目じゃ信じちゃ貰えないだろうが、道すがらの護衛の報酬や、途中で倒した魔獣から出た毛皮や爪、盗賊を見逃す代わりに受け取った金銭で懐はかなり温かい。
歩いているので前しか見ていないが、後ろの女は明らかに不審そうだ。
「そうですか……では、何故用があるんです?」
「人に話をする時に名も名乗らずに不躾に質問するのが、アンタらの流儀か?」
オレの言葉に、ウッと言葉を詰まらせる女の声が聞こえる。
さて、言い返してくるかな。その時は流石にオレも、
「……サシャです。苗字はありません。現在は
……こっちが申し訳なくなってくるくらい律儀だな。
これに仕えるのか。
気苦労が絶えなさそうだ。
「よろしくな、サシャ。
オレの名はトウヤ・ツクヨミ。
お前の最初の《眷属》になる予定の、まぁ今は元傭兵だ」
オレの言葉とともに、
「……………………………………ハァ~~~~~~~~~~~~!!??」
女――いや、サシャの絶叫が響いた。
◇
「どう、いう、事、ですか、お師匠!!」
「どういう事、って言われてもねぇ」
サシャとアンクロ、そして《眷属》達が暮らす《勇者の止り木屋敷》、その中にあるアンクロの執務室……という名の趣味部屋で、サシャは思いっきり息巻いていた。
言葉の切れ目切れ目にアンクロの前に置いてある机を叩き、上に置いてある灰皿や、何かの魔導書や報告書、あるいは師匠の趣味で集められたガラクタが飛んだり跳ねたりしている。
「あんな傭兵を私の《眷属》になんて……あんな汚らしくて礼儀がなっていない人間を私の《眷属》になんて考えられません!」
「そんな事を言っているけどねぇ、傭兵だ何だと人を区別するもんじゃないよ。
《勇者》ってのは常に公平、どんな考えにも依らない中立中庸を貴ぶんだから」
「それにしても! もっと良い人がいたでしょう!!」
怒りが収まらない様子のサシャに、アンクロは紫煙を吐き出しながら同時に溜息も吐き出す。
「じゃあ、お前さんはどんなのが良かったんだい?」
サシャはその言葉に、少し中空に視線を彷徨わせながら考える。
「そ、そうですね。
礼儀正しさは大事です。
それからいつも小綺麗にしているのも重要です。
出来れば身長は私より高くて……。
そう! まるで世権直属の『封剣騎士団』に所属しているような公明正大な、」
「つまりなんだい……お前さん、リヴァイみたいなのって事だろう? 理想の男性じゃなくて、理想の《眷属》の話をしていたんだけどね、あたしは」
サシャはアンクロのからかうような言葉に、サッと顔を赤く染める。
リヴァイとは、アンクロの《眷属》の一人。
元々はどこかの王国の騎士だったのを、アンクロが《眷属》に誘った男。直刀のサーベルを使い素早い刺突で敵を屠る《隼》のリヴァイ。
常に笑顔をたたえる紳士で、女性にはそれはもう優しい男。ずっとサシャが憧れる存在だと言うのは知っている。
「そ、そうではありません! 私は「ちゃんと」した方を望んでいるだけです!
傭兵とは、お金に命を懸けるような人間です。そんな人間に、このような名誉ある仕事が務まるわけがありません!」
《勇者》。
そう成るべくして育てられたというのも大きいが、サシャにとって《勇者》とは人の模範となるような英雄の姿だ。
そんな人間の隣に立つ《眷属》が身形にもお金にも汚い人間では困るのだ。
当然、世権会議から《勇者》とその《眷属》へ報酬は支払われるが、そこに固執して仕事をしてはいけないのだ。
「相変わらずお堅いねぇ。小娘が分かったような事を言うんじゃないよ。
言っただろう、お前さんがちゃんと勇者の器だったら、受け入れる事なんてそう難しい事じゃないって」
「そ、それはそうですけど……」
サシャの表情は暗い。
何せ出合い頭に食って掛かり、しかものらりくらりと躱され、おまけにトウヤ・ツクヨミと名乗った男の話は全部真実だったのだ。
自分が間違っていたのだから謝らなければいけない。
謝らなければいけないが、しかしあの男に謝るのは癪だ。
常識を守らなければいけないという気持ちと常識を打ち破りたいという意固地さが、心の中でお互いを押しのけ合っている、きわめて複雑な心境だ。
「……そもそも、何故彼なんですか?」
少し話した限りでは、世界の平穏や均衡の為に自ら名乗り出る性格だと、どうしても思えなかった。
サシャの言葉に、アンクロは浮かべていた笑みを引っ込め、少し悩まし気な表情をする。
「そうさね、どう言えば良いか……、
お前さんにはアイツが必要だし、アイツにもまた、お前さんが必要だったんだよ」
「? どういう、意味でしょう?」
言葉の意味を理解できずにそうサシャが問い返すと、アンクロは少し考えてから、
「……いや、これはあたしが話をする事じゃないね」
言うのをやめた。
「なんですかその微妙な言い回し! 気になるじゃないですか!!」
「まあまあ、忘れておくれよ。
……そう言えば試練の地を下見しに行ったリヴァイ達が帰って、」
アンクロの言葉が終わらないうちに、サシャは既に目の前から消えていた。
「……相変わらず好きだねぇ」
紫煙を吸い込みながら、アンクロは微笑ましい思いで顔を緩めた。
◆
《勇者の止り木館》の話はよく聞かされていたが、それにしたって想像以上に大きい。
先代の終の住まいであると同時に、今代勇者の止まり木、そして次代勇者の候補者が住まう家だ。その代毎の《眷属》などを住む事を考えてだいぶ大きく作ったのだろう。
にしても、ちょっとした城だと言っても納得出来るほどの大きさだ。
「オレにもこんな良い部屋を貰えるとはね」
通された部屋(その前に汚れた装備一式と服と荷物を奪い取られ、替えの綺麗な服と風呂を用意された)は、安宿しか泊まってこなかったオレにとっては最高だった。
一人どころか二人は寝れそうなベッド。
いったい何着服を入れるつもりなんだという程大きな衣装箪笥。
床一面高そうな絨毯が敷かれ、書き物をする人の為なのかしっかりとした造りの机と椅子まで用意されている。
部屋そのものもかなり広い。傭兵としての知恵と知識を叩き込んでくれた爺さんの家だったら、この部屋で五人は雑魚寝させられていただろう。
この部屋を、今日からオレの部屋に出来る。
「天国だ……」
歓喜で思わず踊り出しそうだ。
未だに湿り気を帯びている髪をタオルでガシガシと拭きながら、衣装箪笥の隣に置かれている大きな姿見に自分の姿を写す。
先ほどの薄汚れた傭兵の男は何処へやら。
まるで墨が形になったような艶のある黒髪。
月のような白銀の目。
身長は高く、今は風呂から上がったばっかりなので上半身裸なのだが、この十年で鍛えられた肉体は筋肉の鎧を着ているような……とは残念ながら言えないが、余計な筋肉もない、まさにシックスパックだ。
「……前のオレとは大違いだよなぁ」
語りかける鏡のオレは、その言葉に苦笑を浮かべている。
……
前世的に言えば『転生者』や『トリッパー』と呼ばれる存在。この世界では、それが唯一と言えるほど特別ではない。
確かに珍しくはあるが、人口密度が高い街などでは大きく騒がれる事はない。
あまり情報が入ってこない寒村になってくると、『悪魔憑き』とか『呪われている子供』とされている場所もまだ残っているが、数はそう多くはない。
前世の感覚で言えば、ちょっと特別な才能を有している程度で済んでいる。
オレもその一人。厳密にはトリッパーと呼ばれるのだろう。
外見はだいぶ変っているし、前世での知識はあっても前世での記憶は殆どない。そういう意味では、ほとんど転生者に近いのかもしれない。
しかしこの世界に産み落とされた覚えは無いし、両親もいない。いつの間にか子供の姿になって、何処かの森の中で目を覚ました。
幸い近くに村があったのでそこで世話になっていたが、結局そこもとある出来事のおかげで出て行き、婆さんに紹介された傭兵の元で優秀な傭兵になるように訓練した。
その傭兵……爺さんは、とても親切な人だった。
魔獣や、時に人間を殺す仕事についているのに、いやだからこそ、人の暖かみと言うものを大事にしていた。
この世界に来てようやく家族というものを得たような気がした。
傭兵としての訓練は、それはもう厳しいものだったけど、それ以外の点で爺さんはオレを本当の孫のように可愛がってくれた。
オレより先に訓練を受けていた兄貴分は皆本当に良くしてくれた。大半は孤児だったから、その分人の繋がりというものに飢えていたのかもしれない。
でもそんな風に暖かく迎えられても、最初の願いは叶っていないし、捨てる気も起きない。
オレにはちゃんと目的がある。
どうしても欲しいものがある。
それを手に入れるの為には、まず生きる術を学ばねばいけなかった。
だから戦う力と、取り敢えず金勘定を覚え、常識はあちこち渡り歩いて学んだ。まだまだ穴だらけだが、《勇者》に成るべく様々な勉強をした彼女から教えて貰えるだろう。
……そう、《勇者》の《眷属》。
これもオレの願いを叶える為の一つの方法だ。
鏡を見ながらそうやって考え事をしていると、不意にドアがノックされる。
「っ、はい、開いています」
慌てて近くに置いてあった上着を着てから答えると、「失礼します」という声とともにそのドアが開いた。
「お荷物とお洋服を綺麗にしたので、お届けに上がりました。装備は村の鍛冶屋に預けております。
もっとも、《眷属》になったら、新しい装備を頂けるので、修理してももしかしたら意味がないかもしれませんが」
人当たりの良い笑みと言葉で入ってきたのは、少女だった。
ここら辺では一般的な使用人の服(前世的に言えばメイド服)を着た、先ほどの勇者候補の少女よりも小さい姿に。
栗色の髪の毛に、ブラウンの瞳。どこか農家の娘のような牧歌的な可愛さを持っているが、唯一普通の人族と違う所は少し尖った耳だろう。
もっとも千年生きる
「はい、ありがとうございます」
オレの言葉遣いに、小人族の使用人はクスクスと笑う。
「私に敬語など不要です。これより《眷属》となられる方なら私の主人と同じ。
どうか、気楽に話しかけてください。名前も、リラで結構です」
「……そうか、そりゃあありがたいな。どうも礼儀知らずな傭兵だ、敬語を話すのが苦手でね」
「あら、とても様になっていらっしゃいましたけどね」
もう一度楽しそうに笑ってから、リラはさっき預けたオレの荷物を衣装箪笥の前に置く。
「……小人族の使用人は珍しいですか?」
リラのその言葉で、オレはようやく自分が無意識にリラを見続けていたのに気付いた。少し居心地が悪くなって、首の後ろを掻く。
「ごめん、オレが見た事があるのは流浪の民としての小人族ばかりだっからで。定住している人を見るのは初めてで」
小人族は二種類に大別出来る。
草原を馬と共に駆け、羊の放牧で生計をたてる遊牧民としての小人族。
曲芸や吟遊詩人としての技術を持ち、世界中の街を旅し続ける小人族。
小人族は基本的に自由人が多い。土地に根ざしてという感覚が薄く、しかもその小さな体躯と素早さで索敵や密偵、手の器用さで鍵開けの技能も覚えてしまうので、盗賊やそういうのを専門とする傭兵になっている者も多い。
その所為か街の人間が彼らを見かけるとあまり良い顔をしない事も多いという話だ。裏では、「盗人種族」などと揶揄されているのも知っている。
「フフッ、素直に仰って良いんですよ。「盗人種族が使用人なんて」って」
「いや、そういう事を言うつもりはないよ。オレ個人で言えば小人族は好きだ」
歌が好きで、陽気で冗談が上手い。おまけに無類のグルメで料理人だから、仲良くなれば美味いものを食わせてくれる。
ここでの食事だって、彼女が作っているのであれば、とても楽しみなものになるだろう。
「お上手ですね。女性には誰でもそう言っているのでは?」
「生憎、そういうのとは縁が無いんだ。
でも、そうだな……面白い、とは思う」
「面白い、ですか?」
リラの言葉に、オレは小さく頷く。
「《勇者》と一緒にいれば、新しい物や普段とは違うものが見れるという証明がたったからね。
うん、オレとしては嬉しい」
珍しいもの、新しいもの。
それを見つける事は、オレの目的にとっても役立つかもしれない。
「そうですか。変わっていらっしゃいますね」
「よく言われる……それに、あんた個人には別の意味で興味がある。
アンタ森の出入り口付近にいたんだろう? にしては、オレとアイツ……サシャ、だっけか? それより先に屋敷に戻ってきているってのは相当だぜ?」
――オレの言葉で、部屋の空気が変わった。
表情も何もかも変わっていないのに、その身に纏っている雰囲気だけ変わったのだ。
まるで喉元に刃を突き付けられるような、濃厚な警戒心。
――森の出入り口の辺りにある木苺の群生地(オレも入る時に見た)から屋敷まではかなり距離があった。オレらに気付かれず通り抜けるには森を突っ切っていけば良いが、使用人の服を着てあの森の中を駆けるのはここに住んでいる人間でもそれなりに難しいだろう。
少なくとも、オレ達より先に着く。そんなの普通は無理だ。しかもそのお仕着せは一つの汚れも見当たらない。森を走り抜けたにしては。
だが、もし隠密術や走破術に長けている人間なら可能だろう。一介のメイドがそんな技術を持っているっていうのも不自然な話だけど。
そして何より、
「それに十年前。オレがあの婆さんと会った時……アンタ彼処にいたよな?
婆さんを守るように、しっかりダガーに手が行っていたのを見たぜ」
婆さんの後ろに控えていた《眷属》達の中に、リラと同じ体型をした黒づくめの人間がいたのを覚えている。あの頃はどういう事なのか分からなかったが、魔獣の群れを一人で潰してしまうような小僧だ。何をされても良いように準備だけはしていたのだろう。
顔は見えていなかったので確証はない。
確証はないが、そんな技術の持ち主を二、三人も抱え込んでいるとはどうしても思えなかった。
「……さて、どうでしょうね。
仮にそうだったとしても、きっとそれは〝影〟のようなものです。気に留める必要性はないのでは?」
「まぁ、それもそうだな」
リラの言葉に頷く。
もし本当にそういう事ならば、彼女はその役割上立場を隠しているのが肝要だろう。追求したって意味はない。
「……アンクロ様がなぜ貴方を選んだのか、分かったような気がします。
荷物は自分で整理していただければ。他に何かご用はお有りですか?」
気配の刃を仕舞って笑顔で問いかけてくるリラに、微笑んだ。
「じゃあ一つだけ。
どこか鍛錬出来る場所とか、ある?」
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