1/初めましてを始めまして 其ノ一






『千年前。

 魔人種デヴォロが友好的な種族ではなかったどころか、ドワーフやエルフなどの妖精種フェアル、ライカンやケットシーなどの獣人種アニマ、そして我ら人種ヒュマスの仲が今ほど良くはない時代。

 世界には、《魔王》と呼ばれる魔族を統べる王がいた。

 《魔王》はあまりにも強力な魔術の使い手だった。

 特殊な力を持ち、上位種になれば人を超えた知恵を持つ《魔獣》を懐柔し、従え、魔族以外の全種族との戦争を行ったのだ。


 まだ魔術が身近でなかった。

 まだ今ほど戦いに慣れてはいなかった。

 まだ結束出来る程の絆を持っていなかった。


 様々な要因があったものの、一時はこの大地の半分を支配するほど、《魔王》と魔族達、そして従えられた《魔獣》達は強力だった。

 その時にようやく種族の垣根を越えて結束した太古の王、のちに四聖王と呼ばれる王達は、大我マナを糧とし、太古よりもなお古き時代から存在する精霊の王に協力を求めた。

 精霊王は言った。


『ならば手を貸そう。しかし選ばれた人間にのみそれを許そう』


 精霊王の出した条件は三つ。

 心清らかな人間でなければいけない。

 常に中立中庸の者でなければいけない。

 全人類を心から愛している者でなければいけない。


 四聖王はこの人こそ、という人間を募り、それぞれ四人の候補者を出した。

 しかし、その誰も、精霊王に選ばれなかった。精霊王の出した条件は白き絹のように細やかなものだったが、それ故にどんなに高尚な人間でも持っている、否、突き詰めてしまった人間だからこそ持っている『闇』を受け入れる事は出来なかったのだ。


 そんなある日。

 精霊王の住む美しの泉に一人の少女がやってきた。

 街の片隅で花を売る、貧しい子供。

 親はおらず、たった一人で生き続け、それでも純粋で誠実であり続けた少女。

 精霊王はその者を見て決めた。

 彼女こそ自分が選ぶに相応しい、力を貸すに相応しい人間だと。

 精霊王の加護。それは世界に存在する、自然の源。存在そのものを強化し、得たものに力を与える力、大我の湧き出る中心である美しの泉に触れる許し。

 それを得れば、もはや人間の魔術師がなる『魔力切れ』など起こさずに済む。永劫と言える時を掛けてもなくならない、力の源泉そのものを得るに等しかった。

 しかし、少女に戦う術はなく、その大我を自在に操る術を持たなかった。

 だから四聖王は元々候補として選んでいた四人の戦士を、彼女を守り、彼女の剣となる存在として傍に置く事を決めた。

 これが現在にも続く、《眷属》である。

 のちに《勇者》と呼ばれる事になる少女と《眷属》達の戦いは伝承に語られる通り枚挙に暇がなく、ここでは割愛する。

 《勇者》と《眷属》達は《魔王》を倒し、そして世界は平和に満ちた。


 しかし人の性とは悲しいもの。


 平和という余裕を持ってしまえば、当然のように人はその枠の中で自由に振る舞い始める。それは大衆に善とされる行動であれ、悪と定義される行動であれだ。

 《魔王》という存在がいた時代よりもより複雑に、世界は捻れ始める。

 そしてそんな時代だからこそ、多くの人間に《勇者》は求められた。

 世界に平和を齎した《勇者》と《眷属》達は同盟の調停者になった。

 時に争いを諌め、

 時に悪王を屠り、

 時に人々の生活を手助けした。

 中立中庸、あらゆる存在に平等を齎す調停者。

 現在での《勇者》の役割は天秤の拮抗を保つ者であり、《眷属》はその盾となり剣となり、時に《勇者》本人を諌める存在になった。常に代替わりをする《勇者》に依って世界の均衡は守られる。

 勇者を中心にした、各国の総合意思を決定する《世権同盟》とそれが制定している《勇定律法ブレイブ・ルール》は世界の法になりつつあり、』


「お前さん、またそれを読んでいるのかい?」


 声を掛けられた少女は、空想の世界から現実の世界へと戻る。

 ここは自分の部屋だという事も忘れて、ボウとしながら周囲を見渡した。

 壁の一面を本棚が占領し、大量の本が入っている。それだけでは収まりきらない本が、いくつか山となって積まれている。それ以外は、ベッドと、様々な勉強道具が置いてあるゴチャゴチャとした机だけ。

 そんな中、少女はベッドの上で何度も読み返した本を読み直していた。

 ……片付けも忘れて。


「何度読んだら気が済むんだい。本なんて一度読んじまえば十分だよ。内容が変わるわけでもなし」


 声の主は、ドア枠に寄り掛かって小さく溜息を吐いた。

 金色の髪、蒼い眼。まるで絵画に描かれるような聖女の姿をしている。しかし口調は、そんな清廉で潔癖な印象を受ける外見とは裏腹に口が悪い。


「私は一度読んだら覚えられる程、優秀ではありませんから」

「真面目だねぇ。なんであたしの元で修練していたのに、そんなになっちまったかね」


 そう言いながら、女性は懐から掌くらいの大きさの小物を入れを取り出し、そこからパイプ草をパイプに入れる。

 パイプ草が一分の隙もなく詰められている事を確認すると、ストラップのように付けられていた小さな石から火種を生み出してその草に火をつける……が、そこで少女から半眼で睨まれている事に気が付く。


「師匠に向かってその眼は頂けないねぇ」


「……師匠と名乗るのであれば、ちゃんと約束を守ってください。

 パイプ草を吸うなとは言いません。言っても聞きませんから。でも私の部屋で、その百害あって一利なしなモノを吸わないと約束されました。やめて下さい、本に臭いが付きます」


「一回ぐらいケチケチするんじゃないよ」

「一回だけではないでしょう!? なんやかんや言いながら吸われるじゃないですか、師匠は!!」


 パンッと勢いよく本を閉じて怒鳴る少女。

 全く、誰に似てしまったんだろう。

 そう思いながら、女性はパイプ草から吸い込んだ紫煙を吐き出す。

 太陽の光を形にしたような金色の髪、夕日を切り取ったかのような紅い眼。凛とした姿はどこぞの女騎士を連想させる。

 礼儀正しく、淑女であると同時に紳士。そのように教育したのはこの女性本人だが、まさかここまで生真面目で堅物になってしまったのは誤算だった。


「そんなにクソ真面目だと、この先大変だよ。あんたがこれからする事は、そんなお堅い頭じゃどうしようもないもんだからね」

「……分かっています。《勇者》は人に依らず、中立中庸として世界を支える。故に自由でいなければいけない。その口から、何万回もご説明頂きました」


 ……《勇者》と《魔王》の決戦以降、世界は自由になった。

 自由になったが故に、様々な暴虐も増え、国が他の国に文句をいう事は出来ず、腐敗が始まれば誰も止める事が出来なくなる。

 絶対的な中立的存在、国や権力に依らない独立存在が必要とされ、それは当然のように《勇者》に託された。

 この世界の実に三分の二が所属する《世権会議》での絶対的発言権とどの国の抗争・闘争に介入し調査する権利を得る代わりに、国を立ち上げる事も権力そのものを持つ事を許されない。

 誰に命令される事もないが、誰にも命令出来ない立場。時に一国を滅ぼすほどの権利と力を保有しているものの、世界に睨まれれば即座に退場させられる存在。

 ……もっとも、世権会議の支持なくば仕事もないのだから、結局世権会議の部下のような存在ではある。

 こう聞くと貧乏くじに思えるかもしれないが、中立的存在というのは必要なのだ。


「つまり、この世界の平和を維持し、全ての人に手を差し伸べる仕事。

 聖職です、立派に努めなければ」

「だからそこが硬すぎるんだけどね……といっても、こればっかりはあたしが幾ら教えても、無駄だろうけどねぇ」


 溜息の代わりに紫煙を吐き出す。


「……試練が決定した。代替わりは三日後だよ」


 女性の言葉に、少女は真面目そうにしていた顔をさらにきつくする。

 《勇者》は不死身の存在ではない。代替わりは当然必要だ。

 今代の《勇者》――少女の目の前に立っている女性の事だが――は、もう引退する時期。

 そしてこの少女が、次代の《勇者》に選ばれた。


「旅の支度をしておきな」

「もうしてあります」

「……可愛くない弟子だね」

「弟子に可愛さは必要ありません。

 お師匠様こそ、どうなのですか? もう〝準備〟は出来ているんですか」


 少女の言葉には、どこか含みがあった。

 彼女の言っているのは《眷属》の選定だ。

 最初の《勇者》からずっと続いている、戦う術を持たない、持ってはいけない勇者の唯一保有できる戦力。戦う者達。

 《眷属》を選ぶのはその代の《勇者》だが、最初の眷属、一人目の《眷属》だけは先代の勇者が決める習わしになっている。だからすでに候補者を決めているのか、と聞いているのだ。

 普通の師弟であったならば何と無礼な物言いかと思うだろうが、外見に似合わずズボラでテキトーな師匠だと分かっている弟子は、そこの部分がとても不安なのだ


「心配しなさんな、ちゃんと選んでいるさ。もっともお前さんと合うかどうかまでは保障出来ないけどね」

「それじゃっ、」

「まぁまぁ落ち着きな」


 意味がない、と言おうとした少女を助成は止める。


「そもそも合う合わないなんて考えていたら、万人を受け入れるなんて無理な話だ。お前さんがちゃんと勇者の器だったら、受け入れる事なんてそう難しい事じゃない。少なくとも悪い子ではないしね。

 それに――アイツは良い剣になるよ」


 そう言った女性の眼には、確信と自信があった。

 そういう眼をして決めた事は、絶対外さない女性だという事を、少女はよくよく心得ていた。


「……分かりました。今日は何かお勉強はありますか?」


 文句の出かかったのを堪えて言うと、女性は首を振る。


「今更詰め込まなきゃいけないもんなんか、お前さんにはないよ。

 ああ、そう言えばリラが木苺取りを手伝って欲しいって言ってたね」

「そう、ですか」


 リラとは少女の世話係。少女にとっては母のような存在だ。

 母という意味では本当なら師匠の方が合っているはずなのだが、このガサツな人を母と思いたくはないし……年齢的には、母というより祖母と言えるくらいだった。


「では、私は手伝いに行ってきます。何かありましたら、いつも通り連絡してくださいね、師匠」


 ベッドのから立ち上がり、少女は部屋を出ようする。


「待ちな、」


 そこで、女性に止められた。

 何事だろう。そう思って言葉を待つと、


「あたしの事を「師匠」と呼ぶなと何遍教えた? アンクロお姉様とお呼び」


 どうでも良い話だった。



「でしたら、私の事も「サシャ」と呼んでくださいね、お師匠様」



 少女……サシャは珍しく十六歳という年齢に相応しい、少し子どもっぽい笑みでそう言い残し、部屋を出て行った。


「……ハァ、やれやれ。本当に大丈夫かねぇ」

『なに、顔は見えねぇが声だけ聞けば良い嬢ちゃんだ。きっと、婆さんよりも優秀な《勇者》になってくれるさ』


 不意に聞こえた声に――もっともアンクロにとっては不意でも何でもないのだが――アンクロは面倒くさそうに眉を顰める。


「無責任な事を言ってくれるねぇ。あと、婆さんと呼ぶんじゃないよ」

『外見はさておき中身はババアの癖に何を女ぶってんだよ』

「煩いねぇ、幾つになっても女は女なのさ!!」


 懐から取り出した念話用の護符に唾を飛ばさんばかりに怒鳴りつける。

 相手は、二十年近く付き合いのある傭兵だ。向こうは向こうで既にジジイと呼ばれても仕方のない年齢に差し掛かっているというのに、未だにババア扱いしてくるのが気に入らない。

 腐れ縁、罵倒友達。

 それがアンクロと念話相手との関係性だった。


「で、そっちはどうなんだい?」

『ああ、順調にいけば今日到着する。多少遅れても、まぁ前日には着くだろう』


 念話相手の言葉に、アンクロは当然だと言わんばかりに鼻を鳴らす。


「うちの弟子の大事な門出だ。支障が出たら困るんだからね」

『分かってるわい。婆さんの弟子だけじゃない。俺の孫の出世だってかかっているんだ。ヘマはせん』

「孫……ねぇ」


 十年前。

 血みどろでみすぼらしい子供をアンクロが連れてきた時、それはもう嫌そうな顔をしていたというのに。

 今では見えなくても、その顔に満面の笑みが浮かんでいるのが想像出来るほど、声に愛情が詰まっている。

 情が深い人間だというのは承知の上で預けたが、ここまで肩入れするとは思っていなかった。


『なんだ? 俺にしてみりゃ、傭兵どもはみぃんな、子供や孫みたいなもんだぞ』

「それにしたって人を選ぶだろうに……まあ良い。結局預けたっきり会いに行けなかったけど、そのお前さんの孫はどうさね。

 弟子の初めての眷属だ。出来れば、良い腕していると良いんだけどねぇ」


 火消しの護符が仕込まれている布の灰皿にパイプの火種を落とすと、念話の護符からはウンウンと熊が呻いているような声が聞こえてくる。

 嫌な予感がして、新たにパイプ草を取り出そうとした手を止める。


「なんだい? ひょっとして雑魚じゃないだろうね」


『バカ言うな! 俺の孫は弱くない!

 ……だが、不思議なんだよな。今まで色んな奴を仕込んだが、あいつ程変わった奴はいなかったぜ。何せどれもこれも、二流で終わっちまうんだからな』


「……ハァ?」


 意味の分からない言葉に聞き返しても、答えは何も変わらない。


『弱くはないが、特別強くもない。あんなギフトを持っているから、剣の才能があるのかと思えばそうじゃねぇ。他の才能だって同じく。

 しかもすげぇ事に、どれもこれも才能がないって程でもない。人並みに使いこなす位の素質は持っているが、武人としてはありゃあダメだ。芽がない』


「アンタが言うならそうなんだろうね」


 説明されて、ようやくアンクロは言葉を飲み込んだ。

 何せ相手は有名な傭兵を何人も育てた人間の言葉だ、それ相応に重い。

 しかし同時に確信が二つある。

 この念話相手の男が、不出来な人間を寄越すとも思えないという事。

 そして――自分が出会ったあの子供が、そう凡庸であるはずもない事だ。


「何かあるんだろう? お前さんが胸を張って孫だと言う何かが」


 アンクロが珍しく真剣な言葉で話すと、念話相手も息を呑んでから同じく真剣な声色で答える。


『勿論だ。

 ざっくり言っちまえば、あいつは武人としては半人前だ。

 だが戦士としては超一流って言っても良い。ルール無用の場所でなら、無類の強さだ。こと『生き残る事』と『何かを守る事』に関しては一級品。それは俺が保証しよう』


「そいつは――、」


 なんて、




「素晴らしいじゃないか。私の狙い通りだよ」









 国を持たず、国に依らない《勇者》とは言え、一定の定住の地は必要だ。

 永久中立地、精霊王の美しの泉を中心とした《エレメンツ・フォレスト》の奥深くに存在する《パーチ》は勇者が暮らす止まり木の村。

 普通ならばこんな森奥深くで暮らしていく事は難しいが、世権議会からの支援と精霊王の加護により、それなりに豊かに暮らせてはいる。

 基本は諸国を漫遊する《勇者》の帰る家、故郷としてのここは、どこの世界のどの村よりも穏やかだった。


「おや、サシャ、お出掛けかい?」

「ええ、木苺を取りに行くの」


「サシャ、帰りにうちに寄りな! 今日は上手い川魚を手に入れたんだ!」

「ありがとう、あとで寄らせてもらうわ」


「サシャお姉ちゃ〜ん、またお話ししてぇ!」

「ごめんね、今日は難しいの。明日はしてあげるから」


 村の中で店を開く者、村を歩いている老若男女様々な人間から声を掛けられる。

 彼らは結婚も子を持つ事もない《勇者》の、家族のような存在。もっとちゃんと説明すれば、元々眷属だった者達の家族や子孫達だ。

 国に依らない存在であり続ける《勇者》と、それに付き随う《眷属》。家族を持てるが、中立存在であるが故に敵も多い。だから勇者の側で保護しなければいけない。

止まり木の始まりはそんなものだった。

 今では一つの村を形成するどころか、国すら出来てしまいかねない程多い。

 しかし国を作る事は許されないので、大半は世界各国で普通の人間として暮らし、必要に応じて勇者を手伝い、情報を集め続ける《隠遁者ハーミット》になる者が多い。

 だからその隠遁者の中から《眷属》が生まれる事も、そう珍しい事ではない。長年一緒にいればお互い信頼が置ける事は分かっているし、先代勇者も知っている人物なのだから。


(出来れば、私の最初の《眷属》もそういう人なら良いんだけどなぁ)


 村の中を明るい笑みで歩いているサシャは、それとは正反対に心の中は憂鬱に染まっていた。

 自分の師匠であるアンクロは、あれだけ清廉で美しい姿をしている割に、中身は正反対。まるで物語に聞く、呑んだくれの親父のような性格をしている。おまけに悪戯大好きお祭り騒ぎ大好きな人だ。

 その人が選ぶ《眷属》がまともであるはずもない。せめて言葉が通じ、ちゃんとこちらの指示に従ってくれる人であれば良いのだが。

 不安を胸に抱き悩んでいる間に、そう広くもない村を抜けきり、今度は森の中に入って行く。

 森と普通の世界を繋ぐ境界線の手前に、木苺の群生地があるからだ。

 美しの泉から漏れる大我のお陰か、《エレメンツ・フォレスト》は今日も雄大だった。

 木々は年若いものでも樹齢百年は下らない大樹ばかり。

 様々な動物が生きているが温厚で、人間を襲うなんていう事は本当に滅多に起こらない。

 その森の中を血管のように流れている川の水はとても綺麗で、そのまま飲める程。

 これほど穏やかで豊穣を形にしたような森は下界にもないだろう。もっとも、サシャは十歳の頃にここに来たので、下界の記憶など有って無いようなものだったが。


「ふぅ、今日も良い天気ね」


 自分よりもずっと上空にある葉に遮られている陽光は燦々と降り注ぎ、眩し過ぎる事もなく気持ちが良い。

 隔絶されていると言っても完全ではない。村で自作出来ない物を持ってきてくれる商人や、時々監査に来る世権会議の役人の為に作られた砂利道を、ゆっくりと歩く。

 そんなにゆっくり歩いていて大丈夫なのか、と頭の中の自分が嗜めるが、リラはサシャが来る事を前提にして籠をいっぱい持って行っているだろう。少し遅れて行ったくらいでその籠がいっぱいになるとも思えなかった。

 上機嫌に鼻歌など歌いながら歩いていると……違和感に気づく。


「……〝番人ウォッチャー〟が来ない……?」


 ――大我を多く含む森には、必ずその森の動植物を統率する〝主〟がいる。

 大我とは、この世界そのものの生命力。一個の生命体から生み出される小我オドとは違い、自然を育み強くする力を持ち、決して消滅せずに流転し続ける力だ。

 小我などよりも大きな力を持っているこれは、霊脈レイラインと言われる地下深くに存在する血管のようなものを通り、霊孔スポットと呼ばれる場所から溢れ出る。そうすると、霊孔の周囲はその大我の力を使って森が生まれる。

 その大我の調整を行い、動植物を統率し、森を守り続けるのが〝主〟の役目である。

 この《エレメンツ・フォレスト》にも、当然その〝主〟がいる。霊孔である『美しの泉』は精霊王本人の住処故に、大我のコントロールはしていないが、森の動植物達を従える王。

 それが、〝番人〟である。

 まるで牛のような大きさの賢狼。白銀の毛並みを持ち、満月のような金色の目を持つ森の王。

 彼とは子供の頃から仲の良い友人同士だ。

 一緒に森の中を駆け回り、悲しい時や辛い時森にやってくれば、その毛皮の中に包みこんでくれる優しい子。いつもサシャが森に来る度に、出迎えてくれる彼がいない。


「…………なにか、あった、」


 頭の中に過ぎった不安を言葉にしても、より不安が強くなるだけだ。

 この森は絶対中立、狩人や商人、どんなに偉い王であったとしても世権会議の許可と配布される許可証がない限り入る事は許されない。

 しかし馬鹿はどこにでもいるようで、謎の自信とともに入ってくれば、即座に〝番人〟が対応する。無駄な殺生をしない彼が殺す事はないものの、物理的に痛い目に遭わされる。

 だけど、〝番人〟とて絶対ではない――、


「――っ、『吾乞イ願ウ、』!」


 手元にあった結晶化された大我の石を握りしめ、詠唱を始める。

 ……この世界には二つの秘術が存在する。

 一つは『魔術』。己が小我を使い、現象を発現させるモノ。

 そしてもう一つは、大我を用いて自然界の流れや力を利用する『魔導』だ。

 サシャは直接戦う力を持っていないが、大我を操る事を主とする《勇者》の次代として、大我を利用する魔導を学んでいる。


「『其ハ何処ゾニ居ラレルカ――吾ニ示セ!』」


 人探しの術式を起動する。人の小我を感知するこの魔導の効果は非常に限定的で、親しいモノにしか機能しない。

 反面、人類だけではなく動植物にまでその範囲は及ぶ。〝番人〟とは長い付き合いなので、直ぐに場所を特定する。

 それは奇しくも、自分のお気に入りの場所。

 この森の中でも一番気持ち良い日光が当たり、苔生したまるで舞台のような巨石がある場所。幸い、此処から走ればそう遠くはない場所。

 何故そこにいるのか、そこで何をしているのか。

 そんな疑問が起こるが、その疑問に答える人間はいない。逸る気持ちをそのままに、砂利道を外れて森の中を走り始める。

 木の根が這い、平坦な地面とは縁遠いこの森の中でも、サシャは器用に根の張られていない場所を見つけ、そこに足を付け走り続ける。

 サシャには、同年代の友人がいない。

 別に意図があった訳でもなく、たまたま村の中には同年代の子供がいなかった。

 本的に、年上の人達に世話をされるか、自分より年下の子供達を世話するかのニ種類しか関係性を選べなかった。

 その中でも、〝番人〟は対等に話せる、対等に接する事が出来る友人だ。

 そんな友人がもし失われでもしたら……そんな不安を胸に抱えていては、中立地帯に勝手に侵入した存在の事などおまけでしかなかった。

 森を知り尽くしているからなのか、それとも友を想う気持ちがサシャの足を速くさせたのか。すぐに目的の場所は、その全容を現した。

 木々生い茂る森の中にポッカリと穴が空いたような広場。

 そこの中心に堂々としている巨石の上に、自分の探していた〝番人〟がいた。


「ウォ……っ」


 呼び掛けようとして、やめた。

 〝番人〟の側に、一人の男が寝そべっていたから。

 妙に小汚い青年だ。着ている皮鎧は薄汚れてボロボロで、近くに置いてある荷物を入れる為の鞄だろう物はもはや「鞄」というよりも「ズタ袋」と言っても良いくらいの代物。

 目を瞑って自分の腕を枕に仰向けになっているが、顔は装備や荷物と同じように汚れているという事しか分からない。髪の毛はこの地方では珍しく黒いが、それも脂と汚れで燻んでいる。

 寝転がっている横には、クレイモアと呼ばれる両手剣にも片手剣にも出来る、一見中途半端な剣と、歪曲した片刃を持っているだろう片手剣一本、投げる用のナイフが数本。

戦う事も仕事のうちの《勇者》を継ぐサシャは、そう遠くない一瞥しただけで直ぐに武器の種類を見抜いた


(……傭兵の類かしら)


 戦争から護衛、魔獣退治まで様々な荒事を一手に引き受ける荒くれ者。

 お金で自分の命を切り売りし、報酬が正当だと判断すればどんな危険にも首を突っ込む無法者。

 大きな戦争もない昨今では数は多くもないが、人を襲う魔獣、各国の政府が対応出来ない危険存在、そして人の諍いがなくならない以上、彼らの存在もなくならない。

 もっとも、此処ら一帯は中立地帯だという事もあり、傭兵が活躍出来るような場所は存在しない。サシャもここに来る前に一度だけ見た程度。

 だからこそ、警戒心も膨れ上がる。

 魔獣と呼ばれる存在は、簡単に言ってしまえば、大我を取り込み進化した動植物の事を指す。

 普通の獣よりも強く賢く進化したそれは、元々の種族のコミュニティから外れ、同じ種族から外れた魔獣と子をなし、繁栄していった生き物。

 種として確立されたものや、強力な力を持った個体には名が与えられ、畏怖される。

 しかし、魔獣とは、あくまで人類がつけた総称。『人間に危害をくわえる存在』のみを総称したに過ぎない。

 実際には人間を守り人間と絆を結ぶものもおり、時に神格化される。『聖獣』や『賢獣』と呼ばれる類に、〝番人〟も含まれる。。

 されど、そんな事を普通の人類が見分ける事は難しく、「見つけたら殺される前に殺せ」という発想を持ちやすい傭兵はさらに厄介だ。




 ……そして、サシャの記憶の中の傭兵は、野蛮で、危険な存在だった。




 彼がそれと同じような人間ではない、とは限らない。

 〝番人〟が殺されてしまう。

 幸い寝ているので今は心配ないが、早く〝番人〟をあの傭兵から遠ざけなければ。

 そう思いながら、足音と気配を消して、ゆっくり、ゆっくりとその石舞台の近くに歩き始める。

 ……その努力は虚しい結果に終わった。

 此方から見えないが、青年が目を覚ましたのだろう。覗き込むように近づいた〝番人〟の鼻面に手を挙げる。


「――ダメ、」


 叫び出そうになった。慌てて走ろうとした。

 殺し合いになるんじゃないか、そう思ったから。

 だがサシャの予想も、また裏切られる。

 その埃で汚れた手は、優しく賢狼の毛並みを撫で始める。


「……へ?」


 気が抜けた声が思わずサシャの口から漏れる。

 呆然としている彼女の事に気付いていないのか、それとも気付いていても撫でられるのが気持ち良いのか。〝番人〟は目を細め、さももっと撫でろと言わんばかりにその手に鼻を擦り付けている。

 サシャと仲良くするようになるまでにも、それなりの時間を要した気難しい賢狼が、

 あんな見た事もない人間に対して、懐いている。


「……っ……」


 〝番人〟に対してなのだろう。ここでは聞こえない小さな声で青年が何かを話しながら、青年は起き上がった。

 先程より近くにサシャが来たからなのか、遠目で見た時よりも高身長に見える。

顔形も、汚れていなければ精悍と言っても良いだろう。

 そして何よりサシャの目を引いたのは――白銀の目。

 まるで夜空に浮かんでいる双子月の満月のような目は、サシャの視線を吸い寄せるほど綺麗だった。


「……? えっと……わるい、邪魔している。

 ちょっと疲れてここに寝ていたんだ。こいつはアンタの犬か?」


 サシャの気配に気付いた青年は、気さくに話しかけてくる。

 犬。

 いや、貴方の撫でているソレはこの森の〝主〟である賢〝狼〟です。

 などと軽口を叩きそうになって堪えて、サシャは真剣な目で青年を睨みつける。





「貴方は、誰ですか。此処が中立地と知って入っているなら、違法です!」





 ――それが、これから始まる物語の序章。

 《勇者》サシャと、《眷属》トウヤ・ツクヨミの出会いだった。

 少なくとも、サシャの視点から見れば。






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