其ノ三






 剣は錆びるものだ。

 物理的な話じゃない。比喩的な話だ。

 種類に関わらず、技術は使わなければどんどん錆びて、いつかは使い物にならなくなる程ボロボロになっていくものだ。

 錆びた剣で戦う事は出来ない。斬れないしな。だから戦場に出ていない時、戦いが身近にない時は、出来るだけ鍛錬を行うのが日常だった。


「フッ――」


 借りたショートソードくらいの木剣を振るう。

 目の前にいるのは空想の敵。その敵がオレの首を取ろうと刃を閃かせる。

 避ける。

 逸らす。

 弾く。

 相手の剣筋に合わせ、丁寧に。相手の刃が自分の体に傷を付けないように、されど次の一手を与える前に攻撃出来るように最小限の動きでそれを行う。

 一撃を最低限にすれば、その分次の一撃を早く繰り出す事が出来る。そうすれば確実に相手を殺し、自分の安全を確保する事が出来る。

 片手剣を扱う場合は速さと手数の多さで勝負。

 両手剣を使うならば一撃必殺、その威力で圧倒。

 ナイフを投げる時は二投目を投げる事が出来る距離まで離す。

 様々な戦い方を学んで、様々な戦い方を使う。結局オレが辿り着いた地点はそういう場所だった。

 一流になる事が出来ないのであれば、二流を満遍なく修める。


「ハッ――」


 刃の流れを変えると、空想の相手の体勢が崩れる。

 勢いを流され、まるで前のめりになる相手の横を通り過ぎるように、腹に切れ込みを入れる。

 腸を綺麗に斬り――これで終わり。

 相手は死んだ。


「フゥ……ナイフはここじゃ練習出来ないよなぁ」


 リラに案内された中庭の中心で、息を整えながら額にじんわりと浮かんだ汗を拭う。

 両手剣はちょうど良い木剣がもう一本あったのでさっき済ませたが、流石にナイフは的がないと練習しようもない。

 荷物の中に入れておけば良かったと思うが、それはそれで荷物が嵩張っただろう。今度買って貰えるように頼むか、


「無骨だけど、見事な剣筋だね。

 うん、これはこれで様式美のようにも見える。とても綺麗だよ」


 そう考えていると、唐突に耳に飛び込んできた声に、集中を解いて顔を上げる。

 灰色の髪を短く切り揃え、水色の目をしている壮年男性。背はオレと同じくらい、しっかりと鍛えられているが、パワーよりも速度を意識しているのだろう。ぱっと見は普通の人族に見える。

 黒い生地に赤い縁取りがされている、まるで軍服のような服。その上から心臓を守るだけの胸当てと、腰に下げられている直刀のサーベル。

 そして何より、常人よりも濃く纏わり付いている大我の気配。


「……《眷属》の方ですか?」

「ああ、その通りだ。紋様も見ていないのに初見で当てるとは、流石だね。

 そう言う君が、アンクロが選んできたサシャの《眷属》候補か」

「まぁ、一応は」


 オレの曖昧な言葉に、男は少し不可解そうな顔でこちらに近づいてくる。


「一応、というのは?」

「……第一印象が最悪だったもので」


 オレが《眷属》になると分かった途端一気に関係は悪化した。

 最初から酷かったが、さらに酷いものになった。

 別にオレがなると宣言した訳でもないのにめちゃくちゃ怒られるし、着いたらオレが婆さんに挨拶する暇も与えずに婆さんを捕まえて何処かに消え、屋敷中に聞こえる程大きな声でオレの不満を吐き出し続ける。

 あれじゃ、良い関係を作れるとは思えない。


「アハハ、あの子はちょっと融通の効かない所があるからね。

 根は優しい子だから、出来れば嫌わないであげてくれないか」

「別に、気にはしていないです。慣れています」


 普通の人間からすれば傭兵なんてそこら辺のチンピラに毛が生えた存在だ。

 吟遊詩人に詠われる程有名になったなら話は別だが、そうじゃない傭兵なんて、それこそやくざ者とそう大して変わらない。


「柔軟だな。なるほど、そういう意味でもあの子に君はピッタリかもしれない。

 鍛錬中を邪魔してしまったお詫びだ。ちょうど良いし手合わせでもどうだい?」

「……偶然、みたいな言い方してますけど、最初からオレがいる事知ってて言ってますよね、それ」


 先ほどまで男が立っていた場所を見れば、サーベルと同じくらいの木剣が一本立て掛けてある。オレが使う得物とはタイプが違うから、オレが用意したものではない。

 最初から戦うつもりだったのだ。


「オレ、試験の第一関門で戦う事になっているんですけど、まさかここでおっぱじめるって訳じゃないですよね?」


 試験内容を細かく聞いている訳ではないが、婆さんからは「取り敢えず戦うから心の準備だけはしておきな」と言われていたので最初からこのつもりだったが。

 突発的に行われるとは聞いていない。

 オレの言葉に、男はニッコリと人当たりの良い笑みを浮かべる。


「心配ない、あくまでこれはちょっと手合わせする程度さ。

 君の鍛錬を見ていたらついね。試験は試験でちゃんとあるさ。内容は話さないけど」

「ちなみに、内容を話さない理由って、」

「アンクロが「ほら、そっちの方が面白いだろう?」って」


 婆さんノリノリだな。

 あの婆さんなら、そういう事を言うだろうと理解は出来るが。


「……普段のオレの戦い方とはちょっと違いますけど、それで良いならば」

「ふむ。それはそれで興味があるけどね。取り敢えず今はそれで良い」


 目の前の男が、木剣を前に掲げて礼をする。


「《勇者》アンクロ、二ノ《眷属》――リヴァイ」


 こちらも、木剣を構えながら答える。


「現在無所属、トウヤ・ツクヨミ」


 名乗りはそれだけ。審判もいなければルールもない、そんな手合わせはお互いの名を知り合った時点で始まった。

 ……一瞬、と言う言葉がある。

 素早さを表したり、本当に少しの間を表す言葉。〝一〟つの〝瞬〟きの間に行われる。

 文字通りの神速。

 あくまで比喩。そんなに速く人は動けない。





 だが、リヴァイと名乗った男の動きは――〝一瞬〟だった。





 まるで一陣の風が通り過ぎるように、自然と、気付かぬうちに間合いは詰められていた。


「っ!?」


 心が、頭が働かずとも、十年近く鍛え上げた体は自然と動く。鋭い氷の如く放たれたその刺突を、ギリギリ自分の木剣で逸らす。


「……ほう、」


 リヴァイは興味深い、と言う顔を一瞬した。

 サーベルによる神速の刺突。恐らくこれで彼は一撃必殺を主として戦っているのだろう。

 つまり、一撃一撃が異常な精度を持っているのだ。

 だから避ける事、防ぐ事の出来る人間は少数だろう。


「シッ!」


 息を鋭く吐きながら逸らした木剣で相手の顎を狙って振り上げる。オレの木剣は素早く、そのまま行けば相手の脳震盪を狙えたはずだったが、すり抜けるように回避したリヴァイの攻撃は止まらない。

 閃光。

 次から次へと襲ってくる刺突は壁のようだ。


「ハァァアアァアアアァァアアァ!」


 それを一つ一つ、丁寧に斬り払い、逸らし、躱す。

 一本と一本。どちらも手数の多さがあるものの、リヴァイの木剣は重さなど感じさせずその物理的な絶対を超えていく。細剣の突きと片手剣の振り、その速さは些細だ。

 超えられないはずがない。

 だが、超えられない。自分だって経験を積んでいるのに、その壁を超える事が難しい。

 これが、《眷属》。

 《勇者》と共に人を超えてきた存在。

 ……多分、本気ではない。その事実が重くのしかかる。

 風と戦っているような捉え所のなさ。


「……アンクロが選ぶだけはあるという事か」


 こちらの力量を認めているような言い方だが、リヴァイの顔は涼しげだ。

 その顔を、


「――なめんじゃ、ねえぞッ!」


崩そうと、木剣を振るう。

 腕の振りが自然と速くなる。

 本来ならば見切れない程速い刃を丁寧に削いで、オレの防御を崩し始める。

 少しずつ。

 少しずつ。

 雫が大きな岩にへこみを、穴を空けるように。


「……でも、これが君本来の戦い方ではないんだな、本当に」


 リヴァイの声が木剣のぶつかり合う音の中でも、不思議と耳に届く。


「一つの戦い方に固執しない。礼節と忠義を奉じる騎士ナイトとも、技と己が信念に准ずる空中浮島の武士サムライとも違う。生き残り続ける事に特化し、その為ならどんな事でもする戦士ウォーリアの戦い方だ。

 だが、それではダメだ。それだけでは《勇者》の《眷属》は務まらない」


「勝手、言ってんじゃ、ねぇよ!」


 僅かに見えた隙に、刃を突き立てる。扉を押し開くように振るわれるオレの木剣を、リヴァイは笑いながらバックステップで躱す。


「すまない、君の存在を否定する訳ではない。むしろ君の戦い方は試合より戦場や実戦で有効的だ。少なくとも、僕なんかよりね。

 でも大事なのはね、『目的』と『信念』だ」


 話に集中する為なのか、それともオレの剣など端から当たらないと踏んでいるからなのか。細い木剣でオレの猛攻とも表現出来る程激しく振られる木剣を逸らし、払いのける。

 上から振り下ろした剣は除けられ、

 横から振った剣はまるで彼だけを避けるように、剣筋が歪曲する。


「『目的』は《眷属》になり、《眷属》で居続ける理由。

 『信念』は戦う人間としての目標、自分を支える支柱。

 どちらか一方が無ければ、君はあっという間に《脱落者》になる」


 ――《脱落者》。

 《眷属》になったにも関わらず、途中でそれを放棄する、あるいは《勇者》から契約を切られた眷属。紋章は残されるが永遠に輝く事なく、それを咎の証として抱いて死ぬ。

 他者が見れば、侮蔑の対象。

 自分で見れば、恥の象徴。


「それを考えた場合、君の剣にはそこら辺が欠けているようにも見える。

 私は心配なんだよ。サシャも、君も。中途半端に繋がりを作り傷つけるくらいならば……最初から繋がりなど作らなければ良いとね」


 オレを見るリヴァイの冷たいながらも優しい。

 きっと目の前の男は、オレの事を本当に心配しているのだろう。

 傷つかないように。

 後悔しないように。

 もし見込みがないならここで手折るのが情だと、そう思っているんだろう。

 ――ハッ、


「……笑わせんじゃねぇ」


 オレは剣を振るう手を止めず、相手を見据える。

 優しい目で見ているリヴァイを睨みつける。


「『目的』も『信念』も、オレの胸の中にある。

 だがな、それをわざわざ剣に乗せる道理なんてねぇ」


 死は、何よりもオレに近しい存在だった。

 前の世界ではどうだか分からないが、何となく近しかったような気がする。

 そして今の世界では、より濃厚なものになった。

 生きる為、食って行く為、死なない為。

 他人から見れば下らない理由だったのかもしれない。


『止めたいと思ったならやめりゃあ良い。お前は俺の孫だ、幸せになって良いんだ』


 オレに戦い方と生き方を教えてくれた爺さんは、そう言ってオレを抱きしめてくれた。最初に出会った村の人々も優しかったけど、オレの中で一番優しい人だと思ったのは爺さんだった。


『約束手形はくれてやったが、将来受け取るかはお前さんが決めな』


 最初にオレを救ってくれた婆さんは、別れる間際にそう言ってくれた。憎まれ口しか叩かないけど、きっと婆さんも、オレの事を案じてくれていたのだろう。ああ見えて情に篤い人だから。

 だからオレにはいくらでも、この生き方を止める機会はあったんだ。

 ナニカやダレカを殺したり、傷つけたり殺したりする必要性がない生き方を選べたはずなんだ。

 そこら辺の普通の村で暮らして、畑を耕して、殺すよりも生かす道を見出す。商人も良いかもしれない。料理を作って店を出し、ついでに旅人が泊まれるように宿屋にしてしまうのも悪くはない。

 その内嫁を貰って、子供も出来て、家族を養う為に働き続ける。子供が成長し、孫が生まれて、多くの家族に囲まれて死んでいく。平凡で退屈で、それでも平穏で血に塗れない生き方を。

 ――でも、結局オレはそれを選ばなかった。

 『目的』と、『信念』があったから。


「オレが剣を振るう時は、魔獣だろうが人だろうが、どっちにしろ何かを殺す時だけだ。

 そんな時に剣に乗っている思いなんて関係ない。殺される奴がそんな事を気にしないし、どんな理由があったって死にたくなんかないはずだ」


 剣を振るう。徐々に、徐々に、リヴァイとの間が狭まっている。

 避ける事も除ける事にも、苦痛を感じ始めた顔が見える。

 もう少し。

 もう少しだ。


「オレには確かにアンタが言うようなそういうのを、持っている。

 だけど、オレは絶対、




 それを、言い訳になんかしない!」




 そう言ってオレが振ったのは木剣ではなく、脚だった。

 剣を持っているリヴァイの手を、膝蹴りで弾き飛ばす。


「……お見事」

「何がお見事だよ、一周回って無様だよ」


 木剣を取り落とし手を上げ、まるで降参したと言わんばかりだが、実際の所負けているのはオレだ。

速さも技術も全然、目の前の男には届いていなかった。

 つまり、物凄く手加減されて負けたのだ。


「もしこれが実戦なら、そもそも僕の間合いに入っては来ないだろう? 君なら別の手段を持ってきて戦ったはず。

 つまり、この試合は最初から僕に有利だった。手加減するのは当然だろう?」

「……オレ、アンタ嫌いだ」

「そうかな? 僕は君の事好きだけどな。その考えは非常に好感が持てる」


 そう言って人懐っこい笑みを浮かべるが、オレはそれを信用する事が出来なかった。

 戦い方は騎士のそれだが、その笑顔や喋り方、性格やなんかはまるで商人のようだ。

 笑顔の裏側で打算する。目的の為に相手の内側に滑り込む。狡猾で計算高い……はずなのに、その剣だけは真っ直ぐで忠義篤い騎士であり、礼儀正しい紳士そのもの。

 まるで無理矢理魔術師に作られた『複合獣キメラ』のようだ。


「普通の人から見れば君の考え方はちょっと異常だよ。

 そんな性格で辛くないかい? たまには言い訳したくはならない?」

「ならないね」


 リヴァイの悪魔のような言葉に、オレは相手にハッキリ分かるように首を振る。


「言い訳している自分を見る方が、よっぽど辛い」

「……ますます気に入ったなぁ。そういう病的なストイックさ」

「やめろ。まさかテメェ、ソッチの気でもあるんじゃないだろうな?」


 鼻をつまんで、周囲の空気を払いのけるようにオーバーなアクションをする。

 これはこの世界でのジェスチャーの一つ。

 意味は、『嘘が鼻に付く』という意味だ。


「あはは、僕は普通に女性が好きさ。もっとも、本命は一人きりで釣れないけど。

 でも、君が気に入ったのは本当さ。今日は夕食を一緒に出来ると思うと、楽しみになってくる。アンクロとも話せるしね」

「……《眷属》と《勇者》ってのは、そういう関係なのか」


 てっきり家来か従者のように思っていた関係とは少し違う感覚だ。

 家来や従者は主人が食事をしている時には、側で控えているのが基本だ。


「う〜ん、そこはその代の《勇者》にも寄るかもしれないね。

 君が言ったように、家来や従者として接する《勇者》もいれば、家族のように接する者もいる。その関係性は人によって様々。

 唯一の共通点は、互いを尊重し合うという点だね。人生の殆どを一緒に過ごすのだから、当然と言えば当然だが」


「尊重、ねぇ」


その言葉に、オレは眉を顰めた。嘘だなんだと喚き散らすほど子供ではないが、オレとあの女の場合、


「ちょっと! そこの傭兵! リヴァイさんに何をしているんですか!?」


 そう考えていると、屋敷の方から次代の《勇者》候補……サシャが歩いてくる。

 少し離れている場所から見ても怒っている事がよく分かる。肩を怒らせ、一歩一歩大股で歩いている。その歩みは足音が響き渡りそうなほど力強い。


「……な? あの態度で『お互いを尊重し合う』なんて出来るか?」

「あの子はお堅いけど情が篤い。慣れれば仲良くなれるさ」


 オレとリヴァイの言葉が耳に入っていないのか、オレとリヴァイの間に入ってくる。


「傭兵! 貴方はさっきから何故リヴァイに敬語を使っていないんですか? 曲がりなりにも《眷属》候補ならば、先代眷属に礼を尽くすのは当然だと思いますけど!?」

「なんだ、敬語使った方が良いのか?」

「いや、僕はあまりそういうの気にしないけど?」

「リヴァイさん、そうやってこの傭兵を甘やかさないでくださいっ。

 お風呂に入って多少綺麗になったところで、この傭兵が無作法である事に変わりはありません」


 酷い言いようである。

 オレが少し納得しかねるという気持ちを込めて睨みつけても、サシャは揺るがずにこちらを睨み返してくる。


「大方、貴方がリヴァイに失礼な事を言ったりやったりしたんでしょう? ちゃんと謝りなさい、傭兵」


「オレが何かしたって前提かよ。そもそも、突っかかってきたのはこいつだ。

 だいたい、オレは傭兵なんて名前じゃない。ちゃんと名乗ったはずだが? 次代の《勇者》様は他人のお名前さえ碌に覚えられないのか?」


「っ、知っています! トウヤ・ツクヨミ!!

 ですが! 私が貴方の名前を覚える必要性はありません。何としてでも師匠を説得して、貴方を候補から降ろしてみせます!」

「……そうとう、傭兵っていう輩が嫌いみたいだな、アンタ」


 傭兵は毛嫌いされるものだとは理解しているが、ここまで拒絶反応を見せる人間も少ない。

 よっぽどここの空気は清涼だったのだろう。


「当然です!

 傭兵は自分の命を賭け金にして、他人の命を奪ってお金に換えます! 騎士や武士とは違う、金銭が発生しなければ何もしないし、逆に金銭が発生すればどんな悪どい事もするではないですか」

「……まぁ、その通りだけど。

 でもこっちだって合法だ。そう文句を言われる筋合いはないがな」


 世権会議が制定する、同盟国全体の勇定律法

 死霊術ネクロマンスで作られた化け物の製作・販売の禁止や、同盟国同士の戦争・もしくは内部紛争まで様々な事を制限している部分は多いが、オレが習った限りではその法律の中でも傭兵の記述はない。

 精々、平時と戦時で雇い入れる人数を設定しているだけだったはずだ。


「ええ、それは分かっています。私も、貴方が傭兵である事そのものを否定する気も、どこかで戦争に参加して死ぬ事も否定はしません。どうせ自分の決める事です。

 でも、私の《眷属》としては相応しくありません。もっとちゃんとした、」

「はいはい、それ位にしておきなさい」


 捲し立てるサシャを、リヴァイが制する。


「そもそも、決定したのはアンクロで、彼はそれを受けただけだ。彼に怒るのは筋違いというものだよ」

「むっ……それは、まぁ、否定しませんけど、」


 サシャが少し迷うように言葉を濁す。


「それに、傭兵というだけで彼を差別する事が、次代勇者として良い事ではないのは、サシャもよく分かっているね?」

「も、勿論そうですが、」


「ですが、は余計だよ。

 最初の《眷属》を先代勇者が決めるというのは、必ずしも絶対ではない。二人の相性が合わないとアンクロが判断すれば、当然彼女だって次の手を考えるさ。

 アンクロは普段は適当だけど、大事なところで間違える女性ではないのは、分かっているだろう?」


「はい……」

「まぁ、試練を無事乗り越え君が正式に勇者になる事が決定されれば、また状況は違うだろう それまで、あまり彼を苛めすぎないでくれ」

「すいません……」


 さっきまでの怒りは何処へやら。飼い主に怒られた犬のようにしょんぼりしている。

 リヴァイの言葉が理屈として通っているのか……いや、それだけではないとオレは見た。

 傭兵ってのは人を見る目も養わなければいけない。

 ちゃんと自分の事を評価する人間か、支払い能力があるのか。雇い主をちゃんと見極めなければこっちの命と儲けに関わるのだ。

 そういう意味では……なるほど。恋慕の情かとも一瞬思ったが、どちらかと言えば尊敬や憧憬に近いようだ。

 そんな相手に止められれば、そりゃあ濁したくないものも濁らざるを得ないし、了承したくないものだって飲み込んでしまう。

 ……それを分かってやっている所が、目の前の男の悪辣な所だと思うが。


「じゃあ、僕はそろそろ行こう。アンクロに報告もあるしね。

 トウヤ、だったね。騒がしくしてすまないね」

「ま、アンタの話はさておき、手合わせはちょっと為になった。騎士とは中々戦わないからな。

 謝罪より、自分で出した木剣は片付けておいてくれれば、それで良い」


 オレの言葉遣いがやはり気に入らないからか、サシャの鋭い視線が顔に刺さるが、気にしない。

 そんなオレらの姿が面白いのか、それとも癖なのか。にこやかな笑みを浮かべて「ああ、勿論そうするさ」と言って、木剣を持って屋敷の方に向かって行った。


「……どういうつもりです?

 こんな所でまで仕事探しですか? リヴァイにまで媚を売って、」

「どの辺がそう見えたんだお前……安心しろ。お前の想い人を雇い主にしようとは思っていない」

「お、おおおお想い人ではありません!」


 顔を真っ赤にしてこちらに掴みかかってくるが、蝿が止まりそうな速度のそれを躱す。


「それに、そもそもアンタの《眷属》になるのなら、当然、傭兵稼業とはおさらばだ。内容が変わらなくても、傭兵と《勇者》の《眷属》じゃえらい違いだろうからな」

「あらぁ、まだ私は貴方を《眷属》にするなんて言っていませんよ? さっきリヴァイが言った事をもう忘れたんですか?」


 勝ち誇ったように言うサシャ。

 そのどこか子供っぽい苦笑いが浮かんでしまう。


「分かっている。アンタに気に入られなきゃオレは《眷属》にはなれない。

 だが、オレは媚びるつもりもない。普段通りのオレを認めて貰わなきゃ意味がないからな」

「結構。精々試練の日に大恥をかけば良いんです。

 私はこれからリラと食事の準備をします。また動いて汗臭くなってしまったその体をなんとかしてから来てください」


 そう言って、こちらから完全に視線を逸らして歩き始めた……と思ったら、もう一度振り返る。


「それから!

 自分の名前を呼んでほしいならば、まずは貴方が私の名前をちゃんと呼んでください! 私は『アンタ』なんて名前ではありません!!」


 その目は真っ直ぐだった。

 オレの事が嫌いだろうに、こいつは一度も目を逸らしたりしないし、言葉は嫌悪感に満ちていても、その目はオレを下に見ている訳ではない。

 純粋真っ向から嫌いだと言っているあたり、流石に次代の《勇者》だろう。


「……ああ、失礼した。

 今度からちゃんと名前を呼ばせて貰うよ、サシャ」


 オレがそう言うと、不機嫌そうな色を少し潜め、「宜しい」とどこか満足気に言うサシャ。

 嫌われているし、嫌われている人間に愛想を振りまけるほど聖人ではないつもりだが、


「……悪い奴じゃなさそうだな」


 相手に聞こえないように小さく零した。









「試練の地までの道程は、面白いくらい盛況でしたよ。狂った魔獣を招き入れるとは……精霊王がよく許しましたね。統制下に置いているとは言え……あれは、人を二、三人食っている輩達ですよ」


「心配ないさ。あの頭ん中お花畑なアマだって、これが必要なことは分かっている。

 それにこの森は本来あの子の領域だ。中に入る事は許しても、他のものを傷つけようとすれば死ぬそれを魔獣も分かっているんだろうさ」


「貴女と精霊王が決めた事であるならば、僕には何もいう権利はない。

 ……それより、アンクロ? 本当にこれで良いんですか?」


「なんだい? 珍しくあたしの考えに不満かい?」


「不満ではなく心配と言ってほしいですね。

 彼は確かに悪くない。戦う力もあり、芯もしっかりしている。おまけにかなりの現実主義者リアリストだ。《眷属》とする上で彼は悪くはない。

 ですけど、サシャには合いません……人が悪い。サシャの過去や気持ちを無視している」


「アンタに言われたくないねぇ まぁ否定はしないさ。でもこれもまたあの子に必要な事だ。トウヤを受け入れられないなら、あの子に《勇者》になる資格はないよ」


「それで良いのですか? 貴女は、彼女を娘のように愛しているというのに」


「だからこそ、さ。

 これから辛い事が山ほどあるんだ。根っこに病を持っていたんじゃ、いつか倒れるのはあの子だ。





 あの子のこれからに必要な事、その一つなのさ」





 ……《勇者》への試練は、あっという間に訪れた。






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