雨のむこう
千住白
01 雨のむこう
駅前の交差点のモニターに、高校の制服をきたふたりの女の子がキスをしている映像が流れていた。
雨のなかで赤毛とブルネットの女の子がキスをしている。最近流行っている洋楽のPVだった。
友人の清水一穂がその子たちのことを笑っていた。
――あの子、彩に似てない? あの赤毛の子。
私と赤毛の子が似ているのは髪形だけだった。
一穂は意地が悪い。私が一穂を好きだったことを知っていて、わざとそんなことを言う。一穂は一度も私を好きになったことはなかった。なのに高校を出てから十年以上、私とつきあっている。
私には夫がいる。一穂に恋人はいない。一穂はうまれたときから同性愛者だった、と私に言った。女子高に来たのも、自分の世界に男は必要ないからだと。
私が結婚した当時、一穂には彼女がいた。二十代前半のころには、一穂にもつきあっている人が何人もいた。
私は高校時代の一穂が好きだった。一穂は私といっしょにいたけれど、私のことは無視しつづけた。一穂には堅く冷え切った部分がある。ダイヤモンドのように堅く、凍りついた部分が。
一穂は優等生だった。京都の大学へ行ったときも、周囲から院へ進学するよう勧められていたらしい。就職活動のために地元へ戻ってきていた一穂と会ったとき、一穂は、
――どうしてできることをしなきゃならないの?
と不服そうに言った。喫茶店のBGMに、うるさげに切れ長の目を向けながら。
大学に行っていた当時は――まだ茶髪が流行り始めたころだった――ストレートの黒髪を背中まで流していた。清潔そうな印象で、高校時代よりも頬が鋭角的になった一穂は、女の子によくもてていた。が、本人は自分に興味がなかった。いつも洗いざらしのジーンズと、すっきりしたデザインの白のシャツを着ていた。
――自分がやりたいから国文に行ったんじゃないの?
――現実から遠い話であれば、なんでもよかっただけ。
一穂には自分の欲望がなかった。与えられたとおりに勉強し、優等生になり、それに疑問を持たない。人の面倒はよく見るくせに、人になにも期待しない。あるとき、ふだん家で何をしているの? と聞いたら、一穂はぼうっとしてる、と答えた。
どんな顔で恋人と寝るのか想像もつかないけれど、高校時代に一度、後輩とキスしていたところを見たことがある。
文化祭の打ち上げの後、教室の片隅で、白いカーテンの前に立つ物陰を見つけた。
一穂は一年生の子の背中を支えるように腕を回していた。交差した手が、肩甲骨に沿って白い翼のように開かれている。
ひとの願いには人一倍敏感だった一穂は、好きでもない子でも平然と寝ていた。でも、私の願いだけは絶対に叶えなかった。
二十四歳のとき――お互いに地元に就職してからしばらく経ったとき――私は一穂に自分の結婚式の招待状を出した。連絡は取らなかった。数日後、欠席のところに印がついた返信がきた。
私は返信を破り捨てて、アパートのベランダから桜吹雪のように撒いた。そうして式場の出席者のリストから彼女の名前を消した。
駅前の交差点に立って、PVが終わるまでモニターを眺めていた。
雨のなかでキスをしていた女の子たちは、雨上がり、ふたりで手をつないで遠くの街へ消えていった。
雨のむこうに世界のすべてを置き去りにして。
もしこの世に一穂と私しかいない荒野があれば、私たちはうまくいっていたかもしれない。
交差点を渡りながらそんなことを考えた。
一穂は、私が一穂を好きになったことを憎んでいた。
学校を卒業してしまえば変わってしまう、一瞬の淡い思いであることを憎んでいた。
でも、移ろわない思いはない。いつまでもそんな幼い恋を引きずってはいられない。
一穂が望む荒野は存在しないのだ。
手をつないだ女の子の背中が消えていく残像が目の裏にのこる。
見なかったことにしよう。私はつぶやいて通り過ぎる。
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