第3話 コーヒーゼリーが語り出す

 男の子から話をよく聞けば、マスターとは私がコーヒー豆をよく買う喫茶店の初老の女主人のことだった。

 私も彼女の淹れたコーヒーを飲んだことがある。彼女の淹れるコーヒーは、豆本来の味をよく引き出したものだ。香りと色、もちろん味は注文した客を十二分にも楽しませる。

 

「今日は……、マスターの誕生日なんだ……」


 男の子はややしょんぼりとしながら、そう言った。

 男の子は、マスターが大好きなのだと言う。男の子がまだ一粒のコーヒー豆だった頃、透明な瓶の向こうの彼女の笑顔をよく見つめていたそうだ。

 

 その笑顔で、マスターが大好きになった。

 理由が、純朴で、素直だ。 

 そして人の姿を持てたのは、そのマスターへの愛ゆえなのかもしれない。


 だったなら、その爽やかさは、その甘さは、コーヒーゼリーの苦みと甘みとは程遠い。


「おめでとうって、言いたい!」


 一世一代の大告白、と言わんばかりに、男の子はぐっと両手を握った。

 そして、だからと続ける。


「だから、食べるなら、おめでとうって言ってからにして……。お願い……」


 うるうると瞳を潤ませ、男の子が懇願した。ゼリーの艶のような潤みが、私の食欲をほんのりくすぐった。

 私はうーんと腕を組んだ。組む、振りだ。

 葛藤はした。けれど、私はどちらかと言えば、お人好しだ。だから、言う答えは一つだ。


「……いいよ」


 私は了承した。食べられるなら、食べたい。食欲は、特に好物ならなおのこと、歯止めが利かない生理欲求の一つだ。


「ありがとう創造主様!」


 そう、嬉しそうに笑わないでほしい。

 食べるのが忍びなくなりそうだ。


「でも、どうやって、喫茶店まで行くの? 夕方まで待つ?」


 私は、本題に切り替える。

 時計の針は最高潮の暑さを過ぎた昼下がりを指している。外の気温はその残暑をより濃く残している。このままの状態で行けば、また逃げ出したふりだしに戻るだろう。


「こ、根性で、もう一回行く! 急がなきゃお店閉まる時間が早まっちゃう! マスターと喋る時間が減っちゃう!」


 そう言うと、男の子はばっと玄関の方へ走っていき、約五秒後、部屋に戻ってきた。ついでに言えば、勢いよくソファーにダイブした。


「おかえり」


 私はそう声を掛ける。


「……ぐずっ」


 突っ伏した顔の方から、洟をすする音がした。

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