【36】何があったのか。

「ねえ、なに人の顔ジロジロ見てんのよ。ちゃんと考えてる?」

「み、見てないって」


 急な恥ずかしさから、俺はそっぽを向く。

 俺は何を考えているのだ。

 今、最優先すべきなのは、王たちの意図。そしてエルケット軍隊長の行方だ。

 そう心の中で自分に言い聞かせ、顔を軽く叩く。するといつの間にか近くに寄ってきていたホワイスと目が合った。


「ねえ、ビリーフ」

「ん、なんだい?」

「ホワイスも、外にでたい」


 気持ちはとてもよくわかる。そろそろ言い出す頃ではないかと心配はしていたところだ。

 ホワイスはこの部屋に入ってから、イローナがこっそり持ってきている食事を口にするか、書庫の本を読むことしかしていない。外に出たくなっても仕方がない。

 ホワイスにとって、まだ知らない土地や知らない人と出会うことは、新鮮できっと興味を引かれること。ずっと村の中で過ごし、時々こっそりと町へと出かける。それも恐らく行動範囲は制限されていたはず。モラーリの薬草店に通っていたことから考えるに、城下町までが最大限。それ以上遠くへは行けなかったのだろう。

 俺たちと行動を共にすることで、彼女の好奇心を掻き立てたことは間違いない。人間相手に始めは警戒心を持ちながらも、心を許した相手にはとことん甘える。しかしながら無機物であるものであれば、すぐに手にとってしまう。幼少期なら誰でもある本能だからこそ、見ていてとても心配なのだ。

 こうして書庫の本を勝手に持ち出してきては読み、モラーリの薬草店でも一度問題を起こしている。まだ幼いからこその危うさ。それをずっとクレイスは大切に守ってきたのだ。俺が勝手な行動をしてはいけない。まだクレイスは長い時間魔法を使った反動か、ベッドの横になったまま寝息を立てている。

 ただ、クレイスたち魔女たちの存在を知っている人間が、俺たち以外にこの城に少なくとも三人いる。先程目の前でクレイスの魔法を目にしたブルーノ王子。そしてヴァチャー王とその側近であるレドクリフだ。だからこそ、本当なら城の中で留まっている訳にもいかないのだ。

 もしも、イローナの考え通りなら、王たちは魔女をレン王子殺害の犯人として仕立て上げようとしている可能性は高い。人間を恨む動機もあり、魔法を使って城に侵入することも容易いと言われてしまえば、証拠なんてあってないようなもの。人外の侵略者として吊し上げられてしまう恐れもある。


「どうしようか、イローナ」


 迷った末にイローナを頼ったのだが、さすがのイローナもホワイスを外に連れ出すのは難色を示していた。


「出してあげたいのは山々なんだけど、まだクレイスさんも回復してないから、レイズ城を離れる訳にはいかないし……」


 トントン。


 唐突に鳴ったノックの音。部屋の扉の向こうからだ。

 まさか誰かにこの部屋の存在がバレてしまったのだろうか。一瞬、そんな最悪な想像をした。しかしすぐに冷静になって考える。

 この部屋は書庫室の奥にある。そして基本的に扉の前には本棚を置き、その本棚を動かさない限り扉を見つけられないように隠してあるのだ。たまたま書庫室を利用した人にも簡単には見つからないようにしている。だからこそ、扉をノックできるのはこの部屋の存在を知っている人物。俺たち以外に思い当たるのは、一人しかいなかった。


「軍隊長!」


 扉を開けて入ってきたのは、エルケット軍隊長だった。

 こうして会えるのは、クレイスの家で会った以来だ。あの時は、ほんの一瞬で気絶してしまったが、今回はしっかりと事情を演技などせずに話してもらわなければ。


「悪かったな、ビリーフ」

「悪かったじゃないですよ! 今までどこにいたんですか?」

「ああ、ゲンさんに協力してもらって少し身を潜めていた。今捕まる訳にもいかないしな」

「ゲンさんですか。でもレイズ城は今、多くの兵たちがあなたを捜しているんですよ。隠れる場所なんてどこにあるんですか?」

「まあ、なんだ、この城は広い。私自身もまだ入ったことのない部屋だってあるぐらいらからな。どこにだって身を潜める所はあるもんだ。それをよく知っているのがゲンさんだ。王族たちも知らない隠し通路や隠し部屋が至る所にあるって話していたよ。とはいえ、それよりもクレイスさんは?」


 そう言ってエルケット軍隊長は俺の背後で眠っているクレイスを見るや否や、慌てた様子で駆け寄る。


「大丈夫ですよ、エルケットさん。疲れて眠っているだけですから」


 そう、なだめたのはイローナだ。


「ああ、なんだ。良かった。まあビリーフたちが城に戻っているとゲンさんから聞いていたから、安心していたんだがな。いったいここにいる間に何があった?」


 何があったのか、それを聞きたいのはこっちの方だ。しかしエルケット軍隊長には逆らえない。俺はレイズ城に来てからのことをありのまま話した。

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