【16】嘘はついていない。
父子家庭で育ったグレメルは、幼い頃から家事を習慣として生活していたという。父親は商人であり昼間はほとんど家にいない。帰ってくるのも夜遅い日が多く、家のことはグレメルが一人で熟していた。当然学校に通うような余裕はなかったため、庭で野菜を育てたり、森に入って果物や薬草などを収穫する毎日。成人してからは町に出て働きに出ようともしたらしいのだが、父親の反対もありなかなか家から出ることができなかった。しかしそんなある日、父親が病で倒れ働けなったことがきっかけで、昔から憧れだったメイドとしてレイズ城にやってきたのだという。
イローナ曰く、手際も良く物覚えの早かったグレメルはすぐに採用され、いつしかレイ王子のメイドとなった。レイ王子もその働きぶりは認めていた。そんな彼女が今こうしてベッドの上で横になっている姿はとてもかわいそうに思えた。最初は再びメイドとして働くのは難しいと考えていたけれど、やはりもう一度彼女がメイドとして働けるようになってもらいたい。
ちなみに、グレメルの父親はもう回復しており、再び商人として働き出しているという。
「ねえ、グレメル。あたしからも少し聞いても良い?」
イローナの言葉に、グレメルは小さく頷いた。
グレメルは、先輩の言葉に首を横に振るう後輩とは思えない。あれだけショックな出来事を目の当たりにしながらも、こうしてハッキリと受け答えでき、当時の嫌な記憶を呼び起こすことまでしてくれた。普段から真面目で誠実にメイドとして働いていたことが、その様子を見ただけでも感じられる。だからこそ、俺は違和感など何も覚えなかった。イローナの次に言った言葉を聞くまでは――。
「事件のあった日。――ううん、正確に言えば、レン様が襲われる前の日。その日ってあなたが担当する日じゃなかったはずなんだけど、どうしてあなたは最後にレン様と会っていたの?」
「え」
明らかに動揺した様子を見せるグレメル。返答に困っているようだ。
メイド達が交代制でレイ王子の身の回りの世話をしているのは聞いていた。しかし、それがいつ誰がどの担当をになっているのかは把握していない。当然だが、イローナは最初から把握していた。恐らく事件当日の朝はグレメルだったのだろう。そこに違和感があれば、イローナの疑問も変わってくる。だからこそ「前日最後に会っていた」という俺の無意識の言葉にグレメルが否定をしなかったことに、イローナは疑問を抱いたのだ。
「ごめんなさい。本当はお伝えしなければいけなかったんですけど、すっかり忘れてて。……実はあの日の担当は、ウィスドンさんでした。昼間は通常通り働いていたんですけど、昼過ぎに私が庭の掃除をしていると、夜中の世話役を交代して欲しいと頼まれたのです」
「それはメイド長には報告したの?」
「ウィスドンさんがしたって言ってたので、私自身はしませんでした」
ウィスドンというのは、イローナたちと同じレン王子を担当するメイドの一人。イローナよりも長く城で働いている少し年配のメイドらしい。俺は初めてその名前を聞いた。
「本当?」
イローナの中には、何か納得できない部分があるのだろう。グレメルの言葉をすぐに信じようとはしなかった。
「本当です。ウィスドンさんに聞いてみてください」
俺にはグレメルが嘘をついているようには見えなかった。ただ本当のことを言っているという証拠はない。グレメルが言うように、ウィスドンに直接聞くしか確かめる方法はなかった。
すると、今までおとなしく俺たちの会話を聞いていたホワイスが動いた。おもむろにグレメルに近づくと小さな手で、グレメルの右手を抱えるようにして握った。
まさか、とは思ったが、次にホワイスが言い放った言葉は俺の予感通りだった。
「嘘はついてないよ」
「ホワイス、わかるの?」
「うん」
根拠はない。しかし、信頼しているホワイスの言葉にイローナは驚きつつも受け入れざるを得ない心境だったはず。だからこそ、イローナはホワイスに「ありがとう」と小さく言葉をかけたのだ。
「あの、この子は?」
グレメルの同然の疑問に、俺は口実を瞬時に考えた。
「ああ、えっと、この子は母親との決まり事をする時、よく手を握って胸に当てるおまじないをしてたんです。ほら、あの“指切りげんまん”のような。それで今もグレメルさんが嘘ついてないって思ったんじゃないですかね」
子どもの真似事。苦しい言い訳のようになってしまったが、グレメルは納得してくれた様子だった。
ただ、ホワイスは少し不満そうだ。俺の方を振り向き、ほほを膨らませる。この場を余計ややこしくしたくないという思いの他にも、ホワイスが魔女であることをあまり多くの人に知られるのは、ホワイスにとっても良くないことであるのだ。俺の気持ちもわかってもらいたい。
「……そうだったんですね。――私のほうこそ、信じてくれてありがとうね。えっと……ホワイスちゃん」
グレメルの言葉には、とても満足そうなホワイス。なんだか少しだけ苦虫を潰したような思いだ。
すると突然、明後日の方向に顔を向けたかと思うとスッと目を大きく開いてホワイスは言った。
「クレイスが呼んでる」
「え、クレイスさんが?」
「うん。どうしよう」
「どうしようって、何でわかるの?」
「わかんないけど、呼んでるの!」
「え……じゃ、一度レイズ城に戻った方が良いかもしれない。なあ、イローナ」
「……そうね。でも、ホワイスを連れて行くのはちょっと……」
「ホワイスも行く!」
イローナの心配も当然だ。しかしクレイスが呼んでいるなら、ホワイスを置いていくわけにもいかない。
しかし、クライスとホワイスの間には何か以心伝心できるような特別な力があるのだろうか。魔法が使えるという意外にも人外能力を秘めている魔女。信じられないことばかりだが、ホワイスが嘘をついているとは思えない。だからこそ余計、不安と迷いが渦巻くのだ。
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