【9】信頼の深さ。
「起きたよ!」
目が合った瞬間、そう叫んだのはホワイスだった。
まだ後頭部に痛みが残る。いつの間にか頭には包帯が噛まれていた。どうやら誰が治療してくれたようだ。ゆっくりと身体起こすと、椅子に座っていたイローナと目が合った。
「大丈夫?」
珍しい言葉をかけられ、何と答えて良いのか言葉に詰まる。
するとホワイスがコップに入った水を持ってきてくれた。喉が渇いていた訳ではないが、俺はそれを無意識のうちに受け取り口に含んだ。 喉を通りお腹の辺りまで冷たい水が流れ、その冷たさが不思議と全身に行き渡るような不思議な感覚だった。
状況の整理をしなくてはいけないのに、なんだか何も考えたくない。そんな気分だった。
「黙ってないで、何か言ったらどうなの?」
怪我人に対しての言葉だろうか。やはりイローナはイローナだった。
「……まだ、頭がボーッとするんだ」
「それじゃ、その頭がシャキッとするように――ホワイス、水を飲ませるんじゃなくて、あいつの顔にかけてあげて」
「うん!」
「ちょ、ちょっと待て! わかったわかった。それで――」
俺は「それで、クレイスさんはどこに?」という言葉を言いかけて止めた。
俺が倒れる直前の記憶では、エルケット軍隊長が突然現れ、クレイスを城へと連行しようとしていた。それを止めに入った俺は頭部を殴打され意識を失ったのだ。辺りを見回してもクレイスの姿はない。やはりクレイスは、城へと連れて行かれてしまったのだろう。
その後どれほどの時間が経っているのかはわからない。しかし、クレイスが連れて行かれてしまうのを、ホワイスやイローナがただ黙って見ているはずがなかった。だからこそ、今のこの状況が不思議で仕様がなかった。二人の表情に悲壮感が感じられない。落ち着きすぎている。俺に冗談でさえ口にできるのだ。
「イローナ」
「なに?」
「今の俺でもわかるように、状況を説明してくれないか?」
「本当に大丈夫? 今のあんたに話しても、すぐには飲み込めないと思うけど」
「大丈夫だよ。もう頭も働いている」
最初俺は、イローナがクレイスたち魔女を、レン王子の犯人に仕立て上げるのではないかと疑った。しかし実際はクレイスたち魔女が、魔法を人間に対して使えないという証明をするために訪れたのだった。
そしてその証明が難しく、いったいどうしたら良いのか。それを考えている最中にエルケット軍隊長が現れ、クレイスを連行しようとした。その後のことをイローナは説明してくれた。
俺がエルケット軍隊長に頭部を殴打され気絶した後、なぜかエルケット軍隊長が一番驚いていたらしい。その一瞬の隙を突いてイローナがクレイスたちを逃がそうとすると、エルケット軍隊長が背後にいた兵士たちに聞こえないように小声でこう言った。
――すまない。ビリーフの手当をしてやってくれ。それとクレイスさん。悪いようにはしない。少し力を貸して欲しいだけなんだ。
それからエルケット軍隊長は、部下たちを一度家の外に待たせたのだという。
「エルケットさんはね、あたしたちの行動をずっと監視してたらしいの。まあ正確に言えばビリーフのことをね。でもそれは、ビリーフのことを信頼していないからじゃない。エルケットさんにも考えがあってね。どうしても、クレイスさんにお願いしたいことがあったらしいの。あの人の立場上、自由に行動できないし、ここまで来るのにも理由が必要だった。だからこそ、ビリーフに今回の一件を任せたらしいの。
ただ、あんたは時々熱くなりすぎるところがある。それはあたしも重々承知しているから納得しちゃったんだけど、心配だったんだろうね。ここに来た時、ああやって威勢良く現れたのも、一緒に来ていた同じ兵の人たちを誤魔化すためだったみたい。あんたもあたしもあの演技には騙されちゃったけど。まあ、結果的には強い味方になってくれるから安心して」
「それじゃ、イローナも今回のことは一枚噛んでたってわけじゃないのか」
「あたしは、単にクレイスさんたちと話して、今回の一件をどうにかして外部犯の犯行にできないか考えたの。他の国の者の手によってということなら、一番最悪な内紛を防ぐことができるし、なによりも国の人々を疑わなくて済むから」
「でも、それじゃ国同士で争いが起こってしまうじゃないか」
「そうよ。でもそれは仕方がないことじゃない。だって国の中で争いが起こるよりは、ずっとマシでしょ!」
イローナの言っていることは間違っている。しかし、ではどうしたら良いのか。その答えを持ち合わせていない以上、イローナの言葉に強く反論することができなかった。
「それにエルケットさんには、犯人の目星がついているそうよ。だからこそ、必死なのかもしれない。あの人もすごい人よ。……国を、敵に回すようなことをしようとしてるんだから」
「軍隊長には、犯人がわかっているのか!?」
「ええ、そう言ってたわ。でも詳しくは話してくれなかった。当然ね。あたしはただのメイドですもの」
皮肉交じりでそう言ったイローナの表情にも、少しばかり悔しさが滲んでいるようにも見えた。それは俺も同じだった。ヴァチャー王から直接命じられ、今回の一件の任を得た。俺はこれほどの責任のある命に恥じぬように、命をかけてでも犯人を捕まえることを胸に誓ったのだ。しかし、思うようにはいかない。現実を見れば、自分はまだ何もしていない。エルケット軍隊長の手助けをしたのかもしれないが、それは単に上手く使われていただけ。それも下につく者の本望といってしまえばそれまでだ。
イローナは信頼していないわけではないと言ってくれたが、直接本人から聞いたわけではない。それに、信頼してくれているのなら、エルケット軍隊長が自ら行動に出ている時点で矛盾が生じる。悔しいが、まだまだということを認めなければいけなかった。
イローナも俺と似て自我が人一倍強い方だ。自分がなんとかしてみせる。その気持ちだけは互いに競い合っても良い勝負になるだろう。ただ今は最も信頼できる相棒でもある。互いに話し合い、協力することで、新たな道を見つけ出すことができるのではないだろうか。
「なあ、これからどうするんだ?」
手段の尽きた俺は、情けない話だがイローナに頼るしかなかった。
「ビリーフはどうしたいの?」
自分はどうしたいのか。このままで良いはずがない。命じられた任を解かれたわけじゃないのだ。まだ
「諦めるつもりはない」
「そう言うと思った」
「だから、手を貸してくれ、イローナ」
「始めからそのつもりよ」
「だったら、俺はこれからどうしたら良い?」
「ねえ、お腹空いた」
唐突に俺たちの会話に入ってきたのはホワイスだった。すっかりその存在を忘れていた。
「ごめんね。とりあえず何か作るから、ちょっと待ってて」
イローナはホワイスの頭を軽く撫で、すぐにキッチンへと向かった。
どんな事情があれ、クレイスが城へと連れて行かれてしまっているこの状況。それにもかかわらず、ホワイスがこうも落ち着いていられるのは、イローナの存在が大きいからだろう。本来なら泣いてしまってもおかしくない。二人の信頼関係は、俺以上に積み重なっているのかもしれない。信頼は時間じゃない。互いの心にある愛情の深さなのだろう。
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