【8】必死になって。
いつの日だったか。
その日はいつもと違って、月がとても大きく見えていたのを覚えている。
友人たちと夜遅くまで遊び疲れ、帰宅している時のことだった。人気の少なくなった城下町を歩いていると、空き地の暗がりからガシャンという何かが地面に落ちる物音が聞こえた。音のした方に視線を向けるが、暗くてよく見えない。恐る恐る近づくと、空き地の角にあるゴミ溜めの奥に三人組の少年の背中が見えた。当時の俺と同じぐらいの背丈。知り合いではない。そしてその三人組の奥に少し背の低い女の子が立っていた。
それがイローナだった。
どうやらイローナが三人の少年に脅されていた。それにもかかわらず、当時から物怖じのしないイローナは、後ずさりをするどころか相手に向かって襲いかかろうとしているようにも見えた。いくら何でも少年三人に対して力では及ばない。それでもイローナの強気な姿勢は変わらなかった。
――あたしに手を出したら、どうなるかわかっているんでしょうね。
――うるせぇよ。
――お前のはったりは、もう聞き飽きたんだよ。
――どうなるってんだ?
――呪われるわ。あんたたち。
――呪われる? 何言ってんだこいつ?
――もしかして魔女のこと言ってんじゃね
――ハッ、アホかよ。魔女はずっと昔に王様が国外追放したって父ちゃんが言ってたぞ。だから本当に呪いがあるんなら、とっくにかかっているだろうよ。
当時からも魔女の存在は曖昧で、人によってはもうこの国にはおらず国外追放にあったとか、あるいはもう存在していない絶滅してしまったと語る者も多かった。あの掟があったからこそ、話の話題として耳にする機会も少なかったのだが、なぜかイローナは、当時から魔女の存在を口にしていたのだ。
――あたし、会ったことあるもん。
そう、確かに当時イローナはそう言った。すっかり記憶から抜け落ちていたが、あの時強い言葉で魔女と会ったことがあると言ったのだ。ただ、誰もがその言葉を信じようとはせず、俺自身も強気なはったりと捉えていた。
その後のことは、今でもはっきりと覚えている。ひとりの少年が右手を大きく挙げたのを見て、俺はとっさに地面に落ちていた石ころを少年の後頭部目がけて投げた。石ころは逸れたものの少年の背中に当たり、少年は声を上げた。
――いてッ!
――逃げろ! イローナ!
俺は確かにそう叫んだ。しかしイローナは逃げ出すどころか、ひるんだ3人の少年たち目がけ次々にのしかかり揉み合いになった。運動や剣術には自信はあったが、喧嘩は得意ではない。素手で殴り合うなんて、そもそも滅多に経験することもないだろう。それでも一人の女の子が三人組の少年に立ち向かっているのを見て見ぬふりはできず、俺もすぐに加勢してなんとかその場を乗り越えたのだった。
少年たちが去った後、お互いに傷だらけの顔を見てなぜかお腹を抱えて笑った。どれくらいの時間笑っていただろうか。ボロボロになった服。泥だらけの手。赤く晴れた瞼。そんな俺の姿を見て、最初にイローナが笑ったのだ。それにつられて俺も思わず吹き出す。時折俺の膝の傷口を悪戯に触ってくるイローナ。俺は冗談交じりに怒るのだが、それでもなぜか笑いがこみ上げてくる。とても不思議な時間だった。
無我夢中で何かに必死になる。そう言った経験は、正直あの日以来もう経験していない。あの時の俺は、イローナを助けたかったのか。いや、あれは助けるというよりも、一緒に戦っていたと表現したほうが正しい。だから、今でもよくわからない。なぜイローナが笑ったのか。単純にボロボロになった俺の様子がおかしかったのか。それとも……。
とはいえそのせいでイローナがあの時、魔女のことを口にしたことすっかりを忘れてしまっていた。
あの時のように何かに向かって必死になること。無我夢中だった幼少期の思い出がこうして蘇ったのも、今の俺が必死になっていたからなのだろう。
国に仕える一等兵としてあるまじきこと。今までの俺にあったのは、平和ボケという言葉だ。
懐かしい思い出から目を覚ました時、俺の視界に写ったのは丸くて大きなふたつの瞳だった。
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