夏の日、きみを追いかけた(後篇)
先行する車をぶつかりそうなほどすれすれで追い越すたびに、緊張で息が詰まる。アクション映画のチェイスシーンみたいだ。
スマホで駆くんに「札幌駅で待ってて」とメッセージを送る。既読のチェックはなかなかつかない。空港に着くまでスマホを見ない可能性はある。
「お嬢ちゃん」と、運転手さんが話しかけてくる。「チトセライナーに彼氏でも乗ってんのかい」
私は正直に「彼氏じゃないけど、男友だちです」と答える。「どうしても、飛行機に乗る前にもう一度会いたくて」
「いいねえ。青春だわ」と笑いながら、運転手さんは危険な運転を見事にこなしている。
「だけど俺、警察につかまるかもしれないリスクを負って走ってあげてるわけ。ただ決まった運賃だけもらっても割りに合わないんだよね」
「えっ……」
別の緊張が私をとらえる。払えるお金なら全部払ったっていいんだけど、私の貯金で運転手さんは満足するだろうか。それとも――最悪の想像に、ますます身が固まる。
「ごめんごめん。女の子にこんな言い方じゃおっかねえよな。こう見えても俺はソーサラーだから、パラディンのお嬢ちゃんと聖戦ができればいいんだ。わかるでしょ」
「はあ……」
よくわからない単語が混ざっていたけど、私はあいまいに返事をする。
「おっ、承諾したな! よし、ジハド・ディメンション!」
運転手さんは歓喜の声を上げて、車のシフトレバーをガチャガチャと動かす。
車が消えた。周りの景色も宇宙みたいな無の空間となって、私と運転手さんはその中に浮かんで向き合っていた。
運転手さんはいつの間にか、黒いフード付きのポンチョを着て、両腕に手甲を嵌め、魔術師みたいな格好になっていた。
「そちらの
「と、とうれいって何ですか」
「とぼけるなよ。お嬢ちゃんの
じんき――あっ、いつの間にか握っているこれ! 異世界で手に入れた聖剣ハイエイタス!
運転手さんは水晶球のようなものを取り出して、頭上に掲げた。
「ソーサラー
運転手さん改めクナイフ・レンの呼びかけに応じて、聖石がまばゆく輝き――光が退いた後に、妖精じみた美貌の金髪の少年が現れていた。凛々しい顔つきで、膨大な魔力を発散している。
「さあ、早くそっちの闘霊を出せ」
レンに急かされて、私はもごもごと呪文みたいなやつを真似した。
「えーと――聖剣ハイエイタスに命ずる! 来たれ、なんかこう、強いやつ!」
こんな呼びかけでも召喚とやらはちゃんと作動し、仮面をかぶった幽霊みたいな魔物が三体、現れたけど――
「それじゃあ話にならねえな! 行け、我が闘霊!」
美貌の少年が腕を一振りすると、幽霊たちは次々と松明みたいに燃えあがっていく。
すかさず次の「なんかこう、強いやつ」を呼び出したんだけど、動く巨石像も、影絵みたいな戦士も、みんな少年の敵ではなかった。片っ端から消滅させられる。
「本気を出せ、小娘! そちらが承諾した聖戦だぞ! やる気がねえならやめちまえ!」
「すぐにでもやめたいんだけど!」
レンの勝手な言い草に、むかむかしてきた。私には時間がないのだ。こんなことにかかずらっていられない。早く駆くんに会わなければ。
私は怒りにまかせて聖剣を振り上げた。さっきの聖石モノアイズよりも激しく、ハイエイタスの刃が光を放って、虚無空間を真っ白に染め上げていく。
「この魔力は――バカな!」と、レンがなんかわかんないけど動揺しているので、今度はきっとめちゃくちゃ強い闘霊が出てくるのだろう。わくわく。
光の中から現れたのは――真っ赤な髪をした小柄な女の子だった。革の鞄をたすき掛けにしている。かわいいけれど、いかにも頼りない。
しかし、敵の闘霊のようすが変わった。穏やかな表情になり、戦意が失われる。
女の子が近づいていって、鞄からサンドイッチを取り出し、少年に与えた。それをもぐもぐと幸せそうに食べる少年の頭を、少女がぽんぽんと撫でる。見ていて微笑みが誘われる、幸せな光景だった。それはいいんですけど。
「まさか、こんな小娘が……〈眠り王子〉を唯一手なずけられる〈
レンの顔は驚愕と絶望に大きく歪んでいた。がっくりと膝をつき、私をとても恐ろしいもののように見る。いやいや、そんなに凄いことなの? ルールも何もかも判然としないまま、私はこの聖戦に勝利したらしかった。
「ソーサラー九内府蓮、お嬢ちゃん――いや、姐さんにお仕えいたします。なんなりとお申し付けください」
「じゃあ早く運転に戻って」
「お任せください、姐さん!」
運転手さんはその後も右へ左へ車線を変更して道路を爆走し、すばらしい速さで札幌駅の北口にタクシーを着ける。お金はいらないというので、私は素直に無賃でタクシーを降り、駅舎に向かって駆けだす。
改札口の電光掲示板は、数分後に快速チトセライナーが停車することを告げている。余裕を残して間に合ったことに安堵し、私は呼吸を整え、歩調をゆるめて、改札機にICカードをタッチする。
その瞬間、行き交う旅客も、駅員も、キオスクの店員も、動画を一時停止したように凍り付いた。止まった時間の中を、向こうからただひとり、二十代半ばくらいの青年が歩み寄ってくる。その顔に、ある面影を見つけるのはたやすかった。
「試練を乗り越えて、来てしまったんだね」
「駆くん」
「よくわかったね。そう、俺は十年後の未来からやってきた、駆だ」
いまの駆くんよりも愛想がよくて世慣れした感じなのは、十年分の時間が彼をきちんとおとなにしたからなのだろう。そのことが嬉しいような、寂しいような、不思議な気分だった。
「俺は、きみが俺に追いつくのを防がなければならない」
「どうして……?」
「これを観て」
駆くんはスマホみたいな手のひらサイズの小箱を取り出して、下に向けた。駅の床に大きなサイズで動画が投影される。
「これは……CG?」
「現実の映像だ」
テレビ塔が半ばからへし折れ、廃墟と化した札幌の街で、銃や刃物で武装したひとびとが、禍々しい姿の生き物と絶望的な戦いを繰り広げている。このSF映画みたいな光景が、たった十年後の世界?
「五年後に〈大転倒〉と呼ばれる災厄が訪れ、世界の在りようが一変する。それが起こることとなった歴史の分岐点はどこなのか、世界中のスパコンを連結させてシミュレートした結果――今日、これから、きみが俺と出会う瞬間なんだ」
「何それ――わかんないよ」
私は平凡な十五歳で、きっとこれからもそうで、そんな重要人物であるはずがないじゃないか。でも、未来の駆くんとおぼしき男のひとは、迫真の表情で続ける。
「きみと俺が出会い、お互いの想いを確かめ合ってしまったら、世界は滅びへと大きく突き進む。逆にいえば、その歴史を改変すれば〈大転倒〉は起こらない。人類が生き残るために、俺たちはこのまま疎遠にならなければならないんだ」
「そのシミュレーションは確実なの? 私たちが出会っても出会わなくても、世界は災厄に包まれるんじゃないの? それなら私は――駆くんと生きていきたい」
「怖いことをいうね。でも――きみのそんなところが、ずっと好きだった」
心臓が跳ねた。それを抑えて、私はいった。
「その言葉は、いまの駆くんから聞きたい」
「――ここにいる俺は、時間遡行法による制限がかけられている。触れてごらん」
私は青年の駆くんに手を伸ばす。ホログラムみたいに、駆くんの身体は私の手を飲み込んで突き抜けさせた。
「この時代の事象への物理的な干渉は禁じられている。こうやって呼びかけることしかできないんだ。時間を停止させられるのもあとわずかで――だから、ちゃんと考えてほしい」
駆くんが、ぼやけてきた。ダウンロードが中途半端で終わった画像みたいに、駆くんの輪郭がギザギザになっていく。
「この世界の未来は、きみの選択にかかっている」
その言葉を残して、駆くんは消えた。
時間も動き出して、札幌駅にいつもの喧騒が戻ってくる。
もうじき駆くんの乗っている列車が到着する。ホームに上がれば、きっと会える。そのことが世界を大きく変えるかもしれない。そうじゃないかもしれない。何が本当で、何が嘘なのか、決めるのは私だ。
私は目を閉じて、どうするか考える。
それから目を開けて、一歩踏み出す。
「――十年前の、その思い出の本がこれなんだよね」
私はテーブルに置いた古本を、いとおしい気持ちでさらりと撫でた。
「この作家に憧れて、私は小説を志したんだ。なかなかこういうふうには書けないけどね」
「あの、
「そうだよ」
「最終的に沙織さんがどうしたのかを聞かせてください。駆くんに会ったのですか」
「そこはご想像にお任せします」
私はワイングラスをぐいっと傾けた。たっぷりとしゃべって喉がカラカラだ。
今日は八月七日。行きつけのワインバーで、私はちょうど十年前の思い出話を、友だちの章子に聞かせていたのだった。
「お話に出てきた〈大転倒〉など、もちろん起こっていません。では、沙織さんは駆くんと会わないことを選び、世界の平和を守ったのですね。素晴らしい判断だと思います」
章子の尊敬のまなざしを、私は死んだ目で受けとめる。
「あのさ、アコちゃん」
「はい」
「今の話、ぜんぶ信じたの?」
「えっ」
「えっ」
私たちはしばし無言で見つめ合った。
「……嘘なのですか。わたしに嘘をついたのですか」
眼鏡の奥の章子の目が険しくなる。私は「いやいや、嘘か本当かは別にしてさ、こんなこと、信じられる?」と言葉を継いだ。
「確かに、トラックに撥ねられたところまでは事実で、あとは昏睡状態の沙織さんが見た幻覚という可能性は考えました」
「だよねえ。私もそう思う。記憶の混濁じゃないかって」
「そうなのですか」
「ご想像にお任せします」
章子は「もう、知りません」と唇をとがらせ、自分のワイングラスを持ち上げる。腹立ちまぎれにごくごくと飲み干してから、
「そのお話を小説に書けばいいじゃありませんか」
「アコちゃん、小説はあったことをそのまま書けばいいってもんじゃないの。考えて、自分のなかで濾過したものを出さなきゃいけないんだと、私は思ってる」
「では、やはり、すべて実際に起こったことなのですね」
どうなんだろう。本当は、私にもわからない。
でも、こうやって十年後も鮮明に覚えていて、友だちに詳細に話して聞かせられるようなことは、記憶の濃さという意味で、この
夏の日、きみを追いかけた。それだけは絶対に本当なんだけど。
そういう残像みたいな想い出、誰にでもひとつくらいありませんか?
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