Ep 01.3

オールン首長国南アリスチーナ州

エリス・エッダ飛行場


「痛っ!」


 無理やり銃で脅されどこかの飛行場に連行されたチヒロ。彼は手にしていた鞄を奪われ、これまで経験したことの無い荒い扱いを受けながら、飛行場にある建物の地下室に放り込まれた。そしてバランスを崩して倒れる。


「おいくそっ! ここから出せ!!」


 チヒロが起き上がり地下室のドアに駆け寄った時には、すでに地下室のカギは外から締められてしまっていた。チヒロはドアを強く殴る。だがビクともしない。ただガンガンと金属音が狭く、うす暗い物さのある地下室に響き、手が痛むだけだった。


「ああ、くそ……」


 チヒロは地下室の壁に寄りかかりながら座り、深い溜息をついた。


「はぁ……まったく災難だ……最悪だ」


 チヒロは考える。電車に轢かれたかと思えば、生きていた。エルフとか魔法とかがあるかと思い、期待を高ぶらせて目を開ければビルばかり。理解が追いつく前に、いきなり銃を突きつけられる。必死に弁明するも何一つ聞き入れられず、目隠しをされて地下室に放り込まれた。いいことなんて何も無い。最悪が立て続けに圧縮されて襲ってきたような感じである。全くなんて日だ。最低にも程がある。


「これが……異世界なのかなぁ……」


 うす暗い天井を呆然と眺めながら、何度目かの深いため息と共にチヒロが言う。ここまでチヒロの思う「異世界」という単語に近しい、もしくはそれに当たるものはここまで殆ど無い。言語は英語で、建物の雰囲気も近代的、というよりは現代そのもののコンクリート製ビル。そして軍人の服装と銃。それらの存在が、ここはチヒロの考える異世界ではないことを物語る。銃それ自体が異世界どうこうを決めるものではないが、銃は近代技術の集大成、合理性の塊である。それを考えれば、この世界は少なくとも、魔法や特殊能力が一般的ではないことを、ある程度教えてくれる事実だ。実際、異世界の基本、特殊能力は俺には無さそうなのは何と無く気がついてしまった。もしあるなら銃が突きつけられたときに発動するのが異世界物定番中の定番だからだ。


「あ~あ……どうしよう……」


 チヒロは嘆く。彼の置かれた状況は好転する兆しは今のところ見えない。そして淡い期待を抱くことが出来ぬほどにチヒロは追い詰められていた。


「どうすればいい……」


 俺に何が出来る。チヒロは自分に問う。今この状況下で北原チヒロという男は何ができる。


「……何もできないな」


 やはり考えるまでもなかった。


「はぁ……」


 状況は絶望的であった。チヒロの置かれている状況は、端的に纏めるなら孤立無援である。味方はいないし、状況を好転させるような要素もない。そもそも今自分が置かれている状況に対して分かっていることが少なすぎた。分からないことが分かった。そういうふざけた言葉があるが、そのことを自身が本当に実感させられるとは思わなかった。


「俺……どうなるんだろう」


 狭く、うす暗く気味の悪い部屋に、チヒロの声だけが反響して消え入る。


「俺はなんでこんなことになっちまったんだ……」


 うなだれて頭を抱える。


「俺が何かしたっていうのかよ……」


 悲痛なそして切実な訴えだった。だが誰も聞いてはいない。ここはチヒロにとって孤独すぎる世界だった。


 チヒロが今置かれた状況のなにもかもに絶望していたその時だった。爆発の音。続く振動。


「なんだ……?」


 爆発と重火器の連射される音が連続して地下室に響く。同時に外から見張りの兵士たちの驚きふためく声も、ドア越しに聞こえてくる。そのことからチヒロはこれが彼らにとって異常な事態なのはすぐに理解した。


「何が起こっている……?」


 チヒロは考える。この事態がチヒロにとって有利なものなのかどうかを。だが敵も味方もいないチヒロにとっては、良い事態であるわけがなく、どのみち状況が悪化する方向に進んでいるのは明らかだった。


「俺はもしかして死ぬのか……?」


 爆発や発砲の音がチヒロの頭に戦いのイメージを思い浮かばせて、そのイメージのたどり着くのは死という単語であった。


 死。馴染みのない単語。いつもの生活では、ほぼ体感することがない単語。普段は遠い概念のはずのそれが今日だけは、今だけは異常なまでにチヒロの近くにあった。


 チヒロが頭によぎる単語を理解し、それに恐怖し始めていた矢先、ドアが勢いよく開き兵士が数人入ってくる。そしてチヒロに向けてライフルを突きつけて


「動くな!」


と言い、力づくでチヒロの両手を後ろに回し、手錠をかける。


「何?! 何をするんだ!」


 チヒロが叫びながら手錠をかけられた手を動かして抵抗する。


「抵抗するな!」


 だが兵士はチヒロの抵抗を無視し、制服の襟元を掴んで外に強引に運び出そうとする。そのことに恐怖を覚えたチヒロは


「嫌だ、死にたくない!!」


 と激しく抵抗する。兵士は足を引きずり、上ることを拒むチヒロを無理やり引きずる。この階段を上がれば外である。外は戦場なのは、すでに先ほどから続く発砲音と爆発の振動が克明に伝えている。外に出れば戦場に足を踏み入れてしまう。そんなところに立ち入ってしまえば、普通の人間であるチヒロに生き残れる可能性は極めて低いのは目に見えていた。


「抵抗するな!」


 必死に抵抗するチヒロを兵士が手にしていたライフルの銃床で顔面を殴る。その衝撃で壁にぶつかり、そのまま姿勢を崩して階段を無様にこけ落ちる。


「ったく、手間かけさせやがって……」


 兵士はそう言いながら階段の下にこけ落ちたチヒロに寄ってきて、襟首を掴んで無理やりチヒロを立たせる。チヒロは抵抗しない。彼は、もう絶望的な自身の立場を認識し、自暴自棄になる。もう抵抗したところで無駄だ。そう諦めた。


 抵抗をやめたチヒロは、兵士に連れられるままに階段を上り、外に出る。チヒロの捕らえられていた建物の前には、装甲車が一台停車している。それを見て、チヒロは兵士たちが自分を移送するつもりであることを理解する。だがそれが分かったところで何になる。どうせ何をしたって無駄だ。


「乗れ」


 兵士の一人がチヒロの背中を押し突き飛ばす、装甲車の後部ハッチから乗るよう命令する。チヒロはその命令に抗うことはせず、素直に後部ハッチに右足をかけて車内に入ろうとする。その時、何かを察した。


「……なんだ?」


 違和感。いや違和感ではない。


 空気の流れが大きく変わった。周囲の兵士たちが黙る。間違いない。何かが起こっている。そう感じた時だった。


「うっ! この感じは……?!」


 頭の中に違和感。痛みなどではないが、何かが駆け巡っている感覚。気持ち悪いわけでもない。だが何かが奔り抜け、焼いている。


「何かが…………?」


 細かくは分からない。だが何かが見える。。空から巨人が降ってきて、何かが爆発する。そういうイメージが脳を電流の如く奔り、神経を焼いた事を直感。


「十二時方向、敵アームズ!!」


 車内から叫び声。その声を聞いて我に戻るチヒロ。一二時方向はどっちなのかはわからないが、水平線上には何もいない。だがそれは間違いであった。チヒロが視線を上に向けると人のシルエット。だが人にしては明らかに大きすぎる。大きさで言えばロボットアニメに出て来るものと同じ暗いである。


「巨人……なのか……」


 上空からパラシュートで降下してくる、二つの巨人のシルエット。接近してくるそのシルエットは、見た目の雰囲気からして兵器なのがわかる。

現実味が無く、あまりにあり得ない光景であったが、チヒロはさっき脳を走ったイメージが思い浮かび、驚いてはいない。だが思い浮かんだイメージの続き――何かが爆発するのを思い出す。


「まさか……」


 嫌な予感。それは当たった。

降下してくる巨人は手にしていた銃を構える。そして直後に銃口が光り、発砲音が遅れて続く。直後に装甲車が上下に激しく揺れる。


「うぉっ!?」


 その揺れに対して、両手を縛られていたチヒロはコンクリートの地面に尻餅をついてしまう。だがチヒロは幸運だった。チヒロが尻餅をついた後、装甲車の前方部が爆発し中が炎に包まれたのをチヒロは見た。破片が散り、顔を掠める。


「うぁ……」


 あと一歩、あの中に足を踏み入れていたら、俺はあのロボットが撃った弾丸によって死んでいた。


 チヒロは自分が車外に吹き飛ばされてから認識した。理解が追い付いていない。だが状況は彼を無視して進む。


「ああ、くそ、どうなってるんだよぉ……」


 目の前には先ほど降下してきたロボットが二体とも着地。周囲に散っていた兵士に向けて、メインカメラと思われる頭部から放たれる銃弾で蹂躙していく。


 事態は進む。何が起こっているのか、何のために起こっているのか、そういうことを考えるよりも早く、状況が無情にチヒロを取り残して進んでいた。


 チヒロの目の前で戦うロボットは、周辺にいた兵士を一通り吹き飛ばし、その間にもう一機が後遠くから接近してくる戦車らしき車両に発砲。撃破する。


「でかい……」


 尻餅をついたままチヒロはその人型の兵器を見て、率直すぎる感想を無意識に呟いていた。


 周辺にいた敵を一通り制圧した二機のロボット。その片方がチヒロにメインカメラらしい顔を向ける。


「な、なんだ……?」


 ロボットの目と視線が重なる。威圧感が正面から圧力のように加わる感覚が全身に駆け巡る。


『そこの東洋人。その場で動くな』


 威圧感で動けないチヒロにロボットが話しかけてくる。声は女のものだった。ロボットはチヒロに動くなと言ってから、直立から片膝立ちにシフト。それから全体の関節が少し弛緩し、背中のハッチらしきものが開く。その開いたハッチの中から黒い格好をした女性が出て来る。


「動くな。そのままでいろ」


 女はそう言いながら,器用に機体の装甲のつなぎ目に足をかけて地面に降りる。そしてこちらに視線を向け、歩き寄ってくる。


『手早く済ませてくれよ。すぐに警備兵が出てくる』


 もう一機のロボットが周辺を警戒しながら言う。今度の声は男だった。


「わかってる。一分半で済ます」


 女は視線をこちらか逸らすことなく答える。


「怪我は無いみたいね」


 女はチヒロの目の間に立つ。格好はネイビーブルーで戦闘機のフライトスーツにも似たデザインで、いかにもロボット兵器に乗っていそうな雰囲気である。だが容姿は一般的な軍人とはかけ離れた、均一に美しいスタイルに、テレビで見る美人と同等かそれ以上の顔立ち。先ほどまででの戦闘には似つかない存在にチヒロは戸惑う。


「……あんたら一体何なんだ」


 女がチヒロの後ろに周り、しゃがむ。


「助けに来た。腕を出せ、手錠を外す」


 女は手錠の鎖を軽く持ちながら言う。チヒロは言うとおりに作業しやすいよう手を出した。


「助け……俺を?」


 チヒロは手錠の鍵をピッキングする女に尋ねた。それに対して女は


「そう」


 と簡素で表情の無い声で答えた。


 でき過ぎている。そうどこかのアニメのように。あまりにテンプレートな展開。チヒロはそう思った。だが視覚に映る、散乱した装甲車の残骸、痛覚に残る殴られた頬の痛みなどが、チヒロにこれは現実だと言っている。


「でき過ぎてるんじゃないのか……」


 チヒロが呟く。


「何が?」


「色々だ……何もかも……だ」


「何ができ過ぎなのかは分からないけど、私は命令を実行しているだけよ」


 女がそういったところで手錠の鍵が壊れたような音がして、今まで手首にあった圧迫感が無くなる。手錠が開放されたのだ。

チヒロは自由になった手を前に回し自由なのを再確認する。女はチヒロの後ろから立ち上がりチヒロの前に回り


「あなた、死にたくは無いでしょう?」


 と、チヒロを見おろしながら言った。それに対して


「まぁ……それはそうだが……」


 と少し言い篭ったが、意思は示す。悩みとか否定ではない戸惑い。だが女は


「だったら私たちと来なさい」


 その不明瞭ながらも意思は汲み取れるチヒロの言葉を拾い、座り込んだままのチヒロに手を差し出す。チヒロはおずおずとした手で握り返した。

地割れで違われた生死を分ける境界線。その僅かな狭間で生き残る。狭間は簡単に埋められるほど狭く、そして細い。その程度でしかないが、そこにチヒロは掴み取った。放っておけば吹き荒む激動の風雨に、滅されてしまうはずだった命。だがそれは狭間で繋がれた。


 繋がれたのは命。運という命。それを確かにチヒロは、自身で選び繋ぎとめた。

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