Ep.01.2
オールン連邦共和国 オールン首長国
南北アリスチーナ国境線上空
四機の戦闘機に護衛されて飛行する一機の大型輸送機。輸送機は敵の対空レーダーに捉えられぬよう高高度を飛行していた。飛行コースは国境を越えるか超えないかの、境のぎりぎりである。輸送機の胴体には二機の巨人――アーマード・アームズが出撃を控えていた。そのアームズの中には巨人を駆るパイロットが胸中に収まっている。
二機のアームズのうちの一機――左肩02、右肩にはCbというマーキング、胸部の装甲左側面には《Lt. Sion F Mylene》と表記されている機体がある。その機体のパイロットは出撃の時を、静かに待っていた。
パイロットの名はシオン・フォン・ミレーヌ。細く少し吊り上がった目元に、深く落ち着いた茶色の瞳。後ろで結わいた黒髪は肩下まで届いている。その茶の瞳と黒髪は色白の肌に美しく映えており、清廉さを見せる。時おり機体を煽る風に揺れる機内の振動と、トランスなどのブーンという音だけが響くアームズのコックピットには、彼女一人しかいない。コックピットは狭いなどという言葉では生ぬるいほどに窮屈で、パイロットが不快に思わないよう適温に調整されていてなお、息の詰まる空間。だが同時に彼女の城である。城と言うにはあまりに殺風景で、無機が支配する孤独な空間。だがそれでも彼女にとって一人になれる数少ない世界だった。
「サックス1よりオールサックス。間もなく
頭に被ったヘッドギア内臓のスピーカーから、聞きなれた冗談交じりの声。それは同僚であり部隊の隊長――クロムウェル・C・アルセイク―の指示だった。
「サックス2、異常はない。いつでも行ける」
シオンはクロムウェルに返答する。
『よし、ブートアップスタート』
「了解」
クロムウェルの指示でシオンは機体の電源を、右サイドスティック側のキーを回して投入。唸るような低音が大きくなり始め、同時にシオンの目前のディスプレイが点灯。文字列が表示され、システムが起動し始めたことを告げている。その文字列の背景は真っ黒のままだ。これは輸送機のカーゴ内が真っ暗であるからである。表示されている内容は簡単に要約するなら、機体の両手足が正常にコンピュータに接続されたなどの、そういう類のチェックリストである。
「バッテリー通電確認、電流電圧クリア。
表示されていく内容を読み上げつつ確認。問題はない。機体が正常に起動したことを、シオンは文字列を瞬間的に確認して把握している。これくらいは慣れである。新兵ならまだしも、三年近く乗っていれば内容などエラーの物も含めて覚えてしまう。日常に嫌でも組み込まれてしまう。そう、慣れだ。
「音声指示命令。JMRモードアクティブ2、MCはM2に設定」
特に意識することなく起動を続ける。そうか、私は慣れてしまっている。
シオンは起動手順を行う中で、一瞬暗くなったメインモニターに映った自分の姿を見て考えた。そういうことを作業中に考える余裕がある。そのことを理解した私は私に
嫌悪感を覚える。
サイドスティックを握る手が強張る。
『オールサックス、こちらサックス1。機体ステータスを報告せよ』
クロムウェルの命令。それで私は自分のループする思考から我に返る。
「サックス2、ステータスオールグリーン。コンプリートスタートアップ」
『了解。二分後には降下開始する。作戦行動を再確認。
「基地で確認したこととは差はないわね。問題なし」
『よし。それとタイムスケジュールには組み込んでいないが、例の回収物もある。行動は時間を詰めて行くぞ』
例の回収物。そう我々にだけ与えられた極秘の命令。何なのかは知らないが、地上に潜伏している
「そちらも了解している」
『わかった。では各機、
クロムウェルの指示でシオンはコックピットの左スティック側にあるタッチコンソールを操作。キャンバスと呼ばれる、迷彩システムの表示カムフラージュを命令通りに変更する。シオンが迷彩を決定すると機体の表面に記されていた注意文やパイロット名などが消え、代わりに装甲が多少の白味を含んだ澄んだ青色に変化する。
このシステムはキャンバスと呼ばれる迷彩システムである。正式なシステムの名称は
機体の表面のキャンバスが完全に青い色に切り替わる。これで降下中は地上からこの機体は空の青と同化しやすくなり、機体の輪郭を肉眼では認識し難くなる。
『降下二分前。後部ハッチ開放』
輸送機の機長が無線で言う。それと同時にメインモニターが黒いままだったのが、少しずつ明るくなり始める。
外の光だ。もうすぐだ。
シオンはサイドスティックを握りなおす。嫌であろうと何だろうと仕事である。仕事である以上、命令は全うしなくてはならない。そういうけじめはつける。それくらいでしか自分を納得させられない。もしそれさえ放棄したら嫌悪感に潰されてしまう。そのけじめさえなくしたら何が残る。
『キャリヤリーダーよりサックスチーム、機体ステータスを報告せよ』
輸送機の編隊長がクロムウェルに聞く。
『サックスチーム、オールクリア。ステータスエラーは確認されず。いつでも降下可能だ』
クロムウェルが答える。
『キャリヤリーダー了解。当輸送機編隊は現在、連邦国側の国境線付近を降下高度まで下降しつつ飛行中。高度はまもなく一〇〇〇〇メーターに達する。降下開始に備え待機せよ』
『サックスリーダー了解』
クロムウェルと機長の交信が降下までもうすぐであることを告げている。タイムスケジュールを示すカウンターもあと数百秒で降下することを示している。シオンはそれらを一通り再確認して、エラーがないことを再度点検。そうしてから静かに目を閉じる。
精神統一というわけでもないが、もうここまでチェックして問題がなければやることはない。待つだけだ。
目を閉じるとシオンの視界は暗く閉ざされた空間になる。何も考えない。無心を保つ。そう言い聞かせる。だがそのように思考しても余計な邪念が浮かんできてしまう。邪念には昨日仲間と交わした、しょうもない会話から、今日帰還した後のことなどの日常的なものが多い。だがその中で時折浮かぶのは私の祖国のことだ。そして私が今していること。そういうことがほかの邪念を押しのけて、私の脳内を占拠する。
私の祖国は――フェンデルはどうなったのだろうか。最近のニュースでは情勢は聞かない。家族は、国に残った兄さんはどうなったのだろうか。フェンデルの旧政権と新政権の内戦は終結したのか。だとしたらどっちが勝ったのか。そういうシオンを不安に書き立てる思考がどんどん膨らんでいく。
『降下六〇秒前。スタンドアップ』
機長が降下待機を指示。その声で我に戻る。そうだ、そんなことを考えている場合じゃない。
『降下三〇秒前。カウント開始』
どうでもいいことではない。だが今は私が命を懸けている時だ。人の心配はできない。
『降下二〇秒前』
心配することも、不安になることも生き残らなければできない。すべては作戦が終わってから。
『降下一〇秒前』
目の前のことに集中しろ。そうだ集中だ。
『九、八、七、六、五……』
大丈夫だ。生きて帰れる。大丈夫だ。
『四、三、二……』
今までも帰って来れた。いつも通りだ。
『一』
日常の一部だ。意識するな。
『〇』
さあ今日も仕事だ。
「サックス2、シオン・ミレーヌ降下する!」
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