Ep 00

Ep 00.1 "I Have a Dream,"

「終わる幻想」




日本国神奈川県横浜市 神奈川区某所  



 朝。目覚まし時計が騒がしく鳴動し、わずかに開いた雨戸の隙間から差し込む光が朝であることを教えてくれる。


「ふぁぁ……」


 チヒロは大あくびをしながら、眠い目を擦り上半身をベッドから起こす。いつも通りの一日の始まり方である。


 今日は何日……ああ今日は月曜だ。かったるく忌々しい一週間が始まる曜日だ。月曜だからと言ってなにが変わるというわけでもない。先週とほぼ変わらぬ一連の生活がループするだけだ。


 目覚まし時計を止めて、上体を起こしたまま少しだけボーっとする。まだ覚醒しきっていない頭を徐々に動かして思考を始める


「……起きるか」


 チヒロは面倒くささと学校が始まるなどの、マイナスな思考をどうにか脇に寄せ、体をどうにか動くように説得。もちろん体は眠いなどと拒否をして、再び枕に顔をダイブさせようとする。だがそうしたら間違いなく二度寝をしてしまい、遅刻確定となる。チヒロの成績とこれまでの態度を振り返れば、遅刻したとしても問題になることはない。いいとこ珍しいなとか、気をつけろよくらいに言われて終わるだろう。だが回避できる遅刻を回避しないのも、それはそれでバカな話である。


 数秒の思考の後、チヒロは仕方なくベッドから外界に一歩踏み出した。大きく伸びをしながら雨戸開ける。空いた窓から朝陽が差し込む。その朝日は。チヒロの暗みに慣れた網膜を焼く。


 チヒロは窓を換気のため開けたまま自室を後に、廊下に出て階段を下る。既に下の階――リビングからは人の気配と共に若干の異臭が漂いこんでくる。


「おはよう。また焦がしてる」


 チヒロは気配の主――姉であるミカに挨拶をしつつ、臭いの元凶について問いただす。


「ゴメンね~また焦がしちゃった」


 ミカも挨拶を返し、同時に釈明。既にリビングには朝食の匂いが充満している。しかしその匂いは、いつも通りあまりいいものでは無い。


「まったく何時までたっても、料理はダメなんだから」


 チヒロはいつも通りの決まり文句で、半分呆れながらミカに向かって言った。

父親が海上自衛官で、自宅を長期で留守にするのが基本の北原家では、家事はチヒロとミカで分担している。チヒロは簡単なものなら問題なく作れるが、その簡単なものというのは目玉焼きくらいでしかない。それに対してミカは焦がしたり味付けを多少


 間違えたりと、持ち前の性格をたいてい発揮するが、レパートリー自体は多い。なので二人は交代で食事を作っている。


「ゴメンね~」


 ミカはいつも通りの間延びした口調で答えた。


「まあ、食えるもんならいいけどさ……」


「たぶん食べられはするからそこは安心して~」

 

 会話をしつつ朝食の並んだテーブルの椅子に座り、食事を始める。口内に朝食が含まれた瞬間に相も変わらずの、不味いがギリギリ食べられる具合の苦みが広がる。こういう微妙なラインをよくもまあ何時も出せるものだ。などと考えつつチヒロは食事を続ける。その最中にリモコンを手にして、テレビの電源を入れる。電源がつくと、男性のニュースキャスターが映る。


『続いてのニュースです。昨日、ハリー米太平洋司令官と安倍総理大臣が、一八年ぶりとなる日米ガイドラインの更新に伴う新たな内容の策定のために会談しました』

 

 ニュースキャスターがいつも通り淡々と抑揚なく文面を読み上げている。内容もいつも通り、平和なのか物騒なのかわからない、そういう事を垂れ流している。


「チヒロ~今日の学校は?」

 

 チヒロが特に強く意識しているわけでもなく、日常としてニュースを眺めていると、キッチンからミカがチヒロに尋ねた。


「部活がないから遅くはならないよ」


「わかったわ~。私は今日、パートがあって遅くなるから」


「じゃあ、夕食は俺が作るから」


「お願いね」


 食事を口にしつつ、今日の予定をお互いに共有し、一日の行動を決める。


「ご馳走様」


 朝食を食べ終えたチヒロは何に感謝するというわけでもなく、儀礼的な挨拶をしてから席を立つ。それから自室に戻り、高校の制服である学ランを手に洗面所に立つ。そこで顔を洗い、歯を磨いて、髭を剃り、髪を整えて、制服を着る。


「よし……準備終わり」


 学ランを着終わったチヒロはカバンとスマホ、通学定期などの諸々を持ち玄関に降りて革靴を履く。二年も履いている革靴はすでにチヒロの足に馴染んでおり、すんなりと抵抗なく履ける。するりと足が収まり、かかとなどの具合を合わせる。問題はない。


行くか、学校。


「……とっ、じゃあ行ってきますー」


 チヒロは玄関先からミカに声を少し張って言った。


「はーい、気を付けてね」


 リビングからミカが返す。それを聞いてチヒロは玄関を出て学校への道のりにつく。


 高校は電車で四十分の所にあるので、チヒロは最寄り駅に向かう。今日はいつもより若干時間に余裕がある。少しだけいつもと違う。だがそれ以外は特に差はない。いたって平和だ。

 

 駅前の交差点を渡り自動改札でIC定期をかざして入場。人の流れに乗って階段を上り、ホームに立つ。いつも通り嫌になるくらいには混んでいる。その中の乗車列に並んで電車を待つ。それから程なくして電車が到着する。電車が止まる。ドアが開くと人の列が動き出す。先ほどまでの乗車列はどんどん車内に吸い込まれていく。チヒロはその列の最後尾に回るようにして、次の電車で最初に乗れるように列の先端になるように調整する。


 発車ベルがなる。数秒後、ドアが閉まり電車は発車。俺はそれを乗車列の一番前で見送る。すでに次の電車も到着まで時間はかからない。


『まもなく、四番線に、各駅停車、大宮行きが参ります……』


 三分もしないうちに次の電車が接近し、到着前のアナウンスがホームに響く。それを聞いた乗車列に並んだ人々が、我先にと前に詰める。最前列にいたチヒロは少しずつホーム際に迫っていく。この時間帯のことだから仕方は無い。こんな状況では安全性などは関係ない。後ろに並んだ人たちが更に押してきて、チヒロの足場は狭まり、つま先がホームの黄色い線の真ん中を越える。


『列車入場しています……黄色い線の内側までお下がりください……』


 駅員が言う。だが誰もその内容は聞いておらず、多くの人が黄色い線の際に迫っている。


 電車が警笛を鳴らし人々を威嚇しながら入場。その警笛をうるさいなと思った。その時――背中に妙な衝撃。それを認識したとき、俺の視界は線路に向けて落下していた。

 

 何が起こった。


 何もわからない。

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