EP21-8 野心の男

 学園ネストのキャンパスがある地下空洞――その上に拡がる無人の街から遠く離れた山頂に、その城はあった。

 透き通った赤いクリスタルの様な結晶で造られた棘々しい尖塔。本丸とも云えるその中央の塔を残して、今は城を構成する構造物の大部分を失っていたが、それは紛れもなく宵闇と黄昏の世界ダークネストークス血晶城けっしょうじょうであった。


 人間の血液から作り出されたその赤い結晶の広間には、ひんやりとした冷たい空気が漂っていた。


「レイナルド様」と恭しく頭を下げるのは、灰色の長髪を緩い立て巻きにした黒マントの男。――青白い肌に蛇のように冷たい眼が赤く光る。彼は吸血鬼の中でも、真祖に次いで地位の高い第二世代と呼ばれる者達の長、ガウロス・ギュールである。

 そして彼が膝を突いた正面――人骨で飾られた禍々しい玉座に、物憂げな表情で座っているのはその吸血鬼達の王、レイナルド・コリンズであった。

 左右で灰色と黒とに分かれた彼の長い髪は、自生した蔦のように肘掛けに絡みつき、血色の悪い肌と微動だにせぬ端正な顔のせいで、その姿はまるで玉座と併せて削り出された一つの彫像である。


 広間にいるのはレイナルドとガウロスの二人だけで、どちらかが声を発しない限り、その空間には張り詰めたような無音だけしかなかった。そして何処にともなく視線を留めたまま凝然としている主に、ガウロスが報告を始めた。


「先日捕らえた人間たちの内、私が血の洗礼を施した者は、ほとんどが屍食鬼グールにしかなりませんでした。眷族となれたのは僅か一名――シュ・セツという若い男のみで御座います」


 食事としての吸血行為と違い、首筋に突き立てた牙から吸血鬼自らの血を相手に流し込むことを、彼らは『血の洗礼』と呼んだ。それは彼ら吸血鬼が仲間を増やす為の儀式であるが、吸血鬼となれるのはその血の適応者のみで、適応できなかった者は知性を失い血を求めるだけの怪物――屍食鬼グールとなるのである。


「………………」


 ガウロスの報告にレイナルドは眉一つ動かさず無言のまま。しかしその反応には慣れた様子で、ガウロスは話を続けた。


「血晶城の吸血鬼が全て消えてしまった今、我らの眷属は主上を除いて、私とその新たな第三世代の男しかおりませぬ。事ここに及んでは、レイナルド様にも洗礼の御助力を――」


 半吸血鬼ダンピールとは云え、真祖の血を色濃く受け継いでいるレイナルドが行う血の洗礼であれば、かなり高い確率で吸血鬼を増やすことが出来る。彼の発言はそれを期待してのものであった。

 しかしレイナルドの口からネットリとした低い声で発せられたのは、ガウロスの期待とは逆の、だが予想通りの台詞であった。


「……洗礼を……するつもりはない」


「しかしそれではレイナルド様の――いえ、我ら吸血鬼の版図が失われてしまいます」


「……人間には、手を出さない……。俺は、フェリシアとそう約束した」


 そう話している間も、レイナルドの赤い瞳は虚ろであった。顔を伏せているガウロスの表情が苦々しく歪む。


(先代の主上、カル・ミリア様は気分屋でお考えの読めぬ方ではあったが、この御方もまた――。フェリシア様が亡くなられてからは、一層口数も少なくなられた。最早レイナルド様の目に、吸血鬼の未来は映っておらぬのか……)


 ガウロスが憂慮に耽る中――彼の後ろで入り口の巨大な扉が、ガゴォンという重い音を伴って開け放たれた。彼がその音に振り向くと、一人の青年が堂々とした様で広間に入ってきた。

 ――ピッチリと横に固め整えられた黒髪、吸血鬼の特徴である赤い瞳と青白い肌。しかし彼の服装はレイナルドやガウロスのような古風な貴族服とは違い、飾緒や徽章の付いた少し派手な紫紺色の軍服であった。


「戻ったか、シュ・セツ」とガウロス。


「ハッ、探索任務を完了致しました」


 彼はガウロスの手前まで進み出ると、いかにも軍人じみた敬礼をして言った。彼の眼差しにはどこか挑戦的な雰囲気があるが、同時に世間知らずの子供のような、甘えた稚さが僅かに垣間見える。

 黒髪の青年シュ・セツは、宇宙戦記の世界インヴェルセレに潜入したガァラムの下で、彼の親衛隊長を務めていた帝国軍人であった。


「控えよ、主上の御前である」とガウロスが言うと、シュ・セツはその場に片膝を突いて伏した。


「レイナルド様、この者が唯一眷族と成り得た、第三世代吸血鬼のシュ・セツで御座います」


「シュ・セツと申します。主上に御目通り戴き恐悦至極に御座います」


 そう述べながらシュセツは少し顔を上げ、目端でレイナルドの顔をチラリと見る。


(この男がガウロス卿の言っていた偉大なる主上、黒銀の王レイナルドか。なるほど、その若さに似合わぬ威厳と冷淡な面持ちだが……然程の威圧感は無いな)


「このシュ・セツは中々に従順で優秀な男で御座います。レイナルド様のご期待にも沿えましょう」


 ガウロスがそう言うと、レイナルドは冷たい眼差しのまま暫くシュ・セツの姿を見つめて、ゆっくりとした口調で尋ねた。


「……変わった名前だ……顔を上げろ」


「はい」とシュ・セツが、その顔をレイナルドに向ける。


「……お前は……我らの世界の人間では……ないな。……規制官ルーラーか?」


 その問いにシュ・セツは首を傾げた。


「ルーラー、とは? 畏れながら存じ上げぬ名でございます」


「……そうか……ならばいい」と、レイナルドは興味を失ったように目を瞑った。


「?(――何の話だ?)」


 すると数秒の沈黙からレイナルドの話が終わったと見て、ガウロスはシュ・セツに「報告をせよ」と促した。


「ハッ――ガウロス卿からお預かりしたグールを連れ、これより南にある市街地を調査して参りました。そこで複数の人間を発見しましたが、その者達との戦闘によりグール達を失いました」


「たかが人間如きにグール共が滅ぼされた言うのか?」


「はい……しかしこの失態につきましては、弁明のご機会を頂きたく存じます」


「ふむ――詳しく述べてみよ」


「有難う御座います。敵は若い男女の2名。武器らしき物は私が見た限りでは所持しておりませんでしたが、奇怪な攻撃を行う者達でした」


「なんと?! 銀の武器も持たずにグールを滅したというか?」


 ガウロスが驚いたのも無理はなく、吸血鬼やそれに準じたグールなどの魔物は、神の祝福を受けた銀製の武器でなくては倒せない、というのが宵闇と黄昏の世界ダークネストークスの常識であった。


「はい。少年は光る拳でグールの頭を吹き飛ばし、そしてもう一人の少女は炎で作られた剣のようなもので、グールたちを斬り伏せました」


「……なんと……」――吃驚とともに言葉を失うガウロス。


「敵の戦闘能力が不明であり、こちらの戦力の減少からも継戦は不可能と判断致しまして、報告の為に撤退を」


 内心はどうあれシュ・セツは、表面的には遺憾の表情を浮かべて無念そうに頭を垂れた。


「分かった。もう下がってよい」とガウロス。


 シュ・セツは丁寧に敬礼をしてから踵を返すと、カツカツと軍靴を響かせて歩いていく。その足取りが入ってきた時よりも幾分軽いことに、ガウロスは気付いてはいない。


(よもやそのような者どもがいるとは。やはりこの世界……恐るべきはハンターだけではないということか)


 そんな彼の気苦労を知ってか知らずか、レイナルドは相変わらず眠るように目を閉じたまま微動だにすることはなかった。

 一方で彼らを背に歩くシュ・セツの顔には、微かに不敵な笑みが浮かんでいた。


(ガウロス卿の狼狽えようからして、吸血鬼の戦力というのは決して大きくないようだな。あのレイナルド王とやらがどれほどの力を持っていようが、所詮は個人の生身の戦闘能力など知れたものよ――。訳の分からぬ状況から不本意に得たこの吸血鬼からだ、帝国将校としてのキャリアを失ったのは痛手だが……、皇帝陛下すらこの世界にいないのであれば、これは逆に成り上がるチャンスだ。今の私ならそれができる――)


 シュ・セツの瞳に野心の火が灯る。


(ガウロス卿には伝えていないし、あの謎の少年たちも知りはすまい。だが私は見つけた。あの街には――機甲巨人があった。建物の残骸に囲まれて確認は出来なかったが、恐らくはガルジナ。量産機とは云え、武器らしい武器も持たない彼奴らから見れば、巨人は途轍もない兵器だろう。あれの前では個人の力など無に等しい)


 扉を閉めた後、思わず彼の口からフッと笑いが零れた。


(だが唯一の気がかりはあの解放軍の若いパイロット――。調子に乗って仕留め損ねた奴が、万が一にもあのガルジナを見つけてしまえば立場は逆転しかねん。あの男に先を越される前に早々に機体を確保しなくては)


 シュ・セツは己の胸に付いた帝国軍の徽章をむしり取ると、それを凄まじい握力で握り潰していた。

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