EP21-5 統合という混沌

 青い雨が降っていた――それは比喩ではなく、スペクトルとして視認される確かな青色。

 その青い雨は、建ち並ぶビルやアスファルトの道路に打ち付けられると、一瞬ぼんやりとした光を放ち、そして無色透明の本物の雨になる。

 そうして出来た水溜りや細く弱々しい流れかわを踏みつけて走る青年は、時折振り返りながら、もつれそうな足と乱れる呼吸を必死に制御して、速度を維持する。


 やがて暗く長いコンクリートのトンネルに辿り着くと、彼はひび割れた壁に背中と後頭部を付けて、涸れた呼吸と爆発しそうな心臓の鼓動をゆっくりと整えた。


「はぁはぁ……はぁ…………はぁ……」


 雨が、べったりと濡れて額に張り付いた濃紺の髪の毛から、部族紋様トライバルのような右頬の痣を伝って流れ落ちる。その身を包む白と青のパイロットスーツは、彼が意識を失う直前まで愛用していた機甲巨人と同じカラーリングであった。


「……クソっ……何なんだよ、アレは……」


 彼の身体が落ち着きを取り戻す頃には、全身を濡らしていた雨は跡形も無く蒸発していた。しかし彼はそんな不思議な現象よりも、後ろから忍び寄る不気味な気配に気を向けていた。


(ここは……どこなんだ? ゼペリウスじゃなかったのか? リ・オオや他の皆は――)


 かつて宇宙戦記の世界インヴェルセレと呼ばれた亜世界で、解放軍のエースパロットであった彼――タウ・ソクは、自分の身体と機甲巨人が光の粒子となって消えゆくと同時に意識を失った。そして気が付いたときには、見知らぬこの街中で独り倒れていたのである。

 操縦用のヘルメットも愛機ヴィローシナも見当たらず、その街中を戸惑い彷徨っていた彼が最初に出遭ったのが、その『アレ』であった。

 それは彼を見つけるなり嬉々として襲い掛かってきて、武器一つ持たないタウ・ソクは、命からがら逃げだしたのである。しかし――。


「?!」


 ふと目をやった先に、雨の中で光る赤い眼。尚もそれは追ってきていた。


「クソっ!」


 タウ・ソクはまだ到底癒えることのない疲労を抱えて、ほとんど先が見えぬそのトンネルを再びひた走り始めた。しかし間もなく辿り着いたのは、絶望的な光景。


「うっ!?」


 天井から崩れ落ちた瓦礫の山。それで塞がれた袋小路であった。


「ちくしょう……(こんなところで――)」


 暗闇で目を凝らして見たところで、その瓦礫かべに彼が通り抜けらるような隙間は無い。そうしてどうしようもなくなったところで、タウ・ソクの背筋にゾクリと悪寒が走る。


(――!!)


 振り返ると今しがた通り抜けて来た暗闇の奥には、妖しく光る二つの赤い点。それは紛れもなく彼を襲った生物の眼光であった。


「どうすればいい……何か武器を――」


 タウ・ソクは徐々に迫るその妖しい瞳の主に対抗すべく、瓦礫の中から手ごろなコンクリートの塊を手に取って構えた。だが相手は一見人間のようで、しかし並外れた膂力を持つ怪物であることを彼は既に知っていた。その怪物相手に、コンクリート片彼が手にした武器は余りに心許ない。


 コツンコツンと暗闇に響く足音が、まるで死へのカウントダウンのように聴こえ、タウ・ソクの額には厭な汗がジットリと滲んだ。


(相手が何だって――やるしかない……死んでたまるか!)


 そう決意を固めた時、トンネルの脇の窪み――タウ・ソクがその存在に気付かなかった鉄扉がガチャリと開いた。そしてその中から少女の声。


「――そこのアナタ! 早く中に入って!」


「ッ?!」


 タウ・ソクはその声の主が誰かも分からなかったが、少なくとも今の彼に少女の申し出を拒む理由は無かった。――コンクリートを投げ棄てて、素早く扉に飛び込む。

 赤い眼をした影が彼を逃がすまいと地面を蹴ったが、その鋭い爪がタウ・ソクに届くより速く、鉄扉はバタンと勢い良く閉じられた。


「…………」


 妖しい眼光が細くなり、その頑丈そうな扉を忌々しく睨む。


「――遊び過ぎたか……」と零したその口には、真っ白な牙が覗き見えていた。



 ***



 タウ・ソクが誘われた扉の奥は、人ひとりがようやく通れるぐらいの幅狭い通路であった。いかにも非常用といった感じの薄暗いオレンジ色の灯り。

 鉄扉が閉まると同時に内側の壁に付いた緑色のランプが赤に変わり、ガシュンッという機械的な施錠の音が響いた。


 通路の壁にもたれかかったタウ・ソクは、大きく息を吸って乱れた呼吸を整える。


「ハァ……ありがとう、助かったよ。僕は――」


「自己紹介ならあとよ。アイツがその扉を破らないとも限らないわ。――ついてきて」


 顔もロクに見せず足早に歩き出した少女に、タウ・ソクは「あ、ああ」と言われるままに続いた。

 所々の壁が潰れた隘路あいろは緩やかに下っていて、照明があろうとも視界はせいぜい20メートルというところであった。タウ・ソクは暫く黙って少女に付き従いながら、その後ろ姿を眺める。


(このブレザーは学生……いや生徒か?)


 背中の真ん中辺りまで伸びた、燃えるような紅いストレートの髪。その服は袖や襟が山吹色で縁取られた紺色のブレザーと、少し短めのスカート。声やその恰好から察するに、年齢はタウ・ソクとそれほど離れてはいない。


「……さっきのアレは何なんだ? 外見は人間とほとんど変わらないけど、動きや腕力が人間のそれじゃない。コンクリの壁を素手で破壊してた」


 タウ・ソクが歩きながら、その紅い髪の少女の背中に問い掛けると、彼女は振り返らずに答えた。


「解らないわ。私たちも突然襲われたから。でも多分、吸血鬼バンパイアじゃないかって」


「バンパイア? バンパイアってあの、血を吸う魔物のことだよな?」


「そうよ」と、少女はサラリと言ってのける。


「アナタは見なかった? 赤く光る眼に白い牙……、コウモリみたいな翼があるヤツもいたわ」


「僕はそこまで観察する余裕は無かったよ。でも白い牙に羽根? なら吸血鬼ってことなんだよな。そんなものが有り得るのか……?」


 タウ・ソクは呟きながら、過去に自分を護ってくれたアマラという少女のことを思い出した。


(彼女はファンタジーみたいな世界は沢山あると言っていた。なら魔物が棲むそういう世界が在ってもおかしくないのか。つまり僕は、また転生を? でも僕が転生そうだとすれば、一緒にいたリ・オオやコタ・ニア、それにアグ・ノモはどうなったんだ?)


 そんなことを考えながらも、彼はふと少女の言葉の中に気にかかる部分があることに気付いた。


「――君、さっき『私たち』って言ったよな? 他にも仲間がいるのか?」


「ええ。私たちは、気が付いた時にはキャンパスごと地下に埋もれ――いえ、移動してたの。大きな洞窟みたいなところにね」


「キャンパス……? じゃあやっぱり――(学校の生徒なのか)」


「着いたわ」と少女。


 通路の端まで行き着いた二人の前には、再び金属製の扉――。その横の壁に備え付けられた箱に少女が掌を当てると、赤いランプが橙色に変わり、箱のスピーカーから若い男性の声がした。


『――朱宮あけみやか? 随分早いな。外の様子は?』


「確認できなかったわ。奴らに襲われている人がいて、その人を助けてきたの」


『そうか、他にも人がいたのか……。でも無事なら良かった。――今開ける』


 するとランプが緑に変わり、ガチリと鍵の扉が重々しく解かれた。その取っ手に少女――朱宮ホノカが手を掛けてゆっくりと開くと、隙間から徐々に眩い光が差し込んできた。


「ここは――」とタウ・ソク。


「ここは私たちの学校……だった場所。学園ネストよ」


 扉の向こうには巨大な地下空洞。そしてその中を真昼と変わらぬ明るさで照らす投光器が並び、講堂や校舎や寮と思しき建物が点々と建っていた。

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