EP21-4 変わる世界

 汎ゆる世界の汎ゆる情報――それはマクロな視点で云えば、魔法を構成する原理であったり、異能の力を目覚めさせる生体反応であったり、闇に棲む人ならざる者達の血統であったり、星海を渡る船の構造であったりもする。

 しかし情報子サンヒターとして解析されるそれらは、砂粒を構成する量子ひとつひとつの存在情報に至るまで細分化され、その情報量は『数の概念』すら超えるのである。


(こんな情報――!! まともにぶつかればお姉ちゃんのアートマンまで流されてしまう……関連性の深い人物から絞り込んでいくしか)


 自らを紐付けの結節点ハブとして名乗り出たメベドは、無間地獄とも云うべきその情報世界を必死に繋ぎ止める。


「準備はいいか? メベド」とクロエ。


「っ……いいよ。……僕のアートマンを辿って。ただ、そう長くは保たない……と思う」


「解った」


 クロエは、傍らで安らかな呼吸のまま眠るユウの横顔に目をやってから、徐にメベドの頭に手を置いた。――途端に流れ込む、混沌として膨大な情報せかい


「っく……!」


 まるで拠り所のない平野に立ったまま、天まで昇り詰めた大津波に身を晒すような感覚。無秩序に押し寄せる情報の荒波は、彼女に物理的な重圧を錯覚させるほどの衝撃であった。


(これほどか……!)


 しかし間もなく、クロエの右眼は天界の空を塗り潰すかの如く青い輝きを放ち、その光を道標とするようにクロエの意識が世界中を駆け巡る。


(――少しでも、一人でも多くの意志を)


 クロエはガクンと片膝を突いて崩れかかりつつもなんとか体勢を整え、認識出来る限りの人々の情報を、自分のアルテントロピーの庇護の下へ。


(自我が……呑み込まれそうだ……)


 彼女の視界の中では、ランダムに継ぎ接ぎされた映写機のフィルムのように、人々の主観や彼らが臨む様々な亜世界の景色、原子の動きや星の記憶が目まぐるしく投影され、クロエの脳内を激しく揺さぶる。


(護る……人間を――)


 クロエは呻き、大量の汗を流しながらも、しかし辛うじて正気を保ち続けた。


(世界を護らなくては――)


 彼女の認識から零れ落ちた情報が崩れ、新たな何かへと再構築されていくのを感じる中で、何処か遠くから懐かしい声がする。


 ――『見てごらん、リマエニュカ』


 天界の空がポツポツと水中に踊る気泡の如く崩れ、光の粒子となって熔けていく。


 ――『わあ、キレイなお空!』


 果ての見えない雲海も、遠くに佇む神々の神殿も、全てが平等に分解され、情報が渦巻く形無き次元へと還る。


 ――『だろう? 世界はこんなにも美しいんだ』


 ユウやメベドの身体が白に包まれ、やがて彼らは足元から徐々に消え去っていく。


 ――『いいかいリマエニュカ、私たちもこの美しい世界の一部なんだよ』


 天もなく地もなく人もなく。何もかもが、無限に輝く闇の中へ。


 ――『だからお前もきっと……』


(パパ……ママ……私は、この世界を――)


 終には、唯一人残されたクロエ自身も、その光に包まれて消えていった。



 ***



 ――剣と魔法の世界アーマンティル/トラエフ王国――


 日没間近の王城の外壁は赤く照らされ、窓から射し込んだ夕陽が、己の執務室で書類の束に筆を走らせる男の横顔を染めた。

 長衣を纏い、紅色の髪をおかっぱ頭のように短く切り揃えた男――アーマンティル随一の大魔法使いレンゾは、この王国の宰相でもある。


「ふぅ……」と一息吐いてペンを置くと、レンゾは窓の外の、夕焼けに映える城下町に目をやった。


 細かな人々が行き交い、出店を畳む商人や、ゆったりと進む馬車の間を擦り抜ける子供達の姿。

 災厄と呼ばれた竜ガァラムギーナが消え、モンスターが激減したこの世界は、今となっては平和そのものである。


(ユウが居なくなってからもう1年か……。僕らの勇者は元気にしてるかな?)


 感慨に耽るレンゾの背後で、乱暴なノックの音――部屋主の応えを待たずに扉が開く。


「入るぞ」


 扉の枠を狭そうに潜り入ってきたのは、荒々しい黒髪に顎鬚を生やした偉丈夫――将軍のレグノイであった。


「まだ終わらないのか」とレグノイは、レンゾの机に山積する書類を見て呆れるように言った。


「そりゃそうだよ。世界が平和になったって、僕の机の上はいつでも戦争中さ」


 そう苦笑するレンゾに釣られてレグノイも笑う。だがその二人の笑い声は、感じ取られた異変によってすぐに止んだ。


「――む? ……何だ?」


 城下から微かに届く叫び声――得も言われぬ不安感に二人が窓から外を覗くと、地平の彼方から迫る白い光の波が見えた。



 ***



 ――超能力者の世界グレイターヘイム/とある紛争地域――


 密林の木々の隙間を縫って飛び交う銃弾。しかしその戦況は一方通行である。


「一体何が起こっている! 敵は何人いるんだッ?!」


 木陰に身を隠しながら怒鳴り散らす迷彩服の兵士の横で、彼の部下が次々と倒れていく。


「なぜ敵の銃声がしない?! どこから弾丸が……」


 という疑問はすぐに解けた。生い茂る草を払い除けて現れた男の姿――戦場には到底似つかわしくない白い軍服が、その答えであった。


「し、白服……? まさかウイングズ……」


 腰を抜かして尻餅を付いた兵士に向かって男が言う。


「残念だが、そのまさかだ。テメーらは終わりだよ」


 現れた長い黒髪の男は、天夜シキ。――飛翔する物体を自在に操る能力『オレルスの弓』を保持する顕現名帯者ネームドである。


「く、クソおっ!」


 追い詰められてヤケになった兵士が、ホルスターから抜いたハンドガンをシキに向ける。


「あー、銃器類そういうのは止めといたほうがいいぜ?」とシキ。


 そんな彼の忠告には耳を貸さず、兵士は狂ったように立て続けに発砲。


「?!」


 カチカチと引き金が鳴るだけになるまで撃ち続けた弾丸達は、しかし一発も命中することなく、シキの周りをグルグルと減速しながら回っていた。間もなく弾丸それらは完全に静止して、開いた彼の手の平の上に、甲高い金属音とともにバラバラと落ちた。


「――な?」とシキ。


 すると追い詰められた兵士の後方から、木々をバキバキと薙ぎ倒しながら、戦車の砲身らしき物が顔を覗かせた。更に進み出たその砲塔から下は装甲に包まれた6本の脚。


「チッ……、多脚アーマードかよ」


 舌打ちをするシキとは裏腹に、安堵の表情を浮かべる兵士だったが、その喜びは一瞬で斬り刻まれた。


「助かった、早くこいつを倒――」


 時が止まる。


 草も木も鳥も虫も、台詞を遮られた兵士やシキすらも、完全に止まる――。そしてその静謐な空間の中で閃く日本刀、守堂神威もりどかむい』が鋼鉄のボディをユルリと通り抜けた。


「……露と消えろ」


 ウイングズの白服に、黒髪をボウズ頭に刈り上げた神堂クレト。彼は刀身を鞘に滑り込ませると同時に、周囲を制止させている『ウルズの刻』を解除した。


「――してくれ!」と、兵士が台詞を言い切ったところで、解体されたアーマードが重い音を響かせながら崩れ落ちる。


「え……??」


 状況が理解出来ずにきょとんとする兵士を、シキが即座に拘束した。


「こちら神堂、ターゲット確保。これより帰投――ん?」


 すると突然、捕らえた兵士の身体が白く光り出した。それを見たシキが銃を突き付ける。


「何だ? おいテメぇ、変な真似するんじゃ――」


「俺は何もやってない!」と兵士。


 慌てふためく彼の身体が、みるみるうちに光る粒子へと分解されていく。


「お、おい! クレト!」


「新手の攻撃か?! 天夜、索敵を――」


 刀の柄に手を掛けたクレトがその指示を言い終える前に、周囲は光に包まれた。



 ***



 ――宵闇と黄昏の世界ダークネストークス/血晶城――


 荒れ果てた大地。夥しい骸に囲まれた巨大な赤黒い城。それは途方も無い量の血液を結晶化して造られた、吸血鬼を統べる王が住まう城である。

 その最上階の大広間で、半吸血鬼ダンピールのレイナルド・コリンズは漆黒の貴族服ダブレットを着崩したまま、禍々しい意匠の玉座に座っていた。

 夜の墓場の如く静まり返ったその広間で、彼の虚ろ気な視線の先にある黒い影の中から、外套マントを羽織った男性の吸血鬼が、音も無く生えてきた。


「――失礼致します、レイナルド様」


「……何だ……? ……ガウロス」


 お辞儀をする吸血鬼ガウロスを、昏い瞳で見返すレイナルド。


「古参の老吸血鬼が、また予言を」


「…………滅びの……予言か」


 レイナルドは、ねっとりとした口調の甘く低い声で呟く。


「はい。間もなく『白い終わり』が訪れると――」


「…………そうか」


 彼の返答はそれだけで、首に掛けた銀のロケットペンダントが哀しげに光る。


(……フェリシア――)


 レイナルドはその小さなロケットの蓋を丁寧に開くと、中にある亡き妻の顔を見つめていた。



 ***



 ――そして世界は変革した。

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