EP20-5 勇猛の神

 ミリアの蒼白な顔と悲鳴、そして僅か半歩の猶予で固まるマナ。


「リアム様!!」


 しかし目を見開いた彼女達よりも、一層驚愕の表情を隠せなかったのは、凶弾を放ったジョルジュ本人であった。


「――?! 外した?」


 という彼の言葉を否定する、カツンッという小さな落下音。弾丸が床に転がる。


「…………?」


 立ち尽くしているリアムは、自身でも状況を理解出来ず、撃たれたはずの眉間を指でなぞった。


(これは……)


 人間であれば言うまでもなく致命傷――しかし彼の指には一滴の血も付いておらず、額からは露ほどの痛みも感じない。

 狼狽するジョルジュは続けて数発の弾丸を発射したが、それも全てリアムの皮膚に虚しく弾かれた。


「馬鹿な――ここは源世界だぞ?!」


 そう彼が声を荒げた時、部屋の外から響くアマラの声。


「馬鹿はお前だぜ? ジョルジュ」


 台詞とともにサリィをかき分けて入ってきた規制官服のアマラに、ジョルジュは更なる驚きを隠せない。


「アマラ……何故貴様が――? どうやって部屋を抜け出した?!」


 銃口をアマラへと向け直す彼に対して、彼女は「こうやってだよ」と横に手を伸ばす。すると白い壁の一部がみるみるうちに形を変えて、ジョルジュが持つものと同じ箱型の銃へと変わった。

 それを手にして、照準を向かい合わせて対峙するアマラ。


「気付けよ。べレクに使い棄てにされたんだよ、お前は」


「あり得ん……何故デバイスのアクセス権限を剥奪されたお前が、OLSを扱えるのだ?」


 困惑するジョルジュの質問に、アマラは呆れ顔で溜め息を吐いた。


「それでも規制官かあ? 源世界に籠もりっきりでボケたんじゃねえのか? こりゃOLSじゃなくて『改変』だぜ」


「なん――」


 言いかけたジョルジュの頭にアマラの弾丸。しかし傷は無く、彼はその場で気を失って崩れ落ちた。

 その様子を見ても動じることなく、ただ無言で立ち尽くしているサリィ達に、アマラが声を掛ける。


「サリィ、コイツを拘束して閉じ込めとけ」


「承知致しました」


 彼女らの手からガシャガシャと落とされた武器NIGが床に溶け込んで、代わりに手にした拘束衣がジョルジュへと着せられる。そして盛り上がった床の一部が担架の如くジョルジュを乗せて、気絶したままの彼を運んでいった。

 全員のサリィが退出していくのを確認して、リアムが口を開く。


「アマラ、これは一体……何故アルテントロピーが? ここは源世界ではないのか?」


 するとアマラは首を横に振った。


「いや、ここは確かに源世界だよ。でもアルテントロピーが使えるかどうかってのは、それとは別問題だ」


「? 別問題とはどういうことかしら?」と、ミリアも口を挟む。


「なんだお前も気付いてなかったのかよ。――源世界で改変ができないのは、アルテントロピーを使えないからじゃない。情報粘度が亜世界に比べて桁違いに高いからだよ。その理由は何十億って人間が皆クオリアニューロンを持ってて、大なり小なりアルテントロピーで、無意識に自分の周りの存在を保護してるからだ」


「人々が……そうか」と、得心した様子のリアム。


「解ったみてえだな? 今のこの源世界には人間が殆どいない。つまり情報粘度は亜世界と大差ねえっつーことだ」


「しかしそれなら今まで何故――」


「今までは、多分べレクのヤローが情報を保護してたんだ。だけどその状態のままじゃ界変は行えない――だからプロテクトを解いた」


「なるほど」と頷いたリアムは、しかしすぐにその台詞の意味するところを察した。


「ではもうということか!?」


「いやまだだ。プロテクトの解除は準備段階ってとこだと思う。けど猶予が無えのは確かだぜ」


「ならばすぐにでもLMー1プライミナスに行かなくては」


「ああ。今ガァラムが転移の準備を――」


 そのアマラの台詞の途中で遠くから――しかし明らかにWIRAの内部から、激しい爆音と、建物全体を揺るがす振動が伝わってきた。



 ***



 アルテントロピーによる改変で部屋ろうやを抜け出し、白い拘束衣を黒のスーツへと変えたガァラムは、アマラと二手に分かれて転移室へと入った。

 床に向けた手の平をゆっくりと彼が引き上げると、それに合わせて下から迫り出す、板状のコンソールパネル。柔らかな青い光によって浮き出すボタンを、ガァラムは澱みなく選択していく――。


(次元接続がLMー1とやらに固定されている……他の亜世界への転移をさせぬつもりか)


 べレクからしてみれば、界変の基準となる世界でなくとも亜世界が昇華されてしまえば、それに応じて界変の対象範囲は縮小されてしまう。極端な話、全ての亜世界が源世界化してしまえば、界変という現象の意味は薄れ、それを実行したところで圧縮できる情報量はのである。その為彼は、クリサリスの転移先をどこに設定しようとも、LMー1へと強制転移されるように書き換えていたのであった。


(我らとしては是非もない――が)


 ガァラムはクリサリスを操作しながら眉を顰める。


(あの男が、我らが源世界こちらでアルテントロピーを使用できることに気付く可能性を考えておらぬはずがない。そうなった場合に、ジョルジュ一人で対処できるとも思ってはおるまい。ならば何故――)


 クリサリスを破壊してしまわぬのか――という疑問。転移自体が不可能であれば、こちらから直接手を出すことは出来ない。


 着々と進められる転移の準備に合わせて、クリサリスの土台部分から、耳鳴りに似た高音が響く。転移室は白い天井や壁の照度を緩めて、次第に薄暗くなっていく。


(我らが装置を失えば――いや、規制官を放置しておいた場合、全員のアルテントロピーで亜世界の一つや二つ保護される可能性もある。あの男にとってそれはリスクでしかない。ならばその可能性を潰す為に、敢えてクリサリスを残したのだとすれば……)


 そこで答えに辿り着いた彼の手が、一瞬だけピタリと止まった。するとその間隙を突くように、クリサリスの中に充満した元素デバイス肉体の源がパチパチと明滅を始める。


「――!」


 ガァラムは咄嗟に操作を切り替えて、その転移を阻止しようと試みたものの、時既に遅し――色とりどりの複雑な光彩を見せる液体の中で、瞬く間に逞しい男性の肉体が構築される。

 

「やはり……か」と呟き、それを見守るガァラム。


 膝を抱えて丸くなっていた男の四肢は悠然と伸ばされ、隆々とした筋肉と拳に力が込められる。荒れる海原を彷彿とさせる紺碧の髪が波打ち、徐に開かれた金色の瞳には、不遜とも取れるほどの自信の輝きが満ちていた。

 そして男が軽く手を開くと、壊れぬはずのクリサリスは内側から粉々に砕け散った。


「…………」


 床に溢れ出る液状の元素デバイスと、それに押し流される超々硬度外殻の破片を踏み潰し、ゆったりと着地する男。


(この男は――)


 ガァラムはその男の姿を竜の瞳で凝視した。


(これほどの存在がいるとはな……これがプライミナスの神か)


 彼の目に映るのは、燦然と輝く金色の塊。それは存在そのものが物理法則を超越した、生物とすら呼べぬ力の化身であった。


「ほう、ここが異世界とやらか」


 男が不敵な笑みを浮かべつつ一歩踏み出すと、彼の身体を一瞬にして黄金の鎧が包み込む。


「では宴を始めるとしよう。規制官とやらを残らず屠る、神の宴を」


 彼はプライミナスにおいて勇猛と戦を司る神――その名を海皇神ポテュンといった。

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