EP20-4 凶弾

「お疲れ様です。おかえりなさい、リアムさん」


 WIRAウィラの転移室を出たところで、後ろからそう声を掛けたのはユウであった。

 リアムの両横には、彼の腕に豊満な胸を押し付けて絡みつくミリアと、つんとした無愛想な表情のマナ――その両手の花とともにリアムが振り返る。


「やあユウ、お疲れ様。君も戻ったところかい?」


「いえ、僕はこれからまた出るところです。ちょっとした調査だけですけど」


「単独任務が許可されるとは、規制官が大分板についてきたようだ」


「そんな、僕なんてまだまだですよ。リアムさんやクロエさんみたいに強くありませんし」


 ユウは照れ臭そうに笑いながらも、手振りでそれを柔らかく否定した。するとリアム。


「そういえばクロエはどこに?」


「え? ああクロエさんなら、聖ローマ教国?っていう国に行ってるみたいですよ。こっちの世界の」


「そうか……」と、考え深げに顎を擦るリアム。


 その横で幸せの笑みを浮かべて会話を聴いていたミリアの顔に、僅かな翳が差した。


「クロエさんに何か?」とユウ。


「いや……ここのところが無くてね。もう一度捜査の方針を見直すべきかと思ったんだが。――べレクも任務中だったかな?」


「べレクさんは確かLMー1だったと思いますけど」


「ふむ、神話の世界プライミナスか……」


 二人が口にしたその名前で、ミリアの顔からは完全に微笑みが消え失せ、眉間に微かな皺が寄せられた。


(コードLMー1――べレクとあの神々バケモノたちの隠れ家よね。クロエって女がローマに行ったタイミングで、べレクがあの亜世界に……)


 メベドとともに『かつてのWIRA』に所属していたミリアは、無論べレクの正体も聖ローマ教国に何があるのかも知っている。とは云え真実それを明かしたところで、一新人としてしか認識されていない彼女の言葉など信用されようはずもないし、信じる信じないに関わらず暴露した時点で彼女がべレクに殺されるのは明白であった。故に彼女の言動は、ただ愛するリアムと過ごせるという現状を維持することに終始していた。しかし――。


(べレクが界変を始めるなら、もうこのままではいられないわね)


 クロエとべレクの行動から推測すれば、ついに歯車は回りだした――彼女はそう判断せざるを得なかった。


「じゃあ僕はこれで」と、会釈して立ち去るユウ。


 その背中を見送るリアムに、神妙な面持ちのミリアが声を潜めて言った。


「リアム様」


「なんだい? ミリア」


「……大事なお話が。――少しお時間を宜しいでしょうか?」



 ***



 リアムのプライベートルームで、ゆったりと身体を包むソファに座っている三人。――まだ情報次元や源世界に対する理解が浅いマナは、ミリアが告げた事の重大さをリアムの深刻な表情から読み取るしかなく、口を挟むことは出来なかった。


「……証拠、などというのは勿論無いんだろうね」とリアム。


「ええ。過去のデータは残っていないと思いますわ。もし在るとしても、多分それは教国で秘密裏に保管されているかと……」


 申し訳なさそうに俯くミリアに、しかしリアムが口にしたのは、話の真偽についてではなく彼女への配慮であった。


「このことを話した以上、君の身に危険が及ぶ可能性が高いのでは?」


「それは――」


 ミリアは彼の澄んだ青い瞳を見つめる――。この期に及んでミリアを疑いもせず、彼女の身を真っ先に案じるリアムは、やはり根っからのヒーローなのであった。そしてそんな彼を選んだことに、ミリアは誇らしさすら感じる。


「……はい。ですがこのままでは、私どころかリアム様も巻き込まれてしまいます」


「そうか……ありがとう。しかしその界変とやらに巻き込まれると、私たちにはどんな害があるというんだ? 情報の圧縮というのは?」


「界変は、世界を構築している情報を分解して、ということです。例えるなら、複雑に積まれたサイコロの山を崩して、向きを合わせて巨大な立方体として再び組み上げる――そうすればその立方体が持つ情報は、たった一つのサイコロと同じになる……」


「それはつまり、今在る情報せかいが全て別の存在ものに変わってしまう、ということか」


「ええ。ですがそれは『今』に限ったことではありません。過去も未来も、時空間も因果律も――本当に何から何まで全てが変わるということですわ。私たちの存在どころか、すら消え去ります」


 静かに語られるその台詞の意味を、リアムは自分の中で片時も消えることのない存在想いに置き換えた。


(私の、決して失わないと誓ったサラへの愛も……彼女が生きた証や、やがて生まれ変わる情報体アートマンすらも、消えてなくなるというのか)


 そして大きな嘆息の後に、強い意志が込められた眼でミリアを見る。


「ミリア――」


「ッはい!?」


 その真摯な瞳に思わず胸が高鳴るミリア。


「私は君を信じる。そしてべレクが世界を――『想いを遺すことすら許さない世界』などというものを創るつもりなら、私は彼を赦すことはできない」


「リアム様……」


 この人であればきっとそう言うであろう――それを覚悟していたミリアは、リアムに向かってしっかりと眼差しを返した。


「私もお供致します。どこまででも」


 するとマナもそれに合わせるように賛意を表明した。


「話はよく解りまセんが、ボクも一緒に戦いまス。リアムはいつだって正しい人でスから」


 そう言って馴れない笑顔を彼に向ける。


「……ありがとうミリア、マナ。だが界変を止めるにはどうすればいい? 私の知る限り、べレク・宇・エンリルという男は最強の規制官だ。彼とやり合って勝てる人間などいないだろう」


 すると頷くミリア。


「仰る通り、あれは情報次元が生んだアルテントロピーの化物ですわ。でもいかにべレクと云えど、情報粘度が高い源世界を複数統合することはできないはず。つまり――」


FRADフラッドか」


「ええ。メベドの話では、界変には基準となる、謂わばサイコロの中心となる世界が必要らしいですわ。その世界を昇華させてしまえば、べレクは界変を実行できないはずだ、と」


「なるほど。ならばその軸が恐らくLMー1……」


「だと思いますわ」


 その返事を聞いてリアムは「分かった」と腰を上げる。しかしその時、セキュリティの施されていた部屋の壁が前触れも無く開かれた。


「――!?」


 素早く立ち上がり身構える三人。その彼らの前にぞろぞろと入ってくるのは、よく見知った同じ顔をした女性達。言わずもがな、サリィの集団である。


「チッ……」というミリアの舌打ちに応えるように、サリィの群れを割って現れた男が口を開く。


「馬鹿な女だとは理解していたが、どうやら私の想定を超えた愚者であったらしい」


「ジョルジュ……!」と、憎々しい眼で睨むミリア。


 その口ぶりにリアムが問う。


「ミリア、局長かれは……?」


「クソ忌々しい裏切り者ですわ。コイツのせいでWIRA私たちべレクあいつに――」


「馬鹿なことを。べレクは情報次元の意思。WIRAウィラはいずれこうなる運命だったのだ。私は起こるべき現象を正しく認識して、在るがまま実行しているに過ぎん」


 ジョルジュは感情を表に出すこともなくそう言うと、ジャケットの懐から徐に拳銃と思しき白い箱を取り出した。


「と言っても、今の時代で殺傷兵器こんなものを使うのは、流石の私も気が引けるがね」


 その銃口は、ミリアとマナの前に立つリアムの頭に、真っ直ぐ向けられた。そして台詞とは裏腹に、ジョルジュは僅かな逡巡も見せずに引き金を引いた。

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