EP20. *Fate and Compil《向かい風の中で》

EP20-1 不遜の神

 ――LMー1『神話の世界プライミナス』――


 この亜世界は源世界において人類が最初に発見した別宇宙とされていた。

 全ての人間が少なくとも一度は思い描いたことがあるであろう、人智の及ばぬ絶大な力を持った存在――『神』が実在し、その伝説によって織り成される世界。そこには大勢の人間も住んでおり、数ある星々の中で細やかな文明を営み、喜怒哀楽や夢や葛藤を抱きながら生きている。

 しかしべレクによってかき集められた最強の転移者――神々の多くにとっては、そんなごく普通の人間など大気を漂う原子のひとつひとつと大差ない、取るに足らぬ存在であった。



 ***



 穏やかな陽射しの森の中――。

 草を食んでいた親鹿がハッと耳をそばだてて、首を上げつつ振り返る。その親が発した警戒の鳴き声で、じゃれ合っていた2匹の小鹿も動きを止めた。不穏な空気を感じ取った彼らの上を、数羽の小鳥が飛び去ると、それに続いて森中の鳥達が一斉に舞い上がって空を埋める。

 すると間もなく、他の鹿や野鼠や狼の群れ、熊などの動物ばかりか、普段は岩陰や木や土の中に棲まう虫達までもが、奇声や羽音を唸らせながら、山の上に向かって死に物狂いの大移動を開始した。


 東の森の寒村では、額に汗水垂らしながら懸命に畑を耕す人々。鶏を追ってはしゃぎ回る子供達。それを眺め欠伸をする猫。


 西の遠方の平原では、己が国家の版図を拡げようと、王に捧げた剣を手に争う兵士が、血と剣戟の中に生死を垣間見る。


 また南の大陸では、奴隷の少女をはべらせ下卑た欲のままに生きる奴隷商人や、虐げられながらも希望を捨てぬ者。


 そして寒風吹き荒ぶ北の雪原では、大きな荷物を背負い、途方も無い大自然を相手取り、只管突き進む孤高の冒険者の姿があった。


 そんなふうにそれぞれの人生を歩む彼らが、空や海や動物達の異変に気付き、やがてこの星の異変に気付いた時には既に遅かった。いや、たとえ彼らが終末それを予見していようとも、強力なアルテントロピーを持たぬ彼らには、それに抗う術も逃れる術も無かったであろう。


 どこまでも遮るものの無い広大な空に、突如として暗雲が垂れ込めたかと思うと、やがて地鳴りとともに訪れたのは、300メートルを超える大津波であった。それは山を削り、川を呑み込み、大地とそこに住む全ての生き物達を、無慈悲にさらっていった。何の前兆も無く訪れたその大津波神の怒りは、人々の絶望も祈りも全て平等に食らい尽くして、後には何一つ残すことはなかった。



 ***



 無限の雲海に漂う、白銀に輝く石造りの宮殿。それは天界と呼ばれる神々の住居であった。

 本殿から回廊を経た離宮――柱と天蓋だけの部屋ピロティに巨大な金の水盤が置かれている。その水面に映し出された人間界有り様を、一人の女神が悲痛な面持ちで見ていた。


「なんと惨いことを……」


 床に届きそうに長く白い髪には花飾りの冠、袖なしの滑らかな金色の長衣ローブの女性――悲嘆に暮れる豊穣神ナシャスは、その名の通り、自然の恵みや豊かさ、そして慈愛を司る女神である。

 そこへ遠くから、雲海を波立たせながら飛来する、青髪に金色鎧の男。彼は宮殿へと舞い降りると、不敵な笑みを浮かべながらガシャガシャと大股でナシャスのいる部屋の前を横切っていった。――それを豊穣神ナシャスが呼び止める。


「待ちなさい、ポテュン」


「――なんだ? ナシャス」


 紺碧の波打つ髪を靡かせて振り返った男――海皇神ポテュンは、鎧の必要性を疑うほどに屈強な巨躯の戦士である。ナシャスの制止に対して彼は、露骨に不機嫌そうな表情を見せた。


「また小言でも言うつもりか? 姉上」と海皇神ポテュン


「小言などと――。貴方は人間こどもたちになんという仕打ちをするのですか」


 するとポテュンは舌打ちをして返す。


人間奴ら神々俺たちに敬意を払わんからだ。あの傲岸不遜の様を見れば、親父だって滅ぼそうしたさ」


全能神お父様は、そのような無慈悲をなさいません」


 力強い目でたしなめるナシャスに、ポテュンは「ハッ、どうだかな」と嘲るように吐き捨てた。そして壁の無い部屋の端まで行くと、柱に寄り掛かって、果てなく広がる雲海を見下ろしながら言った。


「見ろ、姉上――この美しい世界を」


 そう言って彼が示した眼下の雲海は、ただの雲ではない。それを構成しているのは空気中の水氷の粒などではなく、ひとつひとつが細やかにキラキラと光る星なのであった。


「親父が創ったこの宇宙には、星などいくらでもある。矮小な人間など……またどこかの星を選んで、一から作り直せばいい」


 するとナシャスは伏し目がちに嘆息した。


「ポテュン……、数や大きさの問題ではないのですよ? 神も宇宙も個にして全、全にして個。限りある生命も不死たる神の一部なのです。貴方の短絡的なそういう考えこそ、むしろ貴方が矮小と蔑む人間達に近いものです」


「なんだと……」


 ナシャスの諫言を愚弄と受け取ったポテュンは、恐ろしい形相で彼女を睨み付けた。

 彼の青髪がざわめき立っただけで、離宮全体がミシミシと揺れる――すると。


「やめよ、ポテュン」


 そこへ短く整えられた金髪の、これもまた海神ポテュンに劣らぬ体躯をした、雄々しく精悍な男が現れた。袖や丈の短い金の服に、きらびやかな白銀の胸当てと小手を備えたその男は、雷帝神ラタルである。


「お兄様――」とナシャス。


「なんだよ、ラタルあにき。あんたまで人間虫ケラの擁護か」


 そう言いながらもポテュンが平静を取り戻すと、離宮を揺るがす振動はと収まった。

 雷帝神ラタルは厳つい眼つきで、弟妹のポテュンとナシャスを交互に見据える。その力強い視線に二人は畏縮した。


「そうではない。無闇にアルテントロピー与えられし神の力を使うなと言っているのだ、ポテュン。日頃から父上にも注意されているだろう?」


「フン……神がその力をふるって何が悪い。親父も兄貴たちも――。俺たちは神なんだ。宇宙を創ることも、滅ぼすことだってできる。人間が住む惑星の一つや二つ、ゴミみたいなものだ」


「お前に宇宙消滅それほどの力は無いだろう」と、ラタルは鼻で笑う。


「ッ――親父にはあるさ。兄貴にだって銀河を丸々消し飛ばすぐらいの力があるはずだ。なのに何故……何をそんなに畏れることがある?」


 ポテュンが得心のいかぬ様子で食って掛かると、ラタルはその肩に手を置いた。


「まだ若いお前は、あの御方を知らぬのであったな。今日間もなくお見えになる。その為に八十八柱神も、冥界の暗黒神アトゥルプでさえ天界ここに集うのだ」


暗黒神伯父貴まで――? 一体、誰が来るっていうんだ……?」


 するとラタルは視線を宇宙の雲海へと逸らし、畏敬の念を込めてその名を呼んだ。


「森羅万象を統べる究極の個にして祖――全たる神々の王、ベレク・宇・エンリルだよ」


 そう静かに告げられた声は、神という絶対的な力を持つ彼ですら、その男に対して明らかな畏怖の念を抱いていることを示していた。

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