EP19-10 進むべき道

「………………」


 急激に流れ込んだ記憶の波に、呆然と立ち尽くすクロエ。


[思い出したかい?]というメベドの声は、微笑みかけるような優しい響きであった。


「ああ……全て思い出した。私は――」


 自分の体を抱えながら言葉に詰まるクロエに、メベドは落ち着かせるように静かな声で話聴かせる。


[僕らは元々、本来存在していた世界、謂うなれば本当の意味での源世界の住人だった。だけどべレク――当時のあれに名前があったかは分からないけど、あいつがそこで界変を起こそうとしたんだ]


「……そもそも界変とは――べレクとは何者なんだ?」


[界変っていうのは、情報次元の整合性に基づいてエントロピーの圧縮と減退を促す現象だ。それは複数の宇宙の統合とも云える。つまりべレクは、謂うなればIPFが人の形に具象化した存在――情報次元の性質によって生まれた、一種のプログラムのようなものなんだ]


「人のかたちをしたIPF――」


[うん。だけどあいつは界変それに失敗した。お姉ちゃんがアルテントロピーを使って、そのプログラムに割り込んだからね]


「割り込んだ……? 私は一体何をしたんだ?」


 あの時の自分は訳も分からぬまま、ただ『何が何でも護る』と強く念じただけだ――クロエはそう思った。するとメベド。


[お姉ちゃんの意志がどんなものだったのかまでは、僕には分からない。だけど意志それがもたらした結果は、長い旅の中で理解できた]


「長い……旅?」


[うん。お姉ちゃんは僕を護る為に、僕という存在の情報をアルテントロピーで保護してくれたんだ。規制官が亜世界に転移する時と同じようにね。そして界変から逃がす為に源世界との紐付けを解いた]


「源世界との……では私は、お前を属する世界の無い情報体アートマンにしてしまったということか……」


 クロエは申し訳なさそうに小さく呟いた。


[いいんだよ。あのままなら僕は僕でなくなっていたし、それに情報次元には時間が存在しないからね。僕が新たな世界に結び付いて転生したのは、感覚的にはあの直後のことのように思えたよ]


「そうか……」


[僕の情報はお姉ちゃんのアルテントロピーに護られたままだったから、転生してからも記憶を失うようなことはなかった。そして最初に転移した世界での天寿を全うして、また次の世界で産まれても、それまでの情報は全て残ったままだった。それに気付いた僕は、世界が一体どうなっているのか、べレクがしようとしたこと、そしてお姉ちゃんがしたことが何だったのかを考え始めた――]


 メベドは自分の歩んだ永い人生みちをひとつひとつ確認し、年月に想いを馳せるように暫しの沈黙を挟んだ。


「…………」


 クロエはその僅かな悠久の時間を静かに待つ。


[長い、とても長い時間――20万年近い年月を、僕は転生を繰り返しながら生きてきた。それぞれの亜世界での法則を紐解き、共通点を探し、べレクの言葉を自分なりに解釈しながら世界の謎を追い続けたんだ。そしてやがて、いくつかの結果こたえに到った]


(そんなに長い間――)


 クロエは足元がふらつくような感覚を深呼吸で引き締めてから、次の言葉を待った。


[まず、界変とべレクについては今話した通りだ。そして亜世界については――、さっき宇宙が構築される条件を話したよね?]


「ああ。充分な整合性と関係性で構築された情報が、新たな亜世界を創る」


[うん。だけど実はそれだけじゃない。当たり前のようだけど、構築された情報はそのままなら簡単に壊れてしまう。だから世界が確固たるものとして存在するには、その情報をアルテントロピーで保護して、揺るがぬものとして成立させなくちゃいけないんだ。それが宇宙を創る最終的な手続きになる]


「アルテントロピーで……ではまさか――」というクロエの推測を汲んで。


[恐らくそうだ。今現在亜世界は、僕の考えだと数千から数万程度存在するはずだけど、それらはあの瞬間――僕の情報が保護された瞬間と同時に、んだ]


「私が……全ての亜世界を……」


[勿論そのベースとなる情報は、人間が想像を共有することで作られたものだ。お姉ちゃんはただそれを護っただけ。でもそのお陰で、不完全な界変から多くの人間がを得た]


「逃げ場? じゃあ――」


[うん。源世界の人間達は大半が転移して、様々な亜世界に散らばっていった。だから今この源世界に


「――!? では源世界の120億という人口は……」


[偽りのデータだよ。実際に活動している個体は2千万ちょっと。しかもその殆ど全部がインテレイドだ]


(なんてことだ……)


 クロエは思わず目頭を抑えて俯いた。


(全てが偽り……可能性としてゼロではないと思っていたが、まさかそこまでとは)


 そう考えると、己の知る年表れきしにすら彼女は違和感を覚えた――シンギュラリティ以降、現在に到るまでの科学の歩みは、べレクの立場からすれば余りにも都合が良過ぎるように思えた。


「ならばこの世界の歴史も、か?」


[……うん。2276年なんていうのは嘘っぱちだよ。西暦を基準として云うなら、今は3154年だ]


 それを聴いてクロエは大きな溜め息を吐く。


(シンギュラリティから1000年以上もの期間が、無かったことにされているのか……)


[僕はこの世界に辿り着いて、ここがかつて界変が行われた源世界だと知った時、この世界からは離れないと決めた。べレクはもう一度界変を行おうとするだろうし、お姉ちゃんにもまた逢えるかもしれないと思ったからね。だからクオリア・ニューロンを備えた寿命の無い身体、インテレイド=アダムを造ったんだ]


 身体、と言ってもその見た目は単なる四角い箱である。かつての愛らしい少年の姿など見る影もない。


「……すま――いや。……ごめんね、メベド」


 クロエは一歩踏み出て、その変わり果てた弟の表面を優しく触れてみてから、うなだれるようにそっと額をつけた。


[ううん、気にしないでいいよ。これは僕自身が決めたことだから]


 そう返すメベドの声には、確かに哀しみや後悔の響きは無かった。


[僕は自分の情報をアダムへと移した後、この世界でまだ生きている人間を探し出して、来たるべき界変を阻止できるように、ある組織を作った]


「それが――?」


[うん。人間の『意志Will』と『想像力Imagination』、それによって世界を『救い出しRetrieve』、あるべき未来へと『進んでいくAdvance』為の組織――それがWIRAウィラだよ]


「そうだったのか……」


[だけど界変が訪れる前にべレクに見つかってしまい、僕らはそれでも必死に戦った。それが『人類回帰のための聖戦』――だけど結局敗けてしまったんだ。そして当時いた一等官ルーラーは皆、べレクあいつが集めた転移者たちに殺されてしまった]


「べレクが集めた転移者? そんな奴らがいるとは聞いていないぞ」


[勿論今のウィラでそれを知る者はいないよ。彼らは全員LMー1に隠れてる]


(LMー1……。べレクが専属で担当している神話の世界プライミナスか)


 その亜世界は数年間べレクと行動をともにしていたクロエですら、一度も足を踏み入れたことのない場所であった。無論他の規制官についても同様である。


[――敗北後、僅かに残った規制官は散り散りになった。亜世界に逃げ、源世界との紐付けを解除してそこで生きる道を選んだ者もいる。そしてこの戦いを見届ける為、僕と同じようにインテレイドへと替わった者も。――そこにいるヨーゼフや、ルナインダスのハイダリもそうだ]


「ハイダリ? ダークネストークスに迷い込んだアーシャ・春・ハイダリの父か」


[うん。もっとも彼は、何も知らない娘までインテレイドにすることはできなくて、フラッドを起こすついでに――というのもアレだけど、昇華する世界に逃したかったみたいだ。……まあ予想以上に有能な規制官君たちに阻止されちゃったけど]


 嬉しいやら残念やら、とメベドは笑って誤魔化した。


[ともかく、そうして芽を積まれたウィラは逆にべレクに乗っ取られて、界変の邪魔になる要因を排除する、という真逆の目的を持った組織に変えられてしまった。それに合わせて過去の歴史データも改竄された]


「………………」


 衝撃とも云える真実はなしが終わると、クロエは暫くの間無言であった。アダムの箱メベドの身体が発する振動音だけが閑静な空間に響く――。

 しかしやがて熟慮を終え、進むべき道を決めた彼女は徐に口を開いた。


「べレクは今どこにいる?」


 するとメベドは期待していた通りのその問い掛けに、真面目な声で間髪入れずに答えた。


[LMー1だ。恐らく君の変化にもう気が付いて、界変の準備をし始めているはずだよ]

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