EP19-4 凝固する疑念

 ――源世界/WIRA本部統制室――


「失礼します」


 白い壁が、淀みなく歩くクロエの輪郭に合わせて穴を開けた。一見すると彼女が壁を貫通しているようにも見える。


「ご苦労だったクロエ。――状況は?」


 局長のジョルジュは、彼の身体に沿った曲線のシンプルな椅子に座り、何も置かれていない平机に両手を置いて彼女を迎えた。

 クロエはその2メートル程手前で足を止めると、軽く肘を上げて、人差し指と中指を伸ばした右手の平を上に向けた。するとその指の先で床が盛り上がり、亜世界の人間と思しき様々な人物の姿へと変化していく。鎧を着た肌黒の戦士や、雅な衣を纏った女性、体の半分が機械仕掛けの少年や、戦闘スーツのゴツい老人――。


「いずれの亜世界でも、情報改変はごく普通の転移者によるものでした。発展性と因果関係を考えても、ファントムオーダーとの関与は薄いかと」


「……そうか。あれだけの犯行にはかなり入念な準備期間が必要になるだろうが、流石に手当たり次第という訳ではなさそうだな」とジョルジュ。


「ええ」


 クロエがそっと指を折ると、リアルな彫像は一瞬で色を失い、圧縮されていた砂粒が自由落下するように床面へと帰っていった。


「――目的であれ手段であれ、フラッドを誘発したいのであれば亜世界ターゲットは絞られます」


「うむ。情報粘度が低いか、プロタゴニストへの依存が強い世界だな。現状それらの懸念がある亜世界では、各規制官が潜入調査を行っている」


「例のWSー9は?」


宇宙戦記の世界インヴェルセレにはガァラム二等官を割り当てた。だが一人で捜査と護衛をこなすのは難しいだろう。サポートでアマラを行かせる」


「アマラを……そうですか」


 表情にこそ出さなかったが、クロエの反応へんじがほんの僅かに遅れたのを見て、ジョルジュが尋ねる。


「心配かね?」


「いえ」


「……彼女の性格は理解している。だが現状他に適役がいないのも事実だ」



 ***



 WIRAの現状深刻な人手不足任務の内容タウ・ソクの護衛を聞かされたアマラが、ぶつくさと文句を言いながら統制室を出て行くのを腕を組んで見送るクロエ。

 壁が閉じるのを見計らってジョルジュが口を開く。


「それで――?」


 というのは、わざわざ統制室に彼女が出向いた理由についてである。――大した成果も得られていない報告であれば、クロエの性格上OLSだけで済ませるはずだ、とジョルジュは理解している。

 部屋の中央の柱と一体化している球状体ルーシーを除けば、統制室に残っているのは彼とクロエの二人だけであった。


「私が孤児として引き取られる以前の事ですが」とクロエ。


「また随分と昔の話だな。――掛けたらどうかね?」


 ジョルジュがクロエに座るよう促すと、彼女の目の前の床がモコモコとソファの形に盛り上がった。

 しかしクロエは「いえ、このままで」と、それを手で遮る様にして止めた。床が元に戻る。


「…………。君がここへ来る前というと――24年前か」


「はい。……私が3歳の頃、火星のプラント事故で両親が亡くなった後、べレクの申し出でWIRAウィラ預かりになったと」


「いや、君の預かり受けを打診したのはWIRAウィラだよ。べレク個人ではない。無論その意思決定には彼や私の意見も含まれていたがね」


「………………」


 何故か不満げに考え込む様子のクロエに、ジョルジュは首を傾げた。


「それがどうかしたのかね?」


「……それは事実でしょうか?」


「? 事実か、とは? 勿論全て事実だが……どこに疑問が生じるのかね?」


「私の両親の事故死――というよりも、その人間が本当に私の両親であったのかということです」


「おかしなことを訊くな……? 君は両親の実像データを見たことがあるだろう? 記憶には無いのかね?」


「私は両親彼らの顔を憶えていませんので……元素デバイスで再現された父と母あの人達を見ても、正直なところ実感が湧きません」


「ふむ。だがOLSのデータに間違いはない。君の権限なら、当時の記録も両親の遺伝子情報も全て閲覧できるだろう?」


 ――超国家機関であるWIRAの捜査は、世界中の汎ゆる事件をおいて優先される。その第一等規制官の捜査権限を以てすれば、個人情報や国家機密すら自由に閲覧することが可能である。


「…………」――黙るクロエ。


 勿論彼女がそれを知らぬはずはない。しかし彼女にはもっと深い所で疑念が生まれていたのであった。

 その契機となったのは、あの謎の明晰夢だけでなく、宵闇と黄昏の世界ダークネストークスでメベドが告げた台詞。


 ――『……君たちは最も蓋然性の高い情報から疑うべきだ』――


 クロエの表情は変わらなかったが、内心では疑念それを口に出すべきかと躊躇っていた。


(奴の言葉は曖昧だが、その意味するところは『疑いようのない情報ものから疑え』ということだろう)


 それによって生まれた疑念がここのところ、彼女の頭の隅に粘りこく棲み着いているのであった。

 無論クロエは犯罪者の言葉など鵜呑みにはしない。しかし逆に、犯罪者が言ったからといって全てを嘘だと突っ撥ねるような、愚かな真似もしないのである。彼女は情報の意味と価値を、誰よりも良く理解していた。


(あれが源世界について示唆しているのであれば、それは例えば、OLSのデータベースそのもの……或いは――)


 無表情なクロエの沈黙が、それ以上言うことはないという返事と捉えて、ジョルジュは話題を変えた。


「――先達て君から申請があった例の入国手続きだが、教国の予定に合わせて来週で日時を決めた。問題ないな?」


「はい、問題ありません」


「……理由は聞いているが、私としてはあの国が情報犯罪に関わっているとは思えない。聖ローマ教国は先の大戦以来、我々の文明とは違う道を選んだ閉鎖国家だ。無論OLSも存在しない。一等官ルーラーとは云え、危険が無いとは言い切れんぞ」


「理解しています」


「――何か根拠があるのかね?」


「いえ、勘です」


 と躊躇いなく言い切るクロエに、彼は小さく息を吐く。


「そうか……。まあ君がそう感じるのであれば、私としては信じざるを得まい」


「ありがとうございます。――失礼します」


 颯爽と向けられた彼女のピンと伸びた背中を、ジョルジュは無言で見送った。


「…………」



 ***



 元素デバイスを通して視れば様々な情報が行き交い、賑やかとも云える廊下を歩くクロエ。


(現実的に考えれば――)


 しかし彼女はデバイスの補助機能を切り、目に映る景色や、自動的に取捨選択されつつも耳に入る音を消し去って、味気無く白けた廊下せかいを手に入れた。


(OLSのデータを改竄するには、10の42乗個もの元素デバイスに遍在共有されている情報を、誤差ゼロ秒で同時にハッキングする必要がある――が、そんなことはルーシーですら不可能だ。そもそも元素デバイスで構成されているインテレイドが全てのデバイスを同時に書き換えるというのは、時間的に矛盾している。しかし――)


 論理的に考えれば有り得ない仮説。しかし漠然とした違和感と疑念の凝りは彼女の思考の中で礫のように固まり、その疑念を杞憂と揉み消すのは難しかった。

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