EP19-2 虚空に立つ

 悍ましい異形の怪物は、視認出来る限りの空間を埋め尽くしたところで増殖を終えた。しかし無論『もうこれ以上は増えなくなった』という事実が、今更連合艦隊の人々にとって希望を与えようはずもなかった。

 徐に進攻を開始した彼らを前に、最早どんな命令を出せば良いのかすら判らず、うずくまって黙り込む司令官。ひっきりなしに他艦から入る「命令を!」という要請の言葉にも、茫然自失として何も返せずにいる艦橋の人々。


「……もう、終わりだ。人類は――」


 誰かが洩らしたその台詞を否定する者もなく、皆が沈黙した。その耳には緊急の警報や悲鳴に近い通信音声だけが響く。

 その悲嘆の静けさの中――ぼんやりとレーダーを見つめていた男性が、そこに捉えられた正体不明の反応かげに気が付いた。


「……何だ――? 何かが……怪物やつらの群れに……?」


 彼が呟くと他の者もそれに気が付いて、計器類を確認し始める。項垂れていた司令官が、自分を置いて動き出した周りの兵士達に「どうした?」と訝しげに訊いた。


「それが所属不明の機体……いやこれは――まさか生物? そんなはずは……」


「何を言っている?」


「正体は判りませんが、所属不明の何かが高速で敵に向かっています」


「……所属不明だと? 大きさは?」


「小さすぎて正確には捉えられませんが、恐らく2メートルに満たないかと……。しかし凄まじい勢いで加速しています。現在の速度は180――」


「なんだと……? 本艦の10倍近いではないか」


「ですが――」と返した男性は、計器を食い入る様に見つめる。


「……220……250……300を超えました! 400……600……まだ加速している……」


「馬鹿な、そんな機体がある訳が――」


「不明機の初期観測データ、解析画像出ます!」


 司令官の驚愕の声を遮って、別の女性が大声で報告した。そして解析結果が中央のモニターに映し出される――そこには黒服の一人の男。


「そんな……! 人間だと――?!」



 ***



 亜光速で飛行するべレクはAEODアイオードに指示を出す。


[IPFを展開、アンプを起動しろ]


[承知しました。半径4パーセク(※1パーセク≒3光年)でIPFを展開します]


[狭い。80まで拡大しろ]


[承知しました]


 AEODアイオードがそう言うと、即座にシャボン玉のような透明の膜が宙域を包み込んでいく――。光速を遥かに超える速度で拡がるIPFを追うように、べレクは一直線に怪生物の元へ。

 するとイローダー達が急速に接近するベレクに注意を向けた。彼らにとっては、自分達以外のモノは全てとしてしか認識されていなかった。

 横に拡がった群れの片翼のごく一部、といっても100億を優に超える数が、ベレクの方へと転回してザワザワと動き出す。しかしベレクはそれを気にも留めずに、展開する彼らの正面真ん中付近にまで来ると、ピタリと瞬間的に停止した。

 彼は自身の視野角を全て埋め尽くすほどのキューブとイローダーを、無感情な視線で確認してから、ゆっくりと翼を広げるかのように両手を左右に伸ばした。そしてその指を開くと、目の前に仮想された巨大なボールを圧し潰すかのように、掌の間隔を徐々に胸の前へと狭めていく――。

 すると宙域に拡がったキューブ群が両端から見えない壁に押され、搔き集められるかの如く中心へと押しやられ始めた。巨大なキューブ同士がぶつかり合い、慌ててそこから逃げ出そうとしたイローダーの何割かは自分達が何をされているのか理解できぬまま、それに巻き込まれて圧殺された。そして狭められた容積の限界を超えても尚、その収束の力が納まることはなく、圧縮された物質達が眩い光と高熱を放ちながら崩壊してゆく。


 連合艦隊の人間達は、状況を全く理解できないまま茫然とその光景を眺めていた。


「一体……何が起きているんだ……?」と司令官。


 彼の周囲で丸いコンソールに齧り付く者達は、彼らなりの科学で可能な限り状況を解析しながら告げる。


「イローダーの約半数が消滅! キューブは崩壊しつつも質量を維持……体積だけが急速に収縮しています!」


「体積が……? まさか――?!」


 難を逃れたイローダー達は混乱しながらも、圧縮それが突如現れたベレク謎の生物による力であるらしいと認識して、一斉に彼の許へ飛来してきた――が、既に遅かった。

 拝むように掌を閉じたベレクは、キューブを直径1キロメートル程の球体にまで圧縮し終えると右手を前に翳した。その視線と翳した手の先では、迫り来るイローダーが鍾乳洞の様な巨大な口を広げている。しかしその不揃いな歯牙がベレクに届くことはなかった。

 彼が開いた手を固く握り締める――周囲の空間が歪むと同時に、球状に圧縮されたキューブは更に縮んで漆黒のとなった。


 刹那――広大な宙域のイローダーは総て、何かを知覚するほどの猶予も無く、そのブラックホールに吸い込まれ消滅した。同時に消え去る点。


「…………」


 後に残ったのは人間達の連合艦隊とベレク、そして宇宙の静止画。


「……あ………………」


 人智を超えた突然過ぎる出来事に、連合艦隊の人々は言葉を失っていた。誰しもが唖然としている中で、暫くしてから一人の女性が辛うじて声を発した。


「……ぜ、全イローダー、及びキューブの――消滅を確認……」


 報告した本人ですら、それが自分達の大望――彼ら人類の悲願であった戦勝報告であることを、まるで理解出来ていない様子であった。

 すると司令官の半開きのままの口から、無意識に言葉が漏れた。


「神――なのか……? あれは……」


 艦橋の中央に浮かぶモニターには、黒いスーツ姿の男の背中が映っていた。



 ***



 情報犯罪者ディソーダーの消滅を確認したAEODアイオードから、何事もなかったかのように佇むベレクへと通信が入る。


[IPF解除確認。エントロピー変化は許容範囲内、FRADフラッド発生予測値はゼロです]


 ベレクは、イローダーの群れが消失した地点から居並ぶ連合艦隊に視線を移した。そして再び開けた景色の中で、燦然と輝く銀河に目をやった。


[アイオード]


[なんでしょう? 一等官ルーラーベレク]


[さっきの比喩の話だが――]


[はい]


[お前は宇宙これを海だと言ったが……俺にはそうは見えない]


 静かな宇宙に佇むべレクの顔には、人間らしい感情などというものは何処にも見当たらなかった。その彼に沈黙を返したままAEODアイオードが待っていると、彼は醒めきった声色で言う。


[――亜世界こんなものは、単なる箱庭だ]


 銀河がどれだけ煌びやかに壮麗を飾ろうとも、そう吐き捨てた彼の黒い瞳には、感慨の色ひとつ浮かぶことは無かった。

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