第四章『神の箱庭、世界の編纂者』

EP19. *Lost article《彼女の世界》

EP19-1 べレク

――2276年6月。

 WSー44『星喰らいの世界プレデタルジーン』――


 銀河は万華鏡の如く。透き通った黒い空間に散りばめられた、無際限の光彩は、霧となり河となり、どちらへ目を向けても永遠に広がっていく。

 無音と無温――その果て無き宇宙空間に、黒いテーラード仕立てのスーツを纏った人間が、生身のまま、水面に浮かぶように独り漂っている。

 そのまま暗黒に溶け込んでしまいそうな黒のロングヘアー。年齢は20代後半といったところだが、作り物のように端正な顔は国籍も感情の在り処も不明で、その男が醸し出す雰囲気は源世界の人工知性体インテレイドよりも、余程非人間的であった。

 眠るように瞼を閉じている彼の脳内に、耳当たりの良い男性の声が淡々と告げる。


FRADフラッドの発生予測値が上昇しました。現状のエントロピー増加率を維持した場合、33分後に臨界を突破します]


「………………」


 男――第一等規制官べレク・・エンリルは無反応。

 無重力の揺り籠が孕む静寂は深く、暫しの間その空間の代弁者のように沈黙を守っていた彼は、OLSの通信で返答とは違う台詞をAEODアイオードに投げ掛けた。


[星の中で生きる人間は宇宙を『空』と呼び、星を出た人間は宇宙を『海』と呼ぶが――]


 べレクは徐に目を開けた。その瞳もまた深い黒。


[お前はどう感じる?]


 情報迷彩によって存在そのものが隠されたAEODアイオードは、何処とも知れぬ場所からその問いに答える。


[代替表現、或いは比喩を用いるのであれば、後者の表現がより適切であると判断します。海が生命体に満ちているのと同様、宇宙空間に存在する星も、広義には一つの生命と捉えることができます]


[……そうか]と、無表情で返すベレク。


 するとそこで、彼から遥か彼方の離れた場所で空間が波紋の如く歪み、そこに幾つもの空間の穴ワームホールが次々と出現した。

 そしてそのワームホールから現れたのは、有機的な――昆虫や蛹を思わせる流線形のデザインの宇宙船。1隻がひとつの国ほどもある巨大なそれは、この亜世界で生きる人間が人類存亡の為に造り出した戦艦である。


[――連合艦隊です]とAEDOアイオード


 戦艦はワームホールから絶え間ない雪崩のように出現し続け、やがてその数は千を超えた。膨大な戦力の群れが扇状の戦列を整えると、最後に今まで現れたものの10倍はあろうかという超大な母艦が中央に現れた。

 ――その中に慌ただしく飛び交う報告の音声。


「全艦、配置完了しました」


「戦闘機、発進スタンバイ」


「予測会敵時刻まで、あと50秒」


「全砲門エネルギー充填開始」


 低い天井の広い艦橋部――扇状に並んだ席に座る軍服の女性達。中年の髭面の司令官は、ガラス越しに正面を睨み据える。


「いつでも来い……人類の敵イローダーどもめ……」


 白と紺の軍帽を深く被り直した彼に。


「会敵まで、あと10……9……8……」


 女性の声は秒読みを経て大きくなった。


「――来ますっ!」


 それと同時に、遠く離れたAEODアイオードもべレクに伝える。


情報犯罪者ディソーダーです]


 連合艦隊の正面、遥か彼方に白く光る点。その点が上下に延びて線となり、前後に延びて半透明の平面になると、アコーディオンの如くパタパタと開いて立方体を量産していく。そうして出来上がった1辺数百キロメートル程の立方体キューブが、眩い白色を帯びて実体化する。


「出たな、化け物どもめ……」と司令官。


 するとキューブの壁面に波紋を拡げながら、全長100メートルを超えるたことも烏賊いかともつかぬ生物が、続々と滲み出てきた。胴の大部分が赤黒い複眼に覆われ、表皮は玉虫色の液体金属。9本の触腕あしは各々が途中から枝分かれしている。正に異形と云うに相応しい、悍ましき外見の生物であった。


「キューブからイローダー出現! 数は30万……より更に増大中、次々と排出されています!」


「第一種戦闘態勢! 全機出撃! 砲門開け!」


 流線形の外壁から棘の如く生え出る砲塔と、底面に空いた穴から一斉に出撃する半月型の白い無人戦闘機――。司令官の「攻撃開始!」とともに、何千という数の砲門が光の火を吹き、何万という戦闘機がそれを追う。

 だが膨大な光の束は、怪生物イローダー達のドロドロとした表面に穴を空けたように視えて、そのまま全てが呑み込まれていった。


「――ダメです! 粒子砲無力化! イローダーはキューブとともに依然増加中!」


「これだけの出力でも効かんというのか……。仕方あるまい――対消滅クラスター弾を使え!」


「了解! 全機、対消滅クラスター弾装填!」


 女性が司令官の言葉を復唱すると、戦艦の砲塔が収納され、代わりにハチの巣の様な多弾発射台マルチランチャーが登場した。

 イローダーへと向かう戦闘機達も、下部に付いたビームの照射装置がリボルバーのシリンダーの如く回転して、宇宙空間用のミサイルへと切り替える。――全軍の準備が整ったと見て、司令官が再び指示を飛ばす。


「対消滅クラスター弾、発射!」


 その号令で各艦と戦闘機がおびただしい数のミサイルを発射する。先程のビーム兵器に比べればその速度は緩やかであったが、その分徐々に迫るミサイルの津波は壮観であった。


「滅びろ……化け物め……」


 視界を埋めるミサイルの群れを、固唾を飲んで見守る司令官。


「着弾まで、3……2……1……」


 そして途轍もなく巨大な、真っ白い球体爆発の連鎖がイローダーとキューブを包み込んだ。


「着弾確認! イローダーの98%が消滅しました!」


 その報告に、艦橋内で安堵と歓喜のどよめきが起こった。しかしその喜びも束の間――。


「よし、残ったキューブを――」と、司令官が明るい声で言い掛けた時。


「待ってください!」


 卓上のレーダー上にポツポツと現れる、敵を示す赤い点。それが瞬く間に、加速的な速さで増加していく。


「き、キューブが……」


 人間彼らの努力を嘲笑うかのように赤い点は増え続け、それが示す通り艦隊の前方にはキューブが途轍もない速さで展開されていく。そこから溢れ出るイローダーの数も指数関数的に増えていき、一向に打ち止める様子は無かった。


「キューブが増加……か、数は57万基……ですが尚も増加中――」


 やがてモニター、レーダー、艦橋からの視界も、全てが敵で埋め尽くされる。その数は目の前に拡がる星々よりも多く見え、その圧倒的な物量が人類の戦意を完全に打ち砕くまでに、そう時間はかからなかった。


「キューブは300万基を、突破……イ、イローダーの数は…………に、2兆体以上――。間もなく……観測限界を……超え……」


 女性の声は途中から絶望に震え、最後は掠れてほとんど聴き取れなかった。しかしその目に浮かんだ涙を咎める者は誰もいない。本来その立場にある司令官ですら、歯軋りをして天を仰ぐことしか出来なかった。


「くっ――神よ……。こんな……こんな馬鹿げたことがあるものか」


 人類の絶望――しかしそんな亜世界の人間達の嘆きなど露知らず、べレクはその怪生物の大群を遠くから見つめながら訊いた。


[本体は?]


 するとAEODアイオード


[総てです。イローダーと呼称されているあの生物は、一つの情報を共有している群体です。極めて微弱ですが、全ての個体がアルテントロピーを保持しています]


[群体――か……]


[彼らはコミュニケーションの概念を持たず、捕食以外に行動目的がありません。説得は不可能です]


[了解した、殲滅する]


 という返事と同時に、べレクはイローダーディソーダーの群れに向かって飛び去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る