EP11-5 明けない夜

 ――7年前/『宵闇と黄昏の世界ダークネストークス』/とある教会――


 激しい雷雨の夜であった。屋根や窓を激しく打つ雨音。こだまする雷鳴。ステンドグラスの聖母のシルエットが、稲光の度に刹那微笑みを覗かせた。

 人気の無い寂れた教会の壇上に横たわる、白いドレスを着た美しい金髪の若い女性を、びしょ濡れのレイナルドはそっと抱きながら、魂の底から絞り出すような悲痛の声を洩らす。


「……フェリ……シア――」


 その女性――フェリシアは、レイナルドが愛を誓い合った恋人である。彼女は確かに生きているが、その表情は彫像の様に固く、レイナルドがどれほど名を呼んでも、その眠りから目覚めることはなかった。

 そこへ、唯一灯りの拠り所であった1本の燭台の火が揺らめいた。教会の古びた扉が徐に開かれ、風雨とともに人が入ってきたのである。レイナルドがそちらに目をやると、立っていたのは白い貫頭衣を着た白髪の老人であった。その両眼は閉じられていた。


「…………」


 佇立する老人の後ろで扉が勝手に閉まる――ホールに響く重い音。風雨の響きが遠退く。――土砂降りの外から来たにも関わらず、老人の髪や服が濡れた様子はない。


「……誰だ?」とレイナルド。


 老人は盲目とは思えぬ確かな足取りで、長椅子に挟まれた中央の通路を、澱みなくレイナルドに向かって歩む。


「…………」


 警戒するレイナルドが足元の銀色の鎌に手を伸ばすと、老人が口を開いた。


眠りそれは呪いだよ」


 そう言った老人の声は不自然な程に若々しく、まるで少年のようであった。


「……呪い……?」


 眠るフェリシアを片腕で抱き抱えたまま、鎌を握るレイナルド。しかし老人はそれを気に留めることもなく、話を続けた。


「当然知っているだろうけど、この世界には真祖と呼ばれる吸血鬼がいる。君の父親の他にもね。――そこの彼女の眠りは、そのもう一人の真祖によってかけられた呪いだよ」


「……貴様は――何者だ?」


「僕の名はメベド。しかし僕が何者であるかという説明をしても、君には理解できないだろう。それに僕が何者かなんてことは、君にとっては重要なことではないはずだよ、レイナルド・コリンズ君」


 レイナルドは恋人の身体を、繊細なガラス細工を扱う様にそっと床に降ろすと、鎌を立ち上げた。窓の外の雷光が銀色の刃に反射する。

 メベドがそっと構えを手で制する素振りを見せると、レイナルドの体はその体勢のまま、ピクリとも動けなくなった。


「――!?」


「真祖とは違うけど、僕も少し変わった力を持っていてね……理を書き換える力さ。どうだい? 指一本動かせないだろう? ただ勘違いしないで欲しいのは、僕は別にこの力を見せびらかすつもりで来たんじゃあない。この力を使うのは、制止こうでもしないと君が話を聴いてくれなさそうだからね」


「…………」


 レイナルドはその台詞に喋り返すことも出来ない。


「いいかい、レイナルド君。君がその恋人にかけられた呪いを解きたいのであれば、元凶である真祖を倒すしかない。だけどね、今の君の力では真祖はおろか第二世代吸血鬼にだって敵いやしない。君はもう少し強さを身に付ける必要がある――例えばそう、その銀色の鎌が吸血鬼の血で漆黒に染まるまで戦い、君が吸血鬼たちから畏怖の目で見られ、その名を口に出すことすら憚られるほどの強さを得る必要がね。そこに到って、ようやく君は真祖とも渡り合うことができるだろう」


 まるで予言者のような口ぶりのメベドに、レイナルドは物言いたそうな目を向ける。するとメベドは指をパチンッと鳴らした。彼の拘束を解いた。


「っ! ……」


 レイナルドにかけられた視えない拘束が解ける。


「貴様の……目的はなんだ?」


「僕の目的はただ、君に幸せになって欲しいだけさ――なんて言っても信じないだろうから、正直に話すとね。……僕はのさ。それだけだ」


「…………」


「信じてないみたいだね。まあいいよ。それよりも君は自分の復讐もくてきを果たすことだけ考えていればいい。……もし君が充分な力を身に付けた時には、僕は再び君の前に現れる。そしてその時には、君の目的を円滑に進められるプレゼントを用意しておこう」


 そう言って消えたメベドが、約束通り再びレイナルドの前に現れたのは2週間前であった――。



 ***



 森の中で吸血鬼5匹をまとめて討ち滅ぼし、満身創痍となっていたレイナルドの許へ、彼は唐突にその姿を現した。


「やあ久しぶりだね、レイナルド君」


 そのメベドの横には青い宝石のペンダントを持った一人の少女。亜麻色の髪を一本のお下げにして、赤いワンピースを纏った彼女がロマであった。


「…………メベド……」


「うん、よく憶えていてくれたね。しかも言いつけ通り、山ほど吸血鬼を狩っているみたいだ」


 メベドは感心感心と頷いてから、隣で畏まっているロマの背中を軽く押した。


「この子の名前はロマ。そしてこの子に持たせた宝石は、力ある吸血鬼の居場所を示す機能ちからを持っている。これが僕から君へのプレゼントだ。ただ気をつけなくちゃいけないのは、この石は彼女が持たなければ力を発揮しないということ。だからね、レイナルド君。――君には彼女を護ってもらいたいんだ」


 ロマが返り血に塗れたレイナルドの前へ恐る恐る進み出て「はじめまして」と一言いうと、メベドはレイナルドの返事を聞かずに、フードを深く被り直してから背を向けた。


「では宜しく頼むね。真祖はもう近いよ……と言っても『彼女』は、この世界ではイレギュラーな強さを持っている。決して気を抜かないようにね。それじゃ――」


 軽く手を振った彼はそのまま闇の中へと溶けていった。



 ***



 宵闇の下。寂れた街道脇の空き地――。パチリと鳴る薪から上がる火の粉をロマが目で追っていくと、空に広がる満点の星に辿り着いた。


「綺麗……。月から見る星は冷たいのに、地上から見る星は優しいのね……」


 暗がりの中で焚き火の炎によって照らし出された少女の横顔は、なんとなく寂しそうに感じる。それを一層濃くしたものが、彼女を見るレイナルドの顔にもあった。


(……ロマ、お前は何者なんだ?)という疑問を、彼は口にしない。


 自分には自分の血塗れた道があるように、他人には他人の生き方がある。出自や悩みを聴いたところで、結局別の魂を持つ者同士が理解し合うことなどない――レイナルドはそう考えている。故に彼は無駄な言葉を発しないのである。ただ黙して己が復讐の為に、フェリシアという恋人を目覚めさせる為だけに鎌を振るう、吸血鬼を狩る。それがレイナルド・コリンズという男であった。


「この世界の夜は、本当に長いのね……」


 僅か2週間と少しの付き合いではあるが、彼がそういう人間であるということを知ったロマは、独り言のようにそう呟く。すると珍しくレイナルドが彼女の台詞に応えた。


「…………人間には……生き辛い世界だ……」


「生き辛い世界……」とロマが反芻する。


「――それなら私のいたところも、似たようなものだわ……。人間よりも優れた存在が人間の為に尽くす世界――。あの人たちはけれど、私たち人間はただ自由なだけ。自由しか無いなんて辛いだけよ……」


「……だから、俺と一緒に……来たのか……?」


「多分そういうことなのよ……。この世界に住む人たちには役目があるもの。麦を育てたり、パンを作ったり――あなたのように吸血鬼を退治したり。それは誰かに必要とされているってことだと思うの」


「…………誰かに……か――」


 再びパチリと崩れる焚き火の中へ、レイナルドは静かに薪を継ぎ足した。

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