EP6-10 蜘蛛の巣の蝶

「じゃあもし亜世界の人が凄く悪いことを――例えば世界を滅ぼすとか、そういう悪事を働いても、規制官僕たちはその人を源世界に連れて行ったりしないんですか?」


「無論だ。彼らには彼らの人生みちがあるからな。情報犯罪と関係が無ければ、WIRA私たちがそれに干渉する権利は無いよ」


 クロエの台詞に少しユウの顔が翳る。


「道と権利……なんとなく解る気はしますけど――」


「納得はできないか? そういえばお前は、初めてWIRAに来た時にも局長に噛み付いていたな――?」


「それは……ええ。だって亜世界だろうと源世界だろうと、犯罪は犯罪じゃないですか」


 するとクロエはフッと微かに微笑んだ。


「何が可笑しいんですか」と、ムッとした表情を見せるユウ。


「すまない、お前を笑ったんじゃないよ。ただ新人の頃のリアムを思い出してな。あいつもよく、今のお前と同じことを言っていた」


「リアムさんが、僕と同じ――?」


「ああ。ルーラーは単独での任務スタンドアローンが基本だが、リアムの場合は独断それが酷くてな。よく局長や私に叱られていたよ。……もっともあいつは、今だにその考えを捨てきれていないようだが」


 ――クロエと同じ第一等規制官のリアム・義・ヨルゲンセンは、元は超人的な能力を持つスーパーヒーローとして世界を護っていた、勧善懲悪の正義の人であった。彼にとって力無き善良な人々は、例えそれがどんな世界の存在であれ救うべき対象なのであった。


(やっぱりあの人は――)


 自分が思い描いたヒーローそのものなのだと、ユウは改めて尊敬の念を抱いた。しかしクロエは「だが――」と、彼の認識を真っ向から否定した。


「それでは駄目だ。我々の目的は亜世界自体を護ることであり、突き詰めればFRADフラッドを阻止することだ。亜世界の『誰か』を救うことではない」


「なんで……? 助けられる人を助けちゃいけないんですか?」


 ユウの純粋な正義の眼差しに――それは正しく勇者の瞳であったが、クロエはそれに対して首を横に振ってから口を開く。


「『蜘蛛の巣の蝶』という話がある――」


「?」


 唐突な話題の方向転換に、ユウは訝しげに小首を傾げた。


「規制官の間でよく使われる例え話だ。……お前はおぞましい蜘蛛の巣に、美しい蝶が捕えられたのを見つけた場合、その蝶を助けるか?」


「……それって、そのままの意味ではないですよね?」


「ああ勿論、例え話だからな」


 するとユウはその質問の意味を暫く考えた後、自信を持って答えた。


「助けます。その蜘蛛が凶悪な人間で、蝶が僕の大切な人であるなら」


「そうか――では逆の場合はどうだ? 美しい蝶が悍ましい蜘蛛を殺そうとしていたら、お前はその蜘蛛を助けるか?」


「…………分かりません。ひょっとしたら助けない――かもしれないです」


「そうか。ならばその基準はどこにある?」


「え――……」


 そう問われたユウは言葉に詰まる。しかしそれは答えが見つからないのではなく、言葉に出せばそこに生まれる正義がとても陳腐なものに成り下がる気がしたからであった。


 一連の花火が小休止して次の打ち上げまでの準備がされている間、暫し波音を主とした世界が訪れた。キャッキャと騒ぐ1年生グループ以外の声は聴き取ることが出来ず、その静けさの中にユウの言葉も溶けていった。


「…………」


「解らないというよりは、言いたくないといった顔だな。ならば代わりに答えてやろう。基準それはただ、お前にとって『好ましいかそうでないか』――それだけだ」


 再び沈黙するユウだったが、彼は何とかして反論めいた言葉を絞り出した。


「……それじゃ――ダメなんですか? 僕が大切だと思う人を救うことが、いけないことなんですか?」


「ああ。駄目だ。規制官としてはな」とクロエ。


「――!」


「気持ちは解る。だがユウ、亜世界には亜世界の理や因果があるんだ。それをメタな存在である私たちが変えるということは、世界そのものから自由を奪い、そこで生きる人間の意志や歩んできた道を否定するということだ。そんなことは許されるべきではない。――規制官私たちは神ではないのだからな」


 一言一言の響きにクロエの確かな志と責任感を感じたユウは、また同時にその論理にも抗うことが出来なかった。


「……クロエさんが云う、その在り方が、規制官として正しいって言うなら――僕はもう……」


 呟くユウの言葉を再開された花火の音が掻き消して、彼の物憂げで哀しそうな顔を照らした。彼の考えていることを察したクロエが「お前はもう――」と切り出した。


「自分の道が分からない、か?」


 そう問われたユウは、つい自分の心の声を口に出してしまったかと慌てて口を噤む。


「隠す必要はないさ。それは規制官なら誰しもが抱く悩みだよ。……いや、人間なら誰しも――かもしれないな」


 ユウはクロエに見透かされた気恥ずかしさよりも、彼女が穏やかな口調で肯定してくれたことに安堵して口を開いた。


「……規制官になって良かった、とは思うんです。こうしてクロエさんとも出会えたし、アーマンティルに転移した時とは違って、僕には選択の余地がありました。でも最近、選択が出来るということは怖いことでもあるんだと気付きました」


(選択することの怖さ――か……)


「だって『選ぶ』って、何かを信じるってことじゃないですか? その信じていたものに裏切られたらって思うと――」


「…………」


「亜世界に飛ばされて、僕はそれまでの人生を失いました――それは自分で望んだことでもありましたけど……。だけどアーマンティルでは勇者として必死になって生きた。勇者それは僕にしかできないことだからと言われて、僕もそうなんだろうって信じてました……でもそうじゃないんですね」


 彼が勇者として倒すと決意した災厄の竜は、規制官ルーラーリアムによって容易く倒された。あの時の虚無感は彼にとって敗北以上の絶望を与えたのである。そして一歩間違えれば自身もまたディソーダーとなっていたかもしれない――そう考えると、ユウは自分の信じていた正しさが音を立てて崩れていく気がした。


「規制官になって亜世界のことを知れば知るほど、僕のアーマンティルでの4年間は何だったんだろうって思いが湧いてくるんです。最初の人生、そして勇者としての人生――転移の度に、それまでの全てが否定されたような気がして、まるで僕の人生世界が無意味なんだって突き付けられたような気がしました……」


 クロエは敢えて口を閉じ、静かにユウの言葉の続きを待った。彼の言葉の合間に挿し込まれる応えは、ドンドンと夜空に響く爆発音だけであった。


(――もしもまた、僕の歩んできた世界みちが無意味になってしまうなら。僕は何を信じて次の道を選べばいいんだろう……?)


 ユウの思考は自身に向けた問いであったが、クロエは彼の表情からそれを聴くことが出来た。

 合間に大きな花火が続けて数発上がりビリビリと空気を震わすと、1年生の方から「おおー」と歓声が上がる。次第に間隔が狭くなる花火のプログラムは、徐々に佳境へと差し掛かっている様子であった。

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