EP6-9 打ち砕く力

「ではやってみろ」と、クロエ。


 マナトが腰を深く落として、右手右足を引いた。背筋は真っすぐ、半身に構える。右拳を上向きにして肋骨の下に当て、左手で照準を定める。


(正拳突き……?)と、リコ。


 その予想通り、マナトは気合とともに右足を踏み出し、同時に右正拳を繰り出した。それは非常に洗練された古武術の順突きではあったが、どう見ても『ただの正拳突き』でしかなかった。しかし命中の瞬間――。


「!!」


 彼の拳が眩い光を放った。激しい衝撃とともに岩壁の打点が凹み、そこから四方に亀裂が走った。さながら破城槌はじょうついでも打ち付けられたかの様である。間もなく壁は中心からボロボロと欠けて、そしてガラガラと崩れ落ちた。


(なんて威力!)とリコ。


 マナトは大きく息を吐いた後、クロエに向かって一礼した。そして振り返ってクラスの皆に笑顔を見せると、ホノカに視線を送って親指を立ててみせた。


「すげぇな、マナト!」と、ヒロ。


 チトセに背中を叩かれたり、トウヤに頭をくしゃくしゃにされながら、マナトは称賛を浴びる。マナトに対して天邪鬼になりがちなホノカは、面と向かって褒められなかったが、内心は誰よりも喜んでいた。


 担任教師二人も拍手をしながら、しかし呆気に取られていた。


「凄いですね……。しかし鑑君は、一体どんなトリックを使ったんでしょうね?」とシュン。


 方法それについてはクロエの言葉が説明になった。


「よく気付いたな、鑑。――反作用の反射に」


「はい。白峰先生の『素手で』という言葉ヒントの意味が、ようやく理解できました」


 マナトは昨晩色々と試したが上手くいかず、ヤケになって壁を殴った時に、当然だが拳に激しい痛みを感じた。その時に『痛みを感じるイコール攻撃を受けている』という発想に至った。そして攻撃した時に自分にかかる反作用の力を殊能で反射することで、爆発的な威力を生み出したのである。彼の拳が光ったように視えたのは、その際の強引な力場の変化によって弾き出された空気がプラズマ化したものであった。


 リコは手を打って感心する。


「なるほどー! 皆さんよく考えましたねぇ。私ももっと勉強しなくちゃ! (でもそれより……)」


 何より驚くべきはクロエの分析力であるとリコは感じた。その気持ちをシュンが代弁した。


「ほんの少し彼らの殊能を見ただけで、弱点やその克服方法、応用方法に至るまでを考え付く――外佐はやはり別格ですよね」


「そうですねぇ。白峰先生あの人には、世界がどんなふうに見えてるんでしょう」


 リコはクロエという人間の縹渺とした底知れぬ力に、ある種の羨望と畏敬とも云える思いを禁じ得なかった。



 ***



 難題を終えた合宿3日目の午後は自由行動で、皆は自前の水着に着替えては揃ってプライベートビーチに繰り出して、思い思いに海水浴やマリンスポーツなどを楽しんだのであった。

 云わずもがな、男子の何人かは海よりも女性陣の水着姿を楽しんだ結果、そういう視線に敏感な女子達から冷たい眼で見られたり、逆に浜辺でもトレーニングしかしないトウヤは「折角新しい水着を買ったのに!」と幼馴染のチトセを怒らせたりもした。そして深夜の特訓によってホノカとの心の距離を縮めたマナトは、たどたどしい誉め言葉でもって彼女の頬を赤らめるのに成功していた。

 各自はそれぞれの関係性を発展させ、それが当人達の思惑通りであったかどうかは別としても、結局のところこの厳しい合宿の中で与えられた束の間の休息は、生徒達の想い出を語る上で忘れられない青春の1ページとなったのであった。



 ***



 ――強化合宿4日目の夜。


 夜空に咲く大輪の花は亜世界の中どんなところで観ても変わらず綺麗なものだと、ユウは浜辺に座ってそれを見上げながら感じていた。

 この超能力世界グレイターヘイムは、剣と魔法の世界アーマンティルに転移する以前にユウが住んでいた昔の源世界彼の生まれ故郷と似ているところが多い。ユウの世界に勇者や殊能者などという存在はいなかったし、それに伴って文明の発達や方向性も大きく違っていたが、学校という文化やこうして夏に皆で浴衣を着て花火を観るといった風習は、正に転移前あの頃と同じである。

 きっとこの亜世界の情報を創造したのは、自分がいたあの時代にこんな学校生活を夢見た少年少女達であったのだろう――そんなことを考えながら、打ち上げられる花火の音と火薬の匂いに懐かしい夏を覚えていた。


(いいなあ、こういうの)


 このイベントは本来の合宿の予定には無かったが、今朝たまたま花火大会の予定を知ったリコが「夕方からの座学は早めに切り上げてぇ、皆で花火を観に行きませんかー?」という提案をしたのであった。それをクロエとシュンが快諾し、生徒達の喝采を得てここに至る。

 浜辺では最初のうちは集まって花火を観賞していた皆は、誰からともなくいつの間にか、それぞれのグループに分かれて座っていた。


 リコとシュンの教師二人。シキとコノエの4−A組。ヒロとトウヤ、チトセとリンの1年仲良しグループ。そして規制官――ということは当然リコ以外に知る者はいなかったが、クロエとユウの二人。


 そんな中で「あれ?」とユウ。


 1年のグループの中にマナトとホノカの姿が無いことに気付いた彼が辺りを見回していると、少し離れたところにポツンと並んで座る二人の姿が、夜空に花咲く灯りによって照らし出した。二人の座る間隔は微妙に近く、絶妙に遠い。


(あんな遠くで何を……?)


 鈍感なユウがOLSの音声拡大機能を使ってマナトとホノカ淡い恋の真っ最中の会話を拾おうとすると、それを察したクロエが止めた。


「ユウ、野暮なことをするもんじゃない」


 マナトとホノカは正しく甘酸っぱい夢の中なのである。色恋沙汰には疎いユウも、クロエのその言葉でなんとなく彼らの会話が想像出来た。


「あー……なるほど。なんか羨ましいなあ」


 今やユウには無縁となった本物の学校生活やクラスメートとの恋愛――。同年代のそういう姿を見ると、自分で選んだ規制官の道とはいえ、やはり青春への憧憬を捨て切ることは出来なかった。


 すると「そうだな」と、意外にもクロエが同意した。


「クロエさんは、ずっと源世界の人間なんですよね?」


「ああ――私は偶発転移の飛ばされた経験が無いからな。そもそも転移者など、人類全体として見ればそう多いものでもないぞ」


「でもWIRAの人には転移者が多いと聞きました。……リアムさんも僕と同じ転生者でしたよね。あとまあ、ガァラムも一応。――他にもいるんですか?」


「いるよ。そういう奴は何人かな。一等規制官ではリアムだけだが」


「そうなんですか……(アルテントロピーが強いのは転移者だけじゃないんだ……)――そういえば亜世界の人たちにもアルテントロピーはあるんですよね?」


「ああ。そもそも情報次元に住んでいるのだからな。物理次元の人間がエネルギーで動くのと同じだ」


 クロエが意識していた訳ではないが、彼女の視線は静かに空を見上げている4年生の方へと向けられていた。それに気付いたのか、コノエがクロエの方を見て頭を下げた。


「だがクオリアニューロンを持たない彼らは、その亜世界が内包するアルテントロピーを与えられて生きているに過ぎない。だから決してディソーダーになることはない」


(犯罪者には――ならない……)


 それを聴いてユウは、以前から胸の奥で凝り固まっていた疑問をクロエにぶつけてみることにした。

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