EP5-2 手がかり

 訓練棟から外に出たクロエの頬を、雲間から射す細い陽光が照らした。曇り空の太陽は既に中天へと昇っている。彼女は訓練棟から少し離れた木陰のベンチに腰を下ろすと、背もたれに片肘を掛けて頬杖を突き、長くしなやかな脚を組んだ。その右眼は青く光っている。

 クロエは視界の中で、脳内のフォルダに整理しておいた資料から『顕現名帯者ネームド定期健診及び再検査』のファイルを開いた。


(再検査対象者は3名。体調不良による検査延期、摂食障害による栄養失調傾向、血中NgL異常による――これだな)


 資料に明記された再検査日程は今日、対象者は『4学年:神堂クレト』とあった。


[アイオード]と、クロエはOLSで一言。


[おはようございます。ルーラー=クロエ]と、爽やかな応え。


[この神堂クレトの再検査の詳細を]


[承知しました]


 AEODアイオードの返事とともに、クロエの眼前に広げられる医療カルテ。


[――公的定期健診は3週間前に実施されています。その検査結果より殊能血漿体しゅのうけっしょうたい、所謂血中NgLの濃度に異常が見られ、本日再検査となっています。検査内容は採血によるNgL濃度の再測定です]


[神堂は過去にも同じような検査をしているか? 投薬記録は?]


[はい。同様の検査は3年前から計18回行われています。投薬処置は2年前に1回行われただけで、他はいずれも採血のみです]


[(18回か……年4回の定期健診と合わせると、実際にはほぼ毎月検査していることになる)――異常だな]


 ボソリと呟くクロエに、AEODアイオードが説明を補足。


[但しのカルテ上ではNgL異常が記されていますが、検査時の測定器に残った情報からは異常が見当たりません。つまり数値は改竄されています]


[ふむ……(数値を改竄して得られた成果は再検査による採血のみ。つまり改竄の目的は神堂の血液の確保、ということになるな。だが遺伝子に反応するNgLに何の意味がある?)――改竄した人間は?]


[使われた機械のシリアルナンバーと検査室内の監視カメラの映像を照合した限りでは、最先端兵器開発研究所――通称『LEADリード研』に所属する、金田トシヒロという男性です]


LEADリード研? 殊能局管轄の病院じゃないのか?]


[公的定期健診は殊能局付属の中央病院で行われていますが、神堂クレトの再検査は別の場所で行われているようです]


[まるで『疑ってください』と言わんばかりの不自然さだな。その金田という男の身元は?]


[金田トシヒロ。34歳。独身。役職は無し。17か月前から当該研究所に勤務しています。それ以前は大手製薬会社の研究員です。専門は病態生理学です]


[ふむ。検査が頻繁に行われるようになったのが約3年前――ということは、ポジションから考えてもその男は、単に上からの指示でやっているだけだな。研究所の責任者は誰だ?]


LEADリード研の所長は皆川ケンゴという男性ですが、実質的な主導者は統括開発本部長のベクター・ランド博士です]


[ベクター・ランド……? 聞いた名前だな]


[彼とは、ルーラー=クロエのウイングズ入隊時に一度会っています]


 クロエの視界にその男の上半身が映し出される。――摂生を懸念してしまうほど色白で、痩せこけた頬に窪んだ眼窩。そのくせ妙にギラついた眼が幽鬼のような不気味さを醸し出している中年の男であった。


[こいつか。確かに見覚えがある]


[彼は現在ウイングズなどで使用されている可変汎用銃器PFAの開発者です。また4年前のクーデターで多く使用されていた兵器、アーマードの生みの親とも謂われています]


[アーマード……? ああ、あのロボットおもちゃか]


 アーマードとは全高4メートルに及ぶ鈍重な人型無人兵器のことで、基本プログラムとAIにより自律戦闘を行う、この亜世界グレイターヘイムにおいては極めて強力な兵器である。

 4年前に起きたクーデターの際、当時幕僚監部でありクーデターの首謀者であった塔金ヒデキは、少ない人的戦力をこのアーマードを用いることで補い、また都市制圧の主力としたのであった。無論その戦いにおいては相手がクロエという無敵の人間想定外の化け物であった為、性能など無関係にただ破壊されるだけであったが、クロエ例外を除けばアーマードの戦術的有用性は高く、現在では世界中の軍隊や警察で幅広く運用されるようになっていた。


[こんな男の統括する研究機関が生徒の検査とはな……。――とりあえずこの男の携わる研究開発の資料、監視カメラに映ったメモ、関わりの有りそうな音声も全て洗い出せ]


[承知しました]


 間もなくベクターの彫像が消え去り、再び現れる資料の山。更に4分割された画面で一斉に流れる様々な動画。その情報の津波を当たり前のように眺めるクロエ。


[公式発表されている内容も軍事機密の計画も、殆どがPFAやアーマード等の兵器開発に関するものです]と、AEODアイオード


[神堂の検査と関わりがありそうなものはあるか?]


[直接結び付く情報はありません]


[ふむ……。採取された血液はどこに?]


[監視カメラの映像では一度ラボの検体検査室に運ばれ、その後に医療廃棄用のトラックで外部へと持ち出されています。トラックを衛星カメラの映像で追跡しましたが、山間部のトンネルに入って以降、確認できません]


[そうか――]


 考えながらも視界の資料群を注意深く観察するクロエ。素早くスクロールする文章と同時に、施設内の監視カメラや道端の防犯カメラと、取り留めなく好き勝手に流れる映像――。と、その目が止まる。


[待て。今の映像、戻せ]


 クロエの指示によって拡大されたそれは、いかにも豪奢な応接室のような場所で、高そうなスーツを着た白髪の老人が電話で話している様子を映したものであった。カメラの画角などから、それが部屋に取り付けられた監視カメラの映像であることが判る。


[音声が無いな? どこの画像だ?]と、クロエ。


[学園ネスト統括本部ビルにある理事長室、塔金カゲヒサの執務室です。カメラは災害時の安否確認用で、機密保持の為マイクは取り付けられておりません。またこの時使用している電話は秘匿回線ですので音声データも存在しません]


[会話の内容を知りたい。唇を読め]


[読話解析の精度は94%です。彼の声紋も再現しますか?]


[いや、お前の声でいい]


[承知しました。再生します]


 すると映像の口の動きにピッタリと合わせてAEODアイオードが喋る。


[――『久しいな、ランド博士。計画は順調かね? ……先の報告書を見た。この調子ならばアレの完成も早まりそうだな。…………うむ。儂もあの男の酔狂が、今更こんなところで役に立つとは思わなんだ。死んだ彼奴も本望だろう。こうしてM計画の礎となったのだからな。…………うむ、そうか。……うむ。して次の実験はいつ頃になる? …………分かった。では来週の金曜日に来るといい。秘書には伝えておく。……うむ。ではまた……』――以上です]


 AEODアイオードのアフレコが終わると、クロエは暫し考え込んだ。

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