第3話 熱き吹雪

 次の日も普通に仕事をしている詩節さん。

 相変わらずの様子でホッとする私。

 昨日のは聞き間違い、それとも一時的な怒りがこみ上げて来ただけなのだろう、と思う事にする。

 利用者様達の昼食が終わり、片づけが始まる時間になった。

「よーし。柳沼さーん。これ行こうか~」

 タバコを吸う仕草をする山田リーダー。

 またか。

 山田リーダーはちょっとした隙をついて、何回もタバコを吸いに行ってしまう。

 1人で行ってくれればまだいいのだが、必ず誰か連れて行ってしまうので片付けやコールの対応が遅れてしまうし、本来取れるはずの小休憩が全員取れなくなってしまう。

 山田リーダーのお気に入りの喫煙者だけが、この特権にあずかれるのだ。

 ちっ、と舌打ちをする富山さん。

 山田リーダーには逆らえないから、私達平社員に当たり出す。

「おい吉岡! グズグズしていないで佐藤様のベッド移動」

 佐藤様の介護はああいう事があった後なので、暫くやらない様に施設長からも言われているのだが。

 でもやらないと、富山さんの機嫌がかなり悪くなり、他のスタッフや利用者様に迷惑がかかってしまう。

 どうしよう。

「富山さん。佐藤さんのお世話を吉岡さんは暫くさせない様にと、ミーティングでもやりましたし、申し送り帳にも赤字で書いてあったと思いますが」

 凛とした声が部屋中に響いた。

 声のした方向を物凄い速さで首を回し、その言葉を発した人物を見て驚く富山さん。

 なんと、

 その声の主は、

 詩節さんだった。

「し、詩節君。き、君は僕に、く、く、口答えを」

「はぁ?」

 しどろもどろに言う富山さんの言葉を切り捨てる様に、言葉を被せた詩節さん。

「だ~か~ら~、言ってんだろ。ミーティング聞いていなかったのかよ!」

 そして、急に荒々しい口調になった詩節さん。

 真っ赤な顔で震える富山さん。

 震え方もキモイ。

 そして唐突に、

「ねぇ、吉岡さん。休憩したくな~い」

 まだビックリしたままの私を、大きな声で明るく誘う詩節さん。

 富山さんは唖然としたまま動かない。

「えっ、でも」

 言いよどむ私の手を、

「大丈夫、大丈夫。私についてきて」

 コンクリートの様に冷たい詩節さんの手が掴む。

「介護なんてね、いかに自分を大事にするか、なんだから」

 休憩場になっている非常口外の非常階段に向かう途中、私に言っているのか、それとも自分自身に言っているのか、わからない事を詩節さんは呟いた。


 非常口を勢いよく開ける詩節さん。

 驚いた様にこちらを見る、山田リーダーと柳沼さん。

 外はとても心地が良い春の風が吹いていた。

「何しに来たの? 富山君がキモイの?」

 一瞬、驚いた様な顔をしたが、すぐに冷静になって笑いながら言う山田リーダー。

「はい、キモイですね」

 笑いながら返す詩節さん。

 そして、

「はい吉岡さん、チョコ食べます?」

 チョコレートを私に差し出す。

 その様子を見て、

「あのねー、今フロアに富山君しかいないでしょ」

 呆れ顔の山田リーダー。

「はい、そうですね」

 意に介さない様に言う詩節さん。

「どうすんのよー。利用者様の転倒とかあったら~」

 呆れ顔にしわが寄る山田リーダー。

「山田リーダーの責任問題になりますね。あっ、吉岡さん、もう一つ食べます?」

 笑いながら言う詩節さん。

 それを聞いて大きなため息をつくと、山田リーダーと柳沼さんは仕事に戻って行った。

「ふん、所詮は主婦社員ね」

 鼻で笑うと、美味しそうにチョコレートをほおばる詩節さん。

「私達も行かなくては」

 詩節さんを誘う私。

 すると、

「吉岡さん。ここはもう辞めちゃった方がいいですよぅ」

 外に流れる川を見ながら、小さな声で言う詩節さん。

「でも、動ける人間が1人いなくなってしまうと、シフトが回らなくなってしまうから」

 俯きながら言う私。

 私だって辞めたい。

 しかし、辞めるなら代わりの人間を育ててからだ、と施設長からも山田リーダーからも言われていた。

 なにより、

『我々は生きている人を預かっているのだ。簡単に辞めるなんて、無責任な事を言うな!』

 施設長藤原さんの言葉が、私の心に突き刺さり続けていた。

「別にいいじゃないですか。シフトなんて回らなくたって。それは経営者である施設長が考える事ですよ」

 何でも無い様に言う詩節さん。

「大体真面目すぎますよ、吉岡さんは。大体なんですか? 懲戒減給? 奉仕出勤? そんなの従わなくても良いんですよ」

 私に向き直り、

 ちょっと強めに言った後、

「まぁ、でも」

 立ち尽くしている私の両肩を掴み、

「そこが好きでした」

 顔を近づけ、耳元で囁く詩節さん。

 そして驚く私を置いて行く様に非常口の扉を開け、戻って行った。

(本当に、本当に、誰なんだろう?)

 謎は深まるばかりだった。


 食事の時間は17時半。

 スタッフは利用者であるお年寄りと一緒に食事をする。

「俺をまた美雪ちゃんの隣にしろ!」

「いいや、今日は俺の隣だ!」

「あら、何? 私の隣よ!」

 北川様と佐藤様と山寺様が詩節さんの隣を争い、喧嘩を始めた。

「皆さん落ち着いて」

 懸命に宥めようとする山田リーダー。

「うるせー!」

「出てくるな!」

「呼、ん、で、い、な、い!」

 山田リーダーに食って掛かるお三方。

 それを楽しそうに眺めている詩節さん。

「ちょっと~、見ていないで何とかしてよ~、貴方の事でしょ~」

 困り果てて、詩節さんに助けを求める山田リーダー。

 鼻で笑い、近づく詩節さんの口から出た言葉は、

「今から私、ここでは食事しませんから」

 このグット温では考えられない、とんでもない事だった。

 争っていたお三方の動きが止まった。

「という訳なので休憩してきまーす」

 ちょっと、ちょっと、まって、どこ行くの~、とスタッフ、利用者様達の声が上がる中、詩節さんは食堂から出て行ってしまった。

 

 何だか険悪な食堂内。

「何なのよ~、あの子」

「調子に乗り過ぎじゃない?」

 山田リーダーと柳沼さんが、ヒソヒソ話をしていた。

 富山さんも、ムフームフーと食事をしながら鼻息が荒い。

 そして18時になった。

 詩節さんが食堂内に現れた。

「おーい、美雪ちゃん。こっち、こっち」

「おい美雪。こっちへ来い」

「美雪さん、私の、食事の、お、て、つ、だ、い、をするんじゃなかったの?」

 お三方が騒ぎ出した。

 他の利用者様も、詩節さんを呼ぶ。

 しかし、

「時間になったので」

 黒髪を翻し、

「帰りまーす」

 大きく手の平を振りながら、ケアステーションに向かって歩いて行く詩節さん。

 食堂内は騒然となった。

「ちょっと、貴方、どういうつもり?」

 山田リーダーが詩節さんに詰め寄る?

「まだ全然食後の片付けも、利用者様のケアも終わっていないんだけど」

「だから?」

「いや、だからって……」

「じゃあ、また明日」

「ちっ、ちょっと……」

 山田リーダーが止める間もなく、詩節さんは足早にこの場を去った。

 

 いや、凄い子だなぁ。

 

 その後、山田リーダー、柳沼さんは怒っているのが目に見えてわかる位の状態で、終始無言で利用者様のケアをしている。

 富山さんもずっとイライラしている様で、キモイ動きでケアを続ける。

 何より今日は利用者様達が、とにかく言う事を聞いて下さらなかった。

「おい山田、美雪ちゃん辞めないだろうなぁ」

「おい山田、どうなんだ?」

「ねぇ、山田さん、き、い、て、い、る、の?」

 お三方は山田リーダーに聞きまくっていた。

 更にイライラした山田リーダー。

「知りませんよ! そんな事!」

 つい声を荒げてしまった。

「何だと小娘ガぁ~~!」

「俺を誰だと思っているんだぁ~!」

「く、じ、ょ、う、か、い、て、あ、げ、る、ね!」

 激高するお三方。

 そこから宥めて、ケアを続けていたら、今日は帰りが21時になってしまった。


 春だがまだ肌寒い夜道。

 肩を落とし、顔を下に向けながら帰る私。

 携帯を見る。

 留守電、メール、SNS、全ての着信が無かった。

 このグット温に就職してからというもの、何かと拘束されて友達とも疎遠になってしまっていた。

 今月だけでも利用者様とお花見、小学校運動会見物とイベントがあり、社員は休日を使って参加しなくてはならない。

『利用者様は家族。家族と遊ぶのだから、休日にするのが当たり前』

 施設長の藤原さんの言葉。

 利用者様が家族?

 家族?

 奴隷の様に扱われ、安い給料、残業代も出ない過酷な環境で働いて、それで家族? 

 辞めたかった。

 本当に辞めたかった。

 でも、

 僕がいなくなると、

 シフトが回らなくなってしまう……

 

「吉岡さん」

 凛とした響く声。

 顔を上げると詩節さんが、とても心配そうな顔で私を見ていた。

「もうとっくに帰ったのかと思いましたよ」

 力無く笑う私に、

「今から貴方の家、行ってもいいですか?」

 腰が抜ける位、ビックリする事を聞いてきた詩節さん。


 肌寒い風が吹き抜けた。

 更に顔を上げると、黒雲に包まれた月が少しずつ現れ出てきていた。

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