第2話 激しい雪が好き

 次の日からも詩節さんはよく働いた。

 おむつ交換の速さ、ベッドメイクの綺麗さ、利用者様の満足度も群を抜いていた。

 しかも丁寧で明るく仕事をおこなう。

 まだ2日目なのに早くも人気者になっていた。

 施設長も、2階リーダーの山田さんも、スタッフも、そして利用者様も、詩節さんと話をしたがった。

 夜の食事時など、詩節さんの隣を希望する利用者様が多すぎた。

 

 結局Y者の北川様(85歳)と山寺様(女性Y者、86歳)の2人が座った。

「あなたまぁまぁやるみたいだけど~、ここではまだホ、ヤ、ホ、ヤ、の新人さんなんだから~。私の介護は勉強不足でしょ~。だから色々教えてあげる~。わ、か、っ、た、?」

 何で山寺様はこんなに偉そうにものを言うのだろう。

 仮にも車いすで、介護を受けている側なのに。

 それでも詩節さんは、

「はい、宜しくお願いします」

 と笑顔で頭を下げていた。

 ニヤニヤとその様子を見ている北川様。

「おい、俺も色々教えてやるよ。だから後で俺の部屋に来い」

 また何かするのだろう。

「はい、北川様」

 しかし嫌な予感がするにも関わらず、詩節さんはまた笑顔で答えた。

 時刻はもう19時半。

 とっくにもう日勤者は奉仕時間(サービス残業)に突入していたのだが。

「よし俺は先に行って待っているぞ。あっ、あと、吉岡。お前は来るなよ」

 北川様はそう言って車いすを回転させると、早々と部屋に戻っていった。

「今日は行かなくても……」

 詩節さんに向かって言いよどむ私に、

「平気ですよ。私1人で行ってきます。申し訳ないですけど後片付けお願いします」

 明るく答えた詩節さんは、北川様の後を追う様に部屋に向かった。


 ケアステーションで1人、詩節さんの帰りを待つ私。

 ここにいるとコールが鳴った場合、例え時間外でもボランティアしなくてはならないのでみんな素早く着替えて帰るのだが、今日は詩節さんの事が気になってしまい待つ事にした。


 コツコツコツ


 足音がする。

 詩節さんかな?

 迎えようと立ち上がる私。

 ケアステーションの引き戸が開く。


 ガラガラガラ


「よう、吉岡。何ぼさーっとしているんだ」

 この施設で2番目に古株、だけど偉そうで意識高く気持ち悪すぎて嫌われている為、まだ平社員の富山さんだった。

「何君はぼーっとしているの? 暇があるのだったら掃除でもしていなよ。流しの所また汚いんだけど」

 もうとっくに時間外なのに。

「何? 時間外だとやらないの? 奉仕、ボランティア、元気、がこの『グット温』の社訓じゃなかったっけ?」

 経営者でも無いのに、なぜか意識が高すぎる富山さん。

 今日も奉仕時間で、利用者様のトイレ掃除をしてきたらしい。

 自分1人でそういう事をやるのなら立派なのだが、他人を巻き込むから困る。

 しかし、それにしても普段この時間ならさすがに富山さんも、もう帰っている時間なのだが。

 

 ガラガラガラ


 その理由が来た。

 急にキリリ、とした顔になった富山さん。

 眉毛がキモイ。

「やぁ、詩節君」

 君、づけである。

「君のベッドメイクはとてもいいと思うのだがね、ここにはここの、グット温のやり方があるのだよ。そこを間違ってもらっては困るなぁ」

 別にどうだっていい事を、さも重要の様に言う富山さん。

 33歳独身、童貞の噂もある。

 脂ぎった顔がキモイ。

 しかし詩節さんは、

「そうですか。大変申し訳ございませんでした。山田リーダーにもそれでいい、と言って頂いたので……」

 深々と頭を下げた。

「ダメダメ~、山田さんはまだ4年しかこの施設にいないでしょ~。僕はもう6年もいるんだよ~。山田さんはね、まだまだ歴代継承されてきたグット温魂が勉強出来ていないんだよ~」

 何がグット温魂だよ。

 何でそんな魂がある奴がサブリーダーにもなれず、まだ平なんだ。

 あと変に痩せていてキモイ。

「そこでね、僕が今からグット温ベッドメイクを教えてあげるから」

 これの為に残っていたのだろう。

 もう20時近くにもなるというのに。

「はい、宜しくお願い致します」

 それなのに、深々と頭を下げる詩節さん。

 ムフー、と満足げな顔の富山さん。

「それ、僕も参加させて頂けませんか?」

 思わず声が出た私。

 流れる髪。

 詩節さんがこちらに振り返る。

 しかし、

「まーだ君は出来ないの? 何年やっているの? 駄目駄目。この重大案件は山田さんに報告しておくからね」

 ムフームフー、と鼻息がキモイ富山さん。

 何でもない様な事でも、重要案件、重大事件、と言って事を荒立てる。

「じゃあ詩節さん、倉庫に行こうか。僕が手取り足取り、教えてあげるねぇ~」

 ねっとりした言い方の富山さん。

 もう全てがキモイ。

 そしてキモめのセクハラをするので、心配で仕方がない。

「はい、ありがとうございます」

 そう言った後、小さく私に微笑んで、詩節さんは富山さんの後ろをついて行った。


「あら、吉岡さん」

 昨日別れた交差点で、詩節さんの事を待ち続けた私。

「すみません。富山さんが付きまとわないか心配だったもので」

 もし、ついてきていたら、何としてでも、詩節さんだけでも逃がそうと思っていた。

 クスッと笑う詩節さん。

「ありがとうございます。吉岡さん」

 そして、灰色がかった綺麗な双眼を私に向ける。

 思わず照れ、目を逸らす私。

「北川様と富山さん、大丈夫でしたか?」

 そして一番心配だった事を聞いてみた。

「はい、大丈夫でしたよ。大体、介護ではよくある事をされただけです」

 何でも無い様に言う詩節さん。


 介護ではよくある事


 その言葉がチクリ、と私の心を刺す。

「こんなエロジジイばかりの所では働けない!」

 同じ福祉の大学を出て介護福祉士になった、元カノの言葉。

 介護福祉士だった、元カノの言葉。

 今は結婚して幸せにしている、と風の便りで聞いた元カノの言葉。

 

「あいかわらず、優しいのですね、吉岡さん」

 俯き、そんな事を思い出している私の手を取り、包む様に握る詩節さん。

「私は大丈夫ですから。慣れていますから。じゃあまた明日、おやすみなさい」

 コンクリートの様に冷たい手を離し、その手を私に向かって大きく振ると、詩節さんは駅の方向に向かって歩き出した。

 私は無力感だけを感じて、その場に立ち尽くしていた。



 次の日も笑顔で元気良く、軽快に働く詩節さん。

「詩節さーん。佐藤様車イスへの移動おねがーい」

 山田リーダーの声。

 佐藤さんは体重が100キロ近くあるので、誰も車イスへの移動を進んでしようとしない。

 なので若くて真面目な詩節さんに目を付けたのだろう。

「はーい」

 しかし全く嫌な顔をせず、佐藤様の所へ向かう詩節さん。

 そこに割って入る私。

「はい、佐藤様。行きますよ」

 正直、私も佐藤様の車イス移動はやりたくないのだが、なるべく詩節さんに負担をかけたくない。

「え~、俺、美雪ちゃんがいいよ~」 

 駄々をこねる佐藤様。

「あんな細い女の子に佐藤様運ばせたら、折れちゃいますよ~」

 私のこの言い方がまずかった。

「何だと~!!!!! 俺がデブだって言いたいのかぁあああああ~」

 激怒する佐藤様。

 山田リーダーがすっ飛んできた。

「どうされました? 佐藤様?」

「こいつをしょぶんしろぉおおおおおおお~!!!!!」


 結局、私は懲戒減給、始末書、プラス、ボランティア出勤2日間(無給休日出勤)となってしまった。

 帰り間際、ケアステーションで山田リーダーにそれを言い渡され、落ち込む私。

「何しょぼくれてんの? グット温では元気にしてないといけないんじゃないの?」

 山田リーダーに言われて無理やり笑顔を作る私。

「何引きつってんの?」

 鼻で笑う山田さん。

 周りのスタッフが笑いだす。

「じゃあちゃんと反省しなさいね。あ、あと詩節さんの歓迎会を数日後やるから、お店ちゃんと取っておきなさいよ。変な店取ったら会計またあんただからね」

 そう言ってどや顔をした後、山田さん達は帰って行った。

 ケアステーションには、私と詩節さんだけが残された。

「ごめんなさい。私が早く動かなかったから」

 泣きそうな声で言う詩節さん。

「いや、そんな事無いよ。僕が変な事を言ってしまったから」

 更に泣きそうな声で言う私。

 そんな私を包み込む様に抱きしめる詩節さん。


 驚く私。


 そんな驚く私を、


「よっしゃ、そろそろ気合を入れてやんねーとな」


 更に驚かせる様な言葉が私の耳に届いた。


 詩節さんの言葉?


 聞き間違いかとも思ったが、


「もう我慢しなくていいですよ。吉岡さん。あいつらマジ舐め過ぎだわ」

 聞き間違いでは無いらしい。

 

「介護施設色々あるけど、ここはかなり酷いわ。マジで覚悟しとけよ~」


 怒りに燃えている詩節さん。


 ふと気が付くと、雨音が酷い

 外を見ると激しい嵐の様だった。

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