賢者と笑顔

 間に合え、間に合え、間に合え---!!

 そう強く願いながら、僕は森の中をひた走る。

 「彼女」のいる場所まで、一直線に。

 「零樹」まで、一直線に。


 体中が軋んでいる。

 痛覚という形で、体の声なき悲鳴を僕に伝えてくる。

 当たり前だ、「魔法」といってもそれは決して万能のものではない。

 人が。

 この世界に住む、何よりもか弱き存在が。

 力を行使するならば、必ずなんらかの形でその対価を支払う必要がある。

 その原則は、「賢者」たる僕にも覆すことはできない。


 「魔法」などと言えば聞こえはいいが、実際に今やっていることは「魔素マナ」を起爆剤とした肉体の限界稼働だ。

 いや、肉体の稼働だ。

 更に今使っているのは、術式ルーン術式ルーンを組み合わせた「二重魔法デュアル・マジック」だ。

 魔法の効果も単発での発動より遥かに倍増しているが、その分肉体への負荷も倍増している。

 

 だが、そんなもの構うものか。

 代償失くして何かを得る事は叶わない。

 「等価交換」、これは世を支配する絶対の原理ルールだ。

 僕が「運命」を見るのに、比類なき痛痒と世界が攪拌されるほどの不快感に苛まれるように。

 何かを成し遂げるには、手に入れるには、何らかの対価を払う必要がある。

 それを思えば。


 僕が見たのは、少女が永遠の安らぎを得た、その光景だけだ。

 僕が得たのは、少女の居場所が「零樹」だったという、その事実だけだ。

 その先を見ている時間なんて、僕にはなかった。

 なんて、僕には見ることが叶わなかった。

 でも、それでも。 


 僕の欲しい「運命」をその手に引き寄せられるのなら。

 その可能性がほんの僅かでも、この手に残されているのなら。

 これくらいの代償なんて安いものだ---!! 


 一陣の風となりながら、薄明るい森の中を僕は猛然と駆けていく---!!




 



 賢者の森に一筋の強い風が吹く。

 太陽は面を上げ、森に祝福の光を降りそそぐ。

 そして、小さな命は。

 誰よりも不幸で、世界から拒絶されたまだ幼き少女は。

 心を灼尽くす灼熱の光の訪れとともに、心を終わらせる安寧の闇に沈もうとした少女は。

 その覚悟の表れか、目を閉ざし、その身をとこしえの闇に投げ出す。

 みずからの意志で、終焉の刃をその喉元に突き立てる。

 その瞬間、森に吹いた一筋の風は意志を持ち、その刃を阻む。




______________________________

 その時の「選択」が「行動」が果たして正しかったのかどうか。

 今となっては、「今」の僕には分からない。

 その瞬間。

 彼女が助かった、その瞬間。

 それほどまでに大きな「運命の歯車」が動き出したのだから。


 でも、それでも。

 「今」の僕は胸を張ってこう言える。

 彼女を助けて、心の底から良かった、と---。

 彼女が生きていてくれて、本当にありがとう、と---。  

_____________________________




 結論から言おう。

 僕は、「運命」を変えることに成功した。


 彼女の「運命」を変える為に伸ばした右手は、その中に小さな刃をしっかりと握りしめていた。

 その刃は、少女の細腕からは考えられないほどの強い力で。

 強い決意が、込められていた。

 刃を掴むために力を込めた右手が燃えるように熱い。

 手の中で何か熱いものが、液体が流れ出ていく感覚。

 だが、僕は決してこの手の力を緩めようとはしなかった。


 震える刃。

 握る手に力を込めすぎた反動か。

 少女の体の震えが伝播したのか。

 あるいは、その両方か。

 その力強くも微かな振動は、まるで揺らいでいる僕らの心の写し鏡のようだった。 

  

 その震えを、心で、体で、感じ取ったのか。

 少女は、閉じていた決意の瞳を開ける。

 瞬間、その表情が驚愕に変わる。

 両の手で掴んでいたナイフを反射的に放し、後ずさりをして僕から距離を取る。

 ついで、その表情が疑問に、そして悲哀に変わる。


 まるで瞬間移動のように、彼女の目の前に人が現れたのだ。

 驚くのも無理はない。

 当然の感情だ。


 だが、彼女が何を疑問に思ったのかは、僕には分からなかった。

 あぁ、もしかしたらどうやって僕がここに姿を現したのかを疑問に思っているのかもしれない。

 そう思い、合点がいく。


 そして、最後の表情。

 その顔は、表情は……。

 

 彼女の「罪悪感」と「慈愛」がごちゃ混ぜになった表情を見て。

 僕に向けられたあの表情を見て。

 確信する。


 あぁ、やっぱり。

 この子はとてもだ。


 


 遅れて痛みを感じる。

 当たり前だ、素手で思いっきりナイフを掴んでいたのだから。

 無意識に感じていた痛みからか、魔法によって酷使しすぎた体の反動からか。

 気が付いたら力なくダランとぶら下がっていた右手から力を抜き、僕はナイフを手放す。

 血に濡れたナイフは地に落ち、音もなく弾む。

 ナイフが地面に落ちるや否や、それが切っ掛けとなったのか。

 目の前の少女が僕に駆け寄ってくる。


 少女の「顔」を。

 少女の「自責の念」と「憂慮」が込められた「表情」を。

 悪いのは全て自分だと言わんばかりのその「表情」を。

 僕に向けながら、僕の右手に注ぎながら、駆け寄ってくる「顔」を。

 それがあまりにも純真一途で。

 それがあまりにも辛くて。

 見ていられなくなり、目を背け遠くを見据える。


 その「顔」は、「表情」は、確かに物語っていた。

 この世界の全ての咎は、自分の所為なのだと。

 どこまでも純粋に、どこまでも清廉に。

 彼女は自身のことを世界にとってだと思っている。

 心の底から思い込んでいる。

 その事実が。

 こんな幼子がそのような結論に至った心境、それを想像すると。

 どうしようもなく、心が抉られるのだ。


 やっぱり彼女は優しい子だ。

 自身の中の「憎悪」、「悲哀」、「憤怒」

 耐えかねた理不尽によって膨らんでいく感情を。

 それらの限界にまで膨らんだ負の感情を、その矛先を。

 その全てを、その身1つで受けていた。

 自身の中の感情を誰にぶつけるでもなく、誰の所為にするでもなく。

 ただ、その全ての責をその身1つで受けていた。


 自分を虐めた誰かの所為にすれば楽だったろう。

 自分と同じ立場の誰かにぶつければ押し付けることもできたろう。

 だが、それをこの少女はしなかった。


 今の「表情」を見ただけで、それが分かってしまう。




 それ故に、腹立たしかった。

 彼女をここまで追い詰めた「人間」が。

 彼女の気持ちを、心の傷を理解することができなかった「賢者」が。

 そして何よりも、もしも。

 もしもそんな存在がこの世にいるのだとしたら。

 世界から嫌われる為だけに生まれてきた、少女という存在を創造した「神」が。

 僕には、どうしようもなく腹立たしかった。  




 ふと、温かい感触に気が付く。

 傷ついた右手に感じる確かな温もり。

 右手から流れ零れていくもの以外の確かな温もり。

 僕は、その温もりの正体を探るように握り返した。

 そして、その小さな小さな両の手はビクッと震えた。

 それに気づいた僕は、慌てて視線を下げる。

 感じた温もりの元へ、目を向ける。

 少女の顔を見据える。


 あぁ、やってしまった……。

 僕としたことが、まただ。

 少女の「表情」を見て、僕は察する。 

 また、心の中の感情が顔に出ていたのだと。

 きっと、さっきまでの僕は鬼気迫る表情をしていたに違いない。

 視界に映る少女の顔は、一目でわかるほど「不安」の色に彩られていた。

 そして、少女も僕が気づいたことに気づいたらしい。

 

 あぁ、またその「顔」だ。

 少女は、僕が一番見たくない「顔」をする。

 首を横に勢いよく振り、否定の意思表示をする。


 貴方は悪くない、悪いのは全て私なの。

 私の所為なの。


 そんな「顔」をする。




 僕は、どうにかしてその「顔」を変えたくて。

 だけれども、僕にはそのための「選択」が「行動」が分からなくて。

 どうすれば、僕の望む「結果」になるのかが分からなくて。

 そうして、悩んでいるうちに思い出す。


 僕がその「顔」から抜け出す為の「方法」を。

 「あの人」が僕にしてくれた「行動」を。

 

 懐かしすぎる記憶に「あの人」の温もりを感じて、僕は自然と微笑む。

 だけれども、その前に。

 どうしても




 互いに握り込んだ右手と両の手はそのままに、体を屈める事で少女と目線を合わせる。

 ゆっくりと左手を伸ばし、今だに振り子運動を続ける彼女の顔にそっと添える。

 その肌は、冷たく、滑らかで、まるで高価な白磁器のようだった。

 それゆえに、生物としての温かみがない。 

 そんな物悲しさを感じる肌だった。


 突然の事だったからか、目の前の少女の動きが止まる。

 少女はまた「表情」を変化させる。

 視線は確かに僕を見ている。

 だが、今度のは見たことがない初めての「顔」だ。

 いや、そうじゃないな。

 この「顔」を拝むのは二度目だったはずだ。

 昨日、彼女と初めて会った時、初めて顔を合わせた時も、確かこんな「顔」をしていた。


 だが結局、少女が何を考えているのか分からない。

 傍目には、ボーッとしているような放心状態に見えるが、どうなのだろうか。

 とはいえ、動かないでいてくれるのならこちらとしては好都合だ。


 僕はそう思い、添えた左手を一度頬から放すと、ゆっくりと下ろしていく。

 彼女の左半身に散らばった髪の毛をすくい上げ、一纏めにする。

 彼女の繊細な髪を、綺麗な金髪を傷つけたりしないように労わりながら、器用に左手一本で纏めていく。

 そのまま耳を掻き分けるように、耳にかけるようにして纏めた髪を流していく。

 その過程で、彼女のに左手が軽くぶつかってしまう。

 流された髪は、彼女の耳の上に綺麗にアーチを描いていく。

 そして、彼女のがピョコンと顔を出す。

 

 うん、やっぱりコッチの方が可愛らしい。

 耳を出した方が、断然少女に似合っている。

 整った顔立ちの少女に、この愛嬌のある可愛い耳がアクセントとなって、またその魅力を一段階上の領域へと引き上げる。


 いやいや、いけないいけない。

 彼女があまりにも勢いよく首を振るものだから。

 僕は、彼女の髪の乱れが気になって、それを直したかっただけなのに。

 いつの間にか、自分好みの髪型に、なんて少々脱線が過ぎるのではなかろうか。

 

 それにしても、左手一本だと案外難しいな。

 そんな事を思いながら、彼女の右半身の散らばりにも手を伸ばす。


 彼女の顔に目を向けると、ギュっと目を瞑っている。

 ……、やはり人に無遠慮に髪を触られるのは嫌だったのだろうか。

 それもそうか、年端もいかぬとはいえ、この子も女の子だ。

 更に彼女が今まで過ごしてきたであろう環境に思いを馳せれば、他人が体へ接触する事に過敏な反応を示すのも無理はない事なのだろう。


 内心で彼女に申し訳ない気持ちになりながらも、僕はその手を止める事はしない。

 僕の悪い癖の一つだ。

 神経質というか、一度何かに気になってしまうと、その原因を探るなり断つなりしないと気が済まないのだ。

 左半分の髪の毛を直しておきながら、右半分のグシャグシャの髪の毛を直さないという事が、僕にはできなかったのだ。

 もう少しだけだから、我慢してくれよ。

 そう思いながら、先ほどと同じ要領で髪を纏めて流していく。

 

 うん、できた。

 先ほどまでアシンメトリーでばらばら、まるで絵本の中のお化けみたいだった髪型は、すっかり綺麗に整えられてショーケースの中の新品の人形みたいだ。




 さて、これでようやく「行動」に移せる。

 と思ったが、止めておいた方がいいのかもしれない。

 彼女の反応を見ていると、他人からの接触を忌避しているように感じる。

 万が一にも、彼女に不快な思いを「不安」や「恐怖」を覚えさせるような「行動」はしたくない。


 そう苦慮すると同時か、彼女の瞳が開かれる。 

 そこに浮かぶ「顔」は、「疑問」だった。

 なぜ、なんで?

 想定した何かを裏切られた事への「疑問」だった。

 だが、その中には確かな「安堵」の気持ちも含まれていた。

 少女がどこか心の底で安心しているようにも見える。

 先ほどの僕の「行動」に対して「不快感」や「嫌悪感」を抱いていたわけではなかった事が、少女の「顔」から読み取れる。


 その「顔」を見た僕は、先ほどの「行動」を少女に肯定された気が、許された気がして、つい嬉しくなり顔を綻ばせてしまう。

 そして、先ほどの葛藤は何処にやら。

 彼女の「疑問」に答えるかのように、僕はその手を彼女の頭に伸ばしていた。

  



 よしよし、と優しく慈しみをもって。

 少女の頭の上に乗せた手で円弧を描いていく。

 もちろん、彼女の髪を乱れさせないようにゆっくりと。

 それが、僕の「選択」した「行動」だった。

 「あの人」が、僕にしてくれた「行動」だった。


 願わくば、この少女に僕の想いが伝わりますように。

 そう願いながら、微笑みながら、僕は彼女の頭を撫でる。

 



 君が全てを背負う必要は無いんだよ。

 辛い時は、苦しい時は、誰かを頼っても、誰かにぶつけても良いんだよ。

 生まれてくる命に上も下も無いんだよ。

 「人間」も「エルフ」も「ハーフエルフ」も、もちろん他の種族だって。

 皆、平等だ。

 だから、誰から否定されようと、何者から否定されようと。

 仮に世界全てから存在を否定されようと。

 僕は、僕だけは君の事を決して否定しない。

 この世界に生き続ける限り、僕は君の事を肯定し続ける。

 君(ハーフエルフ)は君(きみ)らしく在っていいんだよ---。

 

 そう願いながら。






 僕が初めて見る「顔」だ。

 少女の「顔」はとめどない涙で濡れている。

 まるで、今まで心の奥底で溜め込んでいた感情が、堰を切って溢れ出すように。

 少女の目からは、まるで洪水のように透明な雫が零れていく。

 だが、違う。

 少女の「顔」に浮かんでいるのは「悲しみ」の「感情」ではない。

 もっと違う、別の「感情」だ。

 そして、それは確かに僕が望んでいた。

 その「顔」は僕が望んでいた「顔」であった。






 それが、僕の初めて見ただった。

 





 

 





____________________________________

 こうして、物語の幕は人知れず、だが確実に上がったのだ。

 いや、正確にはこの物語の幕はとうの昔に。

 一千年前から既に上がっている。

 一千年前に始まった「物語」




 「始まりの物語」


 「の物語」




 「始まりの物語」の「終わり」の「始まり」へ。

 「運命」は紡がれる---。

 その「結末」を望まぬ者が、認めぬ者がいる限り、物語は続いていく---。

____________________________________








 





 こうして、「僕」と「少女」の。

 「賢者」と「ハーフエルフ」の奇妙な同居生活が始まったのだった。

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