賢者と料理

 居間でさっきまで横になってた椅子を、本来の用途で使用する。

 椅子に腰かけ、左手を顎に、右手を左手の肘に添えて、考える仕草をする。

 いや、事実として確かに考えているのだ。

 これから目を覚ますであろう彼女の為に何ができるかを。

 

 ……、だがすぐに息詰まる。

 そもそも、この森で独りになってから経った日は浅くないのだ。

 今更、誰かの為に何かできることを考えろというのも、僕にとっては酷な話だ。


 行き詰った僕は、何か状況を打開できるようなものはないかと、ヒントを探して周りに目を向けようとする。

 だが、周りに目を配る必要はなかった。 

 視線を上げたその正面、そこにあるキッチンを見て瞬間的に閃く。

 今朝見た、記憶の欠片の一つが再生される。


 ……、そうだ料理だ!!


 思いつきの勢いに押されて、僕はつい思わずキッチンへと小走りで走って行ってしまう。




 ここへ、調理の目的で立つのはいつ以来か。

 料理をするなんて、いつぶりだったか。

 ましてや、誰かの為の料理なら尚更だ。

 料理の腕が錆びついてなければ良いのだが……。


 まずは調理器具の点検だ。

 キッチンの引き出しから、包丁、鍋、お玉、様々な器具を引っ張り出す。

 次いで、水道に術式ルーンを紡いで、水を出す。

 長いこと使われていなかった調理器具たち、それらがまだ使えるかどうか目を通す。

 ついでにみんなまとめて洗いながら。

 水道に備え付けてある自家製の石鹸でたてた泡と格闘しながら、テキパキと流れるように作業をこなしていく。

 とはいえ、昔のことを考えると、動きの精密性や敏捷性は少し損なわれた気がするが、許容の範囲内だ。

 

 結論から言うと、家の調理器具や器などは全て問題なく使えそうだった。

 誰が作ったものか分からないが、この家の家具や器具は見た目こそ質素ではあるが、その実「超」がつくほどの一級品ぞろいなのだ。

 どれもこれにも、魔法が込められており、種々様々な効果を発揮してくれるのだ。

 僕もよくその扱いやすさと性能にはお世話になっていた。


 器具の一通りの点検と水洗いを済ませた僕は、術式ルーンをなぞることで水道を止め、次の作業へと手早く移る。


 次にやるべき事は、素材の吟味だ。

 僕は家から出ると、外にある畑へと向かった。

 畑の大きさはそこそこだが、そこで育てている野菜や果実のレパートリーは、どれを使おうか目移りする程度にはなかなかのものだ。

 特に使えそうな素材を色とりどりの畑の中から探し出す。


 うん、この辺りが良いか。

 少し迷ったが、僕はゴロゴロと肥ったじゃがいもと玉ねぎと人参を収穫した。

 これで、今日の献立は一つ決定だ。

 「採れたて野菜の新鮮スープ」を作るとしよう。

 

 家に戻って、先ほどの採れたての野菜たちを料理台の上に置く。

 そして、キッチンに置いてある木製の大きな縦長の箱の上段を開け放つ。


 この箱も、僕がここに来た時から有るものなのだが、こいつの機能もまた凄いものだ。

 魔法の効果によって、この箱の中はいつも冷たい温度に保たれている。

 しかも、それだけではない。

 この箱の中に入れたものは、決してのだ。

 食料ごとにそれぞれある適した保存方法や温度、保存期間や可食期間。

 この箱の中では、そういったものが一切無視され、どんな物もされるのだ。

 僕は魔法の効果から、この凄い箱に「冷蔵庫」と名を付け重用したのだった。

 

 というのも、昔の話だ。

 今、こいつの中に何が入って保存されているかなど、主である僕にも全く分からない。

 それほどまでに遠い記憶だ。

 だから、開けて確かめてみるしかなかった。


 何年かぶりに開けた冷蔵庫の中には、様々な野菜以外の食材や香辛料が保管されていた。

 思いのほか、詰め込まれていたそれらの食材たちは、料理をしていた頃の僕がどれほどの熱意をそこに傾けていたかを雄弁に語ってくれている。

 その中から、彼女に相応しい料理を作るために中身をチェックしていく。

 ふむふむ、肉に魚なんかがあるが、今の彼女の状態を考えて、これらを用いた料理は止めたほうがいいだろう。

 

 起きたてのタイミングで出すのに相応しい料理。

 更に、相手は身も心も疲弊しきっている相手だ。

 出来る限り軽くて消化の良さそうなものがいいだろう。

 肉料理や魚料理を食べて、栄養をつけてほしいという気持ちもあるが、それらはまた次のステップだ。


 引き続き、ガサゴソと冷蔵庫を漁る。

 おっ、リンゴが冷蔵庫の中に入っている。

 これなんかいいんじゃなかろうか?

 と一瞬思いはするものの、やはりこれもダメだ。

  

 彼女の体を思い出す。

 細く、ところどころ骨が見えるくらいに痩せきった体だ。

 完全に栄養失調状態の彼女に与える食べ物としては、不適当と言わざるを得ない。

 野菜スープとリンゴの献立では、消化という点では確かに合格点だが、些か栄養源として軽すぎる。

 もう少し、体の栄養となりそうなものを彼女には食べてもらってほしい。

 

 とはいえ胃や腸が弱っていて、食べ物を受け付けないという可能性も十分に考えられるから、その時には改めてコイツのお世話になるとしよう。

 リンゴを摺り下ろして、少しづつあげることにしよう。


 どうしても、経口摂取が上手くいかないというのなら、その場凌ぎとはいえ栄養剤の注射の手段という最後の手段もありはするが。 

 だが、意識のある小さい子に注射をするのは、なんとなく憚られた。

 まぁ、僕の私的な体験が大いに混み入ったほぼ私情に近い意見なのだが。


 ふと、冷蔵庫の中で木製のボウルに入った何かを見つける。

 気になった僕は、中を確かめるためにそれを取り出す。

 少し黄色みがかったブヨブヨした柔らかそうな、しかししっかりとした弾力のある物体が器の中には入っている。

 一目見て、この物体が何なのか理解した僕は心の中で喜ぶ。

 こいつは使えるぞ……!!


 それはほぼ完成状態で、あとは焼くだけのだった。


 今日の献立はこいつで決まりだ。

 「採れたて野菜の新鮮スープ」と「焼きたてカリカリフワフワパン」だ。


 彼女の為のメニューを決めた僕は、さっそく調理に入るのだった。




 野菜の皮を手早く剥いていき、鍋に水を満たす。

 調理場の右側のスペースにある発火装置。

 その上面に鍋を乗せ、キッチンに立っている僕側の方、つまり前面に書き込まれているいくつかの空白の円の中に火の術式ルーンを書き込む。

 空白は四つある。

 意味は左から、消火、弱火、中火、強火。

 僕はその左から三番目の円のスペースに火の術式ルーンを描くことで、火を起こす。

 鍋の中に、出汁を取る用のアミ草をぶち込むと、鍋に蓋をし、コトコトと中火で煮込む。


 お次はパン生地だ。

 といっても、こいつはほぼほぼ完成されているのだが。

 だが、少女のことを考えて、少し一手間を加えることとする。

 料理は、「愛情と手間と工夫」というのが僕の持論の一つでもある。 

 冷蔵庫の中にあった、ラゼ草の粉末をパン生地の上から振りかける。

 こいつは、食べ物を体内で消化・吸収しやすくする効果があるのだ。

 まさに、今の彼女にうってつけの材料である。

 そして、僕は軽く生地を手でこね、混ぜ合わせる。


 その片手間に発火装置の下にあるオーブンを点火する。

 こちらも術式ルーンで起動させるタイプで、発火装置と同じく四つの円が描かれている。

 もちろん、その位置が示す意味も同じである。

 術式ルーンを描く位置は左から二番目、つまり弱火だ。

 パンを焼く前に、オーブンの中をあらかじめ温めておくわけだ。


 頃合いを見て、完成したパン生地を温かいオーブンの中に入れる。

 一度描いた術式ルーンを消し、今度は違う位置に書き直す。

 パンをカリカリフワフワに仕上げるために、僕は一番右の空白の円に術式ルーンを書き込む。

 さて、これであとはパンの焼きあがりを待つだけだ。


 パンの面倒を見終わった僕は、今度は煮込んでいた鍋の相手をすることにする。

 手早い動きで、スープの中に入れる主役たちの皮を剥き、大きさを整える。

 包丁の切れ味は以前通りで、あっという間に野菜たちは丸裸となった。


 鍋の蓋を開けると、モワッと既に良い匂いがする。

 鍋の中身は透き通るように綺麗な薄い黄色に変わっていた。

 アミ草の出汁が十分に出ていることを確認した僕は、それをすくい網で綺麗に取り除く。

 アミ草はある程度煮込むと、味がなくなる性質がある。

 だから、鍋の中に入っていても別に問題はないのだが、見た目の出来栄え的にあまりよろしくない。

 少々勿体ない気もするが、このまま料理として出すのではなく、畑の肥料や森の動物たちの餌になってもらうとしよう。


 そして、僕は出汁が十分に出た鍋の中に主役となる野菜たちを投入していく。

 それと同時に火を中火から弱火に変える。

 塩や胡椒などの調味料で軽く味付けをしていく。

 あとは煮立たせないようにじっくりコトコト煮込んでいけばいい。

 本当はここに香辛料などを色々と混ぜていくと、更に味が引き締まるのだが、いかんせん料理を食べる相手は小さな子供だ。

 僕自身の料理のリハビリも兼ねて、まずはできるだけシンプルで王道な味付けにしてみた。


 そうして、時間にしておよそ三十分ほど。

 料理を始めた時には夕方前でまだ明るかった辺りが、黄昏色に包まれる頃。

 キッチンでうんうんと頷く男が一人。


 パンはカリカリフワフワに焼きあがり、野菜スープは透明でかつ表面に野菜の旨味成分が溶け出ているのがありありと見て取れる。  

 うん、とりあえずは完成だ。

 本当は野菜スープはもっと時間が経てばより味が良くなるんだけれども、料理としてはこれで一区切りだ。


 多少、間が空いたとしても体は覚えているものなんだなぁ。

 思いのほか悪くない出来に、僕は自画自賛をするのであった。

 この料理たちのことが少しだけ悔やまれる。 

 

 久しぶりの料理に楽しくなった僕は勢いで、野菜スープを木の器に盛り、おぼんの上にパンと一緒に乗せたところで、ハッと我に帰る。

 ……、彼女はおそらくというか、多分というか、ほぼ間違いなくまだ寝ているよな。

 ……、勢いに任せてよそっちゃった。

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