少女と夢

 夢を見ていた。

 幸せな夢を。


 朝、カーテンから漏れ出る光を浴びて、私は目覚める。

 まだ眠い私は暖かくて柔らかい寝床の中で、ウトウトとしながらちゃっかり二度寝を試みる。

 そうだ、昨日はお父さんとお母さんと一緒に遅くまで本を読んでいたんだった。

 ふと昨日のことを思い返した私に、少し遠くから響くような声が投げられて。

 その声色はとても優しくて。

 キッチンで料理をしているお母さんに起こされる。

 布団を被りながら、今日の朝ご飯は何だろう、なんて想像してワクワクしているうちに、二度寝に支配された私の意識は解放されて。

 私はしぶしぶ寝床を抜け出して、あくびをしながら居間に行くのだ。


 居間では、お父さんが新聞を読んでいて、こちらに気が付くとチラリと視線を向けてくる。

 「おはよう、〇〇〇−−−。」

 その声は、穏やかで安心感があって、ここがいつもの日常なのだとホッとする。


 そういえば、昨日はなんだかとても怖い夢を見ていた気がした。

 両親もいなければ、おうちもない、生まれてからずっと世界で独りぼっちの可哀そうな「女の子」、「私」の夢。

 昨日、お母さんとお父さんが読んでくれた本が怖かったから、きっとそんな夢を見たのだ。

 そうに違いない、だから何も気にすることなんてないのだ。


 私は残った眠気を、怖い夢を振り払うかのように、頭をブンブンと横に振る。

 そして、私もお父さんをジッと見つめる。

 今朝の悪夢のせいだろうか。

 何気ない朝の挨拶が、たった一言の「おはよう」が、なんだかとても嬉しくて。

 その一言にとても大きな幸せを感じて。


 「おはようっ!! お父さんっ!!」


 そんな自身の気持ちを吐き出すかのように、私もできる限りの大きな声で朝の挨拶を返すのだった。


 「あらあらウフフッ、〇〇〇は今日も朝から元気ね。」

 「おはよう、〇〇〇−−−。」

 その声につられて、キッチンの奥からお母さんがニコニコしながら出てくる。

 両手にそれぞれもったお皿とボウルには、焼き立てカリカリフワフワのベーコンエッグと、付け合わせにシャキシャキッとした彩り鮮やかなサラダが乗っている。

 サラダの中に、私の苦手なトマトが入ってないことを確認するとグッ、と心の中でガッツポーズ。

 でも、口には出さない。

 この間、口が滑ってしまい、サラダの中にトマトが追加された出来事を忘れていないためだ。


 「おはようっ!! お母さんっ!!」


 優しくて美人なお母さんにも、私の声を精いっぱい届ける。


 そうこうしているうちに、お母さんがテキパキとテーブルの上に料理を運んでいく。

 そして食事の準備が揃った私たちは、みんなで食卓を囲んでいつでも朝ご飯を食べ始められる態勢に。

 朝ご飯の時のいつもの挨拶も忘れない。

 みんなで声を合わせて元気よく。


 「いただきます!!」


 美味しい料理におもわず顔がほころぶ私に、お母さんが話しかけてくる。

 「今日の〇〇〇は、いつもより元気が三割り増しね。」

 「朝から何かいいことでもあったのかしら?」

 さきほどの朝の挨拶の元気よさが気になったのだろう。

 私に笑いかけながら、今朝の様子の理由を尋ねてくる。

 お母さんは本当に凄い。

 私が喜んでる時も、悲しんでいる時も、一声聞いただけで私の気持ちを全部見透かしてしまう。

 帰り道に学校のプリントを失くしてしまったことも。

 魔法のテストで100点をとったことも。

 お母さんにかかれば、全てお見通しなのだ。


 そんな私の自慢のお母さんにも分からないことがあるというのが、とても不思議で。

 でもなんだか、知らないうちにお母さんに勝ったような気がして、とても誇らしくて。

 私は相変わらず元気よく、お母さんにこう返すのだ。

 いつも、お母さんに話を聞いてもらう時の常套句を切り出すのだ。


 「ねぇねぇ、お母さん!! 聞いて聞いて!!」


 こうして、朝の何気ないひと時に、家族の会話の花が咲く。

 しかし、永遠などこの世には存在しない。

 楽しい時間なら、幸福な時間なら、尚更だ。


 「〇〇〇、そろそろ学校の時間じゃないのかい?」

 私とお母さんが楽しくお喋りしている様子を、嬉しそうに横から眺めていたお父さんが声をかけてくる。

 お母さんとのお喋りは、ついつい時間が経つのを忘れてしまうくらい楽しくて。

 そんな時に、お父さんはいつも一声かけてくれるのだ。 

 物静かだけど、いつも私たち家族の事を考えてくれている。

 これが私の自慢のお父さんなのだ。


 「……、うん分かった。」

 大好きなお母さんとお父さんとの別れの時間が近づいていることに気が付いた私は、しょんぼりとうなだれる。

 「〇〇〇、帰ってきたら朝のお話の続きを聞かせて頂戴。」

 ……、やっぱり私のお母さんは本当に優しい。

 世界で一番の、私だけの、お母さんだ。


 「うん、お母さん。」

 「約束だよ?」

 「ぜったいぜったい、約束だよ?」


 なんだか、急に今朝の悪夢のことを思い出して、心がざわつく。

 もしかしたら、お父さんとお母さんにもう二度と会えないのではないか?

 そんな根拠のない、妄想に取りつかれてしまう。

 目の前のお父さんとお母さんはこんなにも近くにいて、こんなにも暖かいのに。

 だから、私は強く強く念押しする。

 そんなどうしようもない考えを頭の奥に押し込めるために、「約束」という魔法の言葉を唱える。


 「まったく〇〇〇ったら、そんな不安そうな顔をしないの。」

 「せっかくの可愛いお顔が台無しよ?」

 「それに私たちが今まであなたとの約束を破ったことがあったかしら?」


 お母さんはそう言うと、右手の小指だけを立てて、私の方に近づけてくる。

 お母さんやお父さんと、約束するときのいつものアレだ。

 それに習うように、私も自分の右手をお母さんと同じようにして、小指と小指を近づける。


 「約束よ、〇〇〇」

 「指切りしましょ。」

 「うんっ!!」


 繋いだ小指と小指はとても温かくて。

 繋いだ指の先に確かにお母さんがいることを実感できて。

 この光景が、お父さんやお母さんが、決して夢や幻ではないんだと私に教えてくれて。

 この温かさが、私を安心させてくれたのだ。


 お母さんと指切りをしたあとは、まるで目が回るような慌ただしさだった。

 学校に間に合うように、顔を洗って、歯磨きをして、お着替えをした。

 そんな私を嘲笑うかのように、時計の針は動き続けて。

 いつもより張り切ってその針を動かしているような気さえした。

 そして、全ての準備を終えた私は、部屋にあるカバンをひっつかむと、駆け出すのだ。

 いつも通りの光景、いつも通りの日常だ。

 今朝にたまたま悪夢を見ただけ、それ以外はいつもと何も変わらない。


 そうして私は、家の出入り口まで一直線に最短距離を突っ走るのだ。

 本当は、学校に行く前にもう一度だけ、お父さんとお母さんと顔を合わせてキチンとサヨナラの挨拶をしたい。

 でも振り返ると、学校に行くという気持ちが、決心が鈍ってしまうような気がして。  

 だから私は振り返らずに、でも2人に届くように、大きな声で、半分叫ぶような声で、こう言うのだ。


 「いってきまーーーす!!!!!」


 そして間髪入れずに、全速力のまま、外の世界に向かってドアを開ける。

 瞬間、私は強い光に包まれた−−−。

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