少女と出会い

 神様なんて嫌いだ。

 ハーフエルフになんの恨みがあるというのか。

 そんなに人としても、エルフとしても、未完成な半端ものが憎いのだろうか。

 ともあれ、私は。

 ともあれ、あんなにも死を渇望した私は。

 まだ、のだ。


 だが、絶望している暇なんて微塵もない。

 今なお、あの悪魔は私の事を捜しているだろう。

 ひとまず難を逃れることはできたのだろうが、ここにいても安全かどうかは分からない。

 ならば、生きていると分かった以上、やるべきことは一つ。

 ここからは……!!

 

 そこからの私の行動は迅速だった。

 横になっている体を起こすと同時に周りを見渡し、私は今の自分の状況を確認する。

 限界まで動き続けた体は、ただ起き上がるだけでその節々が悲鳴をあげる。

 おかしい、夢中になって走り続けたときはこんな痛みなんて気にもならなかったのに。

 だけれども、そんなことは気にしてはいられない。

 ここから今すぐにでも、離れなくては……!!


 目下には、私が今しがたまで横になっていたベッド。

 このベッド、造りは簡素だが意外にサイズは大きい。


 右手側の壁沿いには、引き出しが4段で寸胴体型のタンス。

 だが、遠目からでもそのタンスに埃が被っていることが分かるあたり、長いこと使われていないのだろう。


 今いるベッドの真横には小さな物置台。

 その上には、今は何も置かれていない。


 そして私のちょうど正面には取っ手つきの扉。


 それが私の視界に映る全てであり、そのどれもが木で作られているようだった。

 あの悪魔どもの家にあったものはもっともっと金ぴかや銀ギラに輝いていて豪華であったが、見たことある以上は、一応は知識としては知っている。

 それに、ピカピカ光る壺や絵画、あの場所にはそういった絢爛豪華な調度品が至る所に置かれていて、不用意に触れて、悪魔の逆鱗に触れないようにビクビクしながら生活していた。

 だが、あの悪魔の住処と比べる(本当は思い出したくもないが)と、この部屋にはほとんど何もないように感じる。

 なんだか、人が住んでいるかどうか怪しいくらいに空間全体がこざっぱりとしているのだ。

 私には、人が生活するうえで何が必要なのか、それは良く分からない。

 ……、長い奴隷生活の弊害だ。

 良くも悪くも、ずっと誰かに自身という存在を管理され続けてきた私には、分からない。

 そんな私にすら、人間として必要最低限度の生活ができるものだけを置いたらこんな感じになるのだろう、と思わせるような寂しさをこの部屋は醸し出していた。

 

 いや、そんな部屋についての考察はどうでもいい。

 大切な事、今わかる事実は一つだけ。

 ここはどこかの家の部屋の中らしい。

 視界のちょうど正面には扉、ここから別の部屋に出られそう。

 なら、やるべきことは一つ。

 そう思い、立ち上がろうとした時に私は気づく。

 何かがこちらに


 私はその音を聞いて、ようやく思い至る。

 当たり前の結論だ。

 だけれども、その結論というかもう一つの事実に、生死の境をフラフラして気が動転していた私はまったく気が付かなかったのだ。

 ここは小屋だ、ここは家だ、もちろんの。

 そしてその家に私が今いるという現実、ベッドで寝かされていたという事実。

 つまり、ここには私を拾った誰かがいる……!!

 

 そして、私はすぐに思考を巡らせる。

 ここから逃げ出すためには、どうするのが自身にとって最良かと。

 だが、選択肢を考えて吟味している時間的余裕なんて全くない。

 今にでも、誰かはこの部屋に入ってきそうで。

 ならば考え得る限り、最悪の選択肢を避けるよりほかない。

 現状で、最悪の選択肢、状況---。

 それは---。


 私がことだ。


 きっと、ここに住む誰かは心優しい者なのだろう。

 森で倒れているこんな年端もいかない少女を助けてくれた。

 それどころか、熱心に具合が良くなるまで介抱もしてくれた。

 それは、私の体の所々に巻かれている白い布を見ればわかる。

 体を動かすとまだピキッと痛むが、思い返せば意識を取り戻した時には苦痛はあまり感じなかった。

 それだけ、こんな私に良くしてくれたのだ。


 確かに私は死にたいと思っていた。

 それを考えればとんだ邪魔をしてくれたものだ。

 そう思う自分もいる。

 あそこであのまま死ねたらどれだけ幸せだったか。

 いや違う、私の人生に幸福なんて存在しない。

 あそこであのまま死ねたら、これから起こるどれだけの不幸の連鎖を断ち切ることができたか。

 それを思えば、その善意を憎む自分が、無責任さを呪う自分がいる。


 でも、それでも。

 人から向けられた初めての優しさ。

 厚意に悪い気はしない自分もまた確かに存在していた。


 だが、その厚意も善意も優しさも、全てはその人が私を人間だとからだ。

 

 ハーフエルフは呪われた種族、忌避されるべき血統。

 そんな存在が道端に転がっていたら、誰しもが無視することだろう。

 いや、無視されるだけならまだマシだ。

 石を投げつけられたり、嘲りや侮蔑の対象にされたりするかもしれない。

 でも、私は文句は言えない。

 なぜなら、私はだからだ。

 それ以上の理由はいらない。

 考えてもいけない。

 そして、何よりその事実は決して覆らない。

 

 だからこそ、私を助けてくれた人。

 ここまで親切にしてくれた人の事を考えれば考えるほどに。

 私がハーフエルフであるという事実に気付いていない、という結論に至るのだ。

 

 私はハーフエルフという生い立ちを憎んでいた。

 自分がハーフエルフだという事実をどうしても認めたくなかった。

 ハーフエルフの唯一の象徴、その小ぶりなトンガリな耳。

 人間ほど丸くなく、エルフほど尖っていない。

 まるで、中途半端。

 自分という存在が、どっちつかずの存在であることの象徴。

 私はこの耳がだいっきらいだった。

 切り落としたいと思ったことは一度や二度ではない。

 でもそんなことをあの悪魔は許してくれない。

 自身の持つ希少品ブランドの価値を下げるような事をむざむざ許してくれるような男ではない。

 だから、こんな何の力も持たない少女の最後の抵抗として、私は。

 

 


 ハーフエルフの「証」が見えないように。

 そんなことをしても無駄だということは分かっている。

 あの地獄で、私がハーフエルフであることを知らない者はいない。

 でも、それでも。

 何かに縋るように、その「証」を否定するように、私は「私の象徴」を覆い隠したのだった。


 だが、そんなちっぽけな反抗心が、こんな形で功を奏するとは思わなかった。

 この家の住人は、長い髪に隠された私の耳に気が付いていない……。

 ハーフエルフだということに気が付いていない。

 腰の上まで伸ばした金髪に、自身の小さな反抗心に、今だけは心から感謝した。

 とはいえ、ふとした拍子にいつ髪の隙間から「私の象徴」が顔(耳だが)を覗かせるかも分からない。

 だから、私は---。

 

 先ほどまで包まれていたベッドの上の毛布をひっつかむと、部屋の隅に駆け出した。

 そして、部屋の隅でその毛布を上から被って丸まると、その隙間から部屋の様子を伺う。

 これならば、完璧だ。

 これならば、外から見て私がハーフエルフであることがばれる心配はない。

 これが私のとれる最善の行動だ。


 その次の瞬間、ギギギと鋭い音がして扉が開いた。

 目を凝らして、扉のあたりを注視する。

 男だ、ローブにとんがり帽子、首には長い長い布を巻き、そして目のあたりに何かキラキラしたものをつけた男が部屋に入ってきた。

 男は四角い木の板、お盆を両手で持っており、その上には木製の器と何かもうひとつ別のものが置いてある。

 物静かで、賢そうな男の人だ。

 その恰好は同じ奴隷の人たちから話に聞く、「魔道士」の……。

 いや……。

 まるで噂に聞く、「賢者」のようで……。

 どちらにせよ、その男の姿に私の目は釘付けになったことを今でも覚えている。


 深く被った帽子と首に巻かれた布のせいで、この距離からだと表情までは良く見えない。

 男は、ベッドに私がいないことにすぐに気が付き、部屋を一瞥した。

 表情は見えなくとも、顔を左右にゆっくりと振る動きから、男の動作から、何を考えているのかある程度は分かる。

 そして男の視線は一か所を見つめ、止まる。

 部屋の隅にある私の存在に気が付いたのだ。

 毛布の隙間から目と目が合った瞬間、私は反射的に顔を伏せる。

 視界の中に男を入れないようにする。

 私には、その男の顔を見続けている勇気がなかったのだ。


 コツン、コツン、と木の床を叩く音が静寂な室内に響き渡る。

 一歩、二歩、そうして音を鳴らしながら、こちらに近づいてくる。

 男が近づくたびに、大きくなるこの音は、まるで私の心臓の鼓動のようで。

 ドクン、ドクン、と私の心臓の鼓動もそれに共鳴して、速く大きくなるのを全身で感じ取る。

 全身がガクガクと震えてくる。

 生身の人間に直面すると、同種に与えられた今までの恐怖をどうしても思い出してしまい、体中に悪寒が走る。

 怖い、怖い、怖い……。

 つい先ほどまで、逃げ出そうと息巻いていたのはなんだったのか、体が、腕が、足が、一歩も動きそうにない。

 まるで、蛇に睨まれた蛙のように、身動きができない。

 息が詰まる、苦しい。

 そして、部屋に再び静寂が訪れる。

 。 


 伏せた私の視界に映るのは男の靴のみ。

 黒と茶が混じったような革製のブーツだ。

 これが先ほどまで部屋に鳴り響いた音の元凶だ。

 

 私の横でコトッ、と何かを置いた音がする。

 その音に反応して、何事かと私は顔をあげてしまう。

 目の前には、男の顔があった。


 男は、膝を折って屈み、私と目線をどうにか合わせようとしていたのだ。

 だが当時の私は、その事実に気付くこともなく、男を正面から見据えた瞬間、思考は彼方まで吹き飛んだ。

 その光景を私は生涯、決して忘れることはないだろう。










 のだ。

 笑うと言っても、喜怒哀楽でいうところの「楽」ではなく「喜」の感情だろう。

 優しく、穏やかに、まるで陽だまりのように、その男は笑っていた。

 微笑みと言い換えてもいいかもしれない。

 その顔には、「喜」の感情以外にも「安堵」の気持ちが混ざっているようにも思えた。

 慈愛に満ちた男の顔は、まるでこう言っているかのようだった。

 

 君が元気になって、本当に良かった---。


 と。 

 

 それは私に対して、初めて向けられた表情、初めて向けられた感情だった。

 私に向けられる表情は、感情は、いつも怒りや憎しみ、欺瞞に満ちていて。

 それが全てで、それ以外の何かが私に向けられることなんてあり得なくて。

 そして少女は大事なことを思い出す。


 あぁ、そうだ---。

 私がだからだ、と---。

 










 男は、私の顔を見て程なくして部屋から出て行った。

 いつの間にか体の震えは止まっていて。

 いつの間にか息苦しさはなくなっていて。

 心には、なんだかポワポワしたものが渦巻いていて、どうにも気持ちが落ち着かない。

 今の私には言葉にすることはできないけれど、心臓のあたりがなんだか暖かい。

 心地の良い感覚。

 生まれてきて初めての気持ち。

 どれくらい、ポワポワしていただろうか。

 なんだか、とてもいい匂いがする。


 そのいい匂いが気になって、私は瞳を動かすことにする。

 ふと、視界を横にむけて、匂いの原因が何だったのか確認する。

 顔を少し左に向けると、木の床に置かれた四角いお盆があった。

 その上には、茶色い楕円形の美味しそうなパンと、器に入ったこれまた美味しそうな野菜のスープがあった。

 パンもスープも、ほどよく湯気が立っており、出来立てみたいだ。


 興味本位でおそるおそる手を伸ばし、パンを一口齧ってみる。

 外はカリカリしているのに、中は雲のようにフワフワで凄くおいしい……。

 木の器を両手で持って、中身をすする。

 刻一刻と口の中で味の風味が変化し、そのどれもが言葉にできない美味しさである。

 スープの中に入っている野菜は口の中でホロッと蕩けて、ほっぺたが落ちてしまいそうな味わいだ。


 あそこにいた頃の食べ物に比べると、まるで自分がにでもなって捧げられた最上の供物を食べているかのようだ。

 いや、そもそもこの目の前の「料理」とあそこの「餌」とを比べること自体が失礼にあたるだろう。

 固く岩のようなパン一切れ、冷たく濁り切ったまるで泥水みたいなスープ、水ですら満足に与えられない。

 これでも、ハーフエルフである分、毎食の食事が出されていることが確約されている分、上々だ。

 他の奴隷ではこうはいかない。

 死なない程度に飯を抜かれるなんてのは、日常茶飯事。

 余興の一環で、まるで人体実験のような得体のしれない食べ物を無理やり食べさせられる人間もいたみたいだ。

 しまいには、死人が出たりもしたみたいだが、あの悪魔にとっては替えの効く代用品が1つ使い潰れた程度の認識。

 ……、本当に比べるのもおこがましい。


 そうして、パンとスープを一口ずつ食べた私は、大きな大きな音を聞く。

 ぐーぎゅるるるる!!

 それは、私のお腹の中から鳴る音で……。

 もしかして、隣の部屋まで聞こえてないかな、あの人に聞こえてないかな、と心配になり少し照れてしまう。

 そうだ、私はお腹が空いているのだ。

 何日か、どのくらいかは分からないが、この森を走り続けている間、ずっと何も食べていなかったのだ。

 自分が空腹であるということに気が付くと、いままで心の奥で抑えていた感情を留めることはもうできなくて。

 この身を苛む空腹感にどうしても勝てなくて。

 もう一口、もう一口、とパンにスープに伸ばす手を止めることができなくて。

 気が付いたが最後、パンはその形を失くし、器の中身はすっかり空となっていた。

 

 お腹いっぱいになった私はとてもホクホクで。

 初めて人から向けられた優しさに心がポワポワして。

 こんな暖かな気持ちには、生まれてから一回もなったことはなくて。

 きっとこれが……、「幸せ」なんだろう。

 まるで、奇跡のような時間だった。

 こんなにも満たされて。

 生まれて初めての幸せを感じることができて。

 

 さっき、私は自分をまるで「神様」になったみたいと思ったけれども、そうじゃない。

 違う、違うのだ。

 神様なんかじゃないのだ。

 困っていれば無条件に優しさを与えられて。

 飢えていれば無条件にパンをくれる。

 これが、これが---。

 なんてことはない普通の---。

 「人間」なのだ---。

 











 日が落ちて、暗くなった室内で独り少女は思う。

 部屋の隅で毛布にくるまった少女は、生まれて初めての幸せを知ってしまった少女はしかして思う。


 でも、本当は知りたくなかった。

 知りたくなんてなかった。

 人間の幸福を、人並みの幸福を。


 知らなければ我慢できた。

 自分はハーフエルフなんだと、人間とは違う生き物なんだと、自分に言い聞かせて。

 優しさも、暖かさも、恵みも、その全てが自分には無関係なもので。

 それで良かった。

 

 知らなければ望まなかった。

 誰かの微笑みを。

 暖かいパンとスープを。

 自分に与えられる何もかもを。

 それで良かった。


 知らなければ傷つかなかった。

 希望を、光を、幸福を知れば知るほどに。

 その先に待ち受けている、絶望が、闇が、不幸が際限なく深くなっていく。

 強い光には、より強い影ができるように。

 それが、良かった。


 ……、それなのに私は


 これから先、どうなるかは私には分からない。

 だが、今日以上に嬉しい日など存在しないだろう。

 この後に私を待ち受けているのは間違いなく辛い日々だ。

 ……あの悪魔に再び、捕まるにしろ捕まらないにしろ。


 そして、辛い目に合うたびに、不幸になるたびに、絶望するたびに、きっとこの日のことを思い出すのだ。 

 そして、この日の思い出は、今日の幸せは、在りし日の幻想として私の心をいつまでも鷲掴み、苦しめ続けるのだ。

 幸せがなくとも、不幸は存在しうる。

 だけれども幸せの存在は、不幸をより大きく深くする。

 

 今日の日の出来事を思い返せば思い返すほどに。

 の幸せを噛み締めれば噛み締めるほどに。


 私にはどうしようもなく。

 自分がハーフエルフだという事実がどうしようもなく。

 に思えて仕方ないのだ。

 





 今日限りの人間としての幸せを噛み締めながら、昨日までのハーフエルフとしての惨めさを胸に抱きながら、少女はいつの間にか眠りに落ちる。


 明日にはここから逃げ出そう。

 そしてまた独りのハーフエルフとして生きていこう。

 幸せを感じる時間は、人間としての想い出は、後の自分にとっての不幸にしかならない。

 だから、そう感じる時間はできるだけ短い方が良い。

 

 そう、胸に強く誓いながら……。

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