少女と目覚め
暗闇、暗闇、暗闇。
辺り一面は闇に覆い包まれている。
周りには何もない。
そこには地と空の境界すらなく、この空間を漂う体はまるで空を浮いているかのよう。
いや、体は浮いていると言ったが、今の私にちゃんと体があるのかは怪しいところだ。
たしかに意識は中空にある。
それは確かだ。
だが、それだけだ。
今の私には、体という器が自身にきちんと備わっているかどうかすらも確認することはできない。
例えるならば、夢の中をふわふわと揺らめいている感覚。
こうして与えられた浮遊感によって、始めて私はいままで生きていて当たり前のように存在した感覚。
魂が、体が、星に惹かれる感覚。
「重力」が普遍的ではない、特別な感覚なのだと知覚し、把握したのだった。
今まで一日一日を生きるので精いっぱいで、死後の世界を想像したことなんてなかった。
でも、今なら分かる。
何もない此処こそが、きっと私の人生の、いや……。
「人生」という言葉はとても普遍的な言葉だ。
人の生と書いて人生、だが言葉の範囲的に言えば、生きとし生けるもの、その全てを含んだ言葉だ。
エルフの一生も「人生」だし、妖精の一生も「人生」だし、竜の一生も「人生」だ。
もちろん、私の一生だって「人生」だ。
だから、言葉の使い方的には何も間違ってはいない。
間違ってはいないのだけれども……。
けれども、何故か「人」という字がくっついている、この言葉をどうしても使う気になれなくって、私はこう言い直すのだった。
何でもない此処こそが、きっと私のハーフエルフ生の……。
その終着地点なのだろう。
あぁ、よかった---。
神様は私の最後の願いを聞いてくれたんだ。
私の事をちゃんと殺してくれたんだ。
死の間際、あれほど鮮明な感覚の中にありながらも、私はいつこの場所にきたのか分からないでいた。
あれだけ意識がはっきりしていたのに、倒れた後の最後らへんが曖昧なのだ。
でも、私が覚えていること、その最後の記憶は確かにこう告げている。
私というハーフエルフの最後の意志。
私は死を希った。
それだけは事実。
事実のはずだ……。
あの状況で生きたいなんて事を言い出す人……、また間違えた。
ハーフエルフがいたら、よほど現実が見えていない大馬鹿者か、人にこき使われるのが大好きな被虐願望の持ち主だけだろう。
あるいは生きてさえいれば、自分に救いがあると、居場所ができると、幸せになれると、そんな大きな勘違いをした、それこそ救いようのない愚か者くらいのものだろう。
あれで良かったのだ。
あの場所で死ぬことが私のハーフエルフ生にとって最良だったのだ。
死よりも恐ろしいものはない、と人は口をそろえて言うらしいけど、私はそうは思わない。
死よりも恐ろしい生、というものは確かに存在するのだ。
死こそが何よりの救いとなるような地獄、それは確かに存在するのだ。
想像を絶する痛み、耳をつんざく悲鳴、気が狂いそうなほどの飢えと空腹。
殴られ、焼かれ、蔑まれ、罵倒され、放置され、打たれ、弄ばれ、そして最後には殺される。
そして何よりも、そこから抜け出す事すらできない不自由さ。
「人生」において、一度も選択することを許されない不平等さ。
それを私は身をもって体感した。
だからこそ、確信できる。
間違いなんて一つもない。
いや、もしも仮に間違いがあるとしたら、それは一つだけ。
私が……。
私がハーフエルフとして生まれてきたことだけだ。
それが私の人生唯一の、そして最大の間違いだったのだ。
だからこれ以上なにか望むなんて方が馬鹿げてる。
そう思った私は、再びこの暗闇の中で微睡むのだ。
この意識が終わるその時まで。
この終わった世界がなくなるその時まで。
そもそもこの闇に終わりが訪れるのかどうか、それは誰にも、いや私には分からない。
もしかすると、この「闇」自体が「終わり」なのかもしれない。
この閉じられた空間は、「光」も、「生」も、「始まり」も、何もないこの空間は。
おおよその人間たちが「希望」とするもの、それらが何一つとして存在しないこの空間は。
人間たちが恐れる死後の世界、いわゆる「地獄」なのかもしれない。
でも、私にとっては違う。
「死」は私に決別を、救いをもたらしてくれた。
「闇」は私に静寂を、安らぎを与えてくれた。
「終わり」は私にとっての最後の希望でありつづけ、そして生き続ける苦しみから解放してくれた。
ここは、私にとっての、「天国」だ---。
天国なのだから---。
神様もここにいる私をきっとどこかから見守っているはず---。
だから、神様お願いです---。
決して長くない人生だったけれども、それが許されるというのであれば---。
神様、あなた様が本当にいて、私を生まれ変わらせてくれるのならば---。
どうか神様、次に生まれてくる時は---。
どうか私に---。
「ハーフエルフ」以外の種族としての生をお与え下さい---。
少女は願い、瞳を閉じる。
最後の願いを、いや最初の願いを神様に託しながら、意識を闇に落とす。
少女に体があるかどうか、瞳という実体があるかどうかは問題ではない。
この空間にきてから彼女の意識と五感は直結していた。
だから、まるでスイッチを切るように、電源を落とすように、自身の意識と視覚を切り離す。
そしてまた常闇の中、少女は長い眠りにつく。
ゆえに、彼女は気づかなかったのだ。
いや、彼女が気づかないタイミングだからこそ、それが起こったのかもしれない。
その時、閉じた空間に一筋の光が差した---。
眩しい……。
その眩しさを感じて、私は目を開ける。
目を開ける……?
違和感を覚えた。
なんで私は「目を開ける」という、生物としての実体を伴う行為ができるのだ?
私は死んで、「天国」に行っていたはず。
魂だけの存在になっていたはず。
そう思ったのも刹那、空いた瞳を介して侵入してくる圧倒的な光量によって、私の思考は焼き払われる。
思わず、その目が潰れるかのような輝きにとっさに瞳を閉じる。
そして、数瞬のちに再び目を開ける。
眩しい……!!
また、反射的に目を閉じる。
圧倒的な光量との闘い、目を開閉すること、その繰り返しを何度か。
次第に、目は光に慣れ、視界に形を成す線が、物の輪郭が徐々に見え始める。
視界を覆いつくす茶色、その茶色には綺麗に線が引かれ、領域が分かたれている。
そうして、それが横に並べた木の板の集まりだと気が付くまでに、かかった時間はいかほどか。
そうか、これは……。
見知らぬ天井、だ。
そしてもう一つあることに気が付く。
「天国」にいた頃には感じることのできなかった感覚。
もう二度と、私が私であるうちには味わうことのできないと思っていた感覚。
体の底がふんわりと沈んでいる。
なにか柔らかいものに包まれている。
浮遊感は消え、体は星という大きな力によって固定されている。
この感覚は間違いない。
「重力」だ。
ここで、私は確信する。
全ては泡沫の夢だったのだと。
自身の魂を入れる器の存在感と、心と体が星に惹かれる懐かしい感覚、その双方の事実を突き付けられ確信する。
私は死んでなんかいなかった。
私はまだ生きていたのだと。
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