黙示録13巻 ~愚者の章・序~
もし仮にこの世界が物語の中の、空想上の世界だとしたら、これから語られることにはきっとこう見出しがつく事だろう。
「エピローグ」
と。
英雄たちとの激闘の末に邪神の悲願は達成された。
そう呼ばれていたものはこの世界にはもういない。
そして、二度と現れることもないだろう。
彼にはもう、邪神として存在する理由がないのだから。
女神は再びこの世に舞い戻り、二度目の生を歩みだす。
それは失われたものを元に戻すための長く険しい贖罪の旅だ。
失われたものの事を偲ぶと辛くはある、だが決して苦しくはない。
彼女はもう、1人ではないのだから。
いや、また2人に戻れたのだから。
聖剣の勇者は変わらない。
弱気を助け、悪しきを挫く。
断言できる。
この先どんなことがあったとしても、自身の生き方を信念を変えることは決してないだろう。
それこそが勇者の在り方、自身の信じる道なのだから。
聖剣の勇者は変わった。
これからも剣をその手に取り続ける理由はもちろん変わらない。
だが、その手が届く、届かせたいと思い願う範囲が変わった。
長き道のりだった、理想と現実の落差に何度も打ちのめされそうになった。
それでも、彼はたどり着いた。
その答えに。
そして、彼はこの剣に、いやこの胸に再び誓う。
人も人ざらなるものも、そんな括りは、そんな境界は必要ない。
この目に映る全ての弱き者を可能な限りこの手で救い続ける、と。
この耳に聞こえる全ての助けを求める声にこの手を差し伸べ続ける、と。
それこそが自分のこれからの生きる道だと。
四大魔導士は各々の日常に、そして自由な生活へと戻っていった。
ある者は、自分より強いものを捜す武者修行の旅へ。
ある者は、以前と変わらず王に仕え、国の守護者として在り続けた。
ある者は、聖剣の勇者の従者として、救済の旅に同行しその側を片時も離れず補佐し続けた。
ある者は、自身の生まれ故郷に戻り、「人」と「そうでないもの」その種族の壁を物理的に壊すための活動を始めた。
彼らは分かっていたのだ。
たとえそれぞれの居場所が、帰るべき場所が、やるべきことが違ったとしても、心では強く繋がっているのだと。
そして、また世界に危機が訪れたとしたら、その時はあの時と変わらずに再び世界を救うために集結するであろうことを。
邪神の消滅は一つの旅の終わりではあるが、それは決して別離ではない。
また、新しい旅の始まりだという事に。
各々の新たな門出に、皆その顔は一様に満足げだったという。
そして最後に三大賢者はというと……。
「中庸」は諸国漫遊の旅をしながら、「邪神と女神と八英雄」の絵本を作り、各地の人々に老若男女問わず読み聞かせをした。
しかも、あろうことかそれだけにとどまらず、自分自身で「中庸の賢者の物語」すなわち「自伝」を書き上げ、各地の店に無料で大量の在庫を押し付けた。
中庸の賢者曰く、
「もう心無い人々によって、これ以上私たちの物語を歪められたくないんでね。」
「この悲劇は、もう二度と繰り返してはいけない。」
「私が二度とそうはさせない。」
との事だそうだ。
何とも、彼らしい話である。
「死生」はたった1人の双子の妹とその想い人、2人の旅について回って、保護者(兼ひやかし役)をしているとかなんとか。
2人が相思相愛であるのは私以外の誰から見ても確定的に明らかで、この2人の間に愛がなかったとしたら、この世のどこに愛というものがあるというのか。
その時は自害でも何でもしてやろう。
何なら全財産を賭けてギャンブルをしてもいい、ほぼ無一文だけど。
というか、とっとと告れよ、さらに言えば既成事実まで作っちまえよ。
自分の好きな人がいつまでもこの世にいるとは限らないんだぞ!!
世界はお前たちの味方だよ!!
と内心、台風ばりに大盛り上がりな毎日を過ごしている。
のだがそれと同時に、お互いに勇気を出せずに友達以上恋人未満の2人の関係を見て、とてもやきもきもするのであった。
「あ~ぁ、可愛い姪っ子の顔が見れるのはまだまだ当分先っぽそうッスねぇ……。」
1人、空を見上げて独り言ちる。
そうして、ハッとなって彼女は気づく。
今、私は何て言った?
何とも、彼女らしくない話である。
こうして世界は、いや1人の少年は救済された。
そして、「黙示」は……。
「黙示の賢者」は……。
「ただの愚者」へと成り果てた---。
「賢者様~、もうすぐご飯できますよ~!!」
奥のキッチンから愛しい人の声がする。
少し、声のトーンが高く早口だったように聞こえるのは、きっと現在進行形でフライパンやお鍋と格闘しているからだろう。
最初のころの調理でキッチンを爆発させたことを思えば、彼女の料理の腕も格段に上がったものだと思う。
それでも僕の方がまだ料理が上手い、と彼女の料理を食べながら思ったりすることもあるが、そんな事実は口が裂けても彼女には言えない。
それを言ったが最後、この小さな木の家は彼女の涙で浸水するだろう。
彼女のそういった所は正直、僕は苦手だ。
いや、苦手というか、決して嫌いというわけではないんだ。
もっとこう……。
なんというか……。
そう、言うならば弱点!!
弱点って感じだ。
彼女に泣かれてしまうと、僕はもうお手上げだ。
切る札がなくなるとは、正にこのことか。
そこから先はもう彼女の独壇場、その涙の代償として、その涙を晴らすために向こうの要求を何でも飲まなきゃいけない立場になるわけだ。
頭ナデナデに始まり、膝枕でお
流石に、小さい頃ならいざ知らず、お風呂で洗いっこという要求は丁重にお断りさせていただいたが。
その場ではシュンとなってはいたものの、小さく頷いてやけに聞き分けが良いと思ったら、結局その日の晩、僕がお風呂に入っている時に乱入してくるし、本当にもう困ったものだよ。
と、少し前のやり取りを思い出しながら、少し微笑んでいる自分がいることに気が付いてしまう。
我ながら、よくもまぁ小さい頃から面倒を見ていた娘みたいな子にここまで惚れ込んでしまったなぁ、と思う。
とはいえ彼女は少々、いや相当に、僕に対して一途にすぎる。
彼女の境遇を思えば、頷ける話ではあるのだが、それとこれとは話が別だ。
本来ならば、そんな不用意に傷つけるような発言をした僕が責められるべき話であって、彼女の方には一切の落ち度がない。
いっそのこと、僕の事を殴ったり魔法で吹っ飛ばしてくれたら、いくらか自分の発言のツケを払えた気になってスッキリするものの……。
だけれども、彼女は絶対にそんな事をしない。
なぜなら、彼女にとって僕の言葉はいつだって正しくて、いつだって絶対なのだ。
僕が違うと思ったところで、彼女の脳内ではそのように変換がかけられてしまうのだから、僕にはもう手の施しようがない。
何度かこの話も本人に直接してみたことはあるのだが、この話だけに関しては例外でNOと言えるらしく、
「そんなことはありません!!」
「賢者様はいつだって正しくって、いつだって優しくって、いつだって……。」
「いつだって……、私の勇者様だったんですから……。」
と言われ、涙をそのクリッとした大きな瞳に浮かべてくる。
こうなったら、先ほど言った状態、いわゆる詰み、である。
僕としては、信頼と妄信は似て非なるものだと思うし、その違いは時に大きな過ちを起こしかねないので、なんとか彼女には理解してもらいたいのだが……。
とはいえその話をすると結果として、彼女を半分泣かせる羽目になるし、罪悪感と自己嫌悪が凄い勢いで押し寄せてくるので、彼女にこの認識を改めてもらうのは既に内心ほとんど諦めている。
ついぞ、これに関しては妄信される側が上手く手綱をとるしかないか、と最近では思うようになった。
まさに逆転の発想である。
つまり、僕が間違えなければいいのだ。
彼女を傷つけたり泣かしてしまうような文言を一切、口にしないようにする。
そうすれば、僕もハッピー、彼女もハッピー、だ。
なに、あの頃のことを思えば、さしたる苦労でもない。
もちろん、どうしても苦言を呈さなければならない場面もあるだろう。
その時は割り切るしかない。
パートナーの間違いを正すのも夫婦の努めだ。
願わくば、その矢印の向きが一方通行ではなく、双方向になることを期待してはいるし、そうすると僕としても安心できるというか、少し肩の荷が下りるのだが。
と、内心思いつつもそんな苦言を言わなけらばならないような事態にはそうそうなるまい、と確信している自分もいる。
確かに、彼女は僕の事になると少々、いや些か以上に泣き虫になる。
だがそれは彼女のほんの一側面に過ぎない。
基本的に彼女の根底にあるのは善意と優しさ、そして誰かの為に行動できる勇気だ。
それだけは間違いない。
彼女の育ての親で師匠で夫である自分が、彼女を一番近くで、一番長く見てきた自分が保証する。
困っている人がいたら後先考えず手助けをし、飢えている人がいれば自身の空腹も顧みず一つしかないパンを喜んで渡すだろう。
自分の大切な人が後ろにいれば、どんなに強大な敵にだって立ち向かっていくだろう。
それが彼女、僕の愛した最愛の
さて、そういえば彼女に呼ばれた返事をしなければ。
僕としても、好きな人の涙を見るのは辛いし、わざわざ泣かせるようなそんな加虐的な趣味・嗜好もないので、さっきの料理云々の言葉はそっと胸の内に秘めておくこととする。
それに彼女が料理をするのが嫌ってわけじゃない。
むしろその逆、とても嬉しいのだ。
あくまでも、料理の腕前の話は僕の客観的な評価であって、主観的な評価ではない。
1人で食べるご飯よりも、愛した人と一緒に食べるご飯の方が絶対に美味しい。
しかもそれが、その人手づから作ったものとなれば尚更だ。
少なくとも、僕はそう思う。
彼女と結婚してからというもの、
「夫の世話をするのは妻の役目です!!」
と、料理だけに限らず家事全般を頑張っている彼女を見ると何かと嬉しくなってくるものだ。
昔は、彼女の世話をしていたのは僕なのに、いつの間にか立場が逆転してしまった。
その姿を見ていると、彼女の成長を実感できて堪らなく嬉しいのだ。
色々と物思いに耽ったものの、先ほどの彼女の呼び声から時間にしてほんの2,3秒ほどだ。
僕は彼女の呼びかけに軽く返事をする。
「分かったよ、ひと段落つけたらもうすぐそっちに行くよ。」
しかし、僕としては先ほどの彼女の言葉で気になる点が1つ。
どうしても、指摘せずにはいられなかった。
「でも、その賢者様ってのは止めてくれないかなぁ。」
「僕はもうただの人間なんだから、もっとこう……、別の呼び方をしてくれると嬉しいな。」
と発言して数瞬、迂闊だったと後悔した。
彼女にとっての賢者様は僕1人なのだ。
それを否定するということは……。
が、次に彼女の口から出てきた言葉は僕の想定外の言葉だった。
想定外の言葉だったがゆえに、その衝撃は後頭部をいきなりハンマーで叩きつけられるかのようにカーーーンと僕の心に響き渡ったのだった。
「え……、別の呼び方?」
「あ……、あなた……、とか?」
きっと、いや間違いなく照れているのだろう。
彼女の語気が後半になるにつれて、指数関数的に弱まるのを聞いて、僕はこう思うのだ。
こんなの反則だろ、と。
生憎と、書斎からキッチンまでは位置関係的に互いの姿が丁度目視できないようになっている。
家の中央をリビングとして、そのリビングに隣接する北側がキッチン、西側が書斎だ。
間に少し広めのリビングを挟む上に、今ちょうど僕が腰かけて作業しようとしている書斎の机と椅子は家の外側、窓の方を向いている。
だから、彼女の姿を直接見ることはできないのだが……、僕にはその姿がありありと想像できる。
俯いて顔を苺のように真っ赤にしながら、頭から蒸気機関の如く湯気を出す彼女の姿が。
そして同時にこうも思う。
向こうからも、僕が見えなくて良かった、と。
彼女ほどではないにせよ、顔が上気しているのを感じる。
心臓の鼓動も心なしか早くなっているようだ。
とはいえ、腐っても僕は元賢者だ。
彼女の今の状態を想起して一つの起こり得る危険を察知する。
「お弟子ちゃん、お鍋とフライパンは大丈夫かい!?」
僕の注意喚起に数秒遅れてフリーズ状態だった彼女が動き出し、慌てたように一際甲高い声を上げる。
「あ、あぁっ!?」
「ありがとうございます、賢者様!!」
「危うく今晩の料理が久々のダークマターになるとこでした!!」
やれやれ、いくら愛する人と食べる料理が格別だからと言って、それはよしてほしいなぁ。
なんて思いながら、背後のキッチンの方でまた調理の音が再び響き渡るのを聞き取った僕は、賢者としての最後の仕事、それを始めようとすることを決心するのであった。
昨日、彼女からの心の底から嬉しい報告があったのを切っ掛けに、僕はこの最後の仕事に取り掛かることを決めたのだ。
この仕事を終えるまでにいったいどれくらいかかるだろうか?
全く見当もつかない……。
おおよそ一年?
いや、それじゃあダメだ。
それじゃあ間に合わない。
半年。
半年だ。
半年で終わらせる。
絶対にその時が来るまでにこの仕事を終わらせて、僕は「黙示の賢者」ではなく「ただの愚者」として、彼女、いや彼女たちと新しい人生のスタートを切るんだ。
そして、机の上の羽ペンを手に取り、インクに浸して、視線の先にある素晴らしく分厚い閉じた本を見据える。
タイトルはもう決めてある。
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黙示録 第13巻
~愚者の章~
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僕は自分の「賢者としての人生」にタイトルを与え、その本に命を吹き込んだ。
そして、自身の人生を綴るべく、その本を開いた。
本の1ページ目を開くやいなや、彼の持っている羽ペンは意思を持っているかの如く、滑らかに紙の上を動き出した。
最初の書き出しも、もう決めてある。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その出会いは、「必然」のみで構成された青年に
少女という「偶然」を初めてもたらした---
繰り返す、これは物語だ。
これは……。
1人の青年が1人の賢者へ、
そして1人の賢者が1人の愚者へとなり果てるまでの物語---
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