第1章
その少女、異界より来たる 01
気が付くと、目の前には青い空が広がっていた。
そよぐ風、頬を撫でているのは青々と茂ったゆらめく草木。
あぁ。自分は今、草原に横たわっているのだなと、何となく理解する。
「・・・・・・あれ、カンペだったのかな」
ゆっくりと身体を起こしながら、最初に頭を過ぎったのはそんな事だった。
天使が取り出した一枚の紙切れ。
彼女のそれまでの様子から考えると、最後のカッコいい一文に対する違和感の正体がその考え一つで解消された。
ここ一番の台詞だけは間違えないように、メモを用意していたのだろう。
その辺りも含めて、あの天使の雑さに今更ながら不安を覚える。
いや、メモを用意していた辺り、意外とマメなのかもしれないけど。
果たして、本当にここは異世界なのだろうか。
間違えて地球の外国のどこかに送られた可能性は無いだろうか。
「何か、ここが異世界だと実感できる物はないかな」
周囲を見渡しても、特にそれらしい物は何も無い。
少し離れた所に森が見える以外だと、山と空しかない草原の真っ只中だ。
空を見上げても、別に太陽が二個あったり、紫色の月があるわけでもない。
ゆらゆらと、白い雲が流れているだけである。
ここが本当に異世界かどうかも問題だが、それよりも、差し当たりもっと大きな問題があった。
「・・・・・・ところで。私はこれから何処に向かえばいいの?」
文字通りの大平原。
その真っ只中に放り出されてどうしろと言うのだろう。
「あれ? もしかして出だしから私、遭難してない?」
何もおかしな物は無い。
それはつまり―――何らかの指標となる物すら無いという事。
「天使さーん! 誰かを助けるにしてもまず何からすればいいんですかー!?」
ですかー、ですかー、ですかー・・・・・・
私の叫びは、ただ青空に飲まれて何処かへと消えていく。
「まってまって。私サバイバル能力みたいなもの何もないのだけれど、いきなり餓死の可能性に直面してるのは流石に―――」
冷静に現実を見据えつつ、その現実に少し絶望しそうになった時。
―――――――――ぁあっ! 誰か!―――
声が聞こえた。
空耳ではなく、確かに今、誰か女性の物と思われる悲鳴の様な物が聞こえた。
「人が居る! どっち―――どっちから聞こえたの!?」
耳を研ぎ澄ませて、音を探す。
右でもない。
左でもない。
後ろでもない。
前―――にある、森の方向から再び同じ悲鳴らしき声が聞こえてきた。
「悲鳴・・・・・・なのが凄く嫌な予感しかしないけど、今はその手がかりに頼るしか、ないよね」
そう言うと同時に、私は森のある方角へと走り出していた。
人見知り文系女を自称する自分とは思えないアグレッシブな行動力を発揮して。
******
「グヘヘ、兄貴ぃ。こんな所にマブい女が転がってますぜぇ」
「コイツぁ神様からモテない俺達への贈り物って事かぁ?」
「オレ、最近溜まってたんですよぉ。一番乗りしちゃってもいいすか?いいすか?」
「ったくしょうがねぇ奴だなぁ。2、3発出したら交代しろよぉ?」
下種が居た。
もう誰の目から見ても只の下種野郎が二匹。
「だれか・・・・・・だれかぁ・・・・・・」
その二匹の下種に囲まれる形で、一人の女性―――少女が横たわっていた。
目に涙を浮かべながら、少女は小さく震えている。
何かあの黒猫との出会いを思い出してしまう、そんな光景だった。
さてさて。状況を整理しよう。
目の前に居る男二人は、恐らく典型的な山賊とか盗賊の様な野蛮人だろう。
そんな連中に一人囲まれている少女は、身なりならすると良い所のお嬢様だろうか。
多分私と同じくらいか、少し年上のドレスを身に着けた女の子。
特に目を惹かれるのは、その髪と瞳の色である。
まるで新雪をそのまま髪にした様な透き通る白。いや、白銀の髪の毛。
頭上に広がる青空に溶け込みそうな、スカイブルーの瞳。
他にも、同い年くらいとは到底思えない、とても大きな、そう、豊満なオパイ。
そこに関しては、ふと自分の胸に手を当てて気持ちが奈落へと落ちて行きそうになったので見なかった事にする。
盗賊(仮)の二人も特徴的な外見をしている。
真っ赤な、まるでデジタル処理されたイラストの様な赤い髪。
体つきも日本に居たら滅多に目にしない様な、立派な筋肉に覆われた体躯である。
間違いなく正面から戦って私の様な小娘が敵う相手ではないだろう。
何よりも、連中の手や腰には金属製の「武器」と思われる物が備えられている。
ファンタジーな世界と聞いていたにしては妙に「機械っぽさ」のある装備だが、私はそれに近いものを以前ある物語で見たことがあった。
19世紀末を舞台に二つの国がスパイ合戦をしているアニメで、勿論女の子主人公。
普段は女子高生、裏ではスパイをしているという鉄板ネタに、ハードなキャラ設定が盛り込まれた5人の女の子が百合百合する素晴らしい作品がある。
今盗賊に襲われている子はその作品に出てくるド●シーって子が銀髪になった感じ。
5人も居るから組み合わせし放題なんだけど、個人的にはプリンセス×ド●シーを押す。
って、そうじゃない。大事なのはそっちじゃなくて。
連中が持っている武器が、その作品に出てくる物に良く似ているのだ。
「(確か、スチームパンクって言うんだっけ、ああいうの)」
金色の金属。確か真鍮だったかで出来た機械武器。
元々は蒸気機関が発達しつづけたら? というIFの世界感で描かれた物語に登場するアレ。
その作品では蒸気以外にも少しSFなエネルギー使ってアクションする感じだったはずだけど、さて、この世界のあの道具は果たしてどういうパターンなのだろう。
何よりも、それが分かった所で手元に武器などなく、あるのは学生服と学生鞄。
スニーカーを履いているのでこんな森の中でも歩きやすいのは唯一の救いだが、それでも「戦う」なんて物騒な事が出来る「武器」など―――
「・・・・・・あるにはあった」
なるべく音を立てないよう、そーっと、そーっと私は鞄を開く。
その中にあるはずの「武器」を慎重に探していく。
「これで戦える・・・・・・? いくらなんでも無理じゃない?」
手にしたのは、地球ではお馴染みの市販されている工具。
すなわち「カッターナイフ」さんだ。
それが2本。両手に持って使おうと思えば使える。
今、下手に刃を出すとカチカチというクリック音で気づかれてしまうかもしれないので、まだ刃は出していない。
他にも、金属製の定規と・・・・・・さっき言った百合女主人公の最新刊、電子手帳、スマホ、タブレットが入っていた。
この辺りは胸やお腹に仕込めば多少防御に、なるかな、無理かな・・・・・・ないよりマシか。
学生鞄はリュック型にもなるストラップがついているので、とりあえず必要そうな物だけ出して背中に背負う。
「ていうか私、こんなにアグレッシブだったっけ」
正直手は震えている。
だって今から自分は、カッターナイフなんていうか細い道具を使って悪漢二人と戦おうとしているのだ。
そもそも見知らぬ少女を助ける為に、こんな命がけの行動をする理由は無い。
あの黒猫を助けた時もそうだったが、なぜ私はこんな無謀な事をしているのだろう。
物語の主人公に憧れているから?
いやいや、現実を知っているからこそ憧れるのであって、いざ自分がその現場に立たされて動けるはずが無い。
私は普通の高校生。それも文系の女だ。
こんな何処とも分からない森の中で命をかけるのは駄目じゃないのか?
相手は自分よりも遥かに強そうな男二人。
最悪の場合私も彼女と一緒に彼らの慰みものとして華を散らす事になる可能性の方が高い。
「いやぁぁぁぁ! だれかぁぁぁぁぁ!」
だけど―――だけど。
異世界に来てまで「それが普通だから」と己を殺して目を逸らし、耳を塞いで生きていくのは、もっと駄目だ。
どうせ一度なくした命。
ここから始めるのは新しい私。
汐 早百合の新しい物語を、今、この場所から始めなきゃいけない。
「天使さん。頼まれ事を果たす前に死んだらゴメンなさい」
少女の悲鳴がより大きく、より悲壮な色を帯びていく。
まだだ。まだ今じゃない。
彼女には悪いが、二人が完全に油断しきったそのタイミングを使って、後ろから一気に攻める。
森の木に身を隠しながら、私は機会を伺い続ける。
手遅れになる前には助けに出なければならない。
タイムリミットは、連中が行為に及ぼうとしたその時。
握り締めた両手のナイフに、じわりと嫌な汗が流れていくのを感じていた。
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