1999.09 BR 家畜人ヤプー 第四巻

家畜人ヤプー 第四巻

沼正三 幻冬社アウトロー文庫 1999年


REVIEW


 クララとセシルとウィリアムは、曳船畜(タグ・ヤプー)が引く船に乗りながら、ジャンセン家(ポーリーン、ドリスの姓)の立体動画のアルバムを見る。クララは麟一郎をセッチンにしようと思いつく。麟一郎はそのために口や顔面を手術することに恐怖を覚えるが、クララへの愛情と股間部へ触れられるという歓喜から、その運命を自ら受け入れようとする。


 毒が(以下略)。

 第四巻の荒俣宏の解説、すごく楽しそうなんですけど。博覧強記の強みを生かしてダーウィンの『ビーグル号航海記』に登場するヤプーの解説をするわ、


 糞尿は哲学。

 精液と愛液を語れば純文学。


から始まる「産出と排泄――ヤプー的ユートピアによせて」では哲学をウンコとオシッコの出方に例えるわ、異様にいきいきと解説を書いている。そんなユートピアはいらん、というのが本音です荒俣さん。


何度でも書くが、『家畜人ヤプー』は哲学小説である。不浄なものを神聖なものに変化させるための社会改造法を真剣に模索したひとつの試案である。そしてその社会改造が、実現するかどうかの鍵は、まさに、ユートピアにふさわしくない不浄の処理方法にこそあったのだ。(P353)


 というのは名言だと思います。ショックだったので解説から書き始めてしまった。

 第四巻はイースの風俗と麟一郎がセッチンになる過程を書いているので、あまりゲゲッと思うところはなくスラスラと読めてしまったのでした。な、慣れたなあ。ゲゲッと思ったのは一カ所だけ、これは生理的に嫌だというのではなく、右○の人が出てくるのではという、野次馬的な恐怖なんですが。

 菊花談義とチクヒトのくだり。菊の家紋が何を象徴しているか、というのは橋本治が『蓮と刀』かなにかで茶化していた覚えがあるんですが、チクヒトを○○ヒトって書くのは、それは、いいんですか幻冬舎さん……。


 第三巻のときに飛ばした慈畜主義(チャリティズム)について。

 慈畜主義はアンナ・テラス(アマテラス)が主張した主義のことで、自分や白人を崇拝させることによって、使役を奉仕に変えることを指します。使役される内容は変わらないのですが、虐待を与える相手を崇拝させることによって、虐待が愛護に変わっていく。


「鞭や縄は最初は苦痛でしょう。でも一度仕込んでしまえば、あとは鞭と縄で可愛がってやれるでしょう。この二つだけが愛情の表現になるのね。だから、さかのぼって、訓練中の鞭や縄も肯定できるのだわ。」(二巻解説より、本文ページ不明)


 三巻でアンナ・テラスがクララに、セッチンの排泄物は「信仰を持ってなければ不味いものも、信仰に比例して美味しくなる(P31)」と述べています。そして、麟一郎のような原(ロー)ヤプー(改造されてないヤプー)を強制的にセッチンに仕立て上げることを『鞭の喜び』といい、貴族の娯楽にしています。そのために地球の日本のあった場所に邪蛮(ジャバン)という原(ロー)ヤプーの国をつくり、なにも知らない日本人を飼っている。

 白人の風俗のなかに、日本人になじみの深い閻魔大王や桃太郎などが出てくることも、この話の特徴のひとつです。どちらが主でどちらが従なのか、立場的にははっきりしているのですが、物の名前や目に見えないところで、白人の文化が日本人の文化に浸食されている。こういった立場の逆転も、『ヤプー』の特徴のひとつでしょう。

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