街の人に聞いてみよう
裏の倉庫に回った三人はゆっくりと倉庫の周囲を探してみる。何の変哲もない雑草の生えた裏庭にどっしりと構えられたコンクリート製のそれは、中にはほとんど足の踏み場もないくらいにいろいろな食材や包材が置かれている。照明はついておらず、倉庫の上部にある採光と換気用の小さな窓があるだけで人が入ってこれそうにはない。
「これは鍵をどうにかしないと入れそうにないね」
「クロワッサンちゃんならあの窓から入れるんではなくて?」
「ボクだってそんなに小っちゃくないよ!」
二人の軽口を聞きながら倉庫を見回していると、カンパーニュちゃんの目の前に黒い影が急に飛び出した。
「ひゃあ!」
「ん、どうしたの?」
驚きながらも影の行方を目で追っていたカンパーニュちゃんの視界には、缶詰をくわえた黒い影が窓から逃げていくのが見えた。窓から漏れる夕陽に映った三角の耳、誘うようなしっぽ。
「猫! 猫がおったんじゃ!」
「この街は猫がたくさん住んでいますからね。かわいいですわよ」
「そうじゃのうて! 猫さんが泥棒じゃったんよ」
慌てて倉庫を飛び出して辺りを探してみるが、犯人の姿はない。確かに猫なら開けっ放しになっている窓からいつでも入ってくることができる。
「でもなんでパン屋の倉庫を狙ったんだろう?」
「さっきの子、たぶん鯖缶持っていったんじゃと思うわ」
「なんでパン屋の倉庫に鯖缶があるんですの……」
「最近店長さんがサバパンの試作しとったけんね」
コトブキベーカリーでは常識にとらわれないパンの研究が日夜進んでいる。ほんわかとした雰囲気をしていながら、あの店長さんの発想は自由を軽く超えたところにあるのだ。
「で、どんな猫でしたの?」
「えっと、茶色と白のトラちゃんじゃったよ」
「よし、じゃあ探しに行かないとね!」
猫が犯人とわかれば、店長さんもしかたない、と諦めて窓を閉めて終わりだろう、とカンパーニュちゃんは考えていたのだが、どうやらこの二人はそう思ってはいなかったらしい。
特徴を根掘り葉掘り聞き込んで、最後にはカンパーニュちゃんに絵を描くようにまで言ってきた。お店に戻り、ポップ用のペンでチラシの裏にカンパーニュちゃんが猫らしき絵を描いていく。
「こんな感じじゃったかな?」
「あなた、絵心がないですわね。ポップを描いたり値札にイラストをつけたり、絵だってパン娘に必要なスキルなんですのよ」
「描けゆうたんはパリジャンちゃんじゃがー」
ぐにゃぐにゃと曲がった線で描かれた猫の絵はかろうじて猫であることはわかるものの、この絵と同じ猫を探したところで見つからないだろう。手がかりがこれだけでは探しようがない。どうしたものか、と頭を抱えていると、金色の香りをまとってバゲットさんがコトブキベーカリーにやってきた。
「様子を見に来たんだけど、パン娘が三人そろってどんな楽しいことをしているんだい?」
「あ、バゲットさん。ちょっと泥棒猫を探していて」
「ど、泥棒猫?」
別の意味で考えたらしいバゲットさんが視線を逸らす。慌ててパリジャンちゃんが倉庫から鯖缶を盗んでいった猫の説明をはじめた。どうやら誤解は解けたらしく、まだ少し顔の赤いバゲットさんがカンパーニュちゃんの描いたぐにゃぐにゃの猫の絵を見ながら、優しい声でこう言った。
「それなら街の人に尋ねてみればいいと思うよ。猫好きな人が多いからね」
「この絵で伝わるのでしょうか?」
「茶トラの猫ってだけでもかなりいるとは思うけど、手癖の悪い子なら有名なんじゃないかな?」
もう一度カンパーニュちゃんの絵に視線が移る。確かに茶色と白のトラ柄の猫だということはかろうじて伝わりそうだ。それにドルクで看パン娘をしている大先輩のバゲットさんが言うことなら、三人とも信じられると思えた。
「それじゃ聞き込みにいこうよ!」
「知っている方はいらっしゃるでしょうか?」
「猫さん鯖缶やこ開けられるんじゃろうか?」
それぞれに言いたい放題のことを言いながら三人は揃ってコトブキベーカリーを飛び出す。その背中を見送りながらバゲットさんが笑顔で手を振っていた。
「こんな猫ちゃんでちょっと悪さする子を知っとったら、教えてほしいんですけど」
「茶トラの猫ちゃんねぇ。この辺りにはいっぱいいるけどね。そういえば見ない子だね」
「コトブキベーカリーで働くことになったんよ。カンパーニュいうんじゃけどよろしゅうな」
「そうなの。北の端のお店ね。今度行ってみるわ」
こんな調子で猫探しをしているのに街の人の興味はカンパーニュちゃんにばかり向かってしまう。ただでさえ一本の通りに三人のパン娘がいるのだ。そこにもう一人増えたとなれば誰もがどこの子だろうと聞きたくなってしまう。
「ちょっとずつ情報は集まりましたけど、時間がかかりましたわね」
「しゃーないよ。うち、この街の人に全然知られてへんし。初めて会うたらみんな聞きたくなるもんじゃけんね」
「とりあえず有力そうなのは北の空き地のところだっけ?」
ぐるりと大通りを巡って、結局辿り着いたのはコトブキベーカリーのすぐ近く。大通りから少し外れた空き地だった。管理が行き届いていないのか、売地の看板こそあるものの雑草が生い茂っていて地面はまったく見えない。
これでは中に入れない、とためらう二人をしり目に、カンパーニュちゃんは勢いよく草の波にダイブした。
「ちょ、ちょちょ。汚れちゃうよ」
「汚れたらお洗濯すればええだけじゃが。それより猫さんおるかもしらんし」
「これが田舎者の考え方ですのね」
野蛮ですわ、と小さく漏らしながらもパリジャンちゃんは恐る恐るカンパーニュちゃんが倒していった草の道をついていく。クロワッサンちゃんもスカートを手で小さく畳みながら続いていく。
空き地の真ん中を過ぎたあたりで、カンパーニュちゃんの靴に何かが当たって甲高い音を立てた。その場にしゃがみこんでみると、それは見覚えのある鯖の缶詰。市販されているものではあるが、倉庫から盗まれたものと同じ。
そこから足音を立てないようにゆっくりと歩きながら探してみると、大きな石の陰に隠れて何かしている茶トラの姿を見つけた。
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