何層にも重なる出会い

「あはは、ごめんなー」


「謝って済む問題ではありませんのよ。店内が一望できる店先のガラス窓はお店の顔。それが汚れているなんてお店の恥。それはつまりパン娘の恥でもあるんですのよ」


 どうやら簡単には許してもらえないらしい。ポンドワールも同じパン屋。アイドルタイムである以上、お客さんの助けは簡単には来てくれなさそうだった。どうしようか、と考えてみても行き当たりばったりが基本のカンパーニュちゃんにはいい案なんて浮かぶはずもない。


「あー、またお店の前で怒ってるー。そんなだからいつまでも怖い看パン娘って言われちゃうんだよ」


 願っていた助けは思っていたよりもずいぶんと低いところからやってきた。

 振り返った先にはカンパーニュちゃんよりもさらに小さなパン娘がひらひらとやる気のなさそうに手を振っている。パリジャンちゃんが怒っているのはいつものことのようで、特に驚いている様子もない。


 丁寧に巻かれたツインテールを揺らしてへにゃへにゃとした笑顔を浮かべている。何層ものパニエでたっぷりと膨らんだスカート。袖からも覗くフリルのレイヤー。ヴィクトリアンメイド風のパリジャンちゃんと比べると、こちらはメイドというより貴族のようだ。


 それなのにカンパーニュちゃんと同じように今にも草原を走り出しそうな雰囲気があるのは彼女の気さくそうな笑顔のせいかもしれない。しかしそのさっぱりとした笑顔に反してたっぷりと膨らんだ胸元は、彼女が砂糖やバターをたっぷり使ったリッチなパンをかたどったパン娘であることを如実に表していた。


「今不届き者のパン娘を叱っているんですから後にしてくださいな」


「だってその子今日来たばっかりの子なんだよ? そんなに怒ったら怯えちゃうよ。これから仲間になるんだからさ」


 仲間、という言葉にカンパーニュちゃんの顔が一気にきらめいた。田舎育ちで友達の少なかったカンパーニュちゃんにとっては、バゲットさんも含めたこの通りの看パン娘たちはライバルであり、目標であり、大切な仲間になってくれる存在なのだ。


「この子、怯えてると思いまして?」


「うーん、わからないことだらけで困ってるだろうと思って様子を見に来たんだけど、全然平気そうだね」


 叱られているというのに少しも反省の色はないカンパーニュちゃんを見ながら、貴族風のパン娘は頬を掻く。


「ボクはクロワッサンだよ。この先のエンゼルセンで看パン娘をやってるんだ」


「うちはカンパーニュいうんじゃ。よろしくなー」


「新しい子が来るって聞いたから様子を見に来たんだけど、全然心配いらなかったみたいだね」


 クロワッサンちゃんは巻いた髪をいじりながらパリジャンちゃんと一緒に苦笑いを浮かべている。少しも動じていないのはカンパーニュちゃんだけのようだった。


「よかったら今度うちのお店にも遊びにきてよ。他のお店と違ってリッチなパンが多いから見慣れてると思うよ」


「ほんまに? ほんなら今度遊びにいくわ」


「ありがとう。じゃあカンパーニュちゃんにも会えたし、ボクはお店に戻ろうかな」


 またへにゃへにゃと手を振って道を戻ろうとしたクロワッサンちゃんの手をパリジャンちゃんががしりとつかんだ。


「え、なに?」


「ここまで来たんですから何か買っていきなさいな」


「いや、ボクのところもパン屋なんだけど」


 確かに他のお店のパンを知ることも大切なことではある。それでも毎日食べていれば飽きが来てしまうのは人間もパン娘も同じだった。


「ほな、うちそろそろお店に戻るわ!」


 本能的に危機を察したカンパーニュちゃんが挨拶もそこそこに北へと逃げ出す。


「あ、待ちなさい! あなたも何か買っていきなさい」


「ナイスだよ。カンパーニュちゃん!」


 パリジャンちゃんの目が北に向いたのと同時に、手を振り払ったクロワッサンちゃんが南に逃げ出す。


 二兎を追う者は一兎をも得ず。大通りを真反対に逃げていくパン娘二人を見送りながら、パリジャンちゃんはむぅ、っと頬を膨らませることしかできなかった。




 翌日からカンパーニュちゃんはパン娘として店頭に立つことになった。まだまだアナログな仕事が多い個人経営の小さなパン屋さんではまずレジ仕事からして大変だ。商品の価格は自分で覚えなくちゃいけない。


 それに常連さんとの話もしっかりしておく。よく買う商品を覚えておけば話も弾む。陳列棚は定期的に整えて、いつでも見栄えが良くなるようにしておかなくてはいけない。看パン娘になる目標の前に普段のお仕事からして大変だった。


「ふぅ、目が回るみたいじゃねえ」


 のんびりとした田舎で育ったカンパーニュちゃんにとっては人の行き交う街はそれだけで酔ってしまいそうなほどだ。お店だってイメージではもっと時間に余裕があると思っていたが、朝やお昼前のお客さんのラッシュは不慣れなこともあって長い列ができてしまっていた。店長さんは平気そうに笑っていたが、やっぱり早くできるようになった方がいい、とカンパーニュちゃんは閉店後も値札とにらめっこしながら覚えていく。


 和風の食材と伝統のフランスパンの組み合わせはカンパーニュちゃんが見たことのないものばかりで、値札の名前を見てもイマイチ頭にその姿が浮かばない。


「なんでこのお店緑とか赤のパンがこんなにあるんじゃろうか」


 赤は紅ショウガやサクラエビを使ったパンだ。リュスティックに入れてシソと一緒に混ぜ込むと不思議とパンと合うのだからパンの可能性は無限大だ。


「うーん、おかしいな?」


 カンパーニュちゃんが値札とのにらめっこに負けかけていると、首を傾げながら店長さんが裏の倉庫から戻ってきた。


「なんかあったん?」


「あったというかなかったというか」


「なんやよーわからん感じじゃね」


 言葉を濁す店長さんにカンパーニュちゃんは詳しく話を聞いてみることにする。お店の危機はパン娘の危機。解決するのもパン娘の仕事、というわけでもないのだが、カンパーニュちゃんは興味津々で店長さんも世間話半分という雰囲気で教えてくれた。

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