メイド風味のパン娘はいかが?

 赤レンガの通りはたくさんのお店が立ち並んでいて、それを求めて多くの人が行きかっている。初めて入ったときは小麦の香りを感じていたが、落ち着いて通りを歩いてみると、花や果物やペットの香りが入り混じっている。


 この街にはたくさんの商品が並んでその中から気に入られたものが誰かに選ばれて買われていく。その中でパン屋さんのお手伝いをするのが、パン娘の仕事なのだ。


「でもここにパン屋さんどんくらいあるんじゃろうね」


 それでも大通りにやってきたときの小麦の香りは芳しかった。ドルク一軒の力ではない。ライバルだってたくさんいるのだ。そうは思いつつも、カンパーニュちゃんの足は自然とバゲットさんのいるドルクへと向かっていた。


 お店の前を通りがかると、お昼過ぎのアイドルタイムということもあってかお客さんのいない店内で陳列棚を整理しているバゲットさんの姿が見えた。


「こんにちはー」


「いらっしゃい。あぁ、さっきの。その様子だとコトブキさんに辿り着いたみたいだね」


 棚の整理の手を止めて、バゲットさんはまたさわやかな笑顔でカンパーニュちゃんに振り返る。それだけでうっとりとするような香りがふわりと漂ってくるから不思議だ。本当の香りではなくて、この立ち振る舞いや気品からくるのだろう。


 カンパーニュちゃんは自分の体とバゲットさんを見比べてため息が漏れそうになるのをなんとか堪えて頭を下げた。


「さっきはありがとうございました」


「いや、構わないさ。同じパン娘なら助け合うのは普通のことなんだから」


 まるでこの店内は舞台の上のように感じられる。パン屋さんと一体となってお店のすべてを盛り上げる存在になることが看パン娘の目指すべき姿なのかもしれない。


「それでわざわざお礼に来てくれたのかな?」


「それもあるんじゃけど、店長さんが今日はお仕事はええから、って言うんで街を見て回ろうと思うて」


「それも大切なことだね。街の人に覚えてもらえば、君に会いにお店に来てくれる人だっているんだから」


 そう言われてみると、バゲットさんの女優のような立ち姿も言葉遣いもそれがパン娘としての武器だと気付かされる。きっと真似したところでまったく真似にもならないことくらいは、カンパーニュちゃんにも一瞬で理解できた。


「君は君らしいパン娘を目指せばいいさ。せっかくだからこの大通りの他のパン娘にも会いに行ってみたらどうかな?」


 心の中を読み切ったようにバゲットさんはカンパーニュちゃんに微笑みかける。人気看パン娘の貫録を見せつけられたような気がして、カンパーニュちゃんはちょっぴり自信をなくしつつも、二軒のお店を教えてもらってドルクを出た。


 言われた通りに南へ進んでいくと、今度は女性の顔がかたどられた木製の突出し看板が見えてくる。いくらカンパーニュちゃんでもまっすぐに道を下るだけなら間違えることもない。教えてもらった二軒のうちの一つ。ポンドワールという名前が刻まれている。


 こちらも食事用のリーンなパンが多いが、ドルクと比べるとより幅広いパンを扱っているようで、半分くらいはクリームパンのような菓子パンや食パン、それを使ったサンドイッチなどが並んでいる。


「なるほどねぇ。いろんなお店があるんじゃねえ」


 コトブキベーカリーとも違って正統派なクリームパンやハムサンドなんかが並んでいて、確かに毎日選ぶのが楽しくなりそうだ。

 カンパーニュちゃんは気付かないうちにまた大きなガラス窓に顔を張りつけていた。興味のあるものに向かうと、そちらにばかり意識がとられてしまって周りが見えなくなるのはいつものことだった。


「ちょっとちょっと。いったい何をしていらっしゃるんですの!」


 そしてまた同じようにお店の中からパン娘が飛び出してくる。それを見てようやくカンパーニュちゃんはガラス窓から顔を離した。


 出てきたパン娘はバゲットさんより明るい金色の髪を揺らして走ってくると、肩にかかった髪を振り払ってから、はっきりとした強気な釣り目をさらに尖らせて不審者を睨みながらカンパーニュちゃんに指を突きつけた。


 白いエプロンと黒基調のエプロンドレス。頭には真っ白なシニョンキャップ。それなのにコルセットで絞めつけた細いウエスト。使用人なのかお嬢様なのかごちゃごちゃになっていてわからない。そもそもこの街にそんな上下関係が存在はしていないはずだ。


 でもパン娘として自分で選んだ仕事着なのだろう。メイドと呼ぶには少し態度が大きすぎるように感じたが、よくなじんでいて似合っている。


「あ、こんにちは。コトブキベーカリーさんで働くことになった」


「お店のガラスに顔をくっつけないでくださいな。皮脂がついて拭くのが大変なんですのよ」


 カンパーニュちゃんの挨拶などまったく聞いていない様子で、金髪のパン娘がすごい剣幕でまくしたてる。この子もカンパーニュちゃんと同じようにどうやらあまり周囲に気が回らないらしい。


「いったいどこの子どもなんでしょうか。パンの一つも買ってもらえないのかしら。格好もずいぶんと田舎くさいし。牧場で羊を追っているのがお似合いですわよ」


「羊を追うんは牧羊犬のお仕事じゃけん、うちはやらへんよ」


「そういうことを言っているんじゃありませんわ!」


 嫌味だということに気がつかないまま真面目に返すカンパーニュちゃんにメイド姿のパン娘は大きな溜息をついた。


「コトブキベーカリーといったらあの新しいお店ですわね。ただでさえこの街には似合わないと思っていましたのに、パン娘までこんな子だなんて」


「うち、カンパーニュっていうんじゃけど」


「はいはい、わかりましたわ。私はパリジャン。このポンドワールの看パン娘ですわ」


 パリジャン、と名乗ったメイドのパン娘は、腰に手を当ててまだ汚れた野良犬を見るような目でカンパーニュちゃんを見下ろしている。お昼を過ぎてやや傾いてきた太陽の光が窓に当たると、カンパーニュちゃんの顔の跡が光っていた。

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