理想の高校生活とは

「深山君どうしたんだ?」

「どうもしませんが」


 昼食をとるため、俺たちは、商店街の近くにある味噌かつ屋に来ていた。

 なんにでも味噌をかけようとするのは、名古屋人の悪癖の一つと、思われているのかもしれないが、旨いから仕方ないのである。むろん食べ物なので、好みは分かれるだろうが、名古屋めしの中では、ひつまぶしの次くらいに、味噌カツは旨いものだと俺は思っている。

 俺たち三人は、味噌カツに舌鼓を打って、お茶を飲みながら談笑していた。


「覇気のない顔をしているぞ」

「どちらかというと、それが俺の自然ですが」

「そうか? さやかといるときはもっと生き生きとしているけれど」

「そうすか」


 先日から、だいぶ打ち解けた感じの俺たちを見たからか、夏帆ちゃんは、

「お兄ちゃんと萌菜さんってどういうふうに知り合ったんですか?」

 と。


 ……馴れ初め風に聴くなよ。

「……校内放送で呼び出されたんだよ」


 忘れもしない。

 あれは俺の高校生活、七大恥の一つに数えられる、人生の汚点だ。

 何が悲しいかって、放送当時「ミヤマって誰?」「知らね」という会話が、学校中でなされたらしいこと。……主に俺の教室で。やばい、俺にはどうやら、気配を消す能力が備わっているらしい。

 ……俺の職業は、工作員スパイあたりが適当かもしれない。そのうち、公安かCIAからか、スカウトされるだろう。……多分されない。


「へえ~、なんかロマンチック」

「どこが?」

 我が妹は、話を美談として聞く嫌いがある。

 校内放送で呼び出されると言ったら、十中八九悪いことをしたからだ。

 それなのに萌菜先輩は、善良なる一市民をあのように呼び出してしまう。つくづくこの御仁は……。


「私は、お兄ちゃんがこんなに高校生活をエンジョイしてるだなんて、思いもよらなかったよ」

 俺の何を見て、エンジョイだと?

どちらかというと、周りの連中のせいで、四苦八苦しているのに。


「夏帆ちゃんは俺が高校生活を楽しんでいるように見えるのか?」

「え、だってそりゃ、こんなに綺麗な人に、可愛がってもらえるなんて、そうそうないよ」

「らしいぞ深山君」

 うわあ、萌菜先輩楽しそう。


「俺はそっとしておいて欲しいんだが」

「すみません、素直じゃなくて」

 おい。


「深山君はシスコンで、ツンデレで、その実、かまってちゃんなんだね」

「なんですか、そのラノベのキャラの寄せ集めみたいな」

 シスコンはともかく、あとの二つは、首を傾げざるを得ない。俺はツンツンもデレデレもしてない。……多少無愛想な態度を取ることはある。……そして綿貫と二人きりの時には大抵デレている。

 かまってほしいと言うならば、相手は綿貫さやかに限る。

 ……。


「つまるところ、深山君には多様性があるんだ」

 物は言いようだ。

 萌菜先輩は続ける。

「不満そうだな」

「人に色々と、分析されるのは、あまり好かんのです」

「そうだな。すまない。君はこういうのは嫌いそうだ。その……」

「心理テストとか」

「そう心理テストとか」

「萌菜先輩も、あまり好きそうじゃないですけど」

「まあ、名前に関連付けてやるような、占いまがいのものはね」

 一口に、心理テストと言っても、大分幅のあるものだ。確かに、訓練された心理カウンセラーが長い時間をかけてやるようなものも含め、心理テストを頭ごなしに否定するのは、道理ではないかもしれないが。


「お詫びと言っては何だが、お返しに私の分析も聞かせてくれない?」

「萌菜さんの分析ですか?」

 萌菜先輩は微笑んだ。


 ふむ。

 綿貫萌奈、高校二年生。女。名家にして、病院経営者一族の娘。美人。スタイル抜群。

 性格は、……。知らんな。


 彼女の評判はその外面そとづらで完結する。人に注目されることを前提とした、よそゆきの、取り繕った外面そとづら

 人は言う。綿貫萌菜は立派で面倒見が良く、正義を重んじる、と。

 けれど、それが綿貫萌菜の自然だろうか?

 執行部の長として、周りが求める、綿貫萌菜像を演じているに過ぎないんじゃないか。


 人は彼女を女傑と言う。

 

 俺は知らない。彼女が本当はどういう人間かを。

 誰も知らない。彼女の素の姿を。

 みんな騙されている。おそらく彼女自身も。

 

 結局、俺には綿貫萌菜という人間を、言葉で表すことはできなかった。


「萌菜先輩はよくわからない人です」

「それが君の答え?」

「これは答えですかね。萌菜先輩はよくわからない人。それは単に、判断材料を持ってないせいだと思うんですが」

 あるいは、それと認識してないせいか。


「じゃあ、自己分析を一つ、……私は弱虫だよ」

 どこが?

 それが顔に出ていたらしく、

「何? なんか言いたいことあるの?」

「……いや、萌菜先輩ほど、強い人はいないかと」

「……なるほど、確かに君は私のことをよく知らないようね。まあいいわ。こんな人は放っておいて、夏帆ちゃん、お喋りしましょう」

 若干怒っている気がする。

 仕方ないじゃないか、萌菜先輩が俺に、素の自分を見せたことが無いのが、いけないのだから。


「聞くところによると、太郎君は脱いだら、すごいらしいのだけれど、実際どうなの?」

「ちょっと、先輩、なんてこと妹に聞いてんですか」

 俺の抗議は彼女の耳に届かない。


「あ~、確かに。この間、お風呂で見たとき、びっくりしました。中学生の頃は、締りのない体をしていたのに、引き締まってて、胸とか盛り上がったりしてましたから」

 お前は何普通に答えてるんだ。


 だが萌菜先輩には、返答そのものより、気になったものがあったらしい。


「えっと、君たちは、まだ一緒にお風呂に入っているのかな?」

 夏帆ちゃんは自分が暴露したことの大きさに気づいたらしい。

「……たっ偶々ですよ!」

 夏帆ちゃんは慌てて、そう言った。


 萌菜先輩は訝しんで言う。

「偶々? ……深山君、どういうことかな?」

「いや、俺は何もしてませんよ。妹が勝手に入ってくるんです。辞めろって言っているのに。久しぶりに会えたもんで、ちょっとはしゃいでるんですよ」 

 それが事実。夏帆ちゃんは訂正することなく、顔を真っ赤にしてうつむいている。これに懲りて、年頃の女らしく振る舞えるようになればいい。

 ふーん、と萌菜先輩は胡乱うろんげに俺を見たが、変態認定は阻止できたようだ。


「君もかなりの重症と見たけど、妹さんも相当だね。まさかとは思うけど、私将来、お兄ちゃんのお嫁さんになる、とか言ってはいないだろうね」

「そりゃないですよ」

 今は。


 朧気な記憶だが、俺が小二ぐらいまでは、そんなことをよく言われていた気がする。……俺の極度に美化された記憶でなければ。


「そういえばさ、あのニュース見た?」

 夏帆ちゃんが俺の方を向いて言った。

「なんだ?」

「アイドルが、白血病になったって話。私たちのちょっと上ぐらいだったと思うけど。十八とかだったかな?」

「ああ」

 最近の女性アイドルは、みんな似たような顔をしていて、俺には誰が誰だかわからないのだが、人気のあるアイドルらしく、各メディアで大きく報道されていた。


「なんか可哀想じゃない?」

「可哀想……ね」

 俺の微妙な反応を見てとって、萌菜先輩が口を挟んできた。

「深山君、少しドライなところがあるよね」

「そうすか?」

「まだ亡くなっているわけじゃないけど、私たちの世代の人間が、難病にかかったら、心が動かされるものだと思うのだけれど」

「……確かに、不憫というか、いい気持ちはしませんけど。でも、もし、俺がおんなじ病気になったところで、絶対にニュースにはならんでしょう。有名な奴が病気になったからニュースになっているんです」

「それが何か問題でも?」

「複雑な感覚を覚えます。人の命は天秤にかけられるものじゃないんだ、と人は言うのに、多くの人の命は人に顧みられない。けれど、有名人が病気になれば、マスコミはこぞってそれを報道する。その人物が若く才能にあふれていればなおさら。無念と思う気持ちが、有名人と俺たちみたいな一般人とで変わるはずがないのに。ニュースの価値を決めるのは、どのくらい悲惨かよりも、誰が悲劇の主人公になるか、の方が大事なんでしょうね。そう考えると、俺たち視聴者は馬鹿みたいすよ」

「でもお兄ちゃんには、私がついてるよ」

「……あくまで例えだからな。俺を殺してくれるなよ」

「でもだからと言って、報道しないことが良いこととも言えないだろう。現に今回の報道によって、骨髄ドナーが増えたそうだぞ」

「だから複雑な気持ちを抱いているんです」

 これまで、ドナーがいなくて、移植を受けられなくて、死んでしまった人間は大勢いただろう。喉から手が出るほど欲した、命の贈り物。それがたった一人の有名人の報道によって、状況が一変した。

 それまで、白血病になった奴はたくさんいたろうに。彼らは自分の価値と、著名人の価値とを見比べて卑屈になりはしないだろうか。

 今回の傾向は良いことだとは思う。けれど俺は胸の内にわだかまる、もやもやした感情を、すんなりと飲み込むことができないでいた。


 味噌カツ屋から、外へと出た。野球の観戦に来た人だろうか、ドラゴンズのロゴが入った、ウィンドブレーカーを着て歩いている。ドームはここから、かなり離れているが、大須でも見に来たのだろう。


 俺がそんなことを考えていたところ、

「おっと、これは想定外」

 と萌菜先輩が不意に言った。なんだろうか。 

 萌菜先輩の向く方を俺も見た。


「……深山さん」

「おぉ、綿貫」

 そこには、マイエンジェルが立っていた。綿貫は水族館に行った時と、違う装いをしている。

 最近は、着痩せがどうだ、とか言われるらしいが、着込んだ綿貫の格好にどこも不具合は見受けられない。

 そもそも、肌を見せて、体の線を強調し、男を拐かすような女は、低俗の輩。綿貫には到底及ばない。

 着膨れしようが、美しいものは美しいのである。

 

 綿貫が可愛いのは言うまでもないことなのだが、夏帆ちゃんに言われたように、褒めてやらねばならないのだろう。

 しかし、その一言がどうにも言えない。

 見惚みとれるばかりで、間抜けな顔をしていたであろう俺に綿貫は言った。

「そちらはどなたですか」

 そこで気づいたのだが、綿貫は多少色をしている。……ああ。

 

「俺の妹だ」

「というのは、浮気がバレそうになった時の、男の常套句じょうとうくだ。さやか、よく覚えときなさい」

 ……この人は俺達をくっつけたいのか、かき乱したいのか、どっちなんだ。


「えっと、妹さんなんですよね」

 綿貫は萌菜先輩の冗談と分かっているらしく、ほっとした顔を見せた。

「そうだ。今でも一緒にお風呂に入るほど仲のいい、深山君の妹ちゃんだ」

「あの……誤解を受けるようなこと言わないでもらえますか?」

「誤解って、事実なんでしょう?」

 いやそうですけども。


「深山さん面倒見がいいんですよね」

 綿貫はほっこりとした顔で言った。


「……さやかも大概だな」

 ポツリと萌菜先輩は呟いたような気がしたが、気にすることはない。


 夏帆ちゃんは、ニッコリと微笑んで綿貫に挨拶をした。

「深山夏帆です。はじめまして。いつも兄がお世話になっております」

「綿貫さやかです。こちらこそ、いつも太郎さんのご厚意に甘えてばかりです」

 綿貫に下の名前で呼ばれるのは初めてな気がする。……何かこそばゆい感じだ。


 夏帆ちゃんと、綿貫従姉妹じゅうしまいはすっかり意気投合したようで、三人で女子会をするという。……会ったばかりなのに、どうしてそうも打ち解けられるのか、女子というものは暗黒物質ダークマター並に謎だ。

 当然、性別オスの俺はナチュラルに弾かれた。


「おい夏帆ちゃん、金はあるのかよ」

 別にひがんで言っているわけではない。

 除け者にされるのは慣れている。

 ……。


「あるわよちゃんと」

 そう言って、夏帆ちゃんは財布を開いてみせた。

 諭吉がひーふー……。

 

 不思議だ。この前は映画を見るほどの金もなかったのに。……不思議だ。

 後援者パトロンはおそらく、いや百パーセント、親父。親父がいる限り、夏帆ちゃんはパパ活なんぞに手を出さなくて済みそうだ。……そう考えると、そっちのほうがいいのか?


 電車に揺られながら、今頃俺の悪口大会でも開かれているのかと、気分は暗澹あんたんたるものとなったが、綿貫が必死に俺を擁護してくれるので安心だ。……多分そのはず。

 


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