煩悩にボンジュール!

 ルーティンワークだ。

 三百六十五日、毎日繰り返される日付の変更。

 けれど、十二月三十一日から、一月一日のそれは、特別な意味を有するらしい。

 ゴーンゴーンと日本の各地で鐘が鳴り続ける夜。人間の持ちうる欲望の数だけそれは鳴らされるらしいが、一〇八で済むのならば、ましなように思える。

 俺の持論は、人間の欲望尽きることなし、数えることあたわず、である。

 まあ、それはそれとして。


 良い子も夜ふかしできる日。

 皆で真夜中にカウントダウンする日。


 年越し。この日だけは単なるルーティンワークではないらしい。


 まあ、それも一年おきに定期的にやってくるわけだが。


 地球がスタート地点に戻ったことを皆で祝福しているのか。

 地球破滅までの時間が、また一年減ったことを喜んでいるのか。

 あるいは、忘れたい過去とおさらばできるのがそんなに嬉しいのか、人それぞれ歓喜狂乱する理由はあるのだろうが、宇宙の視座に立ってみれば、誰がどういった理由で喜んでいるのかなんて、わからないだろう。

 だが、周りの人間に合わせることが、この国では推奨されているので、俺もならって言おう。


 あけましておめでとうございます。


 一人、吐いたセリフは、誰もいない家で、空中をしばらく漂って、煙のように消えていった。

 今日は元日。家には俺一人。


 愛すべきマイファミリーは、俺を残して初詣に行っている……のだと思う。心地よさそうに眠っていた俺を、起こさないように配慮してくれたのだ……多分。別段それで問題はない。

 しいて言うならば、夏帆ちゃんの晴れ着姿が見られなかったのが、心残りではあるが。……それがあれば素直に新年の訪れを、喜べただろうに。

 

 寝ぼけまなこをこすりながら、俺はキッチンに行き、遅めの朝食の準備を始めた。


 パンをかじり、モカコーヒーを飲んで、少々リッチな気分になって、ねえリッチしよう、と独り呟いては、にやついていたところ、電話が鳴った。


 元旦から誰が電話をかけてくるんだよ、とぶつくさ文句を言いながら受話器に耳をあてる。

「もしもし、深山です」

「もしもし、綿貫と申します。あけましておめでとうございます。元旦からお電話して申し訳ありません。太郎さんはご在宅でしょうか?」

 綿貫家の娘さんが電話をかけてきたらしい。元旦から可愛い女の子とお話しできるなんて、リッチなものだ。


 電話口の応対だと、綿貫か、萌菜先輩か判断に迷ったが、なんとなく綿貫だという気がした。いくら萌菜先輩でも、正月から俺にちょっかいをかけてくるようなことはないだろう。


「綿貫か? 俺だ」

「あっ、深山さんでしたか。電話だと声が変わって聞こえますね」

 電話で話すのはこれが初めてではないが、頻繁に電話するわけではないので、そう思うのも当然か。

 現に俺とて少々迷った。


「どうかしたのか?」

 綿貫は、誰が疑うべくもなく、お嬢様である。旧家名家にとって、正月というのは重要なイベントだろう。元旦から俺みたいな庶民に構っている時間などないはずなんだが。

「初詣にはもういらっしゃいましたか?」

「まだだが」

「どうです? 神宮にご挨拶に伺おうと思っているのですが」

「神宮って、まさかお伊勢様じゃないだろうな」

 遠いし、なにより、人がごみのように溢れているに違いない。バルスバルス。


「あっ、すみません。熱田神宮です」

「……まあ、いいけど。今向かえばいいのか?」

「いえ。今はちょっと時間ができたので、お電話差し上げられたのですが、夕方まではお客様にご挨拶しないといけませんので、出られそうにないのです。ご都合よろしかったですか? 皆さん来るそうですが」

 お嬢様は大変でいらっしゃる。

 皆さんというのは、雄清と佐藤、あとは萌菜先輩も来るかもしれない。


「別に構わん。今は一番混んでいるくらいだろう。夕方に行くのは、人もはけてきてちょうどいいと思う」

「ありがとうございます。では後程、またお電話しますので」


 電話がぷつりと切れてから、新年の挨拶を、綿貫にするのを忘れていたのに気が付いたが、どうせまた後で話せると思ったので、気にせず炬燵こたつに戻った。


 日が傾き始め、僅かばかりの暖かさが、地上から消えようとする頃、綿貫から本日二度目の電話がかかってきた。

 そろそろ頃合いかと、準備をしていた俺は、電話を受けすぐに出発した。

 厳冬の中、最寄り駅へと自転車を漕いでいったが、不思議と体が震えることはなかった。


 神宮前の地下鉄駅から、幾分か歩き、正面の鳥居へと向かった。


「深山さん」

 数分と待たないうちに、綿貫が晴れ着に包まれてやってきた。草履を履き、赤を基調とした訪問着の上に、羽織を着ている。

 薄暗くなってきた冬空の下、彼女の姿はぼうと浮き上がるようにくっきり見えた。

「お待たせしてしまったでしょうか」

 彼女の玲瓏れいろうさに呆けていた俺は、その声で正気に戻る。

「気にするな、今来たところだ」

「そうですか。……では行きましょうか。萌菜さん達は、拝殿の方で待っているそうです」

「おう」


 和服に合わせて、髪を結っているので、彼女の白く清らかな項が、露わになっている。

「その着物、綺麗だな」

 拝殿に向かう途中、俺は綿貫にそう言った。

「ありがとうございます。ハレの日ですので、振袖とか留袖のほうが良いのでしょうが、歩き回るのには適しませんので」


ばちは当たらんだろうよ。お前の格好で駄目なら、俺は出禁になる」

「でも深山さんの服装も素敵ですよ」

 こいつはきっと良い嫁になるぞ。

「そうだろう」

 俺は得意げに言った。……夏帆ちゃんに選んでもらったやつだけどな。


 拝殿に近づくと、萌菜先輩に、雄清と佐藤もいるのが見えてきた。女子二人はともに、着物を着ている。


「おーい、太郎」

 その声に応じて俺は手を上げる。


「萌菜先輩、気合入ってますねえ。それは……小紋ですか?」

 萌菜先輩は微笑んで、

「そうよ。お正月だから、本当は振り袖とかの方が良かったのだけれど」

 ……どこかで聞いた台詞だ。

 

 賽銭箱の前まで上がり、鈴を鳴らした。

 そこで佐藤が、

「一礼二拍手参拝だっけ?」

「……お前はボケないと気が済まないのか?」

 佐藤はさっと顔を赤くした。

「そっ、そうよ。文句あんの?」

 ……こいつ普通に間違えたんだな。


「初詣って何すればいいんだ。昨年の礼でも言っとけばいいのか?」

 去年は散々な目に遭ったが。

「まあ、それでいいんじゃない。人間、感謝する気持ちを忘れちゃいけないよ」


 ふむ。

 俺は二度礼をし、手を二回叩いた。


 お陰様で、家族皆無事に新年を迎えられました。深く感謝の意を表明しむにゃむにゃ。

 厚かましくも、お願いをすると、今年はどうか穏やかな一年になりますよう云々。


 まあこんなもんか。

 最後に礼を一度して、拝殿の下に降りた。


 綿貫と佐藤は、お守りとおみくじを買うと言って、向こうへと行った。


「いいんですか、萌菜先輩は」

 小紋に包まれ、凛とした立ち振る舞いの彼女に声をかける。

「何が?」

「おみくじとかお守りとか」

「ああ……。占いはどうも好きになれなくてね」

「あ~、そういえばそんなこと言ってましたね」

 確か、夏帆ちゃんと三人で大須に行ったときそんな話をした。

 

 歓談する俺達の傍を、巫女姿の人が数人通り過ぎる。


「君はああいうのが好きなの? 舐め回すように見てたけど」

 萌菜先輩は、彼女らを見て言った。……いや言い方が。……今気づいたんだが、舐めまわすというより、ねぶりまわすという方が、エロさが増すのは気のせいだろうか。……どうでもいいな。


「……別に珍しいから、気になっただけですよ」 

 

「女の人をジロジロ見るのは感心しないな」

 いやらしい目線を投げていたわけではないのだが、確かにじろじろ見るのは失礼だった。気をつけねば。

「……すみません」

「まあ、いいんだけど。ああいうのが好きなら、さやかにコスプレでもさせればいい」

 すごく誤解されている気がするんだが。

「いや、だから別にそういうのでは」

 そもそも、俺たちはそういう関係ではないのだ。いまのところ。

 ところが、俺の抗議も、彼女には馬耳東風らしい。雄清の方を向いて、話を続ける。


「山本は、幼馴染プレイが好きそうだな」

 なんだよ、幼馴染プレイって。……微妙にあたっているし。

 

 雄清は涼しい顔をしている。萌菜先輩は、俺といるときばかり、奔放なものになると思っていたが、どうやら彼女は打ち解けた間柄だと、いつもこういう感じらしい。

 ……綿貫もこれ聞かされてんの? 清廉潔白な彼女が耳年増みみどしまになるのは阻止せねばならない。もう手遅れだったらどうしようか。

 むっつりスケベな綿貫……。うーん。調教は旦那の役目じゃないのか。

 ……馬鹿か俺は。邪念去るべし。


「萌菜先輩は、くすぐりに弱そうです」

 雄清がなかなかな際どい発言をする。

 ……萌菜先輩、S気が、あると見せかけてのM?


「そう? 深山くんも案外弱そう」

「俺は攻めるほうが好きですかね。弱点はうなじ周りですけど」

 ………………。

 気まずい沈黙。どうして俺が発言するとこうなるのだろうか。


「……太郎、先輩に性癖暴露しないでよ」

「……これ始めたの、萌菜先輩だろ」

「私ら、正月から何の話、してるんだろうな」


 多分、高校生の健全な保健体育の話……だと思う。華やかな衣装に身を包んでする話ではないだろうが。

 とりあえず言えることは、俺たち三人には、除夜の鐘の効果が全く出ていなかったか、もう切れたかのどちらかであるということだった。


 変な空気に耐えきれなくなった頃、綿貫と佐藤が戻ってきた。


「留奈、おみくじはどうだった?」

 雄清が佐藤に聞いた。

「ヒ・ミ・ツ」  

 佐藤は満面の笑みで言った。

 顔を見ればわかる。


「何のお話をされていたのですか?」

 俺達の歓談(疑)の様子を向こうから見ていたらしい。綿貫が聞いてきた。


「萌菜先輩は、くすぐりに弱そうだって話」

 俺はありのままを答えたのだが、

「……あんた最低ね」

 と蔑んだ視線を向けられる。

 だから、この話を始めたのは俺ではない。

 

「弱いといえば、さやかもだけどな。全身に地雷が埋まっている」

「ちょっと、萌菜さん!」

 綿貫は顔を真っ赤にして、悲鳴を上げるように言った。


「留奈は、足の裏が弱いよね」

「ちょっと雄くんっ!」

 佐藤は顔を真っ赤にして、雄清をポカポカと叩いている。叩かれながらも、雄清は嬉しそうにしている。


 ……ほんと、正月からなんちゅう話しているんだ。


 互いの恥部をさらけ出しあったところで、気分を落ち着かせた佐藤が言った。


「話は変わるんだけど、あんたに聞いておきたいことがあるの」

「俺の敏感なところは教えんぞ」

 ビンタ以下略。


「ずみまぜん。ぢゃんどぎぎます」


 よろしいとでも言うような感じで、佐藤は話を続けた。

 ……家族以外だと、佐藤とのスキンシップが、今のところ人生で一番多い、という事実には目をつぶっていたい俺だった。綿貫はビンタしてくれないからなあ。……なんか違うな。

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