婚約者は年下の王子様!?02

♢ ♢ ♢


















 「こちらへ……」と口づけされた左手を引かれてやってきたのは、大広間に備え付けられたバルコニー。




外はすっかり暗くなり、星々が輝きを増していた。 “彼”の手に引かれて、“彼”の後ろ姿を見ながら、どうしても疑念はある確信に変わっていった。亜麻栗色の髪と澄んだエメラルドグリーンの瞳。さらに上品な佇まい。若い令嬢から聞いていた容姿とどう考えてもそっくりなのだ。だからこそ、この手を振り払うこともできず、タイミングを見計らう。




その時は唐突に訪れた。繋がれていた左手が開放されたのだ。少し先を歩いていた“彼”が振り向きざまに何事か言いかけ口を開いた瞬間




「も、申し訳ございません!!」




 私は見事なスライディング土下座をかました。ズズーとバルコニーに音が響く。お父様、お母様、素敵なドレスをありがとう。そして、ごめんなさい。スライディング土下座をしたときに嫌な音がしたわ。こう、ビリっと布が切れるような。けれども、上等な生地のおかげで、勢いよくスライディングしたはずなのにさほど痛くはない。




 前世で上司にコテンパンに怒られた時もここまで真剣に詫びたことはない。頭をまさに地面にこすりつけようとした時だった。




「……あれ?痛くない!?」




 多少の痛みは我慢しようと誠心誠意の謝罪を試みようとしたはずなのに、額に痛みはなく代わりに柔らかくそして温かい何かで押しとどめられている。少し体を起こして見れば、それは人の手のひらで……。さらに見上げると




「突然何をやるのかと思ったら……」




とどこか呆れ顔の“彼”。いや、『レイ・ガルシア』。私を庇ったためか左の甲に砂が付着していた。私は青ざめて大きく顔を下へ振りかぶる。




「“殿下”だとは知らず失礼なことを申し上げ、さらにはそのようにお手を汚させてしまい、申し開きしようがございません!!」




 王族の名前は恐れ多いので滅多に伝わることはない。けれども、『ガルシア』と名乗ることができるのは、この国で唯一『カトレア』を治めている『ガルシア』王室直系の者だけだ。つまり、目の前の人物はこのガルシア王室直系の人物。確か第一王子が私より一つ年上の28、第二王子が我が弟ルーカスと同じく22だったはず。つまり、ここから導き出されるのは、目の前の人物がガルシア王室の第三王子ということだ。




 記憶を辿ると「誰?」なんて不躾な質問をしたし、殿下の言葉に「へ?」なんて間抜けな声を出した覚えもある。時間を巻き戻せるなら巻き戻したい思いにただひたすらに顔を伏せていると、ザっと地面が擦れる音がして




「顔を上げてください」




と静かな声が下りてきた。恐る恐る顔を上げれば、エメラルドグリーンの瞳と目が合った。その瞳は少し悲しげに揺れている。




「貴女に殿下と呼ばれるのはあまりいい気持ちがしません」


「ですが……」


「それに私は貴女の婚約者なのですから。そんなに気を遣うことはないんですよ」




 そうだ。婚約者。これが最大の疑問だった。彼が第三王子だとすると18歳だ。彼の話だと10年前に結婚の約束をしたということならば、私が17歳、彼が8歳の時だったはずだ。その時私はこの世界でいうとまさに絶賛結婚適齢期だ。あまりに結婚相手がいなさすぎて、8歳に結婚迫ったの?私。いやいや、さすがにそこまで見境なくやってない。うん、これは絶対何かの間違いだ。




「失礼ながら、殿下と私が婚約しているというのは本当なのでしょうか?」




信じられない想いで彼を見ると




「レナ姉……」




“彼”はそう呟いて膝が汚れるのも厭わず私の顔を覗き込んだ。




一瞬、何のことかわからなかった。






♢ ♢ ♢








『え?名前?エレナよ。エレナ・クレメンス。みんな私のことをエレナって呼ぶわ』


『じゃあ、僕はレナ姉って呼ぶね』


『え?なんで?』


『僕だけの特別な呼び方』




♢ ♢ ♢






何故だろう。一瞬弾むような声が脳裏を過った。そして、かつて私のことを“レナ姉”と呼び、月明かりに照られながらはにかむように笑った男の子を思い出した。確か、彼も『レイ』と名乗っていた。だから、私も『レイ君』と呼んでいた。まさか、第三王子だったとはあの時は思いもしなかった。そんなことを思っていると“彼”は語り出した。




「10年前、兄さんたちとこの近くの湖に遊びに来た夜に兄さんたちと些細なことで喧嘩しました。それで、私はこの屋敷に迷い込んでしまって、レナ姉は私を諭しながら怪我の手当てをしてくれました」




私のことを『レナ姉』と呼び、大きな瞳で私を見ていた男の子とどこか懐かしそうに目を細める目の前の“彼”の顔が一瞬で重なる。




 確かに10年ほど前、眠れなくて屋敷の庭の風に当たりに行ったときに木の傍に座り込んでいる男の子がいた。屋敷の森は近くの湖とつながっているため、たまに迷い込んでしまう人が出てしまう。特に暗い夜は、迷い込みやすい。その男の子も迷ってしまったようで、その途中で転んで膝から血を流していた。月明かりを頼りに、怪我をしていた男の子の手当てをしたことがあった。前世の職業病か残ってしまっているのか、つい今でも消毒液やら絆創膏やら簡単な治療道具は今でも持ち歩いてしまっている。その時に出会った当時8歳だという男の子は、兄たちと喧嘩し怒りに任せたまま兄たちを置いてきてしまったといっていたのだと語った。




「当時の私は我がままを言い放題。何てったて、幼くても王子ですからね。けれども、初めてでした。きちんと私を叱ってくれて、兄たちに謝ると考え直した私に偉いねって笑いかけてくれたのは」




 にこりと微笑む“彼”は、言われてみれば確かにあの頃の面影を残していた。




「それに傷の手当のとき、私の怪我の痛みを紛らわせるために色々な話を聞かせてくれました。好きな花の話。夜空を彩っていた星の話。そのたびにコロコロと表情を変えて、屈託なく笑う貴女を見て、本当に素敵な人だなって思いました」




そういって彼は真剣な表情を浮かべて、私の頬に手を添えた。




「だから、あの時貴女と約束をしました。そして、今、約束通り貴女を迎えに来たんですよ」




脳裏にかつての記憶が流れ込んでくる。




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