第2話 脳裏に焼き付くあの子の姿
午後の授業も滞りなく終え、あとは帰るだけなのだが、雫は音楽室の前に立っていた。
授業が終わった直後、前の席に座る梨里が勢いよく振り向いてきた。
「これから暇?軽音部の定期ライブあるから音楽室おいでよ?」
梨里は1年の頃から軽音楽部に所属しており、ライブハウスでも演奏したりと活発にバンド活動をしている。
彼女が組んでいるバンドは校内でも校外でも大人気のロックバンド。バンド名は
【はにかみSHOUT】
ギター、ベース、ドラムとシンプルな3ピースバンドで、その中でのベース担当が梨里である。
梨里以外のメンバーは皆男だが、その中でも梨里の演奏は一段と激しく、長い髪を振り乱しながら観客を煽るスタイルが、普段マイペースな彼女とのギャップとなり多くのファンを獲得していた。
「今回は新曲もやるんだよね〜。雫さんにも聴いてもらいたいですな〜」
瞳を潤ませた上目遣いで懇願する梨里に、雫は生唾を飲み込む。梨里のその愛くるしさに否応なく雫は承諾するしかなかった。
「分かった。行くよ」
「本当に??やったーーーー」
ジャンプしながらくるくる回る彼女のスカートから今にも下着が見えてしまいそうで、雫は慌てて梨里のスカートを押さえつけた。
「じゃっまた後でねーー」とブンブン手を振る彼女を見送り、雫はライブまでの時間を潰すために自動販売機があるピロティへと向かった。
プシュっと小気味のいい炭酸が抜ける音。
コーラを喉に流しながら雫は考える。
【梨里が可愛い】
今日の昼休み、桜の花を髪に飾った梨里の笑顔を見てから不思議なドキドキが雫を悩ませていた。もしかするともっと前からかもしれない。
ピロティに吹き抜ける風は気持ちよく、その心地よさに紛れてこの悶々とした感情も何処かに飛んでいってくれないだろうか。
ぶんぶん頭を横に振り、勢いよく缶の飲み口に唇を当てる。炭酸の爽快な傷みを喉で感じながら雫は残りのコーラを一気に飲み干した。
開場時間に音楽室へ入ると既に多くの人が押し寄せており、始めから前方へ行こうと思っていない雫は後方の壁にもたれ掛かる。
先程連絡用アプリから届いた梨里からのメッセージを確認すると、今回の定期ライブは5組のバンドが出演するらしく、【はにかみSHOUT】はトリだった。さすが一番人気のバンドだと雫は感心する。
雫は普段から音楽というものにあまり感心がない。梨里にライブを誘われても梨里のライブ以外には正直興味がなく、うるさい音を右から左へと聞き流している。
梨里がよく話題に出すロックというジャンルもボーカルはうるさいし、音は騒がしいし、全然好みのジャンルではない。それでも雫が毎回ライブに足を運ぶのは、1番の友人である梨里の頼みだからだ。
そんな事を考えていると、観客の拍手が音楽室に響き渡り、ステージを見てみると最後から2番目のバンドが演奏を終えていた。
「今日は定期ライブに来てくれてサンキュー!それでは軽音部No.1の人気を誇るロックバンドに登場してもらいましょうか!はにかみSHOUTカモーン」
ステージに立つボーカルの人がそう叫ぶと前のバンドと入れ替わるように梨里たちが現れた。
観客の盛り上がりは先程のバンドとは比べ物にならない程の歓声が飛び交い、雫は思わず耳を抑えた。
ステージに現れた3人は、観客の盛り上がりとは正反対に真剣な表情でセッティングを始める。観客からの期待感は雫にも伝わってくる。それこそ、このバンドが積み上げてきた実績の証なのだ。
ようやくメンバーはセッティングを終え、ギターボーカルの男子がマイクに声を吹き込む。
「はにかみSHOUT。今日もよろしく」
「1・2・3・4ッッ!」
ドラムが声を張り上げながらハイハットでカウントを刻む。
はにかみSHOUTのライブの幕が上がった。
-♡-
音楽室を出てすぐ横の広間のベンチで雫は頭を抱えていた。
既にライブは終わっており、梨里たち軽音楽部員は後片付けに勤しんでいる。
ライブは誰がなんと言おうと素晴らしい物だった。心臓の音が脳にまで響き、鳥肌が収まらない。楽しそうにベースを弾く梨里の姿が頭から離れない。
好き…ライブ中、雫の脳裏に浮かび上がり焦げ付いたのはそんな言葉だった。
廊下の先では男子生徒達がふざけ合いながら騒々しく走り回っている。悩みなど無さそうに戯れ合う声が雫の勘に触る。大袈裟に腕を擦り、自分の中に生まれた感情を消そうと試みるが、皮膚が熱くなるだけで梨里への感情はより一層強いものになるだけだった。
「嘘でしょ?」
溢れた言葉が空虚に溶け込む。乱暴に頭を掻きむしり地団駄を踏む。嘘だ嘘だと何回も否定するが、その度に梨里への気持ちが膨れ上がるのを感じた。クリスマスイブに笹原に告白された時に感じたときめき。それ以上の感情が内から外まで雫の全てを飲み込もうとしていた。
雫は鞄からスマホを取り出し、連絡用アプリを開く。梨里とは一緒に帰る約束をしていたが、今彼女の顔を見るとどうにかなってしまいそうだった。[ごめん。先に帰る]と入力し、メッセージを送信する。
雫は足早にその場を後にし、ひたすらに足を動かした。雫の足が一歩一歩前へ進むたび、安堵感と寂寥感の両方が心臓の中でスーパーボールのように跳ね上がる。
手に握られたスマホが鳴ったが、それを確認することなく雫は帰路についた。
-♡-
「ただいま〜」
家のドアを開くと、トコトコと飼い猫のミィが足に擦り寄ってくる。かわいい奴めと頭を撫でようとすると、その手は可憐に避けられ、ミィはトットットットッとリビングの方へ歩いていってしまった。
リビングにはサランラップがかかったハンバーグとメモ書きが残されていた。
【小田和正のコンサートに行ってきます。母より】
雫の母は現在37歳と高校生の母にしては結構若い年齢で、そのせいかノリも相当軽く、アクティブな女性だ。
最近、近所のおばさん達から勧められ小田和正のファンになったらしく、熱心にコンサートへ足を運んでいる。父は現在単身赴任でロサンゼルスにいるから、現在は雫と母とミィの2人と1匹暮らしだ。
夕飯を食べるには少し早い時間だと思い、重たい足を持ち上げ2階の自室へ向かう。
部屋に入るなりシワになることが分かりながらも雫はベッドに倒れ込み、枕に顔を
「んんんんんんんん」
会いたいっ!会いたいっ!会いたい!だけど会いたくない!梨里がもし今 目の前に現れたとしたら、いつも通りでいられるだろうか?きっと今までに見せたことのない恥ずかしい姿を見せてしまう。そしてこの不明確のようで確信的な感情がバレてしまうに違いない。雫の頭の中でマイナス思考が暴れ回る。
息が出来なくなるほど枕に顔を押し当て、どれだけ唸っても雫の脳裏には梨里の無邪気な表情が浮かぶ。明日になれば少しは落ち着くのかと、雫は溜息をつきながら鞄の中のスマホに手を伸ばす。するとまたもミィが腕に擦り寄りスマホを取るのを邪魔をしてきた。
再度ミィを撫でようと手を差し伸べるも、またもや可憐に避けられてしまった。
鞄からスマホを取り出すと、通知を知らせるライトが点滅しており、連絡用アプリを開くとやはり梨里からのメッセージが届いていた。
[りょ!あとで家行くねーーーー]
雫の頭に疑問符がいくつも浮かぶ。【あとで家行くね】。理解するのに少し時間がかかったが、現状を把握し、急いで断りのメッセージを入力する。
慌てているせいか意味不明な文章が画面に次々と生まれて来る。こういう時、雫は冷静になれない所があり、そういう自分をあまり好きではないと思っていた。すると。ヒュコっという音と同時に[ついたーー]というメッセージが画面に現れる。そして、間髪入れずにピンポーンという呑気なチャイムが家中に響き渡った。
観念するように雫は玄関のドアを開くと、そこにはいつもより何割増かに可愛く感じる梨里の姿があった。
「やっふーー!来ちった」
「急すぎじゃない?」
「そ?結構前にメッセージ送ってたけど?」
分かってる、分かってるけどさ〜。
雫の心の中だけで嘆きと叫びが繰り返される。追い返すわけにもいかず、玄関で立ち話をするのも可笑しいと思い、雫は梨里をリビングへ案内した。
いつも遊ぶ時は部屋に招くのだが、今日はそういう気分にもなれなかった。
「おっ!ミィ元気にしてたかーー?今日もかわいいの〜うりうり〜」
リビングに入った途端、ミィが梨里の足元に歩み寄り足に体を擦りつけている。しかも雫の時とは違い、素直に体中を撫でられ、しかもゴロゴロと気持ち良さそうな音までたてている始末。
飼い主は私なのだが?と飼い主に撫でさせず、友人には撫でさせる飼い猫を見て雫は苦笑いをする。ついでに私も猫になりたい等と雫はバカな事まで考えてしまっていた。
冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出していると、背中に梨里の声が飛んでくる。
「今日は部屋じゃないんだね?」
もっともなツッコミに肩がビクリと跳ねた。危うく麦茶を落としそうになる。
アタフタと冷や汗を滲ませながら自然な返答を考える。
「いや、何ていうか。今日は部屋が汚いというか。梨里をそんな所にお招きは出来ないよね〜〜」
たどたどしく言葉を紡ぐと、梨里は心を見透かすような瞳で雫の瞳を見つめてくる。
引き込まれそうな梨里の瞳。生唾を飲み込みながら極力表情が引き攣らない様にニコリと笑顔で返す。
「ならしょーがないね!見られたくないものとかあるだろうし。エロ本とかエロ本とか?」
「いや、私女子だから」
雫のスナップを効かせたツッコミに梨里は楽しそうにケラケラと笑う。そんなふざけたやり取りに不思議と緊張感が解れていくのを感じた。
すると
「そういえば今日のライブどうだった?」
さっきまで元気だった梨里は恥ずかしいのか、顔を隠すように机にうつ伏せになり、震えた声で雫に問いかけてきた。
机に麦茶を置くと、梨里が不安混じりな表情で雫を覗き込む。
「とても格好良かったよ。新曲バラードなんだね。意外だった」
すると梨里はガバッと勢いよく態勢を起こし
「それね!大事なのは緩急なのだよ!激しい曲ばかりやってると疲れるし、飽きられるし!そして新鮮味大事じゃん?」
人差し指を立てながらそう言うと梨里はコップの中の麦茶を一気に飲み干す。相当喉が乾いていたようだった。
「私はああいう曲のほうが好きかな。ロックって何か怖いし」
コップに浮かぶ結露を指で撫でながら苦笑いで答える雫に梨里は、うんうんと得心がいったように頷く。
「だよねー!もっとキラキラしたポップなほうが絶対ウケるよね!」
すると、ニコニコ笑いながら話していた梨里の表情がスッと優しい笑みに変わる。
「でもさ、私にはこれしか無いんだよ。ロックが好きなんだ。あいつらと一緒にハチャメチャにベースを弾き散らすのが楽しいんだよ。大切なんだよね」
大切。梨里が微笑みながら口にしたその言葉は、何か物悲しさを隠しているようで、雫の胸の奥でチクリと傷みが走った。
今日は新しい梨里のオンパレードだ。雫の中で見たことのない梨里が次々と更新されていく。
すると梨里は「あっ」と何かを思い出したように雫の背後に回り込み、耳元に顔を近付けぼそりと囁く。
「雫もだよ」
雫の顔面が爆発した。…かのように熱くなった。湯気が出ていても可笑しくない。ここまで漫画みたいなリアクションを取るなど現実でありえるのか?と、頭の片隅で僅かな冷静さが感心をする。
不満だったはずの世界に気付けば光が差し込み、しかし、それと同時に不安の種が植え付けられたような、どうにも複雑な気持ちにもなる雫だった。
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