第2話 馬を引く者と馬との出会い

 時は紀元前六万年。場所は混沌島。神が馬と馬を引く者を異世界へと送っている最中。

 馬を引く者は、まだ一九歳のさみしがりやです。今は異世界へとつづく穴の中で、昔のことを思い出していました。


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 家族は、姉と母と父がいました。しかし、自分が一〇歳の時にみんな死んでしまいました。

 姉が死んだ時、自分は六歳でした。

 私の母がその時のことを話してくれました。母は、姉が亡くなって悲しくて泣いている私に、姉がどうして死んだのかを話してくれました。

 それは母が言うにはこういうことでした。


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 昨日の夜みんなでテーブル―このテーブルは丸くて木でできています。―を囲んで夕食を食べ、―その時の夕食は鰯のフライと鰯のムニエル(魚に小麦粉をまぶし、バターで焼いた料理)―私が布団に入ってもう寝静まっている時のことだったんだそうです。

 母は妙な物音に気づき、自分の部屋から出て、音のでどころである姉の部屋に行きました。

 するとそこに寝ているはずのいつも明るくて今日あったことを一つ一つ事細かに分かりやすくやわらかい声で、家族全員に、今日は私が外へ走りにいった時に隣のおばさんが、背の高いお姉さんと、海が荒れていて今日は漁に行けないんだって、という話を聞いたのをよく教えてくれていた、髪のながい綺麗な整った顔をした姉さんの姿は、どこにもなく、部屋はもぬけの殻でした。

 ようするに部屋には布団だけが敷いてあり、そこには誰も寝ていなかったということです。


 母はいつもは漁に出ていて夜まで帰って来ない父を起こし、姉が部屋にいないことを告げると、一目散に家から出て行き、いつも漁に行く船のところに姉がいると思い、自分の船「勇気(ゆうき)丸(まる)」(勇気が出るような感じになるように自分で島の木を切って造った船)のところまで走って行き、船の中を捜してみましたが、どこにもいません。

 そして、この近くの海の中に潜っているかもしれないと思い、海の中に潜り、濁った海の中を泳ぎ、海草をどけ、―このへんの海は比較的浅く海草が多く、見通しが悪いので、海藻をどけながら姉を捜している―小さな目をめいいっぱい見開き、自分の娘を捜しています。

 そして海草をどかし続けたあげくにやっとその海草の中から姉の姿―もうだめだと思うぐらいに青白くなってしまった顔をしていて、目は完全に締め切っていて、服は今は赤い水着姿で、その海草を2時間どけ続けてやっと辿り付いたところでみつけた―を見つけ、陸にあげ、抱き起こして心臓マッサージと人工呼吸をしながら声もかけてみましたが、全然応答がなく、三十分間それをし続けました。


 いっぽうそのころ母はどこをほっつき歩いていたのかというと。

 娘が重大なことになっていてはいけないと思い、万一のことを考えて、島の再南端にある白いマスクをかぶった人の顔のような診療所―なぜそんな建物なのかは、その建物を造ってくれと言った山下造(やましたごん)呉(ぎ)委員長しか知り得ないが―(名前は山下医院といいます。)へ行き、山下委員長を呼びに行き、父が自分の船のところに行っていると言っていたので、その船のところに二人で向かいました。

 やっと医者と一緒に母も―その父が娘の口に自分のごつごつとしたちょっと濃くなった赤色の唇をくっつけ、息をやさしく送りこみ、また心臓マッサージを娘の程良く盛り上がった胸の所に自分の平たい手を交差して置き、胸を強く押しているところ―来て、医者の診察(といっても姉の胸に聴診器をあてたのち、手と腕の間に指をあて、脈の検査をしているだけなんですけどね。)によると、もう姉は死んでおり、助かることはないそうです。             

 父はそこで姉を抱きしめ、どこを見てもさらさらの砂しかない一面の浜辺でずっといつまでも泣いていました。

 そして最後に、泣きながら、

 「なんであれほど波が高くて船も出せないほど海がしけているから、今日は海岸には絶対に近づくなと言っておいたのに、なんで今日に限って行ったんだよ!!」

 と父は一人で姉の体に覆い被さりながら嘆いていました。


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 母の話してくれたことは、幼すぎた私にとってとても悲しいことでした。母が泣きながら話してくれたとてもいやな(母にとっては思い出したくないこと。)話しでしたが、私にとっては、まだ意味がわからず、姉が死んでしまったということを受け留めることができませんでした。


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 それから三年が経ち、私は九歳になりました。もう姉のことで悔やむこともほとんどなくなりました。

 毎日元気に島の中央近くにある、緑に囲まれた学校(緑(みどり)小学校(しょうがっこう))に通っています。

 でもときどき悲しくなるときがあり、そんなときは、姉の墓のある―家から5キロ程離れたところにある―島の墓地へ行き、今日あったことを報告し、姉にそれについての励ましの言葉を自分の心の中にもらい、家に帰っていきます。

 このようにまだまだ姉のことを忘れきれていないときに、悲惨な事件があとを追うようにして起こってしまいました。


 今日はあいにくの雨で、海も大しけで、漁にもでれません。

 しかし、今日は毎年この海をこの時期に通るマグロの来る日でした。

 こんな大しけの日にならなきゃ今日は大漁で、一年楽して暮らせるほどとれていたはずなのに、とたいへん父は悔やんでいました。

 その思いが天に通じたのか、朝から降り続いていた雨がだんだん小降りになってきて、とうとう止み、高波警報も解除されました。

 父は、

 「やったぁー」

 と子供のように叫び、早速漁の準備をしに、自分の部屋に入って行きました。本当に嬉しそうです。

 いまから自分がもうこの世で一番愛している家族に二度と会えなくなるほどの海の旅に出ることになろうとは、この時誰も思っていませんでしたがね。


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 その夜は、父が家に帰って来ることはありませんでした。母はマグロが大漁できっと帰って来れないんだろうと言っていました。

 しかし、父がこのとき沖で高波に遭い、島からはとても遠い誰も知らない場所まで流されてしまっていることを母は知るよしもありませんでした。


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 父は、その次の日もそのまた次の日も帰って来ませんでした。まるで父が波に飲まれて死んでしまったのを予感しているような感じでした。

 母は、大きな決心をしました。父が帰って来ないのであれば、自分が今度は子供を育てていかなければならない。

 でも、こんな不景気な中仕事なんか見つかるはずがない。だったらどうすればいいのかと思案した挙句一つの答えを見出しました。

 一度警察に電話して見て、一年間父が見つからなければ、一人でこの子を養っていこうと固く決心しました。

 そして今は、一途の思い(父が生きているという儚い思い)をかけて、島一番の信用を持つ南府立(みなみふりつ)第二警察所―と言っても島にはこの警察所一つしかないんですけどね―に電話しました。


 プルルルップルルルッガチャ。

 「ここは混沌島の一番南のそのまた南のそのまた南に位置する南府立第二警察所ですけど、何か御用でしょうか?」

 「う~ん、なになに、父が船で沖へ出て行ったまま帰って来ないと、ふんふん、それから三日たったがまだ帰って来ないと、はい、わかりました。それじゃ名前と住所をおしえてもらえるかなぼくちゃん?」

 「わかった。南一丁目に御住まいの!?ちゃんですね。今他の巡回中の警察にあなたの家に行ってもらえるように伝えるからちょっと待っておいてね。すぐにそっちに着くから、おとなしく家で待っておいてね。わかった」

 「うん」

 「それじゃあおとなしく家で待っとくんだよ。おじさん達すぐ行くからね。じゃあね。」

 と言って、電話はガッチャっときれました。


 それから十分後に背の高いお兄さんと細身の警察官が家に訪れました。

 二人は青い警官用の背広で身を包み、胸には警官隊バッチがついています。バッチの模様は、赤で周りが囲まれており、その内側は青く塗られていて、犬か猫のどちらか作者でも決めかねるほどのへんな顔が書いてありました。

 一通り現場検証を終えた二人の警察官のうちの細身のほうが、

 「ぼくちゃん、じゃあお母さんはどこに行ったのか教えてくれるかな?」

 と僕に聞いてきました。

 でも、母からは何も聴いていなかったので、どこに行ったかも僕には、到底見当も付きませんでした。


 そのころ母は、島にある緑に囲まれた緑(みどり)囲(かこ)い公園から南府立第二警察所に電話をかけていました。

 しかし、電話は、誰かと話し中のような感じで一向にかかりません。母はもうこの際かからなければ、たぶん私は病気で入院して一生病院の中にいなければならないようになると思いました。

 そして、息子が家からかけていた電話の省で、母は、自分が思っていた通り島の病院に入院する羽目になってしまいました。


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 息子は今日も母の入院している病院(山下医院)に、学校が終わったらすぐにいつもの通り直行していました。

 母は最初の内は、まだ自分の意識がはっきりしていたため、息子が来たら普通に今日学校であったことを聴き、それについて意見をしていましたが、病院に入院している月日が1ヶ月2ヶ月と長くなってくるにつれて、どんどんと元気がなくなっていきました。そして、最後には、息子が病室に来てもベットに寝そべったままで、首を曲げて頷くという普通にできることもしなくなってしまいました。

 それが何日も続いたため、息子は、母が自分の元からいなくなってしまったと思い、その次の日からは病院に行くのも億劫になり、しまいには病院の前すら通るのもいやになってしまいました。そのため、息子にとって、母はいなくなったも当然のようになってしまいました。

 そのことを彼はひどく悔やみ、泣きました。泣きながらさみしく歩き続けると、島の中心近くにある草原(くさはら)に辿りつき、そこに座り込んでしまいました。

 それからどれくらい時がたったでしょうか?まだ彼(馬を引く者)は泣き続けています。もう太陽は地平線の向こうに沈んでしまいそうです。そんな夕焼けの美しい時に、草原の向こうから何かが近づいてくるではありませんか?


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 それは一匹の馬のようです。馬は、一歩一歩馬を引く者に近づいてきます。そして慰めるように、馬を引く者の顔をぺろぺろとなめはじめました。馬を引く者も幾分かは楽になり、徐々に泣きやんできました。

 馬も、体はたくましいのになぜか悲しげで、全身は、泥の中を走ってきたみたいに泥まみれでした。馬も親を亡くして一心不乱にここまで走ってきたようです。

 馬を引く者は、その馬の体を見て悲しくなり、馬と抱き合いました。馬もそれに賛成したかのように彼のするままに身をまかせます。そして、いつしか夜になり、二人は泣き疲れたかのように眠ってしまいました。


 朝になりました。先に目を覚ましたのは馬でした。馬は馬を引く者を起こしました。馬を引く者は馬を引いて自分の家に戻りました。

 それからというもの二人はどんなときも一緒でした。お風呂に入るときも、寝るときも、町に買い物に行くときも、散歩のときも一緒です。いわゆる運命共同体です。その後二人が龍と戦うことになろうとは、この時は誰も知りませんでした。これは、そんな二人の旅の物語です。

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